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ヴァルドリア公国
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門を越えてなお、ヴァルドリアの街は静かだった。
初めて踏み入れる異国の街。けれど、視察団に注がれる視線は少ない。
ちらりと馬車を見やる者はいても、誰も立ち止まらず、何も言わない。
「……警戒も、ないのね」
レティシアが思わずこぼした言葉に、エディンが小さく頷いた。
「こういった来訪は、そう珍しくないのかもしれません。――よそ者が通ることに、慣れている街です」
馬車が街路を進む中、ミリアは窓辺に身を乗り出すようにして、左右をきょろきょろと見渡していた。
「……すごい。なんだか、全部“そろってる”って感じですね」
声には驚きと、少しの戸惑いが混じっていた。
建物の高さ、壁の色、並んだ窓の位置まで、どこか計ったように整っている。
ローゼンの雑多でにぎやかな街並みに慣れた目には、それが不自然なほど静かに映った。
そんなミリアに、レティシアが静かに言葉を返す。
「ここは商業の中心地なのよ。あらゆる物流がここを通り、西から東、東から西へと運んでいくの」
その説明に、ミリアは目を丸くする。
「じゃあ……この道も、物や人がいっぱい通る場所なんですね」
「ええ。だからこそ、道幅が広く、交差点も整っている。倉庫や宿舎も規模が大きいでしょう?」
窓の外には、通り沿いに建てられた白壁の建物が続いていた。
どれも統一感のある造りだが、出入り口が多く、奥行きのある構造がちらりと覗く。
「流れを滞らせないために、街自体が“効率”を基準に組まれているのよ」
レティシアの視線は、建物の配置だけでなく、そこを行き交う人々の動きにも向けられていた。
人の流れは一定で、足を止める者はほとんどいない。通りには露店もなく、決められた場所以外でのやり取りは避けられているようだった。
「……“街として整っている”って、こういうことなんですね」
ミリアが感嘆とも困惑ともつかない声でつぶやく。
窓の外に広がる風景は、ただ整備されているというより、“完成している”という言葉がふさわしかった。
街路、建物、導線、商業区域と居住区の配置、交通の分離。すべてが揃っている。
ヴァルドリア公国がこの形を築き上げるまでに、すでに百年以上の歳月が積み重なっているという。
市政も、街の運営方針も、数十年単位で段階的に積み上げられてきたものだ。
その最終形――都市という単位がひとつの“仕組み”として機能する、その極地が今、目の前にある。
レティシアはふと、自分たちのローゼンを思い出す。
未だ道半ば。制度も整備も、まだようやく“基礎”を築き始めたばかりの段階だ。
よくこのヴァルドリアが、自分たちのような新興の自治領と同盟を結ぶ気になったものだと、改めて思う。
だが――考えてみれば、そうした形で話が進んだのも、ローゼンという名が持つ“響き”の力による部分も大きいのかもしれない。
たとえ王国から離反した地であろうとも、そこはかつて帝国の影響下にあった文化圏であり、交易路の要所であり、何より「ローゼン」という名前には歴史があった。
商人も貴族も軍人も、その名を聞けば、少なくとも一度は地図の上に思い浮かべる場所。政治的な新しさとは裏腹に、外から見たときの印象には一定の“格”が伴っている。
それは決して、レティシア個人の力だけでは得られないものだった。
彼女が率いることになったこの土地に、もともと蓄積されていた過去と、地域としての記憶それが、“対等な交渉相手”としての説得力を自然と備えさせたのだ。
ヴァルドリアはそれを、慎重に見極めた上で招いた――
そう考えると、ただの善意や友好の証ではなく、当然の結果であることもまた、明白だった。
◇
馬車が街の中心部へと差しかかる頃には、空は少し赤みを帯び始めていた。
陽はまだ高く残っていたが、建物の影が長く伸び始めている。
中央広場には、幾何学模様に敷かれた石畳と、低く整えられた街路樹が美しく並んでいる。
