異世界に帰った想い人を待つ男と、異世界渡りで記憶と顔をなくした想い人が二度目の恋をする話

こぶじ

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第二章

20:憂鬱な会食の裏側で

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 隣町の主教会管理の医療施設で薬物が横流しされている。
 あまりにいつも通りの緩い雰囲気でマヌエルさんがそんなすごいこと言うもんだから、何かの聞き間違いかと思って、手元に引き寄せていたぬるめの紅茶にゆっくり視線を落としてから、もう一度マヌエルさんを見て「え?」と聞き返した。

「ちょっと前から懸念はしてたんだ。うちの組織って記録媒体全部紙だしさ、当然のように手書きだしさ、監査も現地行かなきゃいけないのに医薬わかるやつ全然いねえしさ、本当にきっついんだよなあ。なので横領が発生しました」

「え!」

 今度の「え」はめちゃくちゃ腹から声が出た。マヌエルさんは「おー、よく通る声だったな」って保護者の褒め方をしてくれた。逆に恥ずかしくて居た堪れない。
 紅茶の入ったカップからそっと手を離して居住まいを正した。

「俺が聞いていいのかわからないんですが、犯人は特定されてるんですか?」

 少しためらいながら尋ねると、対面のソファーに座ったマヌエルさんが、腹前で優雅に指を組んだまま許可を出すみたいに大きく頷いた。

「容疑者は確保したんだけど、なにせ物的証拠が書式も書き方も統一されてねえぼろぼろな紙ばっかなわけよ。それでゴリ押してもいいんだけどさ、あっちも相当ゴネるだろうしもう少し欲しいとこだよね」

「証拠ってそんなに残ってるものなんですか?」

 薬物の管理体制も裁判の制度もわからない俺からすれば、何もかも想像がつかない。日本と違うことも多そうだし、俺が口を挟める話題じゃない。なんでマヌエルさんはそんな話を俺にするのか。
 首をひねるけど、マヌエルさんはいつも通りの調子で愛想よく話し続ける。

「今さ、証人集めしてるとこなの。手間がかかるけど、いくらか目星はついてるから地道にな。結構売買先に若い女の子も多くてさ、無知で犯罪に巻き込まれるって怖いよねえ」

「それは……巻きこまれただけなのなら可哀想ですね」

 犯罪と知ってか知らずか、その差は大きい。俺の含みを察したマヌエルさんは「買った側の糾弾は俺の仕事じゃねえからいいの」と首を反らした。

「首都の顧客が思ってたより多くて、ちょっと手間取ってはいるんだけどその辺の効率はやり方次第だよな」

「やり方?何か案があるんですか?」

 指を組んだままの手のひらを口元に持ってたマヌエルさんは、糸みたいに目を細めた。たぶん手の下で笑っている。いつもと雰囲気が違う気がしてなんだか怖い。

「ユセって、最高に女の子ウケいいだろ?」

「最高かどうかはわかんないですけど、まあ…………え?もしかして、そういうことですか?」

 俺、部外者なんだけど。

「そゆことだ」

 そゆことだ、じゃない。俺はマヌエルさんにお世話になってるから、多少の面倒事も引き受けるつもりではいる。でも、この人は俺のことをそんなに信用してていいんだろうか。思わずため息混じりの苦笑いが出る。

「わかりました。俺でよければ力になります」

 俺が断らないってわかってただろうに、マヌエルさんは心から嬉しそうに「ありがとうね」とにっこりした。そして、ゆったりと一口紅茶を飲んでから「ああ、ちなみに」と茶菓子に手を伸ばしながら唇の端だけで笑った。

「医療関係の悪質犯罪だから、国王の御前での城内裁判な。容疑者の単独犯行を立証できないと、病院業務の総責任者の俺が全方面責任取らされるんだよね」

「……なんでそういう大事なことが後出しなんですか」

「まあー、言いづらいじゃん。保身つよつよな話だし。でも報酬は弾むからさ」

 堅焼きの小麦菓子を豪快にかじりつつ、マヌエルさんはソファーの座面に無造作に放られていた紐綴じの紙束をテーブルの上に乗せた。読めってことだろうと判断して、黙ってそれを手にとってぱらぱらとめくる。案の定それは購入者名簿の複写らしく、確かに女性名が多い。一緒に書かれている薬品名は、俺にはよくわからない。
 各人名項目の末尾備考欄には日付と共に「承諾」「決裂」「回収済」などの文字があるのが、証人依頼の結果と薬物回収記録だと言う。最初の数名ですでに「決裂」が続いていて、交渉の難しさが伺える。何気なくさらさら目でなぞっていると、一つ引っかかるものがあった。

