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◇ ◇ ◇
夏弥がお風呂から出てしばらくたった午後六時過ぎ。
キッチンでいつものように晩ごはんの支度をしていると、それまでリビングのソファに座っていた美咲が立ち上がる。
美咲はダボついた部屋着、グレーの萌え袖パーカーに身を包んでいた。
夏弥が入浴してるうちに着替えたらしい。
下に何か短パンを履いているのだろうけれど、何分パーカーが大きすぎて、パッと見は何も履いていないようにさえ見えた。
そんな格好で、美咲はキッチンへとやってきて、
「んん゛っ……夏弥さん……」
「ん?」
料理をしている途中だった夏弥は、一度鍋にかけていたコンロの火を止めて振り返る。
咳払いする美咲を見て、やっぱり夏弥は気掛かりになる。
「……なぁ美咲、やっぱり…………体調悪くない……?」
「……大丈夫って……言ってるじゃん」
「……」
夏弥は美咲の言葉を素直には受け取れなかった。
なぜなら、美咲の顔色はいつもに比べてぽぉっと火照っているようで。
その綺麗な頬に、ぼんやりと熱っぽい赤が滲んでいたからだ。
「お風呂……入ってくる……」
美咲はいつもより気だるそうに話す。
大きめだったそのパーカーの袖を口元へ持っていき、途中ごほごほと咳き込んだりしていて。
病弱そうに咳き込む美咲のかよわさは、まるで幼い子供のよう。
夏弥はその姿を見て、胸が締め付けられる思いだった。
「おい……」
夏弥に背を向けて、美咲はキッチンから脱衣室へと向かう。
その足取りはふらふらとしていて、明らかに調子を崩しているとしか思えないふら付き方だった。
夏弥はその背中を見て、どうにか美咲に手を貸してあげたいと思うものの、浴室での一件もあって素直に言葉を切り出せなかった。
「……」
どう言えばいいのかわからない。
強烈なじれったさに駆られる。
(絶対無理してるよな。口ではああ言ってたけど、すごくだるそうだし……)
美咲の華奢な後ろ姿を目で追う。
いや、目だけじゃない。ほとんど無意識に、夏弥は美咲に歩み寄っていて。
そして、いよいよ彼女は脱衣室のドアを開け、入っていくのかと思いきや――――なんとそのままバランスを崩し、倒れそうになったのだった。
「あぶな――っ!」
その瞬間、夏弥は美咲の身体を捕まえる。
本当に間一髪だった。
夏弥は前のめりに倒れそうだった美咲を、後ろからぎゅっと抱きしめ、支えることができた。
倒れる寸前だった美咲は、その茶髪の頭を前にもたげてグタッとしている。
「……っ」
「……」
抱き留められた美咲は何も声を発しない。
いや、発することができなかったのだ。
全身が重たくて重たくて仕方なかったから。
さっきだって、本当はしゃべるのも少し辛かった。
夏弥が支えてくれたおかげでなんとか転倒は避けられたけれど、もう意識が朦朧としつつあって。
「美咲! 美咲……聞こえてないのか⁉」
「……ん…………はぁ……」
美咲は、夢と現実の境目にいるような、はっきりとしない意識の中にいた。
パーカー越しに抱く美咲はぐったりとしていて、こんな風に弱っている彼女を夏弥は久しぶりに見た気がした。
抱き留めた身体が熱い。
夏弥はすぐに美咲を背中におぶって、ベッドまで運ぶことにした。
「はぁ…………はぁ…………」
背中におぶっている間、美咲の荒い息遣いが聞こえてきて、それがまた余計に夏弥の気を急かす。
普段聞かない息遣いだった。
それだけ彼女が辛くて仕方ないのだということが伝わってきて、夏弥は無性に切なくなってしまう。
「夏弥……さん……」
消え入りそうな声で、美咲が夏弥の名前を呼ぶ。
「待っててくれ。すぐにベッドに運ぶから! それと…………ごめん、本当に」
浴室での一件。夏弥は美咲の体調を気遣えなかったことに後悔していた。
今更謝っても遅いのだとわかっていても、それでも美咲に謝りたくなってしまう。
「……」
美咲は霞む意識のなかで、夏弥に回していたその腕に、少しだけ力を入れていた。
◇
美咲の部屋に置かれていたクリーム色のベッドは、相変わらず優しい色合いをしている。