広場の奥には重厚な建物が構えられていた。正面の門には、公国の紋章が刻まれた鉄製の装飾が施されている。
馬車が止まり、扉が開かれる。
先に降りたカイルが周囲を確認したあと、レティシアが静かに馬車を降りた。
その動きに合わせるようにして、一人の少年がゆっくりと歩み寄ってくる。
銀白の髪が淡い光を受けて揺れた。
赤と金のクラシカルな制服に身を包み、帽子をきちんと被ったその姿は、小柄ながらきちんと整っていた。
年の頃は十三、いや、十四といったところか。華奢な体つきで、その顔立ちはどこか中性的な印象すら漂わせている。
少年は立ち止まり、深く一礼した。
「ようこそお越しくださいました。ぼくは、都市管理局よりまいりました案内係、ユーリと申します!」
やや幼さの残る声だったが、その口調には丁寧さと真剣さが込められている。
「長旅、お疲れだったことと思います。お荷物、お持ちいたしますね!」
そう言って、背伸びするようにして荷の一部に手を伸ばすその姿は、ひたむきで健気だった。
一生懸命に務めを果たそうとしているのが、言葉にせずとも伝わってくる。
レティシアはその様子に少し目を細め、柔らかく言葉を返した。
「ありがとう。けれど、大きな荷は兵に任せて。案内をお願いできるかしら?」
「はいっ、もちろんです!」
ぱっと表情を明るくした少年は、真っ直ぐな視線でレティシアを見上げた。
その瞳には、どこかまぶしさにも似た敬意と憧れが混じっていた。
「それでは、こちらへどうぞ。庁舎の中にはすでにお部屋をご用意しております。簡単なご案内のあと、そちらでおくつろぎいただけます」
そう言ってユーリは、小さく体をひねりながらレティシアたちを先導する。
姿勢は正しく、歩幅は控えめ。けれど、その一歩一歩が妙に几帳面で、彼なりに“正しく務めよう”としているのが伝わってくる。
庁舎の入口までの間、石畳を踏みしめる彼の足取りは軽やかで、赤と金の制服が風にふわりと揺れた。
やがてユーリが建物の前で足を止め、丁寧に振り返る。
「皆さま、ようこそヴァルドリア中央庁舎へ。どうぞ、こちらよりお入りください」
一同は、扉の向こうへと姿を消したのであった。
初めて踏み入れる異国の街。けれど、視察団に注がれる視線は少ない。
ちらりと馬車を見やる者はいても、誰も立ち止まらず、何も言わない。
「……警戒も、ないのね」
レティシアが思わずこぼした言葉に、エディンが小さく頷いた。
「こういった来訪は、そう珍しくないのかもしれません。――よそ者が通ることに、慣れている街です」
馬車が街路を進む中、ミリアは窓辺に身を乗り出すようにして、左右をきょろきょろと見渡していた。
「……すごい。なんだか、全部“そろってる”って感じですね」
声には驚きと、少しの戸惑いが混じっていた。
建物の高さ、壁の色、並んだ窓の位置まで、どこか計ったように整っている。
ローゼンの雑多でにぎやかな街並みに慣れた目には、それが不自然なほど静かに映った。
そんなミリアに、レティシアが静かに言葉を返す。
「ここは商業の中心地なのよ。あらゆる物流がここを通り、西から東、東から西へと運んでいくの」
その説明に、ミリアは目を丸くする。
「じゃあ……この道も、物や人がいっぱい通る場所なんですね」
「ええ。だからこそ、道幅が広く、交差点も整っている。倉庫や宿舎も規模が大きいでしょう?」
窓の外には、通り沿いに建てられた白壁の建物が続いていた。
どれも統一感のある造りだが、出入り口が多く、奥行きのある構造がちらりと覗く。
「流れを滞らせないために、街自体が“効率”を基準に組まれているのよ」
レティシアの視線は、建物の配置だけでなく、そこを行き交う人々の動きにも向けられていた。
人の流れは一定で、足を止める者はほとんどいない。通りには露店もなく、決められた場所以外でのやり取りは避けられているようだった。
「……“街として整っている”って、こういうことなんですね」
ミリアが感嘆とも困惑ともつかない声でつぶやく。
窓の外に広がる風景は、ただ整備されているというより、“完成している”という言葉がふさわしかった。
