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第二章
27:提案1
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『聖女になればいいの?いいよー。なるなる』
朝食の燻製肉をフォークでつつきながら、ヒマリさんは遊びの約束でもするみたいにあっさりと了承した。あまりの気安さに驚いて俺は手に持っていたぶどうの実を皿の上に取り落とす。
『いいんですか?聖女はとても貴い役職で、簡単に辞めることはできませんよ。元の世界に帰りたい気持ちはないですか?』
思わず早口になる俺に、ヒマリさんは煩わしそうに眉をひそめた。
さっきまで寝ていた彼女の目元はまだ少し腫れぼったい。そしてその手元で燻製肉はぼろぼろになってしまっている。もしも本当に聖女になるなら、その前にテーブルマナーは直したほうがよさそうだ。
『別にいいよ。どうせ今更家帰っても怒られるだけだし、大学も楽しくないし、就活もしたくないし、聖女の仕事楽そうだしかなり有り』
『……今すぐ決める必要はないので、少しゆっくり考えてみてください』
簡単にあちらでの暮らしを捨ててしまえることが信じられなくて、俺にはかなりの衝撃だった。もしかしたら、ヒマリさんはあまり家族と仲がよくないのかもしれない。それこそ俺の父親のように人柄に問題があるケースだって有り得る。
お節介だと思われたとしても、丁寧に話をするべきなのかもしれない。後から親や友人を恋しく思っても、失った時間は取り戻せないんだから。
『あたしが聖女になった方がユセたちには都合がいいんでしょ?止める意味がわかんない。喜んでよ。なんでそんなつまんない顔するの?』
聖女は稀有な魔法適性のある存在として、籍を置く主教会だけでなく、国にとっての一財産扱いなのだそうだ。人に求められる、誇れる職業だ。
ヒマリさんの漂着物としての境遇に勝手に感情移入して同情しているなんて、説明したところで彼女にとっては迷惑な話だろう。
『俺はヒマリさんに幸せになって欲しいんです。だから日本での幸せも簡単に手放して欲しくない。日本に残してきた大切なもののこと少し思い返してみてください』
『えー、なにそれ。説教くさ』
そうふてくされたように言いつつも、ヒマリさんの頬は少し赤らんでいて、全く響いてないわけではなさそうだ。今はいろんな場所をたらい回しにされた後で感情も落ち着かないだろうし、焦らず少しずつ言葉をかけていこう。
『ふふ。そうですね。でも、こっちで暮らすならもっと公用語の勉強をしなきゃいけませんね。通訳として俺がずっとそばにいるわけにはいかないので』
『えー。なんで?あたしと一緒にいるの嫌ってこと?さすがに傷つくんですけど』
『俺は神官ですらないので、本来は尊い聖女の通訳なんて仕事させてもらえません。今だけの限定措置です。でも、ヒマリさんは俺とずっと一緒に仕事がしたいと思ってくれるんですね。光栄です』
俺が笑いかけると、ヒマリさんは悔しそうに『ずるい!メロい!』と叫んでフォークを持ったままの手を振り上げて万歳した。『行儀が悪いですよ、聖女様』って口では咎めながらも、この子のこういう天真爛漫さがまるっきり小さな子供のようでつい笑って許してしまう。
ヒマリさんのたっての希望で、先日から一緒に朝食を摂るようになった。話し相手の一人もいない日々は、ヒマリさんにとってかなりつらいものだったんだと思うと、無碍に断ることもできなかった。
最初こそ自分と同じ顔に恐怖していたものの、ヒマリさん本人はどれだけ言葉をかわしても、特別俺に害意があるとは到底思えず、先入観を取り払ってしまえば、酒場に来る女性客とそう変わらない普通の女の子だった。俺の顔が何より好きらしいので扱いもさほど困らない。
