異世界に帰った想い人を待つ男と、異世界渡りで記憶と顔をなくした想い人が二度目の恋をする話

こぶじ

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第二章

31:研究所へ3

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「うちの子に手垢つけたら殺すぞ」

「それ神職の言うことじゃねえっす」

 マヌエルさんが盾になってくれたのでそれに甘えて一歩下がると、ちょうどフィービーさんたちを後ろに引き連れたヒマリさんがご機嫌で駆け寄ってきた。

『ねえねえ、ユセ。今日の護衛の神官もあたしのソバヨウニンにしてもらえないかな?かっこよくてなんか紳士って感じだし、しかも声がいい!』

 どこに行ってもいつも通りのヒマリさんについ頬が緩む。面食いすぎるきらいはあるけど、俺だってロードリックさんに惹かれてる以上、かなりの面食いだから人のことは言えない。

『側用人はそんな簡単に増やせませんよ。でもこの国はかっこいい神官の方が多いですからね。正式に聖女になって職務をこなせば、側用人以外にもお付きの神官が増えますよ』

『それは、悪くない……』

 本当に悪くないって顔をするからこの子は素直で面白い。マヌエルさんなら、ヒマリさんのやる気につながるような人事をしてくれそうだ。

「あれ?ユセ君、そっちの子って……女の子?」

 困惑したようなアクロイドさんの声に振り向けば、声と同じく難しい表情でじっとヒマリさんを見ていた。初対面の女性に「女の子か?」と問うのはなかなか失礼だ。ついまた真顔になってしまう。

「この方は見ての通り女性です」

 言葉が通じなくてよかった。何も知らずきょとんとしているヒマリさんを背に庇うように、俺はアクロイドさんの前に立つ。俺も大概失礼な態度だけどアクロイドさんはそれを気にした様子もなく、それどころか俺の両肩をつかみ引き寄せて、懲りもせずその後ろにいるヒマリさんの顔を無遠慮に覗き込んだ。

「なあ、お嬢ちゃん。俺の事知らない?」

 初対面の女性に名乗りもせず、そんな気安く口説くつもりなのか。さすがにデリカシーがなさ過ぎる。幸い上背はさほど変わらないので、アクロイドさんに体当たりのように体重をかけて押して、ヒマリさんからアクロイドさんを遠ざける。

「この方はこの国に来たばかりで公用語が話せません。アクロイドさんとのお会いしたことはないと思います」

「へえ、そう。じゃあ猿似?まあいいや。どっちみちあいつの好みって事だろ。早く教えてやろ」

 独りごちたアクロイドさんは、俺の腰に腕を回すと「ユセ君おいで」とそのまま歩き出してしまう。後ろからマヌエルさんの「殺す」って声が聞こえて、慌てて首だけで振り向いて「殺しちゃダメです」と上擦った声でとめた。俺としては、ヒマリさんからアクロイドさんを引き離せたからひと安心だけど、マヌエルさんの顔が怖過ぎてよく見られなかった。


 研究所の中は、外観と同じく豪華なお屋敷のようでとても目に楽しめた。アクロイドさんはデリカシーはないが良心のある人のようで、きょろきょろする俺に気を利かせて丁寧に所内のことを説明してくれた。

「ここが俺らの所属の魔導具研究室なー」

 そう言ってアクロイドさんは、重たそうな観音開き扉を勢いよく開けると、室内に向かって「頼もーう。ペイトン、かわいこちゃん連れてきたぞお」と声を張った。腰を捕まれたままの俺はほぼ耳元で叫ばれて、肩が跳ねるくらい驚いてしまったけど、その声が向けられた先に愛おしい長身の人を見つけて、胸のあたりが温かくなるような心地で自然と笑顔になった。
 少し目元を柔らかくしたロードリックさんは大股でこちらに歩いてくると、「ユセ、こんな所でどうしたんだ?」と優しい声で尋ねながら、俺の腰を掴んだままだったアクロイドさんの手を引き剥がしてくれた。

「今日はマヌエルさんのお手伝いで来ました」

 恐る恐る後ろを振り返ると、怨恨の目つきから余所行きの立ち居振る舞いに戻ったマヌエルさんがいて安堵する。マヌエルさんとロードリックさんは、和やかに簡易的な挨拶を交わした。

「ロードリックさん、仕事の邪魔してすみません。こちらの室長さんに用があるんですけど、ここにはいらっしゃらないですか?」

「ああ。ルウェリン室長は別室だ」

 そういえばそんな風なことをさっきアクロイドさんが言ってたかもな、と思い返しながら「そうなんですね」と相槌を打つ。物珍しさから研究室内をぐるっと見回したら、部屋の中央あたりにイヴェット室長がいて、華奢な手を軽く上げて挨拶してくれた。見知った人の姿にテンションが上がって、何も考えずに思いっきり手を振ったら、ロードリックさんに無言で手をがっちり掴まれて止められてしまった。浮かれ具合を怒られるかとロードリックさんをじっと見つめて待つけど、ロードリックさんの口から出たのは咎める言葉じゃなかった。

「今回の案件に私も同席させてもらう。別室へは私が案内しよう」

「いいんですか?ロードリックさんがいてくれるの、嬉しいです」

 まだ、もう少しロードリックさんと一緒にいられる。それが嬉しくて、俺の手を握り締めたままのロードリックさんの指先を少しだけ俺も握り返したら、なだめるみたいに一度ゆっくり、ぎゅって力を込められてからするりと離された。その優しい指先を無意識に目で追うけど、ロードリックさんはもう俺に興味がないみたいにアクロイドさんに向き直った。

「喜べ、ペイトン。お前好みのかわいこちゃんもいんだぜ」

 悪戯を思いついた子供みたいににやついたアクロイドさんが、マヌエルさんの後ろでイケメン警護神官の肩に懐いていたヒマリさんの腕を無造作に掴んで問答無用で引き寄せた。女性相手にあんまりな所業に、アクロイドさんに抗議しようかと前のめるけど、ヒマリさんの目がすでにロードリックさんに釘付けで、それどころじゃないことに気づいて閉口する。目がきらきらを通り越してらんらんとしていて、この後の面倒を覚悟する。
 ヒマリさんがロードリックさんに物理的に飛びついてしまう前に、ロードリックさんにヒマリさんが何者か紹介するべきだろうと二人の間に一歩踏み出す。
 声を掛けるつもりで、俺より十センチくらい上にある彼の目を覗き込むけど、珍しく視線が合わない。いつもなら真っ直ぐに俺を見おろしている落ち着いた夜色の瞳が、周りのことなんてどうでもいいって言うみたいにヒマリさんだけに注がれ、ロードリックさんの口から小さな声で「君は」とヒマリさんへの問いかけがこぼれる。

 嫌な予感に胸がざわついた。まるで、ロードリックさんがヒマリさんを見る目は、この場にいるはずのないものを見た人のそれに見えた。

「ロードリックさん……?」

 呼びかけてもこちらを振り返ってくれない。こんなこと、今まで一度だってなかった。

 ヒマリさんが『やっばいイケメンだ!』と薄い頬を染めてにっこり笑うと、ロードリックさんはゆっくりと口を開いた。その唇がかすかに震えている。


「マサチカ」


 愛おしい低く落ち着いたその声が呼んだのは、酷く久しぶりに聞く俺の名前だった。
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