猫のもの語り         ~猫探偵社 始動編~

猫田 薫

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第十二章 娘

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母にとって、私は“いい娘”ではなかったと思う。
子どもの頃は、母が大好きだった。優しくて、美人で……こんな素敵な人が“自分のお母さん”であることが、とても誇らしかった。
友達にも、よく自慢していた。母と私は、まるで姉妹のようだった。あるいは――とても仲の良い友だちのように。
でも、私が大きくなるにつれ、母の口からは“小言”が増えていった。
あれをしなさい、これもできるようになりなさい、こうしろ、ああしろ……
母はきっと、私を“一人前の女性”に育てたかったのだろう。
でも、時代は変わる。やらなくていいことも、増えていく。
私は裁縫が苦手だった。アイロンがけも好きじゃなかった。
炊事に洗濯、家事全般――“良妻賢母”という言葉の呪縛には、とてもなじめなかった。
それはもう、昭和の価値観だと思っていた。
父は、そんな私を叱らなかった。
いつも静かで、優しくて、そして――とても博識だった。
ニュースや世界情勢のことをわかりやすく話してくれる父が、私は好きだった。
私は、父と話す時間が、大好きだった。
でも――ある日、父は突然いなくなった。
心筋梗塞。
母が見つけたときには、もう手遅れだったという。それから、母との距離はますます遠くなった。
もし、母がもう少しだけ父に気を遣っていれば。
もし、日々の変化にもっと気づいていれば。
――もしかしたら、父は助かっていたかもしれない。
そんな想いが、ずっと心に巣くっていた。
兄たちは、母の味方だった。
私が母に怒りをぶつけても、「どのみち助からなかった」と静かに遮ってきた。
父の葬儀には家族がそろったけれど――
母の葬儀には、私は参列しなかった。
喪主は兄だった。滞りなく終わったとだけ、あとから聞かされた。
私は母と、最後まで顔をあわせることはなかった。
……
考え事をしながらあるいていると気がつけば、警察署の前に立っていた。
ドアを押して中に入り、受付に連絡のあった刑事の名を告げると、すぐに担当者が姿を見せた。
「すみません。ご足労いただいて……お母さまの件で、少し確認したいことがありまして。お時間をいただけますか」
「はい。事件の直後にすべてお話したつもりですが……何か、進展が?」
「捜査の過程で、新たな確認事項がいくつか出てきまして。
それと…以前の時に少し気になったのですが、お聞きできていなかったんですが、その首の絆創膏と腕の包帯はどうされたんですか?」
「あ、これは……生徒と遊んでいたときに、やんちゃな男子が投げた枝が当たってしまって。
ちょっと擦り傷と打撲で……。目立ちますよね。保健室の先生が処置してくれたんですけど」
「そうでしたか。それは、事件の“あと”のことですか?」
「はい、あとです。つい最近のことです」
「ありがとうございます。では改めて、以前と重複するかと思いますが――事件当夜の行動をお聞かせください」
「……またですか? まさか、私が疑われているわけでは――」
「いえ、あくまで確認です。ご協力いただければ」
「……わかりました。
あの日は、学校での仕事を終えて帰宅し、自炊して夕飯を食べたあと、授業用のプリントやテスト採点、生徒たちからのデジタル提出物に目を通していました。
作業は深夜までかかって、寝たのは1時頃だったと思います。
一人暮らしなので、直接証明してくれる人はいませんが、コメントをつけたタイムスタンプを確認すれば……たぶん、自宅で仕事をしていたことはわかるかと」
「ありがとうございます。そちらはすでに確認が取れておりますので、再確認にすぎません。失礼いたしました。
……お兄様方のお話でも、お母さまとは疎遠だったと伺っております。ご実家はお住まいから近いようですが、なぜ会われなかったのですか?」
「母と私は……どうしても、性格が合わないのです。
会えば言い合いになってしまうし、互いに気分が悪くなるくらいなら、距離を置いたほうがいいと思って。
母も、私が来ないほうが気が楽だったと思います。それに、実家には兄たちの家族が頻繁に来ていて……私は独身のままで、紹介できる相手もいなくて、まだ家庭を築くことができていなかったですし……正直、肩身が狭かった。
そんな兄たちの家族と一緒に過ごすのも、つらかったんです。」
「そうでしたか……これは嫌な事をお聞きしてしまいましたね。失礼をお許しください。
では最後に、お母さまが“猫”を飼っていたとのことですが、実は事件以来その姿が確認されていません。
本当に猫はいたのでしょうか?」
「はい。キジトラのオス猫が一匹……。母はとても可愛がっていました。
私も、家にまだいた頃、あの猫が子猫としてやってきた日のことは覚えています。
でも、それが今も同じ猫だったかどうかは……もうわかりません。母は猫好きでしたから、新たに迎えていたかもしれません」
「なるほど。貴重な情報です。ご協力、ありがとうございました。
また必要があればご連絡いたしますので、その際はよろしくお願いします」
「はい、仕事の都合がつけば、いつでも……。ありがとうございました」
……
警察署を出ると、母の事を思い出していると、また涙が流れてきた。
あまり“悲しい”と考えたことはなかったのに……どうしてだろう。
私の、どこからこの涙は湧いてくるのだろう。
そう思いながら、夕暮れの道を歩いた。
住宅街には夕餉の香り。
駅前の人波は、仕事帰りの人たちの群れとなって、自分と反対の方向へ流れていく。
駅へ向かう途中、商店街のお肉屋さんでコロッケを買った。
晩ごはんは昨日の残りものと、このコロッケ。
家に帰り、食事をすませ、明日の授業の準備を終えて、風呂に入り、
ベッドに入る頃には――夜空に、大きな月が浮かんでいた。
その光は、母のいる場所まで、届いているのだろうか。
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