ほしとたいようの診察室

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遠い記憶と健康診断

内科医と採血

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入職の日は着々と近づいてくる。
慣れない一人暮らしで、慌ただしく日々を過ごしていた。

そして入職の1週間前。
入職案内とともに届いた手紙に、気の進まない文字を見つける。

『健康診断のお知らせ』

桜堂に勤めるということは、桜堂でひと通りの健康診断を済ませるらしい。
仕事の初日は、健康診断からスタートするという。

身長体重、視力聴力、胸部レントゲン、問診、血液検査…………

「血液検査……」

採血がいちばん苦手だ。

……上手な看護師さんだったらいいな……。

そんなことを考えながら、最初の出勤日を迎えた。



病院に着くとすでに受付が始まっていて、問診票を渡され、健康診断の会場へと通される。
あっち行ってこっち行ってと、指示のまま動くと、最後まで残ったのは医師の問診と、血液検査。

内科医にかかる、というので待合室の廊下で待っていたら名前を呼ばれた。

「星川さん、星川のぞみさん」

診察室に入ると、にこやかに笑みを浮かべる男性医師がいた。穏やかな雰囲気と佇まい。

「こんにちは、星川さんですね」

それと、のんびりとした声に……あれ、聞き覚えが。

この声どこかで……。

あ、まって、小さい時に……もしかして。

ピンと来て、顔を上げた時、先生が首から下げていたネームプレートに目が行く。

「ふふ。久しぶりじゃない? のんちゃんだよね?」

「……あっ、はい。あっ……!」

そのもしかして、だ。気づいた時に、本能で警戒する。もうその必要がなくても、幼少期の記憶はとてつもなく強烈だった。

「ふ、吹田先生……! お久しぶりです……」

問診票をめくりながら、吹田先生は感慨深いと言ったような声を出す。

「ふーん……のんちゃんも20歳になったのか……」

「あ、の……短大出て、ここの食堂で、働くことになりまして……」

「そうかそうか……陽太先生と優先生にはもう会った?」

「いえ、まだ……」

よ、陽太先生……。トクン、トクン、と心臓の音が緩やかな坂を転がるように速くなっていく。

「ふーん……食堂でねぇ……。陽太先生は毎日食堂使ってるから、多分嫌でも顔合わせると思うけれど」

「……?!」

そ、そうなの……?!

幼少期の時のまま、陽太先生の笑顔を思い出して、固まる。

なぜだか、バクバクと心臓の音が、急に激しく早くなってしまった。

「じゃ、胸の音聴かせてね?」

……ここで、聴診する?!
いま、なんか、胸の音やばい気がするけれど……!

「あ、や……」

するり、と服の裾から聴診器を入れる。にっこりと吹田先生が、意地悪な表情を浮かべていた。

ぴったり、聴診器が遠慮がちな胸の膨らみに当てられる。

「息止めないで、吸って。そう……吐いて」

言われるとおりに呼吸を繰り返す。
背中側からも同じく音を聴いてから、吹田先生はカルテに目を通しながら言った。

「うん、いまのところは大丈夫そう。ちょっと心拍速いみたいだけど」

吹田先生のせいで速くなった心拍だ……。
昔の話なんて、したから。

少し不服な表情を浮かべてみるけれど、吹田先生の笑顔で全て丸め込まれる。

「でも、のんちゃん」

聴診器を肩から下げ直しながら、真剣な目でわたしの顔を覗き込む。

「環境が変わると、体がそれについていくのに必死になるからね。子どもの頃にやってた喘息とか、血液の病気が再発することもゼロではないよ。少しでもおかしいと思ったら、内科に来ること。いいね?」