そのベッドに美咲を寝かせるため、夏弥は一度後ろ向きにベッドへ腰を下ろす。
背中におぶっていた美咲を下ろすため、彼女の腕をほどこうとしたのだけれど――
「美咲、腕を…………」
「…………」
美咲の腕はきっちりと固定されたまま、簡単にはほどけなかった。
風邪をひいているだろうその身体で、華奢な見た目をしたその身体で、なぜこれだけ力が入れられるのか不思議なくらい固かった。
「美咲……」
夏弥は自分のすぐ後ろをチラリと見る。
美咲は彼の背中に頭を預けていて、相変わらず「はぁ……」と荒い息遣いを繰り返しているようだった。
「……」
ただ、どれだけ力強いといっても、美咲はやっぱり女の子。
その固く組まれていた美咲の腕を、夏弥がほどけないはずもなかった。
力づくでほどこうと思えば、簡単にほどけるのだけど――
(……違う。……俺は何をやってたんだ……? 美咲の味方になってあげるって言っておいて、なんであんな接し方しかできないんだ。
恋人に迫られた時、きっと恋愛上手なアイツだったらどんな風に接するのが正解なのか知ってるんだ。俺みたいに不器用な男子と違って。もっと上手に。もっとそつなく接することができるんだよな。
…………いや、不器用なのはまだいい。まだ仕方ないことだ。……問題はそこじゃない。俺が、洋平に唯一勝ってる点だったはずの『無条件の味方論』はどこへ行ったんだよ? ……なんで俺は、美咲の気持ちを一番に考えてあげなかった?)
夏弥は、あの時浴室で美咲がどんな気持ちだったのかを想像し、さらに切なくなっていく。
(俺が恥ずかしかったように、美咲だって本当はすごく恥ずかしかったはずだ。……。それでも美咲は、こんな俺を好きでいてくれて、あんな行動に出たんだ。空回りだったとしても、なんで俺はそれを拒むような形を取ったんだ? カッコつけてるつもりかよ)
「美咲の気持ちと繋がってたい」だなんて言っておきながら、彼女を突き放すことになってしまったこと。そのことに、夏弥は悔やみだしていた。
そして夏弥は、美咲のその腕を――――ほどきたくないと素直に思った。
ポケットに入れていたスマホを取り出して、
『秋乃、ごめん。今日は美咲の体調が悪いから、相談事はまた今度にしてほしい』
秋乃宛てにそのようなラインを送った。
「……」
ラインを送って、夏弥はスマホをベッドの枕元に置く。
その後、美咲に後ろから抱き着かれた格好のまま、夏弥はベッドで横になった。
美咲と一緒に寝てみると、やけに熱くて、夏弥自身汗をかいてしまう気がした。
それに、晩ごはんが作りかけだったことなども頭によぎったのだけれど、今はそれよりも美咲を優先したいと感じていて。
「今日、一緒に寝るから。……ずっとそばで診させてください」
美咲からの返事はないだろうと思いつつ、夏弥は真摯に話し掛ける。
案の定、彼女からのお返事はない。
美咲の顔は見えないけれど、後ろのほうで息をする音だけは聴こえていた。
今なら、好きなだけ本音が言える状況だとも夏弥は思った。
「美咲のこと、好きだよ」
試しに、その想いを声に出す。
出してみると、やっぱりただそれだけでも恥ずかしかった。
けれど、あの浴室で美咲が感じていた恥ずかしさに比べたら、これはまだかわいいレベルなんだろうなと夏弥は悟った。
そう思うと、口から本音が滔々と出ていくようで。
「……大体、お前が可愛すぎるのがいけないんだ。可愛いっていうか、美咲はどっちかっていうと綺麗って感じだけど。ビジュアル的に。
……。いつも、周りには落ち着いた態度とか取ってるのに、俺の前でだけ急に可愛くなるなよ。キスしたくなったり、抱きしめたくなったりして困るだろ。
……美咲のせいで、いつもドキドキして。こっちは大変なんだよ。それと、エッ〇なことだってそうだ。裸で抱き着いてこられたら、美咲のことめちゃくちゃにしたくなるだろ。ふざけてんのかよ……」
ボソボソと、夏弥がそんな本音をもらしていると、
「……ふざけてない」
「っ⁉」
突然、後ろから美咲の声が聞こえてきたのだった。
夏弥がお風呂から出てしばらくたった午後六時過ぎ。
