シクレさんの呪い

KO

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本編

埃の奥の影【後編】

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 放課後のチャイムが、教室の壁を静かに震わせた。生徒たちの笑い声が廊下に流れ出し、響平の耳には遠くの雨音のようにしか届かなかった。机に座ったままの響平は、沙織の席を見つめていた。昼間よりも暗くなった窓の外に、遠い雲が重なっている。雨が降るかもしれない。この春の埃をすべて洗い流すように。だが机の奥の影だけは、どれだけの雨でも消せはしない。
 誰もいない沙織の机に近づくと、木の表面に微かに爪痕のような傷が見えた。響平は指先でなぞった。かすかなささくれが、爪の隙間に刺さった。あの夜、沙織は何を思い、この机に触れたのか。封筒の奥には、まだ言葉にされていない声が潜んでいる。
 「……響平。」
振り返れば、東山充の影が教室の入り口に立っていた。
 「まだ残っていたのか。」
その声は穏やかで、いつもと変わらないはずだった。だが響平の耳には、その低さの奥に別の何かが潜んでいるように聞こえた。
 「先生……沙織のこと、何か知ってますか。」
問いは小さく、しかし封筒の墨と同じ重さがあった。東山は一瞬だけ目を伏せ、沙織の机を見た。蛍光灯の光がその横顔を照らす。
 「何も知らないさ。ただ……忘れてはいけないこともある。」
短い言葉を残して、東山は教室を去った。ドアの軋む音が、封筒を開ける音と同じに響いた。
 残された教室の窓を開けると、ひやりとした風が入り込んだ。机の奥に積もった埃が、ほんの少しだけ宙に浮いて、すぐに床に落ちた。

《私は、シクレ。》

封筒の文字が、頭の奥に滲んだ。帰り支度をする手が、机の奥に残る封筒の存在を何度も思い出させた。真菜の言葉が胸に残っている。
 「誰かが、沙織の机を探ってた。」
誰だ。何を探していた。封筒だけではない何かが、あの机にまだ隠されているのか。
 廊下に出ると、遠い窓の外に夕暮れが滲んでいた。空はまだ青みを残しながら、雲の縁だけが鈍く光を漏らしている。響平は昇降口に向かわずに、ひとり階段を上がった。夜の屋上へ続く扉の前で足を止める。沙織が最後に立った場所。冷たい鉄の柵。風に吸い込まれた声。ドアノブに手をかけたが、鍵は閉まっていた。しかし、扉の向こうに誰かがいるような錯覚があった。
 階段を降りると、下校する生徒の声が昇降口から漏れてくる。靴音が重なり合い、その奥にかすかな息遣いが混じった気がした。誰かが、今も響平の後をついてきている。そんな気配が背中を刺す。下駄箱を開けると、真新しい白い封筒が一通、無造作に落ちていた。

《私は、シクレ。次は誰を選ぼう。》

墨の文字が、下校時刻の薄暗さの中でゆっくりと滲んでいく。響平は封筒を握りしめた。墨の匂いが、もう自分の血の匂いと変わらないように思えた。校門を出た先で振り返ると、昇降口の奥にひとつだけ残る影があった。それが誰かは分からない。しかし、その影は確かに封筒の声と同じ重さを抱えていた。
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