73 / 102
第七章 争乱と奇跡の力
004 屋敷内の秩序
しおりを挟む
アルベリクは、東館を出て本館への渡り廊下をセシルを抱き上げたまま足早に進んだ。
今は昼頃。
本来ならアルベリクはまだ屋敷に帰ってくる時間ではない。
しかし、レクトが休憩の時に、アルベリクにこう言ったのだ。「昨日、クリストファ王子様を馬車へ送る時、怖い顔をしたリリアーヌ様が西館の渡り廊下を歩いている姿を見た」と。
それで急いで戻ってきた所で、怯えた宝石商とすれ違い、リリアーヌの部屋に直行したのだが、遅かった。
剣も持たずに飛び出して来てよかったと思った。
セシルに鞭を構えるリリアーヌは悪魔のようにしか見えなかったのだから。腰に剣があったら抜いていただろう。
「怖い思いをさせて申し訳なかった。屋敷を空ける前に、指輪の事を兄上達に伝えておくべきだった……」
セシルは小さく首を横に振っている。
体はまだ震えたままなのに。
リリアーヌの心に狂気が潜んでいることは、前のやり直しの時に分かっていたのに。止められなかった自分が情けなくて仕方なかった。
セシルはただの使用人で、クリスの婚約者にはなれない。
だから、リリアーヌもそんなセシルに手を出すことはないと思っていた。
しかし違った。自分が甘すぎたのだ。
「すまない。俺がセシルを屋敷に連れてきたから、姉上の近くに置いてしまったから……」
セシルはまた小さく首を横に振る。怯えきったその様子に、アルベリクはやりきれない思いで一杯だった。
セシルの部屋に入り、ベッドの上にセシルを下ろそうとしたが、セシルはアルベリクの服を離そうとしなかった。
「セシル?」
「来週……いなくなってしまうの?」
「ああ。そうだ」
「やだ。置いていかないで。一人にしないで。一緒にいて欲しいの。私も連れてって」
泣いて怯えながら訴えるセシルに胸が締め付けられる。
でも、向こうには連れていけない。危険すぎる。
「駄目……なんだ。北は危険だ。仲間の命すら守りきれる自信がない。そんなところにセシルを連れていけない」
セシルはアルベリクの服を離し、ベッドの上に力なく座り込んだ。マントが肩から滑り落ち、白い背中が露になる。
「あ……昨日、レクトからもらったばかりなのに……破れちゃった。エプロンは無事だ……あはは」
「無理して笑うな……服を着替えろ。レクトに直してもらう。婆やを呼ぶから、部屋で待っていろ」
「どこか行っちゃうの?」
寂しげにアルベリクを見上げるセシルに、マントをかけ直した。
「兄上に会いに行ってくる。そんな眼で見られたら……何でもない。すぐだから、婆やと待ってるんだぞ」
「はい……」
アルベリクが部屋を出るとメアリが扉の前で待っていた。
「申し訳ございません。私が付いていれば……」
「いい。着替えを手伝ってやってくれ、それから、俺が戻るまで側にいてやってくれ」
「はい」
メアリは深々と頭を下げ部屋へと入っていった。
◇◇
リリアーヌはエドワールに呼び出されて本館の書斎へ通された。部屋にはエドワールとアルベリクがソファーに座っていた。
「リリア。アルから話は聞いた。そこに掛けなさい」
「はい。お兄様」
声で分かる。エドワールが苛立っていることが。
「リリア。ファビウス家の人間として、恥ずかしい真似はしないでおくれ。アルの使用人には今後一切関わらないこと。アルが戻ってくるまで、東館から一歩も出ないこと。分かったか?」
「はい……お兄様」
リリアーヌは笑顔を無理やり作って返事をした。
「アル。北での働き、期待している。屋敷内のことは何も心配せず、ファビウス家の名を広めておいで」
「はい。兄上」
「アルはもう下がっていい。少し、リリアに話があるから」
「では、兄上、姉上。失礼します」
アルベリクは一度もリリアーヌに目を向けず部屋を後にした。
「リリア。反論はあるか?」
「……いえ。何もありません」
エドワールに反論するほどリリアーヌは馬鹿ではない。
エドワールは自分の意見を曲げない。
