猫のもの語り         ~猫探偵社 始動編~

猫田 薫

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第十五章 匂いと記憶の連鎖反応

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「斎藤さん、こんにちは。しばらく面会に来られず申し訳ありません。
体調はいかがですか? なにか不当な扱いなど受けていませんか?……少しお痩せになったようですが、食欲はありますか。もし何か召し上がりたいものがあれば、差し入れを準備しますよ。拘留中でも、たいていの食べ物は可能ですので」

「お気遣いありがとうございます、小田切先生。
大丈夫です。警察の方々も親切にしてくださっていますし、雑な扱いを受けたこともありません。
体重が少し落ちたのは、食事のせいでしょうね。署のご飯しか食べられないし、間食もしていないので……むしろ健康的に絞れた感じです。
私は元気です。……でも、猫たちはどうしているのでしょう。あの子たちに会えていなくて……心配で、心配で……」
「ご安心ください。猫たちは元気ですよ。加賀美さんが、ペットシッターとして毎日きちんとお世話してくれています。
ただ、彼女曰く、猫たちは“あなたがいなくて寂しがっているそうです。いや、これは彼女の感想かもしれませんが、「猫たちがそう言っている」そうです。まるで動物と話ができるかのようなことを言うんですね。不思議な方です。」
「……そう、ですか。そう言ってくれたんですね。きっと、加賀美さんは本当に猫たちと話ができるんだと思います。
あの2匹を家出先から連れてきてくれたときだって、“それぞれの言い分”を私に伝えてくれて、なぜ出て行ったのかまで教えてくれたんですよ。それを聞いて、猫たちの希望通りにしてみたら、本当に落ち着いてくれたんです。猫の保護活動をしていると、たまにいらっしゃるんです。
人にはわからない場所に隠れている猫を見つけ出したり、猫の行動の理由を理解してしまうような人が。……でも彼女はもっと。まるで“会話”してるみたいで……」
「なるほど、そこまで……。そうそう、ご報告が遅れましたが――ご依頼のあった“マルコ”ちゃん、見つかりました。加賀美さんが無事に保護して、現在は自宅で預かってくれています」
「……マルコちゃんが……よかった……あの子も怖かったでしょうね。由紀子さんと、最後に一緒にいたのは、マルコだったから…………私、家に戻れたら……マルコを引き取ります。保護猫として新しい飼い主を探すこともできると思うけれど、あの子はもう若くないでしょうし、なにより――由紀子さんの猫だから。私が引き取るのが、いちばん正しいと思います。」
「わかりました。加賀美さんに伝えておきます。……そろそろ、斎藤さんもご自宅に戻れるよう動いています。拘留期限切れも近いですし、起訴はされなさそうです。証拠不十分になるでしょう。なにかあれば署の方に伝えてくだされば、私に連絡が入るようになっています。では、今日のところはこのへんで。あ、なにか食べたいもの、ありましたか?」
「……恥ずかしいのですが、ドーナツが食べたいです。お砂糖のついた甘いやつ。……すみません」
「ふふ、了解です。ドーナツですね。甘いの。次回、必ず持ってきますよ」

---
昼休みのチャイムが鳴ると、校庭から子どもたちが教室へと戻ってくる。
「先生、なんかいい匂いしてる~。オレンジ系?」
香りに敏感な男子生徒が私の香りに気づいて聞いてくる。
「それ、柑橘系の香りって言うんだよ。男の子たちは本当になんにも知らないんだから。先生、柑橘系の香水つけてる?私はお花の香りが好きなんだぁ。」
香りが好きな女子生徒が得意げに男子生徒に話しかける。
「そうね。これは柑橘系の香りよ。よくわかったわね君たち。」
この柑橘系の香りは父がよくつけていたオーデコロンの香り、私はなんとなくその香りが好きだった。
この香りをかぐと心が落ち着いて気分がよくなる。少し苦みを含んだ爽やかな甘さ。
それは、私の大好きな父がよく使っていたヘアトニックの香り、アフターシェーブローション、オーデコロン……。
父がそばにいるとき、いつもその香りがした。
だからこの香りに触れると、私は不思議と心が落ち着いた。
女性がつけるには少し重たいと言われたりもするけれど、私は学生時代からこの香りが好きで大人になっても、私はごく少量のオーデコロンを、化粧水とスキンミルクのあとにそっと重ねる。この香りで疲れがとれて気分がリフレッシュする。
誰かに香らせるためじゃなく、自分のために。
私は香りの強い香水は苦手で、スキンケアに近い形で香るものの方が好きだ。あくまで“気配のように寄り添う香り”が好きだった。
でも、今は職場では香りさえも気をつけなくてはいけない。
香水の香りにアレルギーのある生徒、強い香水の香りをさせる教師にアレルギーのある保護者も多い。たとえ清潔感を意識していても、匂いにはとても神経を使う。
清潔感は大事だし、演出としてそれをまとうと子供達はそれに敏感に反応するからとても大切なファイクターだと私は思っている。
最近は少なくなったけれど、タバコの匂いのする教師にはご勘弁願いたいと思う。最近の子供達はタバコの匂いにも敏感でそんな先生には嫌悪感すら抱いている。愛煙家の先生たちはほんとうに大変な時代だと思う。小学生ならまだしも、高校生ぐらいになるとあなたも吸ってますよねと言わんばかりに生徒達が先生を責め立てることもあると聞く。昭和とは違う不寛容な時代なのだと思う。
でも――週末の婚活パーティーぐらい、少し香らせてもいいかもしれない。


