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16 偽りの絆から
ソーンダイク伯領からの帰り道で、私は父の逮捕を知らされた。
貴族が上の娘の死を偽装し、下の娘に結婚をさせたのだから、単純な偽装結婚。それに加え、下の娘には殺人未遂、娘婿には逮捕された中年メイドとの陰謀に対する関与が疑われている。
お先真っ暗。
3人の逮捕は、私が帰る場所を失くす事も意味していた。
「シビル」
肩が触れ、モーリスの体の厚みや熱が伝わってくる。
馬車の中で、彼に名前を呼ばれるだけで、私は不安を払拭できた。
「例の話だが、気が変わったらいつでも言ってくれ」
「継がないわ。もとより没落寸前の田舎貴族よ。むりやり女伯爵として奮闘するより、統治のうまい人に任せて私は私の仕事に生きたい」
貴族間の偽装結婚は重罪だ。
失脚する父から爵位を継いではどうかと、モーリスが言った。私ならできると、言ってくれた。でも、それは私の望む生き方ではなかった。
「あなたが名誉の戦死を遂げないよう、傍で見張らないといけないし」
少し照れながら、言ってみる。
彼は私の手を握り、興味深そうに爪の先を指の腹でなぞった。
「君が優秀な看護婦でなければ言えない事だが、私について来てくれる事を心から喜んでいる。他人から私情と嗤われようと、過去に参戦した王妃もいれば小隊を率いた女騎士もいたのだから、愛で勝利を導く伝統に則っているまでだと言ってやる」
「大丈夫。あなたに口答えする人なんていないわ。恐いもの」
私の手を慈しむ彼の手に、もう片方の手を被せ、子供をあやすように叩く。
彼に求婚されて喜びと感動に打ち震えた時、私は、ガストンを愛していたわけではなかったのだと、悔い改めざるを得なかった。婚約者として尊重し、尊敬し、慕っていたのは事実だけれど、モーリスを想う熱い愛と友情を知ってしまえば、ガストンとの間に結ばれていたのは実に乏しい絆だ。
欲望で打ち壊されても仕方ないほど、脆いものだった。
それは実の父親、そして妹との間にあった絆も同じ。
イヴォン伯領に着くと、待っていた馬車に乗り換え父の面会に向かった。寒く狭い独房で、檻の向こうから父はじっとりと私を睨んだ。
「お前など、あのまま死んでいれば、すべてうまくいったのに」
「……」
思わず言葉に詰まる。
けれど私の傍らには、モーリスがいた。
かつては母。
今はモーリス。
私は、我が身を嘆くべきではない。
愛に包まれ生きてきたのだから。
「残念だったわね」
我ながら、驚くほど冷静に返していた。
父は憎々しげに笑って目を逸らし、そして再び、私を睨む。妹と同じ表情で。だからこのあとは罵られるのだと、充分、心の準備ができていた。
「あの女そっくりだ」
母の事だろう。
「イネス」
ほらね。
「女のくせに、夫より父親を選んだ……この私ではなく他の男たちを選んだ! 汚らしい兵士を! 愛するべきは私だけのはずだったのに!!」
ああ、やだ。
なんて女々しい父親なの。
妹は父親似なんだわ、きっと。
「子供を産めば変わると信じてあんなに愛してやったのに、たった二度の妊娠で母体がどうのこうのと理屈を垂れて、後継ぎも産まずに出て行った……!」
こんな人間の血が流れていると思うと、ゾッとする。
「その顔だ……人を、馬鹿にして……その……冷たい目……っ、あの娘は違う……マーシアは可愛い娘だ……マーシアが幸せになるはずだった……私たちは幸せになるはずだったのに、お前がぶち壊したんだ……ッ!」
「ウェイン卿」
モーリスが窘めるように父を呼んだ。
でも、父の耳には届かなかった。
「家族を棄てるだけでは物足りないか!? 牢にぶち込み人生を終わらせた!! 破滅させたんだ!! 魔女めえぇぇぇッ!! 地獄へ引き摺り落とすなら好きにしろぉッ!! 地獄で会う日が楽しみだ! なあ、イネス!!」
