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最終章
35:職権乱用包囲網1
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主教会の実質的トップであるたった一人の国手司祭様は、本当に有言実行の男だった。あれからおおよそひと月経ったけれど、俺は一度もロードリックさんの顔すら見ていない。
俺は教会内のことはよくわからないけど、正確に言うと司祭の上には、司教って地位がある。だけど、単一教会乃至、単一教区内でしか権限のない司教より、主教会が管理する医療施設全般を取りまとめる国手司祭の権力の方が実際は大きいらしい。司教より上には教皇とその補佐官である枢機卿って地位もあるらしいけど、主教会の教皇と枢機卿は主神に仕える数多の神らが百年おきに順繰りに務めるものだとかで、人間側から見たら不可侵の役職なんだそうだ。
まあ、つまりはマヌエルさんが本気を出すと逆らえる人が主教会内にはいないってことだ。いっそマヌエルさんに頭を下げさせられるのは、国内全域でも王族くらいかもしれない。
「マヌエルさん、なんで俺に一言の断りもなくそんなことしたんですか。俺だっていろいろ思うところある人間なんですから、事前に相談してくれたっていいじゃないですか」
「うう、ごめんて。でも俺のいないとこでユセが言いくるめられたら困るし、その辺は店主夫婦だって理解してくれたし」
「その話はもう聞きました。納得はしてませんが謝罪はもう結構です。頭を冷やしたいので、しばらくマヌエルさんの顔は見たくないです。お仕事行ってきてください」
「うへえ、ばりばり怒ってるじゃんか。本当にごめんてばあ」
謝罪自体は本気みたいで、マヌエルさんの瞼の縁は湿っぽい。でもそんな涙程度じゃ俺の心は晴れない。
「ほらほらー。ユセが怒るなんて滅多にねえんだから、どんだけ頭下げたって無駄っすよ。さっさと仕事戻ってください。司祭にここでゴネられてもまじうるせえし邪魔っす」
「ダライアスまでひどい」
ダライアスさんに背を押されて、マヌエルさんは聖女候補の居室を追い出されていく。ちなみに、部屋の主であるヒマリさんは、騒ぐ俺たちを横目に我関せずで、部屋の奥にあるドレッサーでダライアスさんが商業区で買い求めてきた化粧品らを楽しそうにいじくり倒している。
ヒマリさんは元々マヌエルさんに対して関心が薄い。それはマヌエルさんの方も同じようで、二人は顔を合わせてもお互い目視するだけで儀礼的な挨拶すらない。一応同じ主教会の現役職付きと役職付き候補なのにそんなんでいいのか気になるけど、前にサイモンさんに聞いてみたら「まあいいんじゃないか?」くらいのノリだったから俺が気にしすぎなのかもしれない。
「ユセー。魔導具の件で約束してた研究所の室長を応接室に待たせてるってよ」
マヌエルさんを退場させたダライアスさんがひと仕事終えた顔で戻ってきて、さらに伝言まで届けてくれた。お礼を言ってから、まだ熱心に大量の品を吟味しているヒマリさんに「離れます」と声をかけると、機嫌のいい「はーい」という返事をもらえた。壁際で待機していた護衛官に目配せしてから部屋を出たら、なぜかダライアスさんが「僕も」とついてきた。
「まだ交代じゃないですよ」
「便所のついでに息抜き」
手洗いは逆方向だとかそういうのはお互いわかっているけど、どうせしばらくはヒマリさんからの用聞きもなさそうだしまあいいか。「そうですか」と頷いて控えめに笑い合う。
「そんでさあ、司祭は何やらかしたん?ユセをこんなに怒らせるなんて天才じゃね?」
懐からブリキのタバコ入れを取り出して中身を確認しながら、どうでもよさそうに聞いてくる。これから外に吸いに行くつもりなんだろう。
「俺の知らない間に、酒場の仕事を勝手に辞めさせられてました」
「へえー。それはひっでえなあ。やるじゃんあのオッサン」
ひどいって言いながらも、ダライアスさんは楽しそうにけらけら笑う。
王立研究所での一件以降、マヌエルさんの指示で俺の外出には警護神官の送迎がつくようになった。そこまでは申し訳なさはあっても、マヌエルさんの気が済むなら、と思って何も言わなかった。でも、さすがに今回のことは見過ごせない。
口にしたら怒りがぶり返してきて、思わず両肩が持ち上がる。「ダライアスさんだって怒るでしょ」と詰め寄るけど、どこが面白かったのかさらにげらげらされた。
「元々マヌエルさんに紹介してもらった仕事なんで、それにはすごく感謝してるんです。でも突然雇ってもらった上に、突然辞めるなんて先方に本当に申し訳ないし、辞めるならちゃんと店主ご夫妻にご挨拶したかったのに……」
言い募りながら、自分自身がたくさん心配をかけて散々お世話になった前職をすっぱり辞めてきたことをふと思い出してしまって、罪悪感でトーンダウンする。あの時は喪失感と恋しさでいっぱいで、俺の中に選択肢がそれしかなかった、なんて言い訳にもならないけど。
「まあ、勝手に辞めさせんのはどーかと思うが、酒場で仕事中にあいつが来ちまったら避けようがねえもんなー。先週酒場で接触しかけたんだろ?」
