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旅の宿にて
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数日が経ったある晩。
視察の大方は終わり、明日からは、それぞれが自由に街を巡ることが許されていた。
ヴァルドリアの宿舎に設けられた談話室には、穏やかな灯りがともり、ミリア、エディン、カイルの三人が静かに集まっていた。
「なんだか、あっという間でしたね。気づいたらもう、自由行動なんて」
ミリアが湯気の立つカップを手に、ふぅと息を吐く。その声には、軽やかな疲労と充実感が混じっていた。
「情報が多かったからな。見るもの全部が新鮮だった」
「でも、それぞれ印象に残った場所が違うのが面白かったです。僕は、文書庫が忘れられません。記録が残されているって、それだけで安心するんですよね。ローゼンでも導入してみようかな…」
カイルは椅子にもたれながら、静かに窓の方に目を向ける。
「私は、並木通りかな。あの白壁と木の並び、なんだか絵本みたいでした」
ミリアが笑うと、カイルも小さく目を細めた。
「明日は……どうするんだ?」
「私は、もうちょっと地元のお店とか回ってみたいです。あんまり時間なかったですし」
「俺は訓練場が気になってる。できれば手合わせしたいんだけどな……エディンは?」
「僕は……少しだけ街の裏道を歩いてみようかな。面白い発見があるかもしれないし」
カイルが肩肘をついたまま、半分笑いながらミリアに目を向けた。
「……不真面目だな、お前だけ」
「なっ、なに言ってるんですか!?」
ミリアはむくれたように眉を寄せ、椅子の背から身を乗り出す。
「ちゃんと大義名分はありますよ! “文化調査”です! 文・化・調・査!」
わざわざ強調するミリアに、エディンがくすっと笑いを漏らす。
「まぁ、良いんじゃないんですかね。レティシア様が“自由に動いていい”とおっしゃっていたので。それにミリアさん、外国、初めてでしょう?」
その言葉に、ミリアは「うっ」と一瞬言葉を詰まらせ、それからむっとしたように頬をふくらませた。
「……そうですけど。だからこそ、ちゃんと見ておきたいんです。商品とか、食べ物とか。全部、ちゃんと文化です!」
「はいはい、“文化調査”な。お前、見たもの全部買って荷馬車いっぱいにする気じゃねえだろうな」
「し、しませんよ! ……多分!」
最後の一言が妙に弱々しかったのを聞き逃さず、カイルが小さく吹き出す。ミリアは「むーっ」と抗議の視線を送るが、エディンがその間に入るように口を開いた。
「でも、実際に見て感じたことって、大事なものなんですよね。視察では見ることのない空気とか雰囲気とか……ミリアさんの言ってること、意外と侮れないと思いますよ」
「でしょ!? 分かってる!」
ミリアがぐいと胸を張ったタイミングで、ちょうど湯の温度が程よくなったのか、ふわりと甘い香りが立ち上った。
「……でも、明日は楽しみですよね。見学っていうより、ちゃんと自分で歩けるんですから」
ミリアはカップを両手で包み込みながら、どこか夢見るように言った。
「歩く、ね。たしかに……」
エディンは呟くように繰り返す。
「街を歩くって、本当はすごく大事なことだと思います。地図に載ってる道だけじゃなくて、人の足で踏み固められた場所を辿って、そこに流れる時間を感じる。……それが、その街の“温度”を知るってことかもしれません」
「なんか詩人っぽいな」
カイルがからかうように言うと、エディンは肩をすくめて笑った。
「詩人じゃなくて、記録屋です。たぶん、性分なんでしょうね。全部“形”にして残したくなるんです。忘れたくないから」
「……記録、か」
カイルは短く呟いてから、視線を窓の外に向けた。
窓の向こうには、淡い灯りがいくつもまたたいていた。整然と並ぶ建物の輪郭が、夜の帳に溶け込むように沈んでいた。
