猫のもの語り         ~猫探偵社 始動編~

猫田 薫

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第十三章 マルコの保護

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愛車の赤いベスパのエンジンをかけ、マリンとともに家を出た。
斎藤家の猫たち――メイとジュンのお世話はすでにすませてきた。
だから時間をたっぷり使って、マルコの捜索に集中できる。
今日は、彼の逃走から経過した日数と猫の行動範囲をもとに、これまでのエリアを少し外れた広域の探索を予定していた。
「マリン、お昼はここでね。……えーっと、どう時間を伝えようか……」
「遥香、大丈夫にゃ。私は時計が読めるにゃ。餌の時間も、街角の時計を見ればわかるにゃ。じゃあ、あとでにゃ」
そう言ってマリンは、すっと塀を越えて姿を消した。
さて。私はどこから探そう。
まずは隣町の商店街で聞き込みをはじめようとしよう、作ってきたチラシも配ろう。人の多い場所なら、何か情報が得られるかもしれない。
ベスパを商店街の駐輪場に停め、チラシを手に店を一軒ずつ訪ねて歩く。
「すみません。この猫、ご覧になったことありませんか?」
「さあねえ、最近は猫自体あまり見かけなくなったよ。
昔は野良にも優しい人が餌をやってたけど……今じゃ近所も厳しくてね。特に糞尿被害にあった家は、神経質になってるから」
「……そうですか。ありがとうございました」
確かに、猫たちの自由は年々奪われている。
人間だって環境を汚しているくせに、弱いものにだけ厳しくあたるのは―少し、切ない。
商店街の店をひととおり回り終えた。もう少しでお昼だけど、まだ少し時間がある。
裏手の路地を覗いてみることにした。日の当たらない涼しい路地裏――猫たちが身を潜めるには、ちょうどいい場所かもしれない。
何本かの細い路地を歩く。
猫の姿はない。代わりに、丸々太ったネズミが石の間を駆け抜けていった。
猫よりも、ネズミが幅をきかせる時代。
飲食店から出る生ゴミを食べ、天敵もいなくなった裏路地は―彼らの王国だ。
最近の猫たちは、ネズミを追わない。
人間が与えるフードに慣れすぎて、もはや“捕食”ではなく“観察”の対象なのだろう。
そして今では、ネズミの方が―猫を怖がらせるほどに強くなっている。
そんなことを考えていると、ふいに横の軒下から声がした。
「おまえかい。この界隈で猫を探しているっていうのは」
目をやると、大きな白黒斑の猫。太く、低い声。瞳の奥に光る鋭さ。
どうやら、この路地の“顔役”らしい。
あたりを見回すと、路地の角々から、ちらちらと猫たちが様子をうかがっている。
「この猫を探してるの。名前はマルコ。キジトラ柄のオス猫。数日前、飼い主の家からいなくなって、戻っていないの。
頼まれて、探しているのよ」
「……人間のくせに、俺らの言葉がわかるのか? 本当に“人間”かい? それとも―何者だ?」
その時、近くの飲食店の勝手口が開く音がして、猫たちは一斉に身を潜めた。
ボス猫も塀の上へ跳び上がる。
「その猫、この界隈にはいない。
このあたりは俺の縄張りで、仲間の動きはすべて把握している。
仲間にも聞いたが、“マルコ”なんて奴は知らねぇ。―あばよ」
そして、すっと塀の奥へ姿を消した。
気づけば、周囲にいた猫たちの気配もなくなっていた。
「……ありがとう」
小さく呟いて、腕時計を見る。
まずい、待ち合わせの時間だ。急がないと。
私は、商店街脇の公園へと走った。
……
公園に戻ると、マリンはベンチの上でちょこんと待っていた。
「遅くなってごめん。商店街で聞き込みして、路地裏で猫を探してたら――」
「遅いにゃ。これはペナルティにゃ。おやつ、増量希望にゃ。
でも、情報あったにゃ。キジトラ柄の猫を見たという奴がいたにゃ。
川沿いの叢で見たらしいにゃ。午後はそこへ向かうにゃ」
「河原……そうね。そっちは盲点だった。商店街近辺には、いないってボス猫も言ってたわ」
「ボス猫と話したのかにゃ? すごいにゃ。よく話してくれたにゃ。」
「向こうから来て、話しかけてくれた。たぶん、普通の人が見たら、ただ猫ににゃあにゃあ威嚇されてる風にしか見えないかもね。傍から見たら私、猫に話しかけているおかしな子にしか見えないかもね。気を付けないと。あと、気を付けないとと言えば、このあたりは野良猫に冷たいみたい。糞尿問題で保健所が入って、だいぶ“間引かれた”らしいの。マリンも保健所に気をつけて」
「にゃ。だからマルコは川の方にいるのかもにゃ。ご飯を食べたら、向かうにゃ」
「私もあとから追いかける。歩いてゆくからちょっと遅れると思うけど、マリンもケータイ使えたら便利なのに……。
今度、弟に猫用通信機の件、相談してみる。あいつなら作ってくれるかも。機械オタクだからレシーバーみたいなのなら作ってもらえるかもね。」
「ごちそうさまにゃ。じゃあ、先に行ってるにゃ。遥香は後から来るにゃ。」
マリンはふわりと身を翻すと、塀から塀へと影のように飛び移っていった。
「……猫って、いいな。身軽で。私も、もうちょっと運動しなきゃ」
残ったお弁当箱とマリンの皿を片づけて、私は歩いて川を目指した。
……
住宅街を抜けると、視界がふわりと広がった。
堤防の上の道、その向こうには、土と草の匂いをまとった河原。
晴れた空には、気持ちのいい風が吹いている。
ああ、なんて心地いい。
私は大きく深呼吸をして、川沿いを見渡した。
向こう岸には住宅や工場、小さな倉庫。
右手には橋があり、その橋脚の下、ちょうど日陰が広がっていた。
――なんとなく、気になった。
そのとき、遠くから何かが聞こえた。
言い争うような、荒れた猫の声。
耳を澄ます。コンクリートの橋の下――音が反響し、会話がはっきりと聞こえてくる。
「おまえは誰だ。ここは俺の隠れ場所だ。近づくな」
「あなたは……マルコじゃないの? 探していたの、ずっと……あなたを」
「なぜ、俺の名前を知っている」
「私はマリン。迷子猫を探す探偵のお手伝いをしてるの。あなたのことを依頼されて探していたの。
あの日、あなたのご主人が……事件に巻き込まれて。……それから、ずっと姿が見えくなったから探してほしいと頼まれて。」
「ご主人様は無事なのか?俺はあの日から帰っていない。今はどうなっている?俺は怖くてあの屋敷にはもう帰れない。」
「残念ながらあなたのご主人さまは亡くなったわ。あの家にはもう誰も住んでいないの。可哀そうにずっとここにいたのね。いったい何があったの?」
「あぁ、亡くなった。ご主人様が・・・あの日、ご主人さまが何者かに襲われた。俺はご主人さまを守ろうと戦ったけれど、弾き飛ばされ、あわてて外に逃げた。後ろでご主人様が倒れるのが見えた。それからあの家には帰っていない。ずっと、この河原で隠れていた。」
「マルコ、悪いようにはしないから、私たちと一緒に来てくれない。この街は猫に優しくないからこの場所も安全とは言えないわ。捕まって保健所に連れて行かれてしまうと飼い主のいないあなたは処分されてしまうかもしれない。もうすぐ私のご主人さまがここに来るわ。そうしたら、一緒に帰りましょう。その後はどうなるかは戻ってからのことだけど、今より悪いようにはならないわ。保護猫活動をしている人達もいるし。あたらしいご主人にも出会えるかもしれないし。」