ニアミスはあったにはあった。俺は気づいてなかったけど、俺の退勤直後に酒場を訪ねてきたロードリックさんを、俺を迎えに来てたエルドレッドさんがひっそり目撃してたらしい。俺にもその時教えてくれたらいいのに、マヌエルさんにだけ報告するなんてひどい。
俺は教会内のことはよくわからないけど、正確に言うと司祭の上には、司教って地位がある。だけど、単一教会乃至、単一教区内でしか権限のない司教より、主教会が管理する医療施設全般を取りまとめる国手司祭の権力の方が実際は大きいらしい。司教より上には教皇とその補佐官である枢機卿って地位もあるらしいけど、主教会の教皇と枢機卿は主神に仕える数多の神らが百年おきに順繰りに務めるものだとかで、人間側から見たら不可侵の役職なんだそうだ。
まあ、つまりはマヌエルさんが本気を出すと逆らえる人が主教会内にはいないってことだ。いっそマヌエルさんに頭を下げさせられるのは、国内全域でも王族くらいかもしれない。
「マヌエルさん、なんで俺に一言の断りもなくそんなことしたんですか。俺だっていろいろ思うところある人間なんですから、事前に相談してくれたっていいじゃないですか」
「うう、ごめんて。でも俺のいないとこでユセが言いくるめられたら困るし、その辺は店主夫婦だって理解してくれたし」
「その話はもう聞きました。納得はしてませんが謝罪はもう結構です。頭を冷やしたいので、しばらくマヌエルさんの顔は見たくないです。お仕事行ってきてください」
「うへえ、ばりばり怒ってるじゃんか。本当にごめんてばあ」
謝罪自体は本気みたいで、マヌエルさんの瞼の縁は湿っぽい。でもそんな涙程度じゃ俺の心は晴れない。
「ほらほらー。ユセが怒るなんて滅多にねえんだから、どんだけ頭下げたって無駄っすよ。さっさと仕事戻ってください。司祭にここでゴネられてもまじうるせえし邪魔っす」
「ダライアスまでひどい」
ダライアスさんに背を押されて、マヌエルさんは聖女候補の居室を追い出されていく。ちなみに、部屋の主であるヒマリさんは、騒ぐ俺たちを横目に我関せずで、部屋の奥にあるドレッサーでダライアスさんが商業区で買い求めてきた化粧品らを楽しそうにいじくり倒している。
ヒマリさんは元々マヌエルさんに対して関心が薄い。それはマヌエルさんの方も同じようで、二人は顔を合わせてもお互い目視するだけで儀礼的な挨拶すらない。一応同じ主教会の現役職付きと役職付き候補なのにそんなんでいいのか気になるけど、前にサイモンさんに聞いてみたら「まあいいんじゃないか?」くらいのノリだったから俺が気にしすぎなのかもしれない。
「ユセー。魔導具の件で約束してた研究所の室長を応接室に待たせてるってよ」
マヌエルさんを退場させたダライアスさんがひと仕事終えた顔で戻ってきて、さらに伝言まで届けてくれた。お礼を言ってから、まだ熱心に大量の品を吟味しているヒマリさんに「離れます」と声をかけると、機嫌のいい「はーい」という返事をもらえた。壁際で待機していた護衛官に目配せしてから部屋を出たら、なぜかダライアスさんが「僕も」とついてきた。
「まだ交代じゃないですよ」
「便所のついでに息抜き」
手洗いは逆方向だとかそういうのはお互いわかっているけど、どうせしばらくはヒマリさんからの用聞きもなさそうだしまあいいか。「そうですか」と頷いて控えめに笑い合う。
「そんでさあ、司祭は何やらかしたん?ユセをこんなに怒らせるなんて天才じゃね?」
懐からブリキのタバコ入れを取り出して中身を確認しながら、どうでもよさそうに聞いてくる。これから外に吸いに行くつもりなんだろう。
「俺の知らない間に、酒場の仕事を勝手に辞めさせられてました」
「へえー。それはひっでえなあ。やるじゃんあのオッサン」
ひどいって言いながらも、ダライアスさんは楽しそうにけらけら笑う。
王立研究所での一件以降、マヌエルさんの指示で俺の外出には警護神官の送迎がつくようになった。そこまでは申し訳なさはあっても、マヌエルさんの気が済むなら、と思って何も言わなかった。でも、さすがに今回のことは見過ごせない。
口にしたら怒りがぶり返してきて、思わず両肩が持ち上がる。「ダライアスさんだって怒るでしょ」と詰め寄るけど、どこが面白かったのかさらにげらげらされた。
「元々マヌエルさんに紹介してもらった仕事なんで、それにはすごく感謝してるんです。でも突然雇ってもらった上に、突然辞めるなんて先方に本当に申し訳ないし、辞めるならちゃんと店主ご夫妻にご挨拶したかったのに……」
言い募りながら、自分自身がたくさん心配をかけて散々お世話になった前職をすっぱり辞めてきたことをふと思い出してしまって、罪悪感でトーンダウンする。あの時は喪失感と恋しさでいっぱいで、俺の中に選択肢がそれしかなかった、なんて言い訳にもならないけど。
「まあ、勝手に辞めさせんのはどーかと思うが、酒場で仕事中にあいつが来ちまったら避けようがねえもんなー。先週酒場で接触しかけたんだろ?」
ニアミスはあったにはあった。俺は気づいてなかったけど、俺の退勤直後に酒場を訪ねてきたロードリックさんを、俺を迎えに来てたエルドレッドさんがひっそり目撃してたらしい。俺にもその時教えてくれたらいいのに、マヌエルさんにだけ報告するなんてひどい。
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