「俺も、明日は街を歩くと思う。訓練場は気になるけど、きっとそれだけじゃなくなる」
「へぇ? カイルさんにしては珍しい発言ですね」
「……あのな」
ミリアに茶化され、カイルは軽く額を押さえたが、すぐに苦笑まじりに言葉を継いだ。
「この街を歩いてると、考えさせられる。自分たちが築こうとしてる街は、どんな形がいいんだろうって。どこを見て、どう整えて、何を残すのかって……正直、まだ分からないけどさ」
「分からないから、見に行くんですよね」
エディンの言葉に、カイルは無言で頷いた。
談話室の空気が、ふと落ち着いた静けさを帯びる。三人とも、カップの中身に視線を落としながら、それぞれの“明日”を思い描いていた。
やがて、ミリアがぽつりと口を開く。
「ねえ、思いませんか? ローゼンって、ほんとに“始まったばかり”の場所だって」
二人が視線を向けると、ミリアは少し恥ずかしげに笑った。
「ヴァルドリアを見て、思いました。整ってて、綺麗で、無駄がなくて、ちょっと堅苦しくて。でも、その全部に“時間”が詰まってる。うちの街にはまだ、そういうの、全然足りないなって」
「……でも、だからいいんじゃないですか?」
エディンが、静かに言った。
「足りないってことは、これから埋めていけるってことです。自分たちの色で。誰かが決めた“正解”じゃなくて、自分たちが信じたやり方で」
「そっか……そうですよね」
「ま、俺は難しいことは分からんけど……明日は、“ああ、こういうのもいいな”って思えるものを探してみるつもりだ。街づくりのヒントになるような、な」
「カイルさんにしては、真面目なまとめですね」
「おい」
ツッコミに笑い声がかぶさる。
談話室の灯りの下、三人の輪は崩れることなく続いていた。
窓の外では、ヴァルドリアの夜が穏やかに流れている。
そして、その静かな夜の向こうには――それぞれの“明日”が、待っている。
しかし、そんな幻想は長くは続かなかったのだ。
視察の大方は終わり、明日からは、それぞれが自由に街を巡ることが許されていた。
ヴァルドリアの宿舎に設けられた談話室には、穏やかな灯りがともり、ミリア、エディン、カイルの三人が静かに集まっていた。
「なんだか、あっという間でしたね。気づいたらもう、自由行動なんて」
ミリアが湯気の立つカップを手に、ふぅと息を吐く。その声には、軽やかな疲労と充実感が混じっていた。
「情報が多かったからな。見るもの全部が新鮮だった」
「でも、それぞれ印象に残った場所が違うのが面白かったです。僕は、文書庫が忘れられません。記録が残されているって、それだけで安心するんですよね。ローゼンでも導入してみようかな…」
カイルは椅子にもたれながら、静かに窓の方に目を向ける。
「私は、並木通りかな。あの白壁と木の並び、なんだか絵本みたいでした」
ミリアが笑うと、カイルも小さく目を細めた。
「明日は……どうするんだ?」
「私は、もうちょっと地元のお店とか回ってみたいです。あんまり時間なかったですし」
「俺は訓練場が気になってる。できれば手合わせしたいんだけどな……エディンは?」
「僕は……少しだけ街の裏道を歩いてみようかな。面白い発見があるかもしれないし」
カイルが肩肘をついたまま、半分笑いながらミリアに目を向けた。
「……不真面目だな、お前だけ」
「なっ、なに言ってるんですか!?」
ミリアはむくれたように眉を寄せ、椅子の背から身を乗り出す。
「ちゃんと大義名分はありますよ! “文化調査”です! 文・化・調・査!」
わざわざ強調するミリアに、エディンがくすっと笑いを漏らす。
「まぁ、良いんじゃないんですかね。レティシア様が“自由に動いていい”とおっしゃっていたので。それにミリアさん、外国、初めてでしょう?」
その言葉に、ミリアは「うっ」と一瞬言葉を詰まらせ、それからむっとしたように頬をふくらませた。
