神饌の戴冠者Ⅰ・Ⅱ

綴咎

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第四章 ハイドロの殺人鬼

5悲しき化け物

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 コネクターには小さな天使がいた。
 小さくて、乳白色の、黄金の輪を描いたように輝く髪を持つ小さな小さな天使がいた。
 小さな天使は甘栗色の柔らかな髪を持ち、小さな手で口元を隠しながらコロコロと笑う子であった。ボロボロな服が似合わないほど可愛い、小さな小さな天使。劣性の民という烙印を押されていても、気にならなくらいにはコネクターは日々を幸福に生きていた。

 ちょっとだけ意地悪な兄と、そして己と、小さな小さな天使のような妹。

 世界にあるのはそれだけでいいと思っていた。
 思い出すのは、手を引いて街を歩いた日々、抱っこして外の世界を教えた日々。
 そう言う柔らかい記憶ばかりを思い出すのは、今の自分が惨めで仕方なかったのだろう。

 よくある悲劇であった。
 悲劇的で、それでいて観客がいれば喜びそうな話であった。

 これは、小さな天使を失い悪魔に命を売った。殺人鬼の話である。

 小さな天使に会ったのはとても寒い時期のことだった。同じくストリートチルドレンであった兄と共に今日の食べるものを神殿へもらいに行こうかと足を進めた時、おぎゃおぎゃという声が聞こえた。コネクターはどんな魔物かと声のある方へと行くことを拒んだ。けれども兄が「あれはかつてのお前だよ」と言ってきて、その意味がわからないまま、コネクターは兄の後ろをついてその声のする方へと行った。

 そこにいたのはシワクチャで小さな怪物のような得体の知れない生き物。

 思わず兄に「本当に自分はこれほど恐ろしい生き物だったのか?」と聞いてしまうほど、コネクターはその生き物が醜悪に見えた。
 そんなコネクターをよそに兄はその物体に近づいて、それを腕に抱き寄せた。あまりにも唐突な行為に止めることができない。兄は楽しそうに笑いながら、体を揺らしてまるでその生き物の機嫌を取った。

「ほら、おいでコネクター。ちゃんと見るんだ。その目でちゃんとがどう生まれてきたのか」

 兄の言葉にコネクターは絶句する。
 劣性の民。神に見放された存在。その誕生。確かにこの姿を見て仕舞えば劣性の民、ヒトではない生き物と呼ばれても仕方がないのだろうと兄の腕の中を覗き込みながらコネクターは思った。
 廃材や捨てられたゴミ、腐敗した香りがする路地裏で、呆然というようにコネクターはただ立つことしかできない。

「劣性の民はね。ヒトの腹を膨らませて生まれてくるんだ。優生の民のようにセウズ神が一から創造するのではなく、こうして優生の民から寄生するようにして生まれてくるんだ」
「じゃあ、俺もこんな風に生まれたのか?」
「何度も言っただろう。俺もお前も同じように優生の民から寄生して生まれたんだ」
「こんなに弱っちそうなのに?」
「そんなお前を助けてやったのが俺だ」

 じゃあ、その子も助けるの?
 コネクターは兄にそう聞いた。その時にはコネクターは兄が肯定することをなんとなく理解していた。けれどどうしても頷いて欲しくなくって、そんな薄い希望を胸に兄にそう聞いたのだ。

「ああ、助けるよ。劣性の民は神が創造した優生の民とは違って助けがないと生きていけないから」
「そんな汚いのに?」
「綺麗とか汚いとかはないよ。ほら指を出してごらん。この子の前に向けてみな」

 兄の言葉にコネクターは恐る恐るという様に人差し指を出した。
 その間も不気味なようにおぎゃ、おぎゃと叫ぶ生き物を前に、ゆっくりゆっくり差し伸べた。そうすると不思議なことにそのシワクチャな生き物が叫び声を止めて、コネクターの指に注視した。
 それからおっかなびっくりのように差し出していたコネクターの指をその小さな手で握りしめて、それからキャラキャラと笑う。

「わぁ」

 それに感嘆の声をあげたのはコネクターだった。
 先ほどまで怪物に見えていたそれが、今では可愛い天使のように見えていた。自分の指を握り返す小さな手が、キャラキャラと笑う声が、そんな声が綺麗で、それでいて可愛くて。

