【完結】真実の愛に気付いたと言われてしまったのですが

入多麗夜

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国境を超えて

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 東の空がまだ淡くにじむ頃、アルンヘルム東部自治州の屋敷前には、早くも数人の影が集まっていた。

 馬のいななき。車輪の軋み。
 旅支度を整えた馬車が、朝靄の中で静かに待機している。
 その周囲には、護衛を務める兵たちと、随行の補佐官たちの姿があった。

「確認完了。装備よし、荷物の積み込みよし。……馬車の車輪も問題ありません」

 カイルが短く報告する。
 昨夜の打ち合わせを受け、彼は既にすべての点検を終えていた。

 一方、ミリアは朝からやけにテンションが高かった。

「よーし、よしよし、完璧です!」

 誰に言うでもなく、自分の荷袋を確認しながら小さく拳を握るその姿は、まるで遠足前の子どもそのものだった。

 無理もない――彼女にとって、今回の視察は人生で初めての“外国”なのだ。
 公国とはいえ、国境を越えて異なる文化と制度に触れるのは、書類の中でしか世界を知らなかった彼女にとって、大きな出来事だった。

 「ミリア。お前、少し落ち着け」

 カイルが苦々しく言葉をかけるも、ミリアは明るく笑いながら首を振る。

「無理ですよ。こんなの、緊張するより楽しんだほうが絶対得です!」

 彼女の手には、小さな手帳と書き慣れた羽根ペン。
 「気づいたことを何でも書くんです」と昨夜から意気込んでいたのを、皆が覚えている。
 
 そんなミリアの様子に、他の兵士たちもつられて小さく笑みを浮かべていた。
 重い責務を抱えての遠出であるにもかかわらず、彼女の明るさが空気をわずかに軽くしているのは確かだった。
 
 と、そのとき。

 屋敷の正面扉が静かに開いた。
 朝靄を割って姿を現したのは、薄灰の外套に身を包んだレティシアだった。

  「……お待たせ」

 ごく短いその一言に、場の空気がきりりと引き締まった。

 エディンが一歩前に出て、手にした旅程表を掲げる。

「出発準備、すべて整っております。予定どおり、午前中に国境を越え、日没前にはヴァルドリア本街へ入れる見込みです」

 レティシアは軽く頷き、視線を一巡させた。
 その目は、ひとりひとりの顔を確かめるように動く。

 カイルはいつも通り、静かに頷くだけだったが、どこか口元が引き締まっている。
 ミリアはというと、緊張と興奮が入り混じったような笑顔で、何か言いたげに肩をすくめていた。

 「……行きましょうか」

 レティシアがそう告げると、エディンが馬車の扉を開いた。

 まだ薄い霧が街路に漂う中、視察団は静かに、しかし確かな足取りで動き始める。

 それは、国境を越える旅。
 だが同時に――ローゼンという自治州が、外の世界と対等に向き合う、初めての訪問だった。



 ◇



 馬車が石畳をゆっくりと進み出すと、通りに残っていた靄が車輪の通ったあとにさざ波のようなゆらぎを残した。

 街門を越えた先には、春まだ浅い原野が広がっていた。
 風は冷たいが、土の匂いにどこか柔らかさがある。
 農地を抜け、低く波打つ丘を越えた先に、境界の森が遠く霞んで見えていた。
 
 ミリアは向かいの席で、ふわっと小さな欠伸を噛み殺しながら、首をかしげた。

「ねえ、ヴァルドリアって、やっぱり全然違うんでしょうか。建物の形とか、道の作りとか、服の色とか……」

 「文化的な違いはあるでしょうね。でも、そこに暮らす人間の悩みは、案外似たようなものかもしれないわね」

 レティシアは窓の外に視線を戻しながら答えた。

「通りが暗い、道がぬかるむ、治安が不安――どこの国にも、似た声があると思うの。問題は、その声にどう応えているか」

「……そっか。だから見に行くんですね」

  ミリアは少し目を細め、手元の小さな旅手帳を開いた。

「私も何か気づいたこと、ちゃんと書き残しておきますね!ローゼンに持ち帰る“お土産”になるように」

「心強いわね」

 レティシアの声は柔らかく、けれどどこか誇らしげだった。

 こうして彼らは、国境の向こうに広がるまだ見ぬ街へと、静かに歩みを進めていく。

 数時間の道のりの後、視察団の一行はローゼンとヴァルドリアの国境地帯に差し掛かっていた。

 街道はやがて森に包まれ、木々の間から差す光が、馬車の屋根に斑模様を落としていく。

 警戒のため、隊列は自然と引き締まり、カイルが先頭に立って進路を確かめていた。
 やがて森を抜けた先、控えめな石造りの門が見えてくる。
 それがヴァルドリア公国の国境監視所だった。

 とはいえ、そこに威圧的な兵の姿はなかった。代わりに、紋章の入った軽鎧をまとった数名の兵士が、穏やかな表情でこちらの接近に気づく。

「ローゼン自治領からの視察団ですね。ようこそ、ヴァルドリア公国へ」

 先頭の兵士が、馬を降りて一礼する。
 その所作は軍人らしい節度を保ちつつも、どこか柔らかい空気を帯びていた。

 カイルが礼を返し、通行許可証を差し出すと、兵士たちは丁寧に目を通し、特に問題もなく通過を許可した。

 馬車が再び動き出す。

 こうして一行は、正式にヴァルドリア公国の領内へと足を踏み入れることとなった。
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