【完結】真実の愛に気付いたと言われてしまったのですが

入多麗夜

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浮かび上がる影

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「こっちです! 外に出ました!」

 ミリアの声が夜の静寂を裂くと同時に、文庫棟の非常口から兵士たちが次々と飛び出していく。足音が石畳を叩き、闇の中に響いた。

 その頃、邸の本館にいたレティシアとヴァルトロフも、異変に気づいていた。

「……火光。あれは、文庫棟か」

 ヴァルトロフが窓辺から外を見やり、低く呟く。闇に包まれた庭の奥、普段は灯りの落ちている文庫棟の一角に、提灯の明かりがいくつも瞬いている。

「向かいましょう。誰かが動いたとしたら、あそこです」

 レティシアは即座に立ち上がり、ヴァルトロフも無言で後に続いた。

 一方、官吏執務区の前を巡回していたカイルもまた、異変に気づく。

「……あれは、文庫棟の方角か?」

 目を細めて暗がりを見やり、即座に判断を下す。

「奴が現れたのは、あっちか……!」

 手にしていた杖を強く握りしめ、夜道を駆け出す。彼の足取りは重くも、迷いがなかった。

 今まさに、“何か”が動いていた。全員の意識が、ひとつの場所――文庫棟へと集中していた。

 逃げる黒い影は、低く姿勢をかがめ、茂みの影へと身を滑らせていた。兵士の提灯がそれを追うように揺れ、足音と「そっちだ!」「回り込め!」という声が夜に重なる。

 文庫棟の裏手――普段は人の通らぬ物資搬入口のあたりで、男は一度だけ振り返った。

 顔は見えなかった。だが、手にしている文書らしき束と、その足の運びには、明らかに“慣れ”があった。素人の挙動ではない。

「逃がすな! 囲め!」

 ヴァルトロフの声が夜に響く。彼自身が先陣を切るように、庭石を飛び越えながら文庫棟裏手へと向かう。レティシアもまた、その後に続いていた。

「左を押さえて! 逃げ道は二つだけです!」

 エディンの指示に応じて、兵士たちは左右から一気に包囲にかかる。誰かが笛を鳴らし、応援の兵が屋敷から追加で駆けつけてくる。

 闇の中、男の息遣いが近くなった。だが、追跡の輪は確実に狭まっていた。

 ――そして。

 男は最後の逃げ道に賭け、物資搬入口の脇をすり抜けて駆け出した。草を踏みしだく音、乱れる息、提灯の光がわずかに遅れてそれを追いかける。

 しかし、その瞬間だった。

 闇の天井――文庫棟の屋根の上から、鋭く風を裂く音がした。

「……そこだッ!」

 屋根の上から勢いよく飛び降りてきた影――それは、カイルだった。

 若い体躯が軽やかに宙を舞い、男の前に着地するや否や、その勢いを殺さずに体ごとぶつかるようにして進路を塞ぐ。

 男は避けきれず、バランスを崩して転倒。後頭部を石敷きに強く打ち、短い呻きを漏らしてその場に蹲った。

「っ、やった……!」

 カイルは地を蹴る勢いのまま膝をつきつつ、すぐさま身構えたが、敵はもう動かなかった。手にはまだ文書が握られていた。

「拘束を! すぐに!」

 すぐ後ろから駆けつけた兵士たちが、男に縄をかけ、文書を回収する。ミリアとエディンも息を切らしながら追いついた。

「……すごい、あんな高さから……」

 呆気にとられるミリアに、エディンも感嘆を漏らす。

「流石だね、カイル。あんな飛び降り方、僕には無理だよ」

 エディンが目を見開きながらそう言うと、カイルは肩で息をしながら苦笑した。

「飛び降りたっていうか……落ちたっていうか。タイミングが良かっただけさ。運が味方しただけだよ」

 それでも、その瞳は緊張の中に確かな覚悟を湛えていた。

「文書、回収できたんだよね?」

 ミリアが確認するように声をかけると、後ろで縄を締めていた兵士のひとりが小さく頷いた。

「はい、こちらに。落とさずに持っていたようです」

 そう言って手渡された文書束を、カイルが慎重に受け取る。封は乱れていたが、内容までは確認されていない様子だった。

「とにかく、無事で良かった……」

 ミリアが胸をなでおろす。だが、エディンの表情はまだ引き締まったままだ。

「問題は、こいつが“誰なのか”だ。なぜ、あの文書を狙ったのか……そして、どこへ持ち出そうとしていたのか」

 その言葉に、三人の間に再び沈黙が落ちる。

 夜の帳の下、男の呼吸だけが、微かに聞こえていた。風が、木々の枝葉を静かに揺らす。

 やがて、ヴァルトロフとレティシアの姿が、暗がりの中から現れる――。

 兵士たちが男を拘束し、文書の束を回収する間も、夜の空気はまだ張り詰めていた。
 レティシアは肩で息をするカイルの元に歩み寄り、静かに問いかける。

「怪我は?」

「いえ、大丈夫です。少し……足に響きましたけど」

 苦笑気味に答えるカイルに、レティシアはそっと目を細める。
 その横で、ヴァルトロフが腕を組み、感心したようにうなずいた。

「中々の跳躍力だな。瞬時の判断といい、たいしたものだ。うちに来て欲しいくらいだ」

 冗談とも本気ともつかぬ声に、カイルは一瞬だけきょとんとし、それから姿勢を正して言った。

「過分なお言葉に感謝します。ただ、俺は――レティシア様の行末を守る者ですので」

 その言葉に、ヴァルトロフの目が細まる。口元には、わずかに笑みが浮かんでいた。

「……なるほど。ならば、その忠誠、そう易々と奪うわけにもいかんな」

 レティシアもまた、静かに頷いた。
 風が過ぎ、木々の葉がささやく音が、ようやく夜の静けさを取り戻していく。

「連行を。尋問は、夜明けを待ってからにしましょう」

 ヴァルトロフがそう命じた時、男を乗せた馬車が静かに文庫棟を離れていくところだった。

 夜はまだ明けていない。
 だが確かに、新たな展開を迎えようとしていた。
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