シクレさんの呪い

KO

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本編

プロローグ.『封筒と春の匂い』

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 春の光が、まだ冷たい空気を抱えたまま教室を撫でていた。窓の桟に積もった埃が、朝の光の帯に揺れている。その埃が落ちる音すら聞こえそうなほど、椿ヶ丘高校二年三組は静かだった。蒼野響平は、窓際の席で机に頬を伏せていた。目を閉じれば、昨夜の夢の端が胸の奥でまだくすぶっている。屋上、鉄柵、遠い灯。そして、封筒。机の奥に差し込まれた白い封筒は、まだそこにあった。封筒の角が少し湿って、木目に触れている。触れれば、墨の匂いが指先に移るのではないかと、息を止めた。

《私は、シクレ。私を怒らせれば、災いを起こす。》

たった二行の言葉。たったそれだけで、誰かの胸を縛ることができる。人が言葉に怯える様を、誰かは知っている。机の列の奥、弓田沙織の席だけが、どこか違う時間を生きていた。椅子の背に埃が積もり、その輪郭を春の光がなぞっている。誰も触れない机。机の奥に残された秘密。黒板の端に残った昨日の文字が、埃の向こうで滲んでいる。廊下の向こうから、誰かの笑い声が届いた。しかし響平の耳には、教室の隅にいるはずのない誰かの息遣いのほうが近かった。
 ——何を恐れている。自分に問うた。恐れているのは呪いではない。誰がこれを仕掛けたのかを、誰が何を暴こうとしているのかを知る、その瞬間だった。
 「……響平?」
声がした。振り向けば、紅崎真菜が立っていた。光に縁取られた影が、響平の机にかかる。真菜は何か言いかけて、言葉を呑んだ。目線が封筒に落ちている。
 「誰が……入れたんだろうね。」
かすかな声は、埃に吸い込まれた。響平は答えなかった。答えれば、その名に災いが降る気がした。真菜が背を向け、席に戻る足音が遠ざかる。再び、教室には自分の呼吸だけが残った。
 始業式の放送が、擦れたスピーカーから流れた。東山充の声が、教室を満たす。生徒を安心させるための声色。しかし、封筒の墨の匂いを知る者には、それすら遠い。響平は、机の奥に封筒を滑り込ませた。木の奥に潜る影が、まるで校舎そのものの澱みのように思えた。ふと、背後に視線を感じて振り返った。教室のドアが僅かに揺れた。誰もいないはずの廊下に、埃が舞った。誰かが見ている。誰かが、ここにいる。響平は視線を前に戻し、黒板を見つめた。誰かが昨日、書き残した小さな言葉があった。

《知るな》

それだけだった。誰の字かも分からない。しかし、封筒の文字と同じ墨の匂いがする気がした。
 放課後。昇降口に向かう廊下は、昼間の声をすっかり飲み込んでいた。校舎の奥から、錆びた窓枠が軋む音が聞こえた。靴箱に向かうと、誰もいないはずの下駄箱の奥に、また白い封筒があった。同じ封筒。同じ墨の匂い。

《私は、シクレ。私を怒らせれば、災いを起こす。》

響平は封筒を握りしめ、廊下を振り返った。遠い窓の向こうで、春の光が鉄柵の影を作っていた。屋上。沙織が最後に立った場所。胸の奥で、何かが擦れる音がした。それは自分の心臓の鼓動か、封筒の中の墨の匂いか。廊下を吹き抜ける風が、封筒を僅かに鳴らした。響平は封筒をポケットに押し込むと、下駄箱を背に校舎を出た。誰もいないはずの空気が、校門の先まで付いてくる。春の陽はまだ柔らかく、しかし指先を刺す冷たさを残していた。

《私は、シクレ。》

響平の耳には、誰かの声が確かに届いていた。
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