 そんな様子のコネクターを見た兄は嬉しそうに笑ってからコネクターの両手にそれを渡す。
 それほど重さわないと思っていたコネクターは突如腕に乗ったその重みに大袈裟に体を動かして受け止めるような姿勢をとった。

「じゃあ、俺は配給をもらってくるから、だからお前はその子と一緒にいてあげな」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ兄さん!」

 慌てるコネクターをよそに兄は神殿の方へと向かってしまう。
 それを呆然としてみるコネクターは不意に腕の中でもぞもぞと動いたそれに視線を向けた。蜂蜜色のとろりとした瞳、少しだけ生えた甘栗色の髪。その腕の子はコネクターに必死に両手を伸ばしている。それがなんだかもどかしくて、コネクターずいっと顔をそれ――赤ん坊に近づけた。

 そうするとふくふくとした手でコネクターの頬に触れる。

 それからまたキャラキャラと笑って、それがなんだか嬉しくって、愛おしくって、そうしてコネクターはこの子を天使だと思った。

 それから流れる時間は瞬きのように早かった。
 初めにコネクターを「にぃにぃ」と呼んだ時は感激でしばらく動けなかった。
 初めてひとりで歩けるようになったときはその成長とふらつき加減が心配でいつも目が離せなかった。
 ご飯を一人で食べれるようになって、丸い頬が赤くなっていくのを見るのが好きだった。

 青亜白い太陽が登って月が顔を出し、また青白い太陽が登って、そうして日が経つにつれて少女になっていく姿を見て頭が痛くなるほど涙を流したのを覚えている。

『ねぇお兄ちゃん。お兄ちゃんは私のことが好き?』
『好きだよ。何かあったら絶対守ってやるって思えるくらい大好きだよ』
『ねぇお兄ちゃん。見て、あの花綺麗よ』
『ほんとうだね。もっと近くで見てみようか』
『ねぇ、お兄ちゃん。ずっとずっと大好きよ』

『お兄ちゃんも、大好きだよ』

 あの日は、青白い太陽が天上へと登った良い天気のときだった。
 コネクターの小さな天使が登った木から落ちてしまって、背中を打ったとき。

 コネクターは必死に兄の元へと妹を担いで行った。
 そして、意識の戻らない妹を自分のベッドにもならない布を引いただけの場所に横にさせて、どうしようどうしようと兄に縋り泣いていた。
 兄はすぐに「神殿のヒトを呼んでくる」と冷静にいって、けれどコネクターはそれでは遅いと思ったのだ。小さな天使の小さな胸の動きがゆっくりと弱るのを見て、そこが動けば妹は返ってくると思って、それでコネクターは必死にそこを押したのだ。両手の掌で、必死に押して、そしたら天使の息が戻ってきた。

 ああ、神様。

 よかった。そう思ったのは一瞬だった。
 兄は手に持っていたナイフでコネクターの天使を殺した。
 あまりにも唐突で、あまりにも理不尽で、全ての記憶が巻き戻って喉を枯らす。口から漏れ出たのは叫び声。気がつけば兄を押し倒して、兄に刃を向けていた。

 どうして、

 どうして、どうして、どうして。

 どうして殺したんだ。どうしてあれだけ愛していたのに、それは兄も同じなのに、それなのにどうして。

「医術は禁忌だ」

 そう言った兄に呆然とする。
 医術とは、先ほどの何が医術というのか、息を吹き返してもらうために必死に行った事をなぜ禁忌と呼ばれなければならなかったのか、どうしてそれほどまで簡単に命を奪えるのか、その動揺のせいでコネクターは顎を殴られて道端に捨て置かれた。
 兄は全力疾走で神殿に行って、禁忌を犯したものがいると言った。
 そして、そしてそして、そうして

 兄とコネクターそれから小さな天使と共に生きた村は本物の神殿の天使によって業火の中に消えた。

 『ねぇ、お兄ちゃん。ずっとずっと大好きだよ』

 もう天使はいない。
 コネクターに天使はいない。まるで泡沫の夢のように消えて、コネクターは涙の中、その「どうして」を聞くために、天使を抱いたその手で天使を殺したナイフを持ったのだ。
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