「シビルよ」
母は父を棄てて正解だった。
誰になにを説明する必要もない。
「お父様。私は、お母様に棄てられたなんて感じた事は一度もないの。戦地で亡くなったときは、あまり一緒に過ごせなかった事がその死と同じくらい悲しかったけれどね。わかるのよ。今は。神様に与えられた尊い人生を、正しく全うしたって」
「女のくせに私を馬鹿にするのかッ!?」
「ええ」
「看護婦はそんなに偉いのかッ!?」
「たぶん、お父様よりはね」
「くそぉっ!」
お前なんか死ねばよかったんだ。
死ねば、よかったんだ。
父はそう言いながら、檻に縋って泣き崩れた。
父が掴む檻のずっと上のほうを私も掴んで、狭い隙間からじっと観察する。母は、この父を愛しただろうか。少なくとも敬意は払っていたはず。けれど限界を迎え切り捨てるまで、そんなに長い時間はかからなかった。きっと。
でも、母は家族を棄てて逃げたのではない。
私を導いてくれた母は、命の尊さ、人生の意味、そして愛を教えてくれた。
「なにかが違えば、私も同じように思ったでしょうね」
「いったいお前はなんなんだ……ッ」
「さあね。わからないわ」
「呪いか……!? 地獄から、私を罰しているのか!?」
「安心して。地獄にお母様はいないから」
「私がなにをしたっていうんだ……ッ! こんな仕打ちを……なぜ……ッ!!」
心底、ふしぎ。
母がこんな男と結婚してしまった結果に生まれた命が、あのニザルデルンでモーリス・ヨークを救ったのだから。この男がいなければ、私の愛する人は死んでいた。人格に関係なく、どんな命も尊い。その命の生まれた意味も、散る意味も、神様は等しく備えている。
父との絆が現在進行形で壊滅しているというのに感動も覚えていたら、酷い悪態が耳に滑り込んだ。
「イネス……あの、アバズレめ……ッ!」
「──」
私は檻を蹴り、モーリスの腕を掴んで足早に監獄から撤退した。
私を見ると思い出して呪うなら、二度とこの顔は見せない。見せるものか。
あんな男、母には相応しくない。
貴族が上の娘の死を偽装し、下の娘に結婚をさせたのだから、単純な偽装結婚。それに加え、下の娘には殺人未遂、娘婿には逮捕された中年メイドとの陰謀に対する関与が疑われている。
お先真っ暗。
3人の逮捕は、私が帰る場所を失くす事も意味していた。
「シビル」
肩が触れ、モーリスの体の厚みや熱が伝わってくる。
馬車の中で、彼に名前を呼ばれるだけで、私は不安を払拭できた。
「例の話だが、気が変わったらいつでも言ってくれ」
「継がないわ。もとより没落寸前の田舎貴族よ。むりやり女伯爵として奮闘するより、統治のうまい人に任せて私は私の仕事に生きたい」
貴族間の偽装結婚は重罪だ。
失脚する父から爵位を継いではどうかと、モーリスが言った。私ならできると、言ってくれた。でも、それは私の望む生き方ではなかった。
「あなたが名誉の戦死を遂げないよう、傍で見張らないといけないし」
少し照れながら、言ってみる。
彼は私の手を握り、興味深そうに爪の先を指の腹でなぞった。
「君が優秀な看護婦でなければ言えない事だが、私について来てくれる事を心から喜んでいる。他人から私情と嗤われようと、過去に参戦した王妃もいれば小隊を率いた女騎士もいたのだから、愛で勝利を導く伝統に則っているまでだと言ってやる」
「大丈夫。あなたに口答えする人なんていないわ。恐いもの」
私の手を慈しむ彼の手に、もう片方の手を被せ、子供をあやすように叩く。
彼に求婚されて喜びと感動に打ち震えた時、私は、ガストンを愛していたわけではなかったのだと、悔い改めざるを得なかった。婚約者として尊重し、尊敬し、慕っていたのは事実だけれど、モーリスを想う熱い愛と友情を知ってしまえば、ガストンとの間に結ばれていたのは実に乏しい絆だ。
欲望で打ち壊されても仕方ないほど、脆いものだった。
それは実の父親、そして妹との間にあった絆も同じ。
イヴォン伯領に着くと、待っていた馬車に乗り換え父の面会に向かった。寒く狭い独房で、檻の向こうから父はじっとりと私を睨んだ。
「お前など、あのまま死んでいれば、すべてうまくいったのに」
「……」
思わず言葉に詰まる。
けれど私の傍らには、モーリスがいた。
かつては母。
今はモーリス。
私は、我が身を嘆くべきではない。
愛に包まれ生きてきたのだから。
「残念だったわね」
我ながら、驚くほど冷静に返していた。
父は憎々しげに笑って目を逸らし、そして再び、私を睨む。妹と同じ表情で。だからこのあとは罵られるのだと、充分、心の準備ができていた。
「あの女そっくりだ」
母の事だろう。
「イネス」
ほらね。
「女のくせに、夫より父親を選んだ……この私ではなく他の男たちを選んだ! 汚らしい兵士を! 愛するべきは私だけのはずだったのに!!」
ああ、やだ。
なんて女々しい父親なの。
妹は父親似なんだわ、きっと。
「子供を産めば変わると信じてあんなに愛してやったのに、たった二度の妊娠で母体がどうのこうのと理屈を垂れて、後継ぎも産まずに出て行った……!」
こんな人間の血が流れていると思うと、ゾッとする。
「その顔だ……人を、馬鹿にして……その……冷たい目……っ、あの娘は違う……マーシアは可愛い娘だ……マーシアが幸せになるはずだった……私たちは幸せになるはずだったのに、お前がぶち壊したんだ……ッ!」
「ウェイン卿」
モーリスが窘めるように父を呼んだ。
でも、父の耳には届かなかった。
「家族を棄てるだけでは物足りないか!? 牢にぶち込み人生を終わらせた!! 破滅させたんだ!! 魔女めえぇぇぇッ!! 地獄へ引き摺り落とすなら好きにしろぉッ!! 地獄で会う日が楽しみだ! なあ、イネス!!」
「シビルよ」
母は父を棄てて正解だった。
誰になにを説明する必要もない。
「お父様。私は、お母様に棄てられたなんて感じた事は一度もないの。戦地で亡くなったときは、あまり一緒に過ごせなかった事がその死と同じくらい悲しかったけれどね。わかるのよ。今は。神様に与えられた尊い人生を、正しく全うしたって」
「女のくせに私を馬鹿にするのかッ!?」
「ええ」
「看護婦はそんなに偉いのかッ!?」
「たぶん、お父様よりはね」
「くそぉっ!」
お前なんか死ねばよかったんだ。
死ねば、よかったんだ。
父はそう言いながら、檻に縋って泣き崩れた。
父が掴む檻のずっと上のほうを私も掴んで、狭い隙間からじっと観察する。母は、この父を愛しただろうか。少なくとも敬意は払っていたはず。けれど限界を迎え切り捨てるまで、そんなに長い時間はかからなかった。きっと。
でも、母は家族を棄てて逃げたのではない。
私を導いてくれた母は、命の尊さ、人生の意味、そして愛を教えてくれた。
「なにかが違えば、私も同じように思ったでしょうね」
「いったいお前はなんなんだ……ッ」
「さあね。わからないわ」
「呪いか……!? 地獄から、私を罰しているのか!?」
「安心して。地獄にお母様はいないから」
「私がなにをしたっていうんだ……ッ! こんな仕打ちを……なぜ……ッ!!」
心底、ふしぎ。
母がこんな男と結婚してしまった結果に生まれた命が、あのニザルデルンでモーリス・ヨークを救ったのだから。この男がいなければ、私の愛する人は死んでいた。人格に関係なく、どんな命も尊い。その命の生まれた意味も、散る意味も、神様は等しく備えている。
父との絆が現在進行形で壊滅しているというのに感動も覚えていたら、酷い悪態が耳に滑り込んだ。
「イネス……あの、アバズレめ……ッ!」
「──」
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