上 下
2 / 20

2 火祭のあと

しおりを挟む
 彼はしばらく私を見つめたままで、なにも言わなかった。
 大隊を指揮する男が作戦を練っているのだから、邪魔はできない。

 私は肘掛に手をついて、傷に響かないよう注意深く体を持ち上げた。


「帰るのか?」

「ええ」

「部屋を用意できる」

「いいえ。宿をとったから」


 机を回って彼が出てきた。
 臆する事なく、私の腕を外側からぐっと掴んで、支えてくれた。


「ありがとう」

「麻痺は?」

「ないわ。大丈夫、自分の体の事はわかってる。看護婦よ」


 背中が痛むだけで、末端神経の麻痺や譫妄はない。
 単純に、肉と筋が痛い。


「ああ。だが、君を看る人間がいないだろう」

「んー」

「鏡を見ながら自分で手当てしているのか?」

「まあ、できる限りは」

「医者を手配する。宿まで送ろう」


 そんなに構ってくれなくていいのに。

 でも、彼の友情は嬉しかった。
 家族に裏切られた私にとって、彼だけは迷わず信頼できる相手だったから。


「実際、どうやってるんだ?」

「60センチくらいの布に、清拭、消毒、塗布をさせてる。両手で斜めに持って、くるっと回すの」

「君の肩は驚くべき柔軟性を備えているな」

「取り柄のひとつよ」


 冷酷で冷徹。
 容赦なく敵を討つヨーク将軍。

 内外から恐れられる彼が、私のこめかみ辺りでくすりと笑っている。


「さあ、階段だ。ゆっくり」


 それに優しい。
 厳しい彼を恐れる看護婦は多かったけれど、私たちを守ってくれたのは、彼によって完璧に統率のとれていた彼の部隊だ。


 ──動ける者は看護婦を! 戦える者は奴らを撃て!


 敵兵ではなく、蛮族の奇襲。
 もしかすると敵国からの支援を受けていたのかもしれない。

 駐屯地が燃えた事で〈ニザルデルンの火祭〉と呼ばれるようになったあの一件は、死者を出さずに完全撤退した彼の、武勇伝のひとつになっただろう。
 それをひけらかすような馬鹿な人ではないけれど。


「……」


 静寂に包まれた彼の邸宅で、彼に支えられている。
 あの日とは違うのに、あの日の事を思い出してしまう。


「……」


 朦朧とする中で、彼が、切なそうに眉を顰めて私の頬を撫でていた。
 あれは夢ではなかった。


「食事はとれているのか?」

「問題ないわ」

「安心した。君はよく食べそうな顔をしているからな」


 私も笑ってしまった。

 玄関広間の椅子の手前、柱のところで彼は私を待たせた。
 少しの時間なら立ったままのほうが楽だと、よくわかっている。

 数分後、彼は私を馬車に乗せると、すぐ小瓶をくれた。
 軍で支給される、よく効く鎮痛薬だった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界ライフは山あり谷あり

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:688pt お気に入り:1,554

処理中です...