女の子とのやり取りは慣れたものだし苦はなかった。しいて言えば、まだ「なぜ俺と同じ顔をしているか」を聞けていないことが、常に俺の胸につかえてはいる。でもだからといって、こんな繊細な年頃の女の子相手に「その顔は元からか」なんて失礼過ぎて聞けない。いちおう最初に「こっちの世界に来て、体にどこか不調とか変化はありませんでしたか」と一度聞いたけど、ヒマリさんは全くピンときてないみたいだった。そうなってくるともう俺はひとまず、「他人のそら似」ってことで自分を納得されるしかなかった。
丁寧に淹れられた食後の紅茶をいただきながら、仕事がある夕方までの間は公用語の勉強に付き合う、とヒマリさんに伝えると案の定渋い顔をされた。顔だけでなく『げえー。ユセまじめすぎてつまんない』と文句もはっきり言われてしまう。俺がつい苦笑いすると、それもまた気に食わなかったみたいで睨まれた。この子は終始こんな感じだ。
『すぐ外国語話せるようになる魔法とかないの?自動で通訳してくれるアプリみたいなやつとか』
紅茶にいくらか砂糖を入れてたけど、思っていたのと違ったのか、ヒマリさんはソーサーごとティーカップをテーブルの中央に押しやった。
『魔法は便利だと聞きますが、こちらで暮らして行くなら公用語は覚えた方がいいです。いろんな人と話せるようになればきっと楽しいですから』
公用語で「会話の勉強を頑張りましょう」と聞き取りやすいようにゆっくり話すけど、ヒマリさんは完全にむすくれてしまったようで、大きな溜め息を吐いてから口を真一文字に結んで黙り込んでしまった。しまったな。もっとなだめすかして誘導するべきだった。
どうやってご機嫌を取ろうかと愛想笑いを浮かべながら考えていると、ヒマリさんから三歩くらい離れたところで姿勢よく立って警護についていた女性護衛の方が、「発言宜しいでしょうか」と見た目通りの勤勉そうな落ち着いた言葉つきで控えめに腰を折った。女性護衛の方たちは、基本的にヒマリさんが日本語以外での声掛けに反応しようとしないことがわかっているので、その視線は真っ直ぐ俺を見ている。
朝食の燻製肉をフォークでつつきながら、ヒマリさんは遊びの約束でもするみたいにあっさりと了承した。あまりの気安さに驚いて俺は手に持っていたぶどうの実を皿の上に取り落とす。
『いいんですか?聖女はとても貴い役職で、簡単に辞めることはできませんよ。元の世界に帰りたい気持ちはないですか?』
思わず早口になる俺に、ヒマリさんは煩わしそうに眉をひそめた。
さっきまで寝ていた彼女の目元はまだ少し腫れぼったい。そしてその手元で燻製肉はぼろぼろになってしまっている。もしも本当に聖女になるなら、その前にテーブルマナーは直したほうがよさそうだ。
『別にいいよ。どうせ今更家帰っても怒られるだけだし、大学も楽しくないし、就活もしたくないし、聖女の仕事楽そうだしかなり有り』
『……今すぐ決める必要はないので、少しゆっくり考えてみてください』
簡単にあちらでの暮らしを捨ててしまえることが信じられなくて、俺にはかなりの衝撃だった。もしかしたら、ヒマリさんはあまり家族と仲がよくないのかもしれない。それこそ俺の父親のように人柄に問題があるケースだって有り得る。
お節介だと思われたとしても、丁寧に話をするべきなのかもしれない。後から親や友人を恋しく思っても、失った時間は取り戻せないんだから。
『あたしが聖女になった方がユセたちには都合がいいんでしょ?止める意味がわかんない。喜んでよ。なんでそんなつまんない顔するの?』
聖女は稀有な魔法適性のある存在として、籍を置く主教会だけでなく、国にとっての一財産扱いなのだそうだ。人に求められる、誇れる職業だ。
ヒマリさんの漂着物としての境遇に勝手に感情移入して同情しているなんて、説明したところで彼女にとっては迷惑な話だろう。
『俺はヒマリさんに幸せになって欲しいんです。だから日本での幸せも簡単に手放して欲しくない。日本に残してきた大切なもののこと少し思い返してみてください』
