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最終章
38:最悪な巡り合わせ2
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用品店を三店舗まわってヒマリさんが選んだのは、淡い色合いの襟無しのシャツと、濃い色味のゆったりしたズボン、目元用の黒墨、彩度を抑えた口紅、指先用の染料と保湿油だった。たくさんある店内商品の中からすいすいと選び取る様子はさすが女性だなと思った。俺が代わりに見つくろったなら、悩むだけ悩んで役に立てる気がしない。
俺が支払いを済ませている間に、護衛官二人にぴったりと添われて急かされ用品店をあとにしたヒマリさんは、不機嫌そうに頬を膨らませた。その辺の窮屈さも、この国で暮らすなら我慢してもらうしかない。
『ヒマリさん、あともう少しだけ時間があるので寄り道しましょう。この近くにケーキのおいしいカフェがあります。俺がおごるので寄っていきませんか』
『やった!行く行く。てっきりこのまま帰らされるのかと思ってたあ。ユセの彼氏力やばあ~』
すぐ機嫌を直したヒマリさんに、ほっと胸を撫でおろす。俺の腕にしがみついたヒマリさんをつれて、商業区の用品店から市場の方を通り小さなカフェまで、ゆっくり首都やこの国について話しながら歩く。中央区や商業区はとても人が多く栄えていて便利だけど、その分治安はよくないこと。首都の外れの方に行けば日常使いの魔導具も少なくて、少し生活が不便になること。首都以外の町は、どちらかと言うとひと昔前の日本のような暮らしをしている人が多いこと。この国はたった50年前まで戦争をしていたこと。戦時下での聖女は、魔導具以上に有力な兵器の扱いを受けること。
俺が『怖くないですか?』と聞くと、ヒマリさんは『それ、脅してるつもり?』としなだれかかったまま上目遣いで顔をしかめた。どこまでわかってくれてるんだろう。
目当てのカフェは大通りから少し歩いた先の細い小路沿いにあって、目抜き通りの人気店とくらべたらこじんまりとしたお店だけど、そこはロードリックさんと魔導具市へ行った帰りに寄ったお気に入りの店だ。明るい窓際席に腰を下ろしたヒマリさんに、『誰かと来たことあるの?』と探りを入れられたけど、誰に話しても面白い話じゃないから曖昧に笑ってごまかした。
ヒマリさんが紅茶の最後の一口を飲み干すまでは、ヒマリさんの楽しめる話題だけを選んだ。これからする話は、美味しいものを食べながらする話ではないから。
ぬるんだ紅茶で唇を湿らせてから『大事なこと聞いてもいいですか』と前置きをした。
『えー……怖い前フリやめてよー。何の話すんの?あんまりめんどくさかったら途中で止めるからね』
ティーカップをテーブルの中央に押しのけて、ヒマリさんは細い指を組んで空いたスペースに雑に置いた。一応話を聞いてくれるみたいでよかった。
『ヒマリさんのご家族ってどんな人ですか?』
『なに?全然大事じゃなくない?』
『大事です。ヒマリさんの大切な人の話じゃないですか。聞かせてほしいです』
買い物中の機嫌の良さが嘘みたいに、嫌そうに鼻の上にしわを作ったヒマリさんは『ウザ』とあからさまに毒ついた。
『……ユセのとこは?』
『え?俺ですか?』
予想外の返しに少しだけ戸惑う。話をしようにも、父親のことはほとんどは知らないし母さんももういないし、話せることがあまりない。
『人には聞くくせに自分は言わない気?』
『いえ。そんなつもりはないんですけど、でも本当に俺のところは何もなくて。普通に優しい親ですけど、普段はそんなに話しませんでしたし、共通の話題とかもなかったので』
それでも、最期の一年は病院に通えるだけ通った。それは言う必要がないから言葉を切る。
ヒマリさんはふーん、と興味なさそうに相槌を打って、そのまま黙り込んでしまった。あまり機嫌もよくなさそうだから、きっとこれ以上は踏み込んでも応えてくれない可能性が高い。でも、今を逃したらもっと聞けなくなるだろう。
『ヒマリさんは日本に帰る気は少しもないんですか?』
『…………なんで?』
機嫌がいい時の少し高くて舌っ足らずな話し方と真逆の、低くてはっきりした聞き取りやすい声だった。ヒマリさんの声色の変化に、その斜め後ろに控えている女性護衛官が上体を少し倒して警戒したのがわかった。今更ここで臆するわけにもいかないから、俺は深呼吸をして居住まいを正した。
『大切な人と前触れもなくわかれてそれっきりなんて、あとで後悔しませんか。ヒマリさんが望むなら、リスクはありますが日本に帰る方法もあるんです』
だから今一度よく考えてみませんか、と続けようとしたところで、『うっさいなあ』とヒマリさんが低い声で唸るようにつぶやいた。
『やっぱりあんたも、あたしのことどっか消えればいいと思ってんでしょ。あたしなんて邪魔なんでしょ』
苛立ちの混じった、苦しげな声だった。そんな言葉を、誰かに向けられたことがあるんだろうか。もしそうなら、到底許せることじゃない。
『そんなこと、一体誰が思うって言うんですか』
自分が思っているよりずっと強くて無遠慮な声が出てしまった。怯えからかヒマリさんの肩が少し揺れて、テーブルの上に置かれていた華奢な手が自身の膝の上に引き戻された。