他人の意見を受け付けない訳ではないが、反論という言葉を選んで使っている時点で、リリアーヌの考えがエドワールの意に沿わないことを物語っている。
「うん。いい子だ。私はアルには父のようになって欲しくない。色恋沙汰で屋敷内の秩序を荒らすのは無しだ」
「はい」
「それに、リリアにとっても、あの子を邪険に扱うことは良くないことだと思うぞ」
「それはどういった意味ですの?」
「クリス王子はリリアに言ったのだろう? アルベリクのメイドを一人付けるなら、リリアを婚約者に選ぶ。と」
アクアマリンの指輪をクリスに渡した時、リリアーヌはそう言われたのだ。
婚約者に選ばれたも同然と思い、舞い上がっていた。
クリスがセシルに指輪を渡すところを目撃するまでは。
「はい。クリス様は婆やのクッキーがお好きで――もしかして……」
「そう。それ、婆やじゃなくて、セシルを指して言った言葉なんじゃないか?」
リリアーヌは胸の底から怒りが溢れてくるのを感じた。
「……嫌です。あんな子をクリス様の側に置くなんて……絶対に嫌です。お兄様、あんな子追い出してくださいっ」
「リリア。色恋沙汰で屋敷内を……」
「し、失言でした」
「分かればいい。もし、婚約をクリス王子と結ぶことになった時、彼は何を要求するか……。アルはあの子をクリス王子に渡したくはないだろうし。リリアもあの子をクリス王子の側に置きたくない。――少し様子を見てから、ファビウス家にとって一番有益な道を探す。だから、余計なことだけはするなよ?」
エドワールは笑顔でそうリリアーヌに言った。
有無を言わさぬ威圧的な笑顔で。
「はい。お兄様」
今は昼頃。
本来ならアルベリクはまだ屋敷に帰ってくる時間ではない。
しかし、レクトが休憩の時に、アルベリクにこう言ったのだ。「昨日、クリストファ王子様を馬車へ送る時、怖い顔をしたリリアーヌ様が西館の渡り廊下を歩いている姿を見た」と。
それで急いで戻ってきた所で、怯えた宝石商とすれ違い、リリアーヌの部屋に直行したのだが、遅かった。
剣も持たずに飛び出して来てよかったと思った。
セシルに鞭を構えるリリアーヌは悪魔のようにしか見えなかったのだから。腰に剣があったら抜いていただろう。
「怖い思いをさせて申し訳なかった。屋敷を空ける前に、指輪の事を兄上達に伝えておくべきだった……」
セシルは小さく首を横に振っている。
体はまだ震えたままなのに。
リリアーヌの心に狂気が潜んでいることは、前のやり直しの時に分かっていたのに。止められなかった自分が情けなくて仕方なかった。
セシルはただの使用人で、クリスの婚約者にはなれない。
だから、リリアーヌもそんなセシルに手を出すことはないと思っていた。
しかし違った。自分が甘すぎたのだ。
「すまない。俺がセシルを屋敷に連れてきたから、姉上の近くに置いてしまったから……」
セシルはまた小さく首を横に振る。怯えきったその様子に、アルベリクはやりきれない思いで一杯だった。
セシルの部屋に入り、ベッドの上にセシルを下ろそうとしたが、セシルはアルベリクの服を離そうとしなかった。
「セシル?」
「来週……いなくなってしまうの?」
「ああ。そうだ」
「やだ。置いていかないで。一人にしないで。一緒にいて欲しいの。私も連れてって」
泣いて怯えながら訴えるセシルに胸が締め付けられる。
でも、向こうには連れていけない。危険すぎる。
「駄目……なんだ。北は危険だ。仲間の命すら守りきれる自信がない。そんなところにセシルを連れていけない」
セシルはアルベリクの服を離し、ベッドの上に力なく座り込んだ。マントが肩から滑り落ち、白い背中が露になる。
「あ……昨日、レクトからもらったばかりなのに……破れちゃった。エプロンは無事だ……あはは」
「無理して笑うな……服を着替えろ。レクトに直してもらう。婆やを呼ぶから、部屋で待っていろ」
「どこか行っちゃうの?」
寂しげにアルベリクを見上げるセシルに、マントをかけ直した。
「兄上に会いに行ってくる。そんな眼で見られたら……何でもない。すぐだから、婆やと待ってるんだぞ」