「アッシュベリー……」

 つい最近、酒場で聞いた少将の家名と同じだ。嫌な符合にマヌエルさんを見ると、二つ目の菓子に手を伸ばしながら「ああ、知ってる?」とマヌエルさんが特別心得がある口振りで応えた。

「王立軍アッシュベリー少将の末娘だよ。まあ、違法取引したこと自体しらばっくれててさ、当然法廷で証言なんかしてくれもしないしモノも返してくんないし、最悪な手合いだよ。薬の悪用は防ぎてえけど、それにはまずはこの娘さんの“お相手”を調べるとこからなんだよなあ」

 マヌエルさんは苛立ちまかせに菓子を一口で噛み砕き、「俺今くそほど忙しいのに手がいくらあっても足んねえの」と唇をいびつに曲げて鼻を鳴らした。そんなに酷い悪用ができてしまう薬なんだろうか。
 おじいちゃんから聞いたアッシュベリー家の話は、特に犯罪的な話ではなかったけど、実は後ろ暗いもののある家だったりするのだろうか。

「あの、悪用って?アッシュベリー少将の娘さんが買ったのは、何の薬なんですか?もしかして、毒薬とかですか?」

 たぶん今俺の顔は相当真っ青だろう。俺の小心者ぶりに気を使わせてしまったらしく、マヌエルさんは優しく目元を和らげた。

「そう怖がらなくていい。毒薬ほど悪意のあるもんじゃない。でもまあ、使い方によっちゃ毒薬より質が悪いか」

「毒薬より質が悪い?」

 命を奪わなくても、重い後遺症を残すようなものもあるだろう。そういうものを思い浮かべて嫌な汗をかいていると、マヌエルさんは俺をなだめるように濃茶色の目の眦を柔らかく下げた。

「興奮剤と排卵誘発剤だよ」

「こうふん……え?なんですか?」

「えっちしたくなる薬と、赤ちゃんできやすくする薬」

 思ってもいなかった薬効に、俺はぽかんとしてしまった。えっち、赤ちゃん、と衝撃的な単語が気不味くて変な動悸がする。血の気が引いていた顔面に、一気に血が回るのがよくわかった。

「あらー。ユセ、顔真っ赤だよ。これそういう薬も多いんだけど、女子との交渉大丈夫そ?」

 面白がられているのはわかっている。あまり大丈夫じゃないけど「大丈夫です」と、片頬を拳で捏ねながら強がる。やると言ったからにはやる。

「あの、アッシュベリー家の娘さん、もしかしたらペイトン家の息子さんに使うつもりかもしれません」

「お、さっそくめちゃくちゃ有益な話持ってくんじゃん。そっち調べてみるか」

 柔軟なマヌエルさんのことだから俺の話も無碍にしないだろうと思っていたが、まさか何の疑いもせず聞き入れてくれるとは思わなくて焦る。人を呼びつけようと腰を浮かせたマヌエルさんを呼び止めて、可能なら自分がこの件を調べたいことと、情報元を濁してアッシュベリーの末娘がロードリックさんとの見合いを熱望しているらしいことを話した。

「ユセは善良なだけじゃなく優秀な人の子だな。アッシュベリーの件も君に一任できるなら俺も安心だ。手回しと交渉補佐に慣れてる神官を何人か貸そう」

 相変わらず宗教的で独特な言い回しだけど、マヌエルさんが俺を買ってくれていることが嬉しくて、意気込みにまかせて何度も頷いた。





 城内裁判までの約一月半、酒場での仕事以外の時間はほとんどを女の子たちとの交渉に費やした。ほとゆどは心が弱っている子たちで、マヌエルさんの読み通りに怖いくらい俺に心開いてくれてた。結果として全ての薬の回収こそできなかったけど、十を超える証人の確保と、半数以上の薬物利用を止めることができた。
 そして、裁判では当該案件の国手司祭の免責判決がくだされた。延々と証拠集めに奔走してた全ての教会関係者たちが、一人の例外もなく全員心の底から安堵した。

 今回、本当に運よくペイトン中将とアッシュベリー家ご令嬢の不穏な計画からロードリックさんを逃がすことはできて、俺としては証拠集めに奔走したことへのご褒美をもうすでにもらったような気でいたんだけど、当のロードリックさんはそれが納得できなかったみたいで、熱心に恩返しをしてくれるようになった。片想いの相手から優しく接してもらえて嬉しいのに、同じくらいもの寂しい。ロードリックさんには一途に想い続けている大事な恋人がいるんだって。見切り発車した恋にずぶずぶ沈んでいく感じだ。
 楽しいのに少し虚しい、そんな日々がしばらく続くことになった。
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