私は声をかけずに、そっと橋の下に足を踏み入れた。
マルコは一瞬、こちらを警戒したように身を縮めたが、マリンがそばで静かにうなずくと、その身体の緊張がわずかにほどけた。
「マルコ、一緒に帰ろう」
私は、できるだけゆっくりと優しい声で呼びかけた。
「何があったか、あとでゆっくり話してね。絶対に悪いようにはしない。私が約束する。
保護してくれる人もいるし、新しい家だってきっと見つけられる。大丈夫、怖くない」
マルコのしっぽが、ゆっくりと揺れた。
そして、少しだけ私に近づいてきた。
「なぜ、俺はお前と話ができるのか……わからないにゃ。なぜ、お前は俺たちの言葉がわかるんにゃ。そして、言葉が通じるのはぜにゃ。」
「えーっと、それについてはですね。私も説明ができないんだけど、マリンや他の猫とも話ができるから、私は猫と話ができる能力があるみたいなの。だから、あなたの話も聞いてあげられる。あの日に何があったかも、そして、あなたがどうしたいかも聞いてあげられるから、あなたの希望を叶えてあげられると思うの。今回はあなたのご主人さまだった人の友達から依頼を受けてあなたを探しているのよ。」
「わかったにゃ。俺はあなたに身をあずけるにゃ。マリン、いいかな。よろしくお願いしますにゃ。」
「マルコ、その方がいいわ。一緒に帰りましょう。」
「うん。そうしよう、マルコ」
私はマルコを静かに抱き上げ、胸のあたりにそっと抱えた。
彼の身体は思っていたよりも軽く、そして、驚くほど静かだった。
マリンは、その様子を満足そうに見つめてから、くるりと踵を返した。
「じゃあ、あたしは後ろからついていくにゃ。今日はいい仕事だったにゃ」
……
帰り道、商店街の路地の奥で、あのボス猫がちらりとこちらを見ていた。
私が手を振ると、プイッとそっぽを向いて塀の影へと消えていった。
思わず、小さく笑みがこぼれた。
そして私は、マルコとマリンをそっとキャリーに入れ、公園からスクーターで家へと戻った。
母はきっと驚くだろう。
でも大丈夫。今回は“依頼主の飼い猫を保護した”という名目で、しばらく家で預かるつもりだ。
この後どうするかは、マルコの声を聞きながらゆっくり考えよう。
私の目の前に広がるこの世界は、人間だけのものじゃない。
そう、猫たちの声が聞こえるなら―きっとまだ、新しい世界に手が届く。
ひと仕事を終えた満足感。
マルコが無事に見つかった安堵。
そして、“あの弁護士さん”に私の仕事ぶりを見せられる誇らしさ。
ベスパが風の間をすり抜けていく。
私は、心からの充実感とやさしい緊張感を胸に、夕暮れの街を走った。
夕日が、川面にきらきらと跳ね返っていた。
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