……再発。発作の息苦しさや、頻回に採血していたことを思い出して、生唾を飲む。本当にこれは、大学2年間の皆勤だけでは心もとない。

「のんちゃん、返事」

「……は、はい。気をつけて働きます」

「うん、よろしい。じゃ、次行っていいよ。あとは……採血だね。頑張って」

吹田先生は、これまた不敵な笑顔を浮かべて、診察室からわたしを見送った。




残るは採血……。

痛いし、怖いし、小さい頃から逃げ回っていた。注射針が侵入してくる、あの瞬間が嫌でたまらないのだ。

今日は健康診断終わったらそのまま帰っていいみたいだし。
もう帰っちゃうか。
1人くらい採血受けなくてもわからないしね……。
優先生と陽太先生には、また今度挨拶しようかな……。

ふと、逃げの思考に囚われて、回れ右して玄関を目指そうとしたその時……。



「問診票、確認しますね」



まさに、採血の会場に背中を向けた時、両肩を掴まれてビクッと体が弾む。

今度は、頭1つ分くらい身長が高い、男性の看護師が、わたしの背後をとっていた。

「ひゃっ……!」

恐る恐る振り向いて、俯きながら問診票を手渡す。心の中を読まれたみたいで、なんとなく怒られるような気がして縮こまる。

……しかし、響いた声は、叱咤ではなかった。


「あ! ビンゴ! やっぱり、のんちゃんだー!」


はしゃいだような、嬉しそうな声に不意を突かれた。

ぱっと顔を上げる。
まともに目が合ったとき、その笑顔に見覚えが無いわけがなかった。

「……蒼音くん……!!」

看護師の蒼音くん。幼少期の入院中、いつでもそばにいてくれた事を思い出していた。

「あは、覚えててくれた? すっかり忘れられててもいいのに、嬉しいなぁ」

これまた、幼少期にお世話になった人が目の前にいて、戸惑う。
蒼音くんは、なにも変わっていなかった。すらっとした身長、問診票を持つ手には筋肉の筋がしっかり通っている。
屈託ない笑顔でわたしのことを見下ろす。小さい頃からの印象と、ひとつも変わらずに、明るくて元気なままだった。

「のんちゃん、元気してた?」

「うん、最近は体調崩してないよ」

「えらいじゃん!」

吹田先生に脅されたのとは反対に、蒼音くんは純粋に褒めて、小さい時みたいに頭を撫でてくれた。心の中がくすぐられるみたいだ。

「ほんと……大きくなって。もうお酒が飲める歳だなんて、信じられない」

蒼音くんも、きっとわたしと同じ数だけ歳をとっているはずなのに、長い月日を全然感じさせない。

「う、うん…… ここの食堂で働くことになって」

「へぇー! 好きだったもんね、プリン! よく連れてったなぁ……泣いた後に、のんちゃん、無言で一生懸命食べてたもんね」

蒼音くんはわたしに、ご褒美のプリンを食べさせるために、食堂に連れていってくれた回数が、多分、いちばん多い。
プリンを食べるわたしを穏やかに見守ってくれた。
だいたい、その直前は嫌な治療があって泣いていたから、蒼音くんは

『おいしいんだね。よかったね』

って声をかけながら、わたしの頬にあった涙のあとを拭ってくれたっけ。



思い出に浸りかけた時、蒼音くんが気を取り直したように真面目な顔をした。


「それより、のんちゃん。これ。持ってどこ行こうとしてたの? 採血残ってるのに、反対方向に歩いていって」


取り上げた問診票に目を通しながら、蒼音くんが鋭い質問を投げかける。

「えっ……あー……迷っちゃって」

綺麗な院内は確かに無機質で、なんだか迷いやすい風景が広がっている。
でも……。蒼音くんの尋問は続く。

「ふーん、そんな風には見えなかったけどなぁ。だいたいあそこにでっかく『採血→』って書いてあるのに」

そう、蒼音くんの指差す方向には、案内の紙が貼られていて、壁に大きく矢印が張り出されていた。答えられずに黙り込むと、


「……ちょっとこうさせてね」


蒼音くんの声色が変わって、右手を繋がれる。
びっくりするくらい、あったかくて大きな手に包み込まれて、不覚にも安心しそうになって、焦る。

「手、繋がなくても……! に、逃げないよ」

……そう、これでもう、完全に逃げることはできない。

「1度でも逃げようという挙動が見えたからには、信用なりませんなぁ。まぁ。無事に捕まえたし、採血に行こうねぇ~」

「なっ……!」




無事に『捕まえた』……?