キッチンでいつものように晩ごはんの支度をしていると、それまでリビングのソファに座っていた美咲が立ち上がる。
美咲はダボついた部屋着、グレーの萌え袖パーカーに身を包んでいた。
夏弥が入浴してるうちに着替えたらしい。
下に何か短パンを履いているのだろうけれど、何分パーカーが大きすぎて、パッと見は何も履いていないようにさえ見えた。
そんな格好で、美咲はキッチンへとやってきて、
「んん゛っ……夏弥さん……」
「ん?」
料理をしている途中だった夏弥は、一度鍋にかけていたコンロの火を止めて振り返る。
咳払いする美咲を見て、やっぱり夏弥は気掛かりになる。
「……なぁ美咲、やっぱり…………体調悪くない……?」
「……大丈夫って……言ってるじゃん」
「……」
夏弥は美咲の言葉を素直には受け取れなかった。
なぜなら、美咲の顔色はいつもに比べてぽぉっと火照っているようで。
その綺麗な頬に、ぼんやりと熱っぽい赤が滲んでいたからだ。
「お風呂……入ってくる……」
美咲はいつもより気だるそうに話す。
大きめだったそのパーカーの袖を口元へ持っていき、途中ごほごほと咳き込んだりしていて。
病弱そうに咳き込む美咲のかよわさは、まるで幼い子供のよう。
夏弥はその姿を見て、胸が締め付けられる思いだった。
「おい……」
夏弥に背を向けて、美咲はキッチンから脱衣室へと向かう。
その足取りはふらふらとしていて、明らかに調子を崩しているとしか思えないふら付き方だった。
夏弥はその背中を見て、どうにか美咲に手を貸してあげたいと思うものの、浴室での一件もあって素直に言葉を切り出せなかった。
「……」
どう言えばいいのかわからない。
強烈なじれったさに駆られる。
(絶対無理してるよな。口ではああ言ってたけど、すごくだるそうだし……)
美咲の華奢な後ろ姿を目で追う。
いや、目だけじゃない。ほとんど無意識に、夏弥は美咲に歩み寄っていて。
そして、いよいよ彼女は脱衣室のドアを開け、入っていくのかと思いきや――――なんとそのままバランスを崩し、倒れそうになったのだった。
「あぶな――っ!」
その瞬間、夏弥は美咲の身体を捕まえる。
本当に間一髪だった。
夏弥は前のめりに倒れそうだった美咲を、後ろからぎゅっと抱きしめ、支えることができた。
倒れる寸前だった美咲は、その茶髪の頭を前にもたげてグタッとしている。
「……っ」
「……」
抱き留められた美咲は何も声を発しない。
いや、発することができなかったのだ。
全身が重たくて重たくて仕方なかったから。
さっきだって、本当はしゃべるのも少し辛かった。
夏弥が支えてくれたおかげでなんとか転倒は避けられたけれど、もう意識が朦朧としつつあって。
「美咲! 美咲……聞こえてないのか⁉」
「……ん…………はぁ……」
美咲は、夢と現実の境目にいるような、はっきりとしない意識の中にいた。
パーカー越しに抱く美咲はぐったりとしていて、こんな風に弱っている彼女を夏弥は久しぶりに見た気がした。
抱き留めた身体が熱い。
夏弥はすぐに美咲を背中におぶって、ベッドまで運ぶことにした。
「はぁ…………はぁ…………」
背中におぶっている間、美咲の荒い息遣いが聞こえてきて、それがまた余計に夏弥の気を急かす。
普段聞かない息遣いだった。
それだけ彼女が辛くて仕方ないのだということが伝わってきて、夏弥は無性に切なくなってしまう。
「夏弥……さん……」
消え入りそうな声で、美咲が夏弥の名前を呼ぶ。
「待っててくれ。すぐにベッドに運ぶから! それと…………ごめん、本当に」
浴室での一件。夏弥は美咲の体調を気遣えなかったことに後悔していた。
今更謝っても遅いのだとわかっていても、それでも美咲に謝りたくなってしまう。
「……」
美咲は霞む意識のなかで、夏弥に回していたその腕に、少しだけ力を入れていた。
◇
美咲の部屋に置かれていたクリーム色のベッドは、相変わらず優しい色合いをしている。
そのベッドに美咲を寝かせるため、夏弥は一度後ろ向きにベッドへ腰を下ろす。
背中におぶっていた美咲を下ろすため、彼女の腕をほどこうとしたのだけれど――
