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064 Вячеслав
しおりを挟むどうだと言わんばかりだ。私は驚きに目を瞠った。
命には替えがきかない。それこそが動機なのだ。長い歴史のなか、私たち家族は他者の命を支配し、憎しみの城を築いてきた。創設時の志など百年の歳月によってもはや膿だ。私は膿の処理のために生き続けた。瓦解した支部の解体は、私がいくら足掻こうとも新たな憎しみを生む。
対極の答えに導く理由だが、このひとは私と同じことを考えている。胸がふるえた。星の雫が、呪われた赤い海の水面に落ち、塗りかえてゆく。
「責任があるのに死んでもいいってことは、つまり逃げですね。やる気を出してください」
「あなたね」
手の力をぬき、昴さんの腕をそっと下げさせる。このひとは愚かではない。私を生かすために無責任な言葉を並べ、傲慢な態度をとったのだ。このひとのやり方は、私より正しい。
「私がどんな罪人か知りもせず、そんなことを言って。知りませんよ」
「ご心配どうも」
「愛してる」
昴さんは怒りを解いた。驚き、頼りなく眉根を寄せ、不安そうに私を見あげる。両手で頬をつつみ上向かせ、あふれる想いを告げた。
「あなたを愛している。昴さん、愛しています」
私は禁を破った。それから、唇を重ねながら故国の言葉で愛を囁く。これまで幾度となくこっそりと犯した悪行に気づいた昴さんは、怖くなったのか涙で唇を歪めた。ふるえる手が私の手首にかかり、しかし引き剥がそうとはせず、やがて口づけに応えた。
「ヤーチビヤーリュブリュー。あなたを愛している。トゥイマイヤーリュビーマヤ。あなたに愛されて、私は、幸せです。コシュカ。私の可愛い猫さん」
愛をこめ囁くと昴さんは驚くほど素直に身を任せてくれた。黒い瞳が切なく濡れるのは、ただ肉欲のためではない。愛しあう慶びがこのひとを満たしたのだ。
私が生きたいと願うように。
薄いドレスは肌の火照りを隠そうともせず、私を煽る。私の瞳を意識した薄紫のドレス。忌々しい事に、このひとには似合わない。美しく着飾る助けにはなっても、このひと本来の輝きを引き立てる力もない。
けれど何も問題はないのだ。私が傍にいればいい。
腹部を透かす刺繍に指をかけた。小さく裂くと、重ねた唇から甘い驚きがもれる。
そのとき、邪魔が入った。しかし扉をたたく者を無視し、私は小さな穴から素肌をくすぐる。
「で、でん……」
「大丈夫。すぐにいなくなる」
「でも」
慌てふためく愛らしいひとをおさえ込み、さらに穴を広げていく。その実、支配されるのを好む私のコシュカは、布の裂かれる音に陶酔し甘い吐息で応えた。
「ラーチカ?」
扉の外に立つのは、アリョーシャだ。おそらく昴さんを拉致したことは既に承知しているだろう。室内の気配も敏感に感じ取る。愛の時間を邪魔するような無粋な弟ではない。
しかし。
「ラーチカ。僕は用があって来たんだから開けてよ。壊すよ?」
「んっ、んっ」
慌てた昴さんが私の胸を叩く。アリョーシャは日本語を用いていた。
名残惜しいが、小さな口づけを残し頬をなでつつ囁く。
「奥に」
アリョーシャとは言え、熱に潤むこのひとを盗み見されたくはない。
立ち上がり襟を直しながら、怒りを鎮める。故国の言葉で促すと、アリョーシャは開錠した。鍵を渡してあっても、やはりミーチャとは違い勝手な真似をしない。
入浴をすませたのか、髪がわずかに湿り色を深めていた。アリョーシャ自身は弟の姿で木綿のシャツとベストを着ているが、手には女性ものの服を抱えている。黒に近い深緑は男性的だが、昴さんのように芯の通った女性の強さを引き立たせるには最適だ。高名な陶磁器を思わせる白い肌にもよく似合うだろう。
「ぉわ!」
ソファーに留まっていた昴さんから珍妙な声があがった。まさかと思うと、アリョーシャの方も万事承知している風で笑みを投げた。
「先ほどはどうも」
「あ。あ」
昴さんの指が、透明な髪をはじくように顔の脇で踊る。
「ああすると盛り上がるので。僕は男ですよ」
どうやら船内を徘徊した折、対面を果たしているらしい。
アリョーシャが笑った。
「そうそう、妻でもない。弟です」
「……」
昴さんは驚きの表情で固まっている。粗忽な側面はあれど論理的なので、じき状況を把握するだろう。
アリョーシャがドレスの穴を見つける。私は静かに息を吐いた。
「ちょうどよかった」
「えっ」
行為を悟られ、昴さんは真っ赤になった。その様は、なんとも愛らしい。
「断られたときの説明をいくつか考えましたが、そうなってはもう人目に晒せないでしょう。これを着てください」
「や、いえ、そんな」
やはり、昴さんのために用意された衣装だった。
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