その言い回しが気になって、首を傾げると蒼音くんがにっこり笑ってあけすけもなく種明かしを始めた。


「ん? 気になる? さっき吹田先生からここに連絡あったんだよ。のんちゃん、採血受けずに逃げそうってね」


蒼音くんが胸から下げたPHSを振る。
PHSは院内だけで使える社用携帯みたいなもので、先生や看護師の間で連絡をとる時に使われる。

わざわざその電波を使うとは……。
吹田先生……!

抜かりない吹田先生の根回しも、昔から変わらず。

「安心しな、のんちゃん! ちっくんのプロが待ってるからね!」

「ち、ちっくんって……! もうそんな子どもじゃないよ……!」

「ふーん、じゃあどうして逃げたのかな?」

言い返せずに押し黙ると、『採血→』に向かって蒼音くんに手を引かれる。

「離してよーう、大丈夫だから」

「だーめ、ほら行くよ! さっさと終わらせよ!」

それにしても、ちっくんのプロって、もしかして……?





「わぁー! のんちゃん久しぶり!」

通された採血室で待っていたのは……

「叶恵さん……!」

おそらく幼少期、わたしの注射のほとんどを担当した看護師の叶恵さんだった。
大抵、逃げ回るわたしを蒼音くんが捕まえて、叶恵さんが処置を施していた。

「ね、ちっくんのプロがいたでしょう?」

蒼音くんが得意気に笑う。
叶恵さんも何ひとつ変わっていなくて。

「あら~、すっかりきれいになっちゃって。元気にしてた? 陽太先生も心配なさってたわよ」

「そ……! そうなん、だ……!」

なんでみんなして、陽太先生の名前出してくるの……!
例によってまたドキドキと心臓が存在を主張してくる。顔が赤くなりそうで俯いた。

「問診票、確認させてね」

言いながらも、蒼音くんから手渡された問診票に叶恵さんがさっと目を通す。

「のんちゃん、最終月経が2か月前だけど、もしかして生理不順だったりする?」

「えっと……はい。1か月以上来ない時もあって……」

「そっか。あんまり続くようなら、婦人科かかった方がいいわよ」

「ふ、婦人科……」

行ったことないけど、少し怖そうでたじろぐと、蒼音くんがふんわりと笑った。

「叶恵さん、いまは小児科じゃなくて、婦人科の看護師さんしてるんだよ」

「そうよ~、なんかあったら、気軽に相談してね」

「は、はい……」

 絶対痛いことされそうだから相談できない……!
と思ったけれど、口に出しては言えない。

そうしている間に、蒼音くんに背中を押されて、椅子に座る。

「ちょっとごめん」

自然な動きで左腕の袖を捲られて、腕が露出した。

あぁー……なんかやだ、この感じ。久しぶりだ……。

生唾を飲み込む。体が勝手に震えてきそうだった。

「気分悪くなったりしないかな? ベッドで横になって採血することもできるけど」

話しながら、叶恵さんは準備を進めていた。
腕にゴムバンドを巻かれると、後ろにはそっと蒼音くんが立っていた。

「……だ、大丈夫です」

もう逃げられない。

「すぐ終わらせるわよ」

採血くらい、平気だ。
そう思い込もうとしていた。

腕に針が向けられる。刺さる瞬間は怖くて目を逸らした。時間にしたら一瞬なのに、すごく長く感じた。

あれ…………???

「はい、もうすぐーーーーー」

痛みとともに、体の力が抜けていく。
水の中に入ったみたいに、叶恵さんと蒼音くんの声が聞こえなくなった。

「……のんちゃん、しっかりーーーーー」

やばい、どうしよう。
どれだけ頑張っても、体に力が入らなかった。

ふわっと、後ろに重心がズレる。
倒れ込む前に、蒼音くんの腕にわたしの両肩が収まった。


……採血中に、意識を失った。

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