「……そうですけど。だからこそ、ちゃんと見ておきたいんです。商品とか、食べ物とか。全部、ちゃんと文化です!」
「はいはい、“文化調査”な。お前、見たもの全部買って荷馬車いっぱいにする気じゃねえだろうな」
「し、しませんよ! ……多分!」
最後の一言が妙に弱々しかったのを聞き逃さず、カイルが小さく吹き出す。ミリアは「むーっ」と抗議の視線を送るが、エディンがその間に入るように口を開いた。
「でも、実際に見て感じたことって、大事なものなんですよね。視察では見ることのない空気とか雰囲気とか……ミリアさんの言ってること、意外と侮れないと思いますよ」
「でしょ!? 分かってる!」
ミリアがぐいと胸を張ったタイミングで、ちょうど湯の温度が程よくなったのか、ふわりと甘い香りが立ち上った。
「……でも、明日は楽しみですよね。見学っていうより、ちゃんと自分で歩けるんですから」
ミリアはカップを両手で包み込みながら、どこか夢見るように言った。
「歩く、ね。たしかに……」
エディンは呟くように繰り返す。
「街を歩くって、本当はすごく大事なことだと思います。地図に載ってる道だけじゃなくて、人の足で踏み固められた場所を辿って、そこに流れる時間を感じる。……それが、その街の“温度”を知るってことかもしれません」
「なんか詩人っぽいな」
カイルがからかうように言うと、エディンは肩をすくめて笑った。
「詩人じゃなくて、記録屋です。たぶん、性分なんでしょうね。全部“形”にして残したくなるんです。忘れたくないから」
「……記録、か」
カイルは短く呟いてから、視線を窓の外に向けた。
窓の向こうには、淡い灯りがいくつもまたたいていた。整然と並ぶ建物の輪郭が、夜の帳に溶け込むように沈んでいた。
「俺も、明日は街を歩くと思う。訓練場は気になるけど、きっとそれだけじゃなくなる」
「へぇ? カイルさんにしては珍しい発言ですね」
「……あのな」
ミリアに茶化され、カイルは軽く額を押さえたが、すぐに苦笑まじりに言葉を継いだ。
「この街を歩いてると、考えさせられる。自分たちが築こうとしてる街は、どんな形がいいんだろうって。どこを見て、どう整えて、何を残すのかって……正直、まだ分からないけどさ」
「分からないから、見に行くんですよね」
エディンの言葉に、カイルは無言で頷いた。
談話室の空気が、ふと落ち着いた静けさを帯びる。三人とも、カップの中身に視線を落としながら、それぞれの“明日”を思い描いていた。
やがて、ミリアがぽつりと口を開く。
「ねえ、思いませんか? ローゼンって、ほんとに“始まったばかり”の場所だって」
二人が視線を向けると、ミリアは少し恥ずかしげに笑った。
「ヴァルドリアを見て、思いました。整ってて、綺麗で、無駄がなくて、ちょっと堅苦しくて。でも、その全部に“時間”が詰まってる。うちの街にはまだ、そういうの、全然足りないなって」
「……でも、だからいいんじゃないですか?」
エディンが、静かに言った。
「足りないってことは、これから埋めていけるってことです。自分たちの色で。誰かが決めた“正解”じゃなくて、自分たちが信じたやり方で」
「そっか……そうですよね」
「ま、俺は難しいことは分からんけど……明日は、“ああ、こういうのもいいな”って思えるものを探してみるつもりだ。街づくりのヒントになるような、な」
「カイルさんにしては、真面目なまとめですね」
「おい」
ツッコミに笑い声がかぶさる。
談話室の灯りの下、三人の輪は崩れることなく続いていた。
窓の外では、ヴァルドリアの夜が穏やかに流れている。
そして、その静かな夜の向こうには――それぞれの“明日”が、待っている。
しかし、そんな幻想は長くは続かなかったのだ。
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