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第六章 王子と指輪と誕生日
005 再会
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アルベリクとレクトがシュナイト領へ出て二日が過ぎた。メアリと二人の生活は、とてもゆったりとした幸せ全開の日々だった。
ここに来てもう十ヶ月。
セシルはパンケーキを焼くことだって出きるようになっていた。でも味付けはやっぱりメアリ頼みである。
昼食の準備を一緒にしていると、メアリが調味料の入れ物を見て困っていた。
「あらあら。ローズマリーが無いわ」
「私、庭から採ってきます。他にも必要なものはありますか?」
「そうね。それは昼食の後に一緒にやりましょう」
「じゃあ、ローズマリーだけ採ってきますね」
「お願いね」
セシルとメアリは、アルベリクの言いつけ通り、いつも一緒に過ごしていた。この時までは。
◇◇
セシルは籠を手にスキップしながら庭へ急いだ。
天気も良いし、お昼のジャーマンポテトの香りが庭にも漂っていた。目的のローズマリーは虫除けにもなるので、色々なところに植えてある。
最近、手入れをサボっていた西門の近くのローズマリーを採取しようと足を向けると、見覚えのある青年の後ろ姿が見え、セシルは足を止めた。
セシルはその後ろ姿を見て、持っていた籠を地面に落とした。
心臓がキリキリ締め付けられるのを感じた。
ああ。逃げなきゃって思ったのに、身体が言うことを聞かなかった。
籠が落ちる音で、その青年はセシルの方へと優雅に振り向いた。緩くウェーブした上品な短い金髪はフワリと舞い、その大きな青い瞳と目が合った。
「あ。良かったぁ。この屋敷のメイドさん?」
「あ……」
声がでなかった。あんなに愛おしかった彼を前に、今のセシルには恐怖しかなかった。
「ごめんね。びっくりさせちゃったね。これ、君の籠?」
「は、はい」
セシルの目の前に落ちた籠を拾い、土を払ってくれた。
「あれ? 君、僕とどこかで会ったことない?」
セシルの顔をじーっと覗き込むクリスの瞳は、初めて会った時と同じ、無邪気で澄んだ色をしていた。
この瞳だ。これにセシルは弱いのだ。
ずっと見ていたくなる、優しくて全てを受け入れてくれる瞳。
でも、もうセシルには必要ない。
この瞳を求めたりなんかしない。
大丈夫。セシルはあの時のように一人ではないのだから。
「どうかした? 君、名前は?」
「え、えっと……」
「僕はクリス。クリスって呼んでね。籠を持っているってことは……何か採りに来たんでしょ? あっ。このジャーマンポテトの香り……何かが足りない。──そうか。分かった。君は、庭のローズマリーを採りに来たんだね!」
ビシッと人差し指をセシルに向けるクリスは、自信たっぷりの顔でこちらをじっと見ている。
クリスはクリスのままだ。
観察力があって、ちょっとした変化にもすぐに気づく。
「ね。正解でしょ? 君の名前教えてよ。僕の名推理のご褒美にさ?」
「……私はファビウス家次男アルベリク=ファビウス様の使用人です。クリス様がおっしゃる通り、ローズマリーを採りに参りました。クリス様はどうされたのですか?」
「僕? 僕は迷子だよ。ファビウス邸に遊びに行く予定だったんだけど、素敵な教会が見えたから寄り道しちゃって、一緒に来た人ともはぐれちゃってさ」
クリスはテヘッと舌を出して苦笑いをした。
可愛い。いや、騙されてはいけない。
セシルはなるべくクリスを直視しないように心がけた。
「でも、ここがファビウス邸みたいで良かったよ。それから――君に会えて良かったよ」
クリスはセシルの頬に軽くキスをした。
油断も隙もあったものではない。
セシルは一歩後退して頬を抑えた。
「ああ。ごめんね。君が凄く可愛くて……」
そう言ってはにかんだ笑顔を向けるクリスは可愛い。
って駄目だセシル。
クリスに洗脳されちゃ駄目だ。
昔、クリスと話したことがある。
私達はお互い一目惚れだったって。
だから今、セシルという人間をクリスに認識させてはいけない。
絶対に名前は教えない。そう心に決めた時――。
「セシル! こんなところにいたのね!?」
後ろからメアリに呼びかけられた。
戻らないセシルを心配して探しに来てくれたのだ。
「あらあら? お客様の前で失礼いたしました」
「いいんですよ。僕が迷子になってしまっただけですから。ね、セシル?」
「……はい」
名前は覚えられてしまった。
もう、後戻りできない。そんな気がした。
「ね。セシル。本館まで案内してくれないかな?」
「わ、私は――」
「本館でしたら私がご案内いたします」
「僕はセシルと行きたいんだけどな……」
「申し訳ございません。この者はまだ見習いですので」
「そっか……また会いに来るからね。セシル」
クリスは何度も名残惜しそうにセシルに振り返りながら、メアリに本館へと案内されていった。
セシルは二人が見えなくなるとその場にへたり込んだ。
ああ。ついにクリスと出会ってしまった。
アルベリクに何て言おう。