『えー、なにそれ。説教くさ』
そうふてくされたように言いつつも、ヒマリさんの頬は少し赤らんでいて、全く響いてないわけではなさそうだ。今はいろんな場所をたらい回しにされた後で感情も落ち着かないだろうし、焦らず少しずつ言葉をかけていこう。
『ふふ。そうですね。でも、こっちで暮らすならもっと公用語の勉強をしなきゃいけませんね。通訳として俺がずっとそばにいるわけにはいかないので』
『えー。なんで?あたしと一緒にいるの嫌ってこと?さすがに傷つくんですけど』
『俺は神官ですらないので、本来は尊い聖女の通訳なんて仕事させてもらえません。今だけの限定措置です。でも、ヒマリさんは俺とずっと一緒に仕事がしたいと思ってくれるんですね。光栄です』
俺が笑いかけると、ヒマリさんは悔しそうに『ずるい!メロい!』と叫んでフォークを持ったままの手を振り上げて万歳した。『行儀が悪いですよ、聖女様』って口では咎めながらも、この子のこういう天真爛漫さがまるっきり小さな子供のようでつい笑って許してしまう。
ヒマリさんのたっての希望で、先日から一緒に朝食を摂るようになった。話し相手の一人もいない日々は、ヒマリさんにとってかなりつらいものだったんだと思うと、無碍に断ることもできなかった。
最初こそ自分と同じ顔に恐怖していたものの、ヒマリさん本人はどれだけ言葉をかわしても、特別俺に害意があるとは到底思えず、先入観を取り払ってしまえば、酒場に来る女性客とそう変わらない普通の女の子だった。俺の顔が何より好きらしいので扱いもさほど困らない。
女の子とのやり取りは慣れたものだし苦はなかった。しいて言えば、まだ「なぜ俺と同じ顔をしているか」を聞けていないことが、常に俺の胸につかえてはいる。でもだからといって、こんな繊細な年頃の女の子相手に「その顔は元からか」なんて失礼過ぎて聞けない。いちおう最初に「こっちの世界に来て、体にどこか不調とか変化はありませんでしたか」と一度聞いたけど、ヒマリさんは全くピンときてないみたいだった。そうなってくるともう俺はひとまず、「他人のそら似」ってことで自分を納得されるしかなかった。
丁寧に淹れられた食後の紅茶をいただきながら、仕事がある夕方までの間は公用語の勉強に付き合う、とヒマリさんに伝えると案の定渋い顔をされた。顔だけでなく『げえー。ユセまじめすぎてつまんない』と文句もはっきり言われてしまう。俺がつい苦笑いすると、それもまた気に食わなかったみたいで睨まれた。この子は終始こんな感じだ。
『すぐ外国語話せるようになる魔法とかないの?自動で通訳してくれるアプリみたいなやつとか』
紅茶にいくらか砂糖を入れてたけど、思っていたのと違ったのか、ヒマリさんはソーサーごとティーカップをテーブルの中央に押しやった。
『魔法は便利だと聞きますが、こちらで暮らして行くなら公用語は覚えた方がいいです。いろんな人と話せるようになればきっと楽しいですから』
公用語で「会話の勉強を頑張りましょう」と聞き取りやすいようにゆっくり話すけど、ヒマリさんは完全にむすくれてしまったようで、大きな溜め息を吐いてから口を真一文字に結んで黙り込んでしまった。しまったな。もっとなだめすかして誘導するべきだった。
どうやってご機嫌を取ろうかと愛想笑いを浮かべながら考えていると、ヒマリさんから三歩くらい離れたところで姿勢よく立って警護についていた女性護衛の方が、「発言宜しいでしょうか」と見た目通りの勤勉そうな落ち着いた言葉つきで控えめに腰を折った。女性護衛の方たちは、基本的にヒマリさんが日本語以外での声掛けに反応しようとしないことがわかっているので、その視線は真っ直ぐ俺を見ている。
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