「はい……」
アルベリクが部屋を出るとメアリが扉の前で待っていた。
「申し訳ございません。私が付いていれば……」
「いい。着替えを手伝ってやってくれ、それから、俺が戻るまで側にいてやってくれ」
「はい」
メアリは深々と頭を下げ部屋へと入っていった。
◇◇
リリアーヌはエドワールに呼び出されて本館の書斎へ通された。部屋にはエドワールとアルベリクがソファーに座っていた。
「リリア。アルから話は聞いた。そこに掛けなさい」
「はい。お兄様」
声で分かる。エドワールが苛立っていることが。
「リリア。ファビウス家の人間として、恥ずかしい真似はしないでおくれ。アルの使用人には今後一切関わらないこと。アルが戻ってくるまで、東館から一歩も出ないこと。分かったか?」
「はい……お兄様」
リリアーヌは笑顔を無理やり作って返事をした。
「アル。北での働き、期待している。屋敷内のことは何も心配せず、ファビウス家の名を広めておいで」
「はい。兄上」
「アルはもう下がっていい。少し、リリアに話があるから」
「では、兄上、姉上。失礼します」
アルベリクは一度もリリアーヌに目を向けず部屋を後にした。
「リリア。反論はあるか?」
「……いえ。何もありません」
エドワールに反論するほどリリアーヌは馬鹿ではない。
エドワールは自分の意見を曲げない。
他人の意見を受け付けない訳ではないが、反論という言葉を選んで使っている時点で、リリアーヌの考えがエドワールの意に沿わないことを物語っている。
「うん。いい子だ。私はアルには父のようになって欲しくない。色恋沙汰で屋敷内の秩序を荒らすのは無しだ」
「はい」
「それに、リリアにとっても、あの子を邪険に扱うことは良くないことだと思うぞ」
「それはどういった意味ですの?」
「クリス王子はリリアに言ったのだろう? アルベリクのメイドを一人付けるなら、リリアを婚約者に選ぶ。と」
アクアマリンの指輪をクリスに渡した時、リリアーヌはそう言われたのだ。
婚約者に選ばれたも同然と思い、舞い上がっていた。
クリスがセシルに指輪を渡すところを目撃するまでは。
「はい。クリス様は婆やのクッキーがお好きで――もしかして……」
「そう。それ、婆やじゃなくて、セシルを指して言った言葉なんじゃないか?」
リリアーヌは胸の底から怒りが溢れてくるのを感じた。
「……嫌です。あんな子をクリス様の側に置くなんて……絶対に嫌です。お兄様、あんな子追い出してくださいっ」
「リリア。色恋沙汰で屋敷内を……」
「し、失言でした」
「分かればいい。もし、婚約をクリス王子と結ぶことになった時、彼は何を要求するか……。アルはあの子をクリス王子に渡したくはないだろうし。リリアもあの子をクリス王子の側に置きたくない。――少し様子を見てから、ファビウス家にとって一番有益な道を探す。だから、余計なことだけはするなよ?」
エドワールは笑顔でそうリリアーヌに言った。
有無を言わさぬ威圧的な笑顔で。
「はい。お兄様」
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです
秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。
そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。
いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが──
他サイト様でも掲載しております。
聖女解任ですか?畏まりました(はい、喜んでっ!)
ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はマリア、職業は大聖女。ダグラス王国の聖女のトップだ。そんな私にある日災難(婚約者)が災難(難癖を付け)を呼び、聖女を解任された。やった〜っ!悩み事が全て無くなったから、2度と聖女の職には戻らないわよっ!?