街路、建物、導線、商業区域と居住区の配置、交通の分離。すべてが揃っている。
ヴァルドリア公国がこの形を築き上げるまでに、すでに百年以上の歳月が積み重なっているという。
市政も、街の運営方針も、数十年単位で段階的に積み上げられてきたものだ。
その最終形――都市という単位がひとつの“仕組み”として機能する、その極地が今、目の前にある。
レティシアはふと、自分たちのローゼンを思い出す。
未だ道半ば。制度も整備も、まだようやく“基礎”を築き始めたばかりの段階だ。
よくこのヴァルドリアが、自分たちのような新興の自治領と同盟を結ぶ気になったものだと、改めて思う。
だが――考えてみれば、そうした形で話が進んだのも、ローゼンという名が持つ“響き”の力による部分も大きいのかもしれない。
たとえ王国から離反した地であろうとも、そこはかつて帝国の影響下にあった文化圏であり、交易路の要所であり、何より「ローゼン」という名前には歴史があった。
商人も貴族も軍人も、その名を聞けば、少なくとも一度は地図の上に思い浮かべる場所。政治的な新しさとは裏腹に、外から見たときの印象には一定の“格”が伴っている。
それは決して、レティシア個人の力だけでは得られないものだった。
彼女が率いることになったこの土地に、もともと蓄積されていた過去と、地域としての記憶それが、“対等な交渉相手”としての説得力を自然と備えさせたのだ。
ヴァルドリアはそれを、慎重に見極めた上で招いた――
そう考えると、ただの善意や友好の証ではなく、当然の結果であることもまた、明白だった。
◇
馬車が街の中心部へと差しかかる頃には、空は少し赤みを帯び始めていた。
陽はまだ高く残っていたが、建物の影が長く伸び始めている。
中央広場には、幾何学模様に敷かれた石畳と、低く整えられた街路樹が美しく並んでいる。
広場の奥には重厚な建物が構えられていた。正面の門には、公国の紋章が刻まれた鉄製の装飾が施されている。
馬車が止まり、扉が開かれる。
先に降りたカイルが周囲を確認したあと、レティシアが静かに馬車を降りた。
その動きに合わせるようにして、一人の少年がゆっくりと歩み寄ってくる。
銀白の髪が淡い光を受けて揺れた。
赤と金のクラシカルな制服に身を包み、帽子をきちんと被ったその姿は、小柄ながらきちんと整っていた。
年の頃は十三、いや、十四といったところか。華奢な体つきで、その顔立ちはどこか中性的な印象すら漂わせている。
少年は立ち止まり、深く一礼した。
「ようこそお越しくださいました。ぼくは、都市管理局よりまいりました案内係、ユーリと申します!」
やや幼さの残る声だったが、その口調には丁寧さと真剣さが込められている。
「長旅、お疲れだったことと思います。お荷物、お持ちいたしますね!」
そう言って、背伸びするようにして荷の一部に手を伸ばすその姿は、ひたむきで健気だった。
一生懸命に務めを果たそうとしているのが、言葉にせずとも伝わってくる。
レティシアはその様子に少し目を細め、柔らかく言葉を返した。
「ありがとう。けれど、大きな荷は兵に任せて。案内をお願いできるかしら?」
「はいっ、もちろんです!」
ぱっと表情を明るくした少年は、真っ直ぐな視線でレティシアを見上げた。
その瞳には、どこかまぶしさにも似た敬意と憧れが混じっていた。
「それでは、こちらへどうぞ。庁舎の中にはすでにお部屋をご用意しております。簡単なご案内のあと、そちらでおくつろぎいただけます」
そう言ってユーリは、小さく体をひねりながらレティシアたちを先導する。
姿勢は正しく、歩幅は控えめ。けれど、その一歩一歩が妙に几帳面で、彼なりに“正しく務めよう”としているのが伝わってくる。
庁舎の入口までの間、石畳を踏みしめる彼の足取りは軽やかで、赤と金の制服が風にふわりと揺れた。
やがてユーリが建物の前で足を止め、丁寧に振り返る。
「皆さま、ようこそヴァルドリア中央庁舎へ。どうぞ、こちらよりお入りください」
一同は、扉の向こうへと姿を消したのであった。
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