距離を置かれてしまったことが悲しくて『すみません』と頭を下げると、下げた頭の上に『いい。別に』と素っ気ないけどさっきよりずっと柔らかな声が返ってきた。
俺が支払いを済ませている間に、護衛官二人にぴったりと添われて急かされ用品店をあとにしたヒマリさんは、不機嫌そうに頬を膨らませた。その辺の窮屈さも、この国で暮らすなら我慢してもらうしかない。
『ヒマリさん、あともう少しだけ時間があるので寄り道しましょう。この近くにケーキのおいしいカフェがあります。俺がおごるので寄っていきませんか』
『やった!行く行く。てっきりこのまま帰らされるのかと思ってたあ。ユセの彼氏力やばあ~』
すぐ機嫌を直したヒマリさんに、ほっと胸を撫でおろす。俺の腕にしがみついたヒマリさんをつれて、商業区の用品店から市場の方を通り小さなカフェまで、ゆっくり首都やこの国について話しながら歩く。中央区や商業区はとても人が多く栄えていて便利だけど、その分治安はよくないこと。首都の外れの方に行けば日常使いの魔導具も少なくて、少し生活が不便になること。首都以外の町は、どちらかと言うとひと昔前の日本のような暮らしをしている人が多いこと。この国はたった50年前まで戦争をしていたこと。戦時下での聖女は、魔導具以上に有力な兵器の扱いを受けること。
俺が『怖くないですか?』と聞くと、ヒマリさんは『それ、脅してるつもり?』としなだれかかったまま上目遣いで顔をしかめた。どこまでわかってくれてるんだろう。
目当てのカフェは大通りから少し歩いた先の細い小路沿いにあって、目抜き通りの人気店とくらべたらこじんまりとしたお店だけど、そこはロードリックさんと魔導具市へ行った帰りに寄ったお気に入りの店だ。明るい窓際席に腰を下ろしたヒマリさんに、『誰かと来たことあるの?』と探りを入れられたけど、誰に話しても面白い話じゃないから曖昧に笑ってごまかした。
ヒマリさんが紅茶の最後の一口を飲み干すまでは、ヒマリさんの楽しめる話題だけを選んだ。これからする話は、美味しいものを食べながらする話ではないから。
ぬるんだ紅茶で唇を湿らせてから『大事なこと聞いてもいいですか』と前置きをした。
『えー……怖い前フリやめてよー。何の話すんの?あんまりめんどくさかったら途中で止めるからね』
ティーカップをテーブルの中央に押しのけて、ヒマリさんは細い指を組んで空いたスペースに雑に置いた。一応話を聞いてくれるみたいでよかった。
『ヒマリさんのご家族ってどんな人ですか?』
『なに?全然大事じゃなくない?』
『大事です。ヒマリさんの大切な人の話じゃないですか。聞かせてほしいです』
買い物中の機嫌の良さが嘘みたいに、嫌そうに鼻の上にしわを作ったヒマリさんは『ウザ』とあからさまに毒ついた。
『……ユセのとこは?』
『え?俺ですか?』
予想外の返しに少しだけ戸惑う。話をしようにも、父親のことはほとんどは知らないし母さんももういないし、話せることがあまりない。
『人には聞くくせに自分は言わない気?』
『いえ。そんなつもりはないんですけど、でも本当に俺のところは何もなくて。普通に優しい親ですけど、普段はそんなに話しませんでしたし、共通の話題とかもなかったので』
それでも、最期の一年は病院に通えるだけ通った。それは言う必要がないから言葉を切る。
ヒマリさんはふーん、と興味なさそうに相槌を打って、そのまま黙り込んでしまった。あまり機嫌もよくなさそうだから、きっとこれ以上は踏み込んでも応えてくれない可能性が高い。でも、今を逃したらもっと聞けなくなるだろう。
『ヒマリさんは日本に帰る気は少しもないんですか?』
『…………なんで?』
機嫌がいい時の少し高くて舌っ足らずな話し方と真逆の、低くてはっきりした聞き取りやすい声だった。ヒマリさんの声色の変化に、その斜め後ろに控えている女性護衛官が上体を少し倒して警戒したのがわかった。今更ここで臆するわけにもいかないから、俺は深呼吸をして居住まいを正した。
『大切な人と前触れもなくわかれてそれっきりなんて、あとで後悔しませんか。ヒマリさんが望むなら、リスクはありますが日本に帰る方法もあるんです』
だから今一度よく考えてみませんか、と続けようとしたところで、『うっさいなあ』とヒマリさんが低い声で唸るようにつぶやいた。
『やっぱりあんたも、あたしのことどっか消えればいいと思ってんでしょ。あたしなんて邪魔なんでしょ』
苛立ちの混じった、苦しげな声だった。そんな言葉を、誰かに向けられたことがあるんだろうか。もしそうなら、到底許せることじゃない。
『そんなこと、一体誰が思うって言うんですか』
自分が思っているよりずっと強くて無遠慮な声が出てしまった。怯えからかヒマリさんの肩が少し揺れて、テーブルの上に置かれていた華奢な手が自身の膝の上に引き戻された。
距離を置かれてしまったことが悲しくて『すみません』と頭を下げると、下げた頭の上に『いい。別に』と素っ気ないけどさっきよりずっと柔らかな声が返ってきた。
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