フラフラするな、問題を起こすな、メアリと一緒にいろ。
一度に全部破ってしまった気がする。
アルベリクに早く帰ってきて欲しい。
待っているのが怖い。
クリスとの出会いの先には、死、しか見えないのだから。
ここに来てもう十ヶ月。
セシルはパンケーキを焼くことだって出きるようになっていた。でも味付けはやっぱりメアリ頼みである。
昼食の準備を一緒にしていると、メアリが調味料の入れ物を見て困っていた。
「あらあら。ローズマリーが無いわ」
「私、庭から採ってきます。他にも必要なものはありますか?」
「そうね。それは昼食の後に一緒にやりましょう」
「じゃあ、ローズマリーだけ採ってきますね」
「お願いね」
セシルとメアリは、アルベリクの言いつけ通り、いつも一緒に過ごしていた。この時までは。
◇◇
セシルは籠を手にスキップしながら庭へ急いだ。
天気も良いし、お昼のジャーマンポテトの香りが庭にも漂っていた。目的のローズマリーは虫除けにもなるので、色々なところに植えてある。
最近、手入れをサボっていた西門の近くのローズマリーを採取しようと足を向けると、見覚えのある青年の後ろ姿が見え、セシルは足を止めた。
セシルはその後ろ姿を見て、持っていた籠を地面に落とした。
心臓がキリキリ締め付けられるのを感じた。
ああ。逃げなきゃって思ったのに、身体が言うことを聞かなかった。
籠が落ちる音で、その青年はセシルの方へと優雅に振り向いた。緩くウェーブした上品な短い金髪はフワリと舞い、その大きな青い瞳と目が合った。
「あ。良かったぁ。この屋敷のメイドさん?」
「あ……」
声がでなかった。あんなに愛おしかった彼を前に、今のセシルには恐怖しかなかった。
「ごめんね。びっくりさせちゃったね。これ、君の籠?」
「は、はい」
セシルの目の前に落ちた籠を拾い、土を払ってくれた。
「あれ? 君、僕とどこかで会ったことない?」
セシルの顔をじーっと覗き込むクリスの瞳は、初めて会った時と同じ、無邪気で澄んだ色をしていた。
この瞳だ。これにセシルは弱いのだ。
ずっと見ていたくなる、優しくて全てを受け入れてくれる瞳。
でも、もうセシルには必要ない。
この瞳を求めたりなんかしない。
大丈夫。セシルはあの時のように一人ではないのだから。
「どうかした? 君、名前は?」
「え、えっと……」
「僕はクリス。クリスって呼んでね。籠を持っているってことは……何か採りに来たんでしょ? あっ。このジャーマンポテトの香り……何かが足りない。──そうか。分かった。君は、庭のローズマリーを採りに来たんだね!」
ビシッと人差し指をセシルに向けるクリスは、自信たっぷりの顔でこちらをじっと見ている。
クリスはクリスのままだ。
観察力があって、ちょっとした変化にもすぐに気づく。
「ね。正解でしょ? 君の名前教えてよ。僕の名推理のご褒美にさ?」
「……私はファビウス家次男アルベリク=ファビウス様の使用人です。クリス様がおっしゃる通り、ローズマリーを採りに参りました。クリス様はどうされたのですか?」
「僕? 僕は迷子だよ。ファビウス邸に遊びに行く予定だったんだけど、素敵な教会が見えたから寄り道しちゃって、一緒に来た人ともはぐれちゃってさ」
クリスはテヘッと舌を出して苦笑いをした。
可愛い。いや、騙されてはいけない。
セシルはなるべくクリスを直視しないように心がけた。
「でも、ここがファビウス邸みたいで良かったよ。それから――君に会えて良かったよ」
クリスはセシルの頬に軽くキスをした。
油断も隙もあったものではない。
セシルは一歩後退して頬を抑えた。
「ああ。ごめんね。君が凄く可愛くて……」
そう言ってはにかんだ笑顔を向けるクリスは可愛い。
って駄目だセシル。
クリスに洗脳されちゃ駄目だ。
昔、クリスと話したことがある。
私達はお互い一目惚れだったって。
だから今、セシルという人間をクリスに認識させてはいけない。
絶対に名前は教えない。そう心に決めた時――。
「セシル! こんなところにいたのね!?」
後ろからメアリに呼びかけられた。
戻らないセシルを心配して探しに来てくれたのだ。
「あらあら? お客様の前で失礼いたしました」
「いいんですよ。僕が迷子になってしまっただけですから。ね、セシル?」
「……はい」
名前は覚えられてしまった。
もう、後戻りできない。そんな気がした。
「ね。セシル。本館まで案内してくれないかな?」
「わ、私は――」
「本館でしたら私がご案内いたします」
「僕はセシルと行きたいんだけどな……」
「申し訳ございません。この者はまだ見習いですので」
「そっか……また会いに来るからね。セシル」
クリスは何度も名残惜しそうにセシルに振り返りながら、メアリに本館へと案内されていった。
セシルは二人が見えなくなるとその場にへたり込んだ。
ああ。ついにクリスと出会ってしまった。
アルベリクに何て言おう。
フラフラするな、問題を起こすな、メアリと一緒にいろ。
一度に全部破ってしまった気がする。
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