元聖女がやっと手に入れた自由を満喫するお話しです。
ゴースト聖女は今日までです〜お父様お義母さま、そして偽聖女の妹様、さようなら。私は魔神の妻になります〜
嘉神かろ
恋愛
魔神を封じる一族の娘として幸せに暮していたアリシアの生活は、母が死に、継母が妹を産んだことで一変する。
妹は聖女と呼ばれ、もてはやされる一方で、アリシアは周囲に気付かれないよう、妹の影となって魔神の眷属を屠りつづける。
これから先も続くと思われたこの、妹に功績を譲る生活は、魔神の封印を補強する封魔の神儀をきっかけに思いもよらなかった方へ動き出す。
偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて
奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】
※ヒロインがアンハッピーエンドです。
痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。
爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。
執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。
だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。
ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。
広場を埋め尽くす、人。
ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。
この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。
そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。
わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。
国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。
今日は、二人の婚姻の日だったはず。
婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。
王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。
『ごめんなさい』
歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。
無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。
出来損ないと言われて、国を追い出されました。魔物避けの効果も失われるので、魔物が押し寄せてきますが、頑張って倒してくださいね
猿喰 森繁
恋愛
「婚約破棄だ!」
広間に高らかに響く声。
私の婚約者であり、この国の王子である。
「そうですか」
「貴様は、魔法の一つもろくに使えないと聞く。そんな出来損ないは、俺にふさわしくない」
「… … …」
「よって、婚約は破棄だ!」
私は、周りを見渡す。
私を見下し、気持ち悪そうに見ているもの、冷ややかな笑いを浮かべているもの、私を守ってくれそうな人は、いないようだ。
「王様も同じ意見ということで、よろしいでしょうか?」
私のその言葉に王は言葉を返すでもなく、ただ一つ頷いた。それを確認して、私はため息をついた。たしかに私は魔法を使えない。魔力というものを持っていないからだ。
なにやら勘違いしているようだが、聖女は魔法なんて使えませんよ。
どちらの王妃でも問題ありません【完】
mako
恋愛
かつて、広大なオリビア大陸にはオリビア帝国が大小合わせて100余りある国々を治めていた。そこにはもちろん勇敢な皇帝が君臨し今も尚伝説として、語り継がれている。
そんな中、巨大化し過ぎた帝国は
王族の中で分別が起こり東西の王国として独立を果たす事になり、東西の争いは長く続いていた。
争いは両国にメリットもなく、次第に勢力の差もあり東国の勝利として呆気なく幕を下ろす事となった。
両国の友好的解決として、東国は西国から王妃を迎え入れる事を、条件として両国合意の元、大陸の二大勢力として存在している。
しかし王妃として迎えるとは、事実上の人質であり、お飾りの王妃として嫁ぐ事となる。
長い年月を経てその取り決めは続いてはいるが、1年の白い結婚のあと、国に戻りかつての婚約者と結婚する王女もいた。
兎にも角にも西国から嫁いだ者が東国の王妃として幸せな人生を過ごした記録は無い。
【長編版】この戦いが終わったら一緒になろうと約束していた勇者は、私の目の前で皇女様との結婚を選んだ
・めぐめぐ・
恋愛
神官アウラは、勇者で幼馴染であるダグと将来を誓い合った仲だったが、彼は魔王討伐の褒美としてイリス皇女との結婚を打診され、それをアウラの目の前で快諾する。
アウラと交わした結婚の約束は、神聖魔法の使い手である彼女を魔王討伐パーティーに引き入れるためにダグがついた嘘だったのだ。
『お前みたいな、ヤれば魔法を使えなくなる女となんて、誰が結婚するんだよ。神聖魔法を使うことしか取り柄のない役立たずのくせに』
そう書かれた手紙によって捨てらたアウラ。
傷心する彼女に、同じパーティー仲間の盾役マーヴィが、自分の故郷にやってこないかと声をかける。
アウラは心の傷を癒すため、マーヴィとともに彼の故郷へと向かうのだった。
捨てられた主人公がパーティー仲間の盾役と幸せになる、ちょいざまぁありの恋愛ファンタジー長編版。
--注意--
こちらは、以前アップした同タイトル短編作品の長編版です。
一部設定が変更になっていますが、短編版の文章を流用してる部分が多分にあります。
二人の関わりを短編版よりも増しましたので(当社比)、ご興味あれば是非♪
※色々とガバガバです。頭空っぽにしてお読みください。
※力があれば平民が皇帝になれるような世界観です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる