猫のもの語り         ~猫探偵社 始動編~

猫田 薫

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第十章 兄弟

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「兄貴はいいよなぁ。自分の会社で、好きなようにやってさ。会社を立ち上げたときだって、親父に資金出してもらって、グループから仕事回してもらってさ。傘下企業じゃないから、気ままにできて、羨ましいよ」
「それを言うなら、おまえこそだろ。親父に医学部まで行かせてもらって、今や美容外科医院の院長様じゃないか。スタッフも何人も抱えて、自分は経営に専念してるって噂だぜ。しかも、経営は奥さん任せで、広報までやらせてるって聞いたぞ? 完全に左うちわじゃねえか。フェラーリにまで乗って。俺も昔は夢見たよ、バブルの頃なら“成功者”ってイメージだったけどさ……今じゃ高級車は社内でも株主にも敬遠されるってんで、せいぜいベンツ止まりだよ」
「兄貴のほうが余裕あるように見えるけどなあ……俺なんて、もう財布のひもは嫁が完全に握ってるし、自分で使える金なんてほとんどないんだよ。なあ、兄貴……少し貸してくれない? いい投資話があってさ。倍にして返すからさ、頼むよ」
「もう、ふたりとも。いつまでそんなこと言い合ってるの? 勝之兄さんの会社、順調だって聞いてるわよ? グループの中でも評価されてるって」
「全然だよ。バブル崩壊してから、もうさっぱり。新しい事業が育たなくて、グループ企業の案件がもっと欲しいくらいだ。毎年成長率出さないと、株主が煩いんだよ。由紀子から頼んで、グループ企業にもっと仕事回してもらえないか?」
「洋之兄さんの医院、ちょっと噂聞くけど……大丈夫なの? 高額治療ばかり勧めて、ローンまで組ませてるって。強引な商法だって、知り合いが言ってたわ」
「いや、それは……俺じゃないって。嫁がやってるんだよ。広告出すにも金がかかるし、その分の患者数がいないと回収できないんだ。ライバルも多いしね」
「まあ、とにかく……お父様に感謝すべきよね。私たち全員、何かしら手を差し伸べてもらったおかげでここにいるんだから」
「おまえが一番いいよな。ホールディングスを握って、オーナーとして悠々自適。子どもたちも巣立ったし、これからは何をするんだ?」
「これからねー好きなことだけして生きようと思ってるの。覚えてる? 京子ちゃん。昔お手伝いに来てくれてた子。彼女と一緒に、猫の保護活動でも始めようかと思ってるの」
「猫か……うちの会社でもペット事業あったな。ちょっと検討してみようかな」
「うちにも猫好きの患者、けっこう来るよ。動物病院でも始めてみるかな……」
「私ね、もう仕事やめるの。これからは、猫たちと一緒に暮らすの」
――兄妹三人で、めずらしく顔をそろえた夜だった。テーブルに静かに赤ワインが揺れていた。そのグラスの余韻が消えた頃――
「由紀子が亡くなった」と聞いたのはそれから数か月後だった。

---
【勝之 事情聴取】
「ご多忙のところ、ご足労いただき恐縮です。あくまで簡単な事情確認ですので、緊張なさらずに」
刑「事さん、妹の由紀子はどうして、誰に殺されたんですか。彼女、これからは好きなことだけして生きたいって言ってたんです。猫と穏やかにそれなのに……」
「我々も、現在その真相を調べている最中です。ちなみに、由紀子さんが亡くなった夜、どちらにいらっしゃいましたか?」
「その夜は仕事でした。取引先との会食があって、銀座の寿司屋で食事をして、その後クラブへ。最終的にタクシーで帰宅しました。秘書に聞いていただければ同行者も、立ち寄った店も確認できると思います。まさか、私が疑われてるんですか?」
「いえ、ご協力に感謝しております。あくまで全関係者の事件当夜の行動を確認しておりまして。ところで、その右手の包帯、どうなされたんですか?」
「ああ、これですか。先週末、友人宅で友人の飼い猫に。私、猫が苦手でして、こちらから近づいたら、“シャーッ”って威嚇されて、猫パンチされたんですよ。あれ、怖いですよね。まいりました。」
「実は私も、動物は少々苦手でして。妹さんのお宅にも猫がいたようですが、ご存じでしたか?」
「ええ、一匹飼っていたとは聞いています。でも、実際には見たことがないんですよ。家へ行っても、どこかに隠れていて、姿を見せなかったので」
「なるほど失礼ですが、私はてっきりその猫に引っかかれたのかと」
「違います違います、本当に、別の友人宅の猫でして。もう、よろしいでしょうか。会社へ戻らなければならないので」
「はい、本日はこれで結構です。ご協力、感謝いたします。
またご連絡を差し上げることがあるかもしれませんが、その節にはよろしくお願いいたします」
「刑事さん、犯人を見つけてください。妹のためにも。協力は惜しみませんので、いつでも連絡してください。仕事の都合がつく限り、ご協力しますので、では、私はこれで失礼します」

---
【洋之 事情聴取】
「どうぞお入りください。狭い部屋で恐縮ですが、こちらしか空いておらず。お忙しいところ、本日はありがとうございます。
今回は、由紀子さんの件で簡単に確認を……」
「ああ、はい。由紀子って、なんで殺されたんですか?犯人は誰なんです?なんか……京子さんがやったって、ニュースで見ましたけど」
「現在も取り調べ中でして、真相は捜査継続中です。ちなみにその夜、ご自宅にはいらっしゃいましたか?」
「えっ……俺が疑われてる? 由紀子とは……仲良くはなかったけど、別に悪くもなかったし、全然会ってもいないし」
「疑っているというより、全員の事件当夜の行動の確認を進めている段階です。ご協力いただければと思います。」
「ええと、あの夜は、そうだ、友人の家で飲んでました」
「どちらのご友人ですか?その方に確認を取らせていただいてよろしいでしょうか?」
「病院関係の知り合いで女性なんですけど。妻には内緒にしてもらえませんか、刑事さん」
「必要最小限で対応いたします。お電話番号を伺っても?」
「わかりました、これです。穏便に、お願いします」
(刑事、背後の捜査官にメモを渡し、確認の指示を出す)
「ちなみに、その首元の傷ですが?」
「ああ、これ。彼女の家の猫に引っかかれてしまって。撫でようとしたら“シャーッ”って。まあ、軽い引っ掻き傷ですけど」
「猫、怖いですもんね。急に近づくと、警戒されますよね。」
(数分後)
「警部、確認取れました。彼はその夜、女性と一緒にいたとのことです」
「ありがとうございます。これで本日の聴取は終了です。
またのご協力をお願いすることがあるかもしれませんが、その際はよろしくお願いいたします」
「あの、ほんと、刑事さん、いつでも協力しますので、私のプライバシーだけは守ってくださいね。妻には内緒で頼みますよ。では、私はこれで失礼します。さようなら。」


朝――。
マリンに顔を舐められて目が覚めた。どうやら、お起しに来てくれたらしい。
めずらしく二度寝もせず、軽く朝ごはんを食べて、身支度を整えると、ベスパにまたがり斎藤家へと向かう。
メイとジュン――あの2匹が、待っている。
「メイちゃん、ジュンくん、来たよ~」
玄関の鍵を開け、そっと声をかける。
まずは窓を開けて、室内の空気を入れ替える。
網戸はしっかり閉めておかないと、2匹がぴょんと飛び出してしまうかもしれないから。
朝のルーチン。ごはんを入れ、水を替え、トイレを掃除する。
メイはドライフードが好きで、カリカリと小気味よい音をたてて食べる。
ジュンはウェット派。お皿を置くと、しっぽを揺らしながら上機嫌で食べ始めた。
最後に、トイレの掃除。
固まった砂とフンをスコップで取り除き、匂いの出ない袋に入れて結ぶ。
部屋に漂う静かな満足感。――これで、ひととおりの世話は完了。
「よし。あとは、遊ぼうか」
猫じゃらしを取り出すと、2匹は瞳をまんまるにして飛びかかってくる。
俊敏な足取り、小さな爪音、跳ねる毛玉。
ほんのひととき、1人と2匹だけの静かで健やかな時間が流れていった。
――事件のことなんて、忘れてしまいそうなほど。
けれど、彼らの“ご主人さま”である斎藤さんは、いまも警察で取り調べを受けている。
そして、彼女の無実を証明する鍵は、まだ行方知れずの“マーちゃん”――マルコ。
彼を見つけなくてはならない。
そして、彼の記憶を辿ることができれば……きっと、なにか“見落とされている真実”に触れられるはず。
……でも、猫の証言なんて、誰が信じるのだろう。
私が猫と話せる? そんなこと、証拠にもならないし、ましてや裁判なんて。
――頭が痛くなる。
でも、考えていても仕方がない。
とにかく、今はマルコを見つけること。
その先のことは、きっとあとからついてくる。
「ごめんね、メイ、ジュン。また遊ぼうね」
私はそっと2匹の頭をなでて、立ち上がった。
ベスパに戻り、ヘルメットをかぶる。
マリンの待つ自宅へ、もう一度アクセルを開く。
さあ――探偵業、ふたたび再始動だ。
---
私は再びスクーターにまたがり、ヘルメットをかぶる。
私はベスパを走らせ、急ぎ自宅へ戻った。マリンと合流するために。
家に着くと、マリンは丸くなって窓辺でくつろいでいた。
目が合うと、彼女は尻尾をふわりと一振りし、起き上がった。
「マルコ探し、再開にゃ?」
「うん。2匹のお世話も終わったし、いよいよ本腰を入れて探しに行こう」
マリンは大きく伸びをすると、後ろ足でリュックのチャックを“カン”と叩いた。
―用意はできている、という合図。
スクーターに乗り込んだ私たちは、マルコが逃げたと思われる方角へと向かった。
マリンはゲージの上から顔を出し、小さなゴーグル越しに外の景色を真剣に見つめている。
風を切りながら進むその表情は、まるでプロの探偵のようだった。
「マリン、昨日言ってた“鳥たちの証言”って、もう少し詳しく聞かせてくれる?」
「にゃ。庭の木にいつも来て巣を作ってるメジロが言うには、事件の夜、マルコは音に驚いてサッシから飛び出して、そのまま塀を越えて東の茂みに隠れたらしいにゃ。その後、数羽のスズメが近くの公園の植え込みで彼を見かけたって言ってたにゃ」
「それって……あの商店街近くの公園かも」
「可能性高いにゃ。でも、そこだけじゃなくて、近くに野良の集会所があるらしいにゃ。夕方になると、猫たちが集まって情報交換をしてるみたいにゃ」
「野良猫ネットワーク……やっぱりすごいな。行ってみよう」
午後の光が少しずつ傾き始めていた。
その柔らかな日差しの中、ベスパは静かに角を曲がる。
この街のどこかで、マルコは不安な気持ちで身をひそめているかもしれない。
そして、あの夜に見た“何か”の記憶が残っているかもしれない。
「マリン、ひとつお願いがあるの。……マルコを見つけたら、できるだけ優しく伝えて。
“もう怖くないよ”って。私たちは敵じゃないから」
「当たり前にゃ。あいつが安心しないと、きっと話してくれないにゃ。ああ見えて、繊細にゃのよ」
スクーターは公園前の小さな坂を登り、緩やかに停止した。
静かな午後、木々がざわめき、小さな足音がどこからか聞こえた気がした。
マルコ――。
あなたは、この街のどこかで、なにを見て、なにを想っているの。
そして、あの夜――なにが起きたの?
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