異世界に帰った想い人を待つ男と、異世界渡りで記憶と顔をなくした想い人が二度目の恋をする話

こぶじ

文字の大きさ
28 / 40
第二章

27:提案1

しおりを挟む
『聖女になればいいの?いいよー。なるなる』

 朝食の燻製肉をフォークでつつきながら、ヒマリさんは遊びの約束でもするみたいにあっさりと了承した。あまりの気安さに驚いて俺は手に持っていたぶどうの実を皿の上に取り落とす。

『いいんですか?聖女はとても貴い役職で、簡単に辞めることはできませんよ。元の世界に帰りたい気持ちはないですか?』

 思わず早口になる俺に、ヒマリさんは煩わしそうに眉をひそめた。
 さっきまで寝ていた彼女の目元はまだ少し腫れぼったい。そしてその手元で燻製肉はぼろぼろになってしまっている。もしも本当に聖女になるなら、その前にテーブルマナーは直したほうがよさそうだ。

『別にいいよ。どうせ今更家帰っても怒られるだけだし、大学も楽しくないし、就活もしたくないし、聖女の仕事楽そうだしかなり有り』

『……今すぐ決める必要はないので、少しゆっくり考えてみてください』

 簡単にあちらでの暮らしを捨ててしまえることが信じられなくて、俺にはかなりの衝撃だった。もしかしたら、ヒマリさんはあまり家族と仲がよくないのかもしれない。それこそ俺の父親のように人柄に問題があるケースだって有り得る。
 お節介だと思われたとしても、丁寧に話をするべきなのかもしれない。後から親や友人を恋しく思っても、失った時間は取り戻せないんだから。

『あたしが聖女になった方がユセたちには都合がいいんでしょ?止める意味がわかんない。喜んでよ。なんでそんなつまんない顔するの?』

 聖女は稀有な魔法適性のある存在として、籍を置く主教会だけでなく、国にとっての一財産扱いなのだそうだ。人に求められる、誇れる職業だ。
 ヒマリさんの漂着物としての境遇に勝手に感情移入して同情しているなんて、説明したところで彼女にとっては迷惑な話だろう。

『俺はヒマリさんに幸せになって欲しいんです。だから日本での幸せも簡単に手放して欲しくない。日本に残してきた大切なもののこと少し思い返してみてください』

『えー、なにそれ。説教くさ』

 そうふてくされたように言いつつも、ヒマリさんの頬は少し赤らんでいて、全く響いてないわけではなさそうだ。今はいろんな場所をたらい回しにされた後で感情も落ち着かないだろうし、焦らず少しずつ言葉をかけていこう。

『ふふ。そうですね。でも、こっちで暮らすならもっと公用語の勉強をしなきゃいけませんね。通訳として俺がずっとそばにいるわけにはいかないので』

『えー。なんで?あたしと一緒にいるの嫌ってこと?さすがに傷つくんですけど』

『俺は神官ですらないので、本来は尊い聖女の通訳なんて仕事させてもらえません。今だけの限定措置です。でも、ヒマリさんは俺とずっと一緒に仕事がしたいと思ってくれるんですね。光栄です』

 俺が笑いかけると、ヒマリさんは悔しそうに『ずるい!メロい!』と叫んでフォークを持ったままの手を振り上げて万歳した。『行儀が悪いですよ、聖女様』って口では咎めながらも、この子のこういう天真爛漫さがまるっきり小さな子供のようでつい笑って許してしまう。