「美咲、腕を…………」
「…………」
美咲の腕はきっちりと固定されたまま、簡単にはほどけなかった。
風邪をひいているだろうその身体で、華奢な見た目をしたその身体で、なぜこれだけ力が入れられるのか不思議なくらい固かった。
「美咲……」
夏弥は自分のすぐ後ろをチラリと見る。
美咲は彼の背中に頭を預けていて、相変わらず「はぁ……」と荒い息遣いを繰り返しているようだった。
「……」
ただ、どれだけ力強いといっても、美咲はやっぱり女の子。
その固く組まれていた美咲の腕を、夏弥がほどけないはずもなかった。
力づくでほどこうと思えば、簡単にほどけるのだけど――
(……違う。……俺は何をやってたんだ……? 美咲の味方になってあげるって言っておいて、なんであんな接し方しかできないんだ。
恋人に迫られた時、きっと恋愛上手なアイツだったらどんな風に接するのが正解なのか知ってるんだ。俺みたいに不器用な男子と違って。もっと上手に。もっとそつなく接することができるんだよな。
…………いや、不器用なのはまだいい。まだ仕方ないことだ。……問題はそこじゃない。俺が、洋平に唯一勝ってる点だったはずの『無条件の味方論』はどこへ行ったんだよ? ……なんで俺は、美咲の気持ちを一番に考えてあげなかった?)
夏弥は、あの時浴室で美咲がどんな気持ちだったのかを想像し、さらに切なくなっていく。
(俺が恥ずかしかったように、美咲だって本当はすごく恥ずかしかったはずだ。……。それでも美咲は、こんな俺を好きでいてくれて、あんな行動に出たんだ。空回りだったとしても、なんで俺はそれを拒むような形を取ったんだ? カッコつけてるつもりかよ)
「美咲の気持ちと繋がってたい」だなんて言っておきながら、彼女を突き放すことになってしまったこと。そのことに、夏弥は悔やみだしていた。
そして夏弥は、美咲のその腕を――――ほどきたくないと素直に思った。
ポケットに入れていたスマホを取り出して、
『秋乃、ごめん。今日は美咲の体調が悪いから、相談事はまた今度にしてほしい』
秋乃宛てにそのようなラインを送った。
「……」
ラインを送って、夏弥はスマホをベッドの枕元に置く。
その後、美咲に後ろから抱き着かれた格好のまま、夏弥はベッドで横になった。
美咲と一緒に寝てみると、やけに熱くて、夏弥自身汗をかいてしまう気がした。
それに、晩ごはんが作りかけだったことなども頭によぎったのだけれど、今はそれよりも美咲を優先したいと感じていて。
「今日、一緒に寝るから。……ずっとそばで診させてください」
美咲からの返事はないだろうと思いつつ、夏弥は真摯に話し掛ける。
案の定、彼女からのお返事はない。
美咲の顔は見えないけれど、後ろのほうで息をする音だけは聴こえていた。
今なら、好きなだけ本音が言える状況だとも夏弥は思った。
「美咲のこと、好きだよ」
試しに、その想いを声に出す。
出してみると、やっぱりただそれだけでも恥ずかしかった。
けれど、あの浴室で美咲が感じていた恥ずかしさに比べたら、これはまだかわいいレベルなんだろうなと夏弥は悟った。
そう思うと、口から本音が滔々と出ていくようで。
「……大体、お前が可愛すぎるのがいけないんだ。可愛いっていうか、美咲はどっちかっていうと綺麗って感じだけど。ビジュアル的に。
……。いつも、周りには落ち着いた態度とか取ってるのに、俺の前でだけ急に可愛くなるなよ。キスしたくなったり、抱きしめたくなったりして困るだろ。
……美咲のせいで、いつもドキドキして。こっちは大変なんだよ。それと、エッ〇なことだってそうだ。裸で抱き着いてこられたら、美咲のことめちゃくちゃにしたくなるだろ。ふざけてんのかよ……」
ボソボソと、夏弥がそんな本音をもらしていると、
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「っ⁉」
突然、後ろから美咲の声が聞こえてきたのだった。
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