その夜、洗面所でマリンが突然くしゃみをした。
「うえぇっ、だめにゃ! この匂いはキツいにゃ。鼻が、鼻が痛いにゃ~~」
「……ああ、お父さんが使ってるヘアトニックの匂いね。柑橘系。
猫や犬にはきついんだよね。私はペット探偵だから付けてないけど、人間は体臭が気になるから……」
「にゃぁぁ、私はこの家から出てくにゃ……! もし遥香が香水なんかつけはじめたら、耐えられないにゃ……!」
「……ごめんって。でも、人に会うときは少しくらい香りがあったほうが――」
そのときだった。
横で静かにしていたマルコが、はっと顔を上げた。
視線が、何かを思い出すように一点を見つめる。
そして瞳を見開き――震えるような声で、言った。
「……しゃーっ……この匂いだにゃ。
あの夜……あいつの体から漂っていた匂い、これと同じにゃ……!」
「マルコ……思い出したのね? 犯人のことを?」
「そうにゃ……俺のご主人さまが倒れたとき、そこにいた奴から、同じ香りがしたにゃ。
この、柑橘の匂いにゃ……俺は、確かに嗅いだにゃ」
「ご主人さまと暮らし始めた頃、この匂いを嗅いだ記憶もあるの? ってことは、その人物は以前からあの屋敷にいた……?」
「そうにゃ。ある時期から、ぴたりとこの匂いは消えたにゃ。
ご主人と二人きりになってからは、嗅がなくなったにゃ」
私は息を呑んだ。
つまり――マルコは“その人物”を知っていた。
そして“その匂い”に再び触れたとき、記憶が目を覚ましたのだ。
「でも……どうやって、それを証明すればいいの……
私は猫と話せるなんて、誰も信じてくれないし……この証言だけじゃ、証拠にはならない……」
「そうにゃ。そもそも、人間は猫の言葉を理解しないにゃ。
遥香が“猫の言葉を話せる”という方が、もっと信じてもらえないにゃ」
私は首を振りながら、スマートフォンを手に取った。
「……でも、言うだけ言ってみる。小田切先生になら。
彼なら、ちゃんと受け止めてくれると思う」
---

「もしもし、小田切先生、加賀美です。
今、お電話よろしいでしょうか。斎藤さんの件で、お伝えしたいことがあって……」
「おお、加賀美さん。こんにちは。いろいろ猫の世話、ありがとうございます。
……はい、大丈夫ですよ。ちょっと待ってくださいね、いま会議室に移動します――はい、どうぞ」
「ありがとうございます。まず、お支払いいただいた件、確認できました。
斎藤さん宅の猫たちのお世話2週間分と、西園寺家のマルコくんの保護費用、どちらも入金ありがとうございます」
「それはよかった。手続きどおりですね」
「それで、ひとつご相談というか、お伝えしたいことがありまして……マルコくん、あの夜―事件当夜、犯人の“匂い”を覚えていたんです」
「……匂い? どういう意味ですか?」
「ええと……ちょっと変な話かもしれませんが―うちの父が使ってるヘアトニック、柑橘系の香りなんですが、それにマルコが過敏に反応して……」
「過敏に?」
「はい。目を見開いて、“この匂いだった”って……あの日、ご主人が倒れたとき、犯人の体からこの匂いがした、と」
「……なるほど。つまり、柑橘系の香りと犯人とに結びつきがある、と。猫の嗅覚は鋭いから、記憶に残る可能性は十分にある。……その香りって、具体的にどんな?」
「オレンジ系のオーデコロンやヘアトニックに多い、ビターで甘い香りです。人間には心地いいですが、猫にはきつすぎることもあります。だからマリンも嫌がって、洗面所から逃げ出してしまって」
「……それでマルコが反応したのですね。それ、興味深い話ですよ。もちろん“証拠”にはならないかもしれないけど、状況証拠として調べる価値はあります」
「そう思って、ご連絡しました。斎藤さんは猫好きですし、日頃からそういう香りは使っていなかったはずです。それにあの子が匂いを嗅いだ相手は、ご主人とふたりで住んでいた頃―最初のころ、家にいた人物のひとり。途中からその匂いは家からなくなったそうです。だから、“一時期だけ出入りしていた人物”がいた可能性もあるのではと思って……」
「うん、わかりました。この話、警察には一応共有してみます。“動機”や“足取り”に合致する人物が香りで絞り込めるようなら、可能性として調べる価値はある。
警察がどこまで乗ってくれるかはわかりませんが、僕の方でも探ってみますね。貴重な情報をありがとうございます。」
「こちらこそ、ありがとうございます。斎藤さんが、メイやジュンの待つおうちに、一日でも早く戻れますように」
「……ええ、僕もそう願ってます。あ、あと―もしかするとその“香り”に関する確認で、西園寺さんの猫に警察まで来てもらう必要があるかもしれません。その時はお願いします。」
「わかりました。そのときは私が同伴します。マルコも慣れてきましたし、大丈夫だと思います。」
「ありがとう。助かります。では、また改めて連絡しますね」
---
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