 ヒマリさんのたっての希望で、先日から一緒に朝食を摂るようになった。話し相手の一人もいない日々は、ヒマリさんにとってかなりつらいものだったんだと思うと、無碍に断ることもできなかった。
 最初こそ自分と同じ顔に恐怖していたものの、ヒマリさん本人はどれだけ言葉をかわしても、特別俺に害意があるとは到底思えず、先入観を取り払ってしまえば、酒場に来る女性客とそう変わらない普通の女の子だった。俺の顔が何より好きらしいので扱いもさほど困らない。
 女の子とのやり取りは慣れたものだし苦はなかった。しいて言えば、まだ「なぜ俺と同じ顔をしているか」を聞けていないことが、常に俺の胸につかえてはいる。でもだからといって、こんな繊細な年頃の女の子相手に「その顔は元からか」なんて失礼過ぎて聞けない。いちおう最初に「こっちの世界に来て、体にどこか不調とか変化はありませんでしたか」と一度聞いたけど、ヒマリさんは全くピンときてないみたいだった。そうなってくるともう俺はひとまず、「他人のそら似」ってことで自分を納得されるしかなかった。



 丁寧に淹れられた食後の紅茶をいただきながら、仕事がある夕方までの間は公用語の勉強に付き合う、とヒマリさんに伝えると案の定渋い顔をされた。顔だけでなく『げえー。ユセまじめすぎてつまんない』と文句もはっきり言われてしまう。俺がつい苦笑いすると、それもまた気に食わなかったみたいで睨まれた。この子は終始こんな感じだ。

『すぐ外国語話せるようになる魔法とかないの?自動で通訳してくれるアプリみたいなやつとか』

 紅茶にいくらか砂糖を入れてたけど、思っていたのと違ったのか、ヒマリさんはソーサーごとティーカップをテーブルの中央に押しやった。

『魔法は便利だと聞きますが、こちらで暮らして行くなら公用語は覚えた方がいいです。いろんな人と話せるようになればきっと楽しいですから』

 公用語で「会話の勉強を頑張りましょう」と聞き取りやすいようにゆっくり話すけど、ヒマリさんは完全にむすくれてしまったようで、大きな溜め息を吐いてから口を真一文字に結んで黙り込んでしまった。しまったな。もっとなだめすかして誘導するべきだった。
 どうやってご機嫌を取ろうかと愛想笑いを浮かべながら考えていると、ヒマリさんから三歩くらい離れたところで姿勢よく立って警護についていた女性護衛の方が、「発言宜しいでしょうか」と見た目通りの勤勉そうな落ち着いた言葉つきで控えめに腰を折った。女性護衛の方たちは、基本的にヒマリさんが日本語以外での声掛けに反応しようとしないことがわかっているので、その視線は真っ直ぐ俺を見ている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

両片思いの幼馴染

kouta
BL
密かに恋をしていた幼馴染から自分が嫌われていることを知って距離を取ろうとする受けと受けの突然の変化に気づいて苛々が止まらない攻めの両片思いから始まる物語。 くっついた後も色々とすれ違いながら最終的にはいつもイチャイチャしています。 めちゃくちゃハッピーエンドです。

【運命】に捨てられ捨てたΩ

あまやどり
BL
「拓海さん、ごめんなさい」 秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。 「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」 秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。 【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。 なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。 右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。 前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。 ※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。 縦読みを推奨します。

好きで好きで苦しいので、出ていこうと思います

ooo
BL
君に愛されたくて苦しかった。目が合うと、そっぽを向かれて辛かった。 結婚した2人がすれ違う話。

【BL】声にできない恋

のらねことすていぬ
BL
<年上アルファ×オメガ> オメガの浅葱(あさぎ)は、アルファである樋沼(ひぬま)の番で共に暮らしている。だけどそれは決して彼に愛されているからではなくて、彼の前の恋人を忘れるために番ったのだ。だけど浅葱は樋沼を好きになってしまっていて……。不器用な両片想いのお話。

《一時完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ

MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。 「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。 揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。 不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。 すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。 切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。 続編執筆中

彼の理想に

いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。 人は違ってもそれだけは変わらなかった。 だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。 優しくする努力をした。 本当はそんな人間なんかじゃないのに。 俺はあの人の恋人になりたい。 だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。 心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

処理中です...