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8、過去を掘り起こす
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愛想が尽きたのか、幽霊を抱く人間をヤバいと思ったのか。
隙間風を感じる事故物件で一人過ごす夜がこんなにも孤独で過酷なものだとは思わなかった。寂しさを紛らわせてくれた相手はまさにその死霊なのだが、それでもいないよりはよかったらしい。否、ユウだからか。
まぁ、イッちまえとか言ったしなぁ。
本当に逝ってしまったのかもしれない。
もしあれで成仏したというなら本人にとってはいい事なのだろうと思う。思うが本当に成仏したのか、成仏したのなら一体全体何に満足したのか問い質したい気もする。それはもう膝を突き合わせて追求したい。
けれどあれから気配を全く感じず、そもそもとユウは気配を感じさせない相手だった。万が一まだいたとしてもユウが隠れているのならば原田は気付くことは出来ず、こうなるともう二度と会うことはないのだろう。
こんなことならどうしてもっと優しく出来なかったのか。
どうしてもっとあたたかく、気持ちよくしてやれなかったのか。
ユウにしてみれば追い詰められ、苦痛しか与えないようなセックスだっただろう。
あの情事を今でも原田は説明ができない。なぜあんな事をしたのか。あえて言うなら非現実的な生活と存在に頭がおかしくなっていたというのが一番しっりくるか。
失って分かる、ではないが。
そんなことを考えキーボードを打つ指がまた止まる。
原田は嘆息し、首の後ろに手のひらを当ててストレッチをしてから深く嘆息する。
ユウが消えてひと月が経とうとしている。室内にユウの形跡は皆無で、現実味が日々薄らいでいく。乱暴で一方的なセックスの感覚はとっくに失われたのに掴んだ腕の感触と、見せられた玄関に倒れた死に様の光景だけが妙にリアルに残っている。
ふとユウが倒れていた玄関を見やって原田は難しそうな顔で眉を顰めた。
ユウ、玄関はだめだ。通らざるをえない場所だ。決して本人のせいではないのだがひどく恨めしい。通るたびに遺体の様が頭をよぎる。毎度跨いでいるようで嫌なのだ。
とはいえいつも寝ている布団の下ではなかっただけマシなのだろうとも思う。ずっと気にせず過ごしてきたが、「どこで・どのように」が気になってしまうと入居者はきっと溜まったものではないだろう。
戦国時代から現代までを考えてみれば狭い日本、人の死んでいない土地はないと聞いたことを原田は思い出した。少し前は自宅で臨終を迎えることが普通だったとも。
『事故物件』という言葉が出来てしまった事で忌み嫌われるようになってしまった部分もあるのだろうと原田は不動産会社にいくばくかの同情を覚えた。
そして人は詳細な情報が自然と耳に入る現代だからこそ無駄に想像してしまう。現代人の想像力が貧困になると言われているのに皮肉な話だ。殴ったらどうなるか・人を刺したらどうなるか・その後自分がどんな立場に身を置くことになるか、そんな想像が出来なくなっているらしい。
いかん、どんどん暗い方向に頭が働く。
原田は嘆息し、これが事故物件というものかとさっとメモして完全に手を止めた。
当初、阿久は暴力団関係のトラブルで殺害されたものと思われた。
古いアパートに防犯カメラなど当然なく、奥まったそこでは目撃情報もなかった。古い住宅が並ぶ地域では防犯カメラも乏しく、離れたところに設置された防犯カメラに残された人間は地域柄なかなかに怪しげなタイプばかりで捜査に時間がかかった。
そして逮捕されたのは阿久の真上の住人である老人だ。
阿久はゴムハンマー持参で訪れた202号室の老人に複数回頭を殴打され、恐怖に自分で施錠したあと死亡したものと発表されていた。
だから時々天井を見上げていたのかと、ユウの静かな目を思い出してぞっとする。生前の記憶を失っても真上の住人になにか感じるものがあったのだろうか。
当時アパートに住んでいたのは5人だ。そのうち奇声を発するタイプの住人は逮捕された202号の老人と、今なお入居する205号の男の二人。8戸のアパートに奇声を発する系の住人が二人。ある意味「事故物件」だと原田は思う。
原田が不動産屋に「おかしな住人はいないか」と確認した折の「ちょっと変わった人間がいるがその人はまだマシ」と言われたあれは「人殺しよりは奇声の方がマシ」という意味だったのだろう。そんなもの比べるものではない。
奇声を発する二人の住人のうち一人が殺人事件を起こした。その人物は逮捕されたがまだ一人残っている。5人の住人のうち殺人犯と被害者、そして奇声を発する男。残る二人の住人はさすがに恐怖を感じ引っ越したのだという。
おかしな者同士が互いに殴り合うのであれば分からないでもないが、老人はなぜか真下の部屋の阿久を襲った。
阿久は一人静かに、世間の視線から隠れるように暮らしていたという。阿久とアパートの住人に交流は乏しく発見は遅れた。
足跡からすぐに分かりそうなものだが阿久の住む102号室は階段の位置から8部屋のうち7部屋の住人の足跡が残る場所にあり、事件発覚まで時間がかかったため不特定多数の出入りによって難しくなっていたうえゴムハンマーで殴られた阿久は出血しておらず血痕もなかった。はじめに暴力団関係者への捜査が優先された事により時間が経過する一方だった。
確かに最近騒音絡みのトラブルを聞くようになった気がする。しかし原田の調べたところでは阿久は他の住人に迷惑をかけるような生活はしていなかったようだ。不動産屋も阿久に関する苦情を受けたことはないと言っていた。そんな阿久に対し真上に住む老人はなんの恨みを募らせたのか。
昔取った杵柄ではないが阿久が騒音をたしなめたのではないかと原田は考えたが老人は支離滅裂な発言を繰り返している、といったところで世間の関心は薄れ事件の続報はほぼ途絶えている。
原田は職業柄世の中の事件にはアンテナを張っている方だがこの事件を全く知らなかった。
犯人が特定され確保された頃、原田は「マルチメディアの喧騒から離れるために寺の修行体験に参加する」という題材の最中だった。一週間スマートフォンもテレビも、新聞さえも目にしなかった。
日々何某かの変化がある現代、人が殺されてもたった一週間で取り扱われることはなくなり、人々の興味は薄れる。何の落ち度もない若者が被害者であればしばらくは騒がれるだろうが、前科のある年のいった男の死はあっさりと取り扱われることはなくなった。
原田もそんな仕事をしている。より人が強く食いつくセンセーショナルなネタを日々追い求めている。
原田は事故物件に住みながら阿久の事件を調べた。並行してほかの仕事を細々とこなし、担当の不動産屋を訪ねて帰ったところでびくりと足を止めた。
205号室の奇声おっさんが原田の住む102号室のドアから数メートル離れたところに立ち扉をじっと見ている。もうかなり薄暗く、奥まった所に建つアパートはあっという間に闇に落ちるだろう。
近年、理不尽で陰惨な事件ばかりで常に他人を警戒することが必要とされる社会になった。正直、原田もこの状況に恐怖を覚える。
「……ちわ。この部屋に前に住んでた人のこと覚えてます?」
警戒しながら声をかける。これまで会釈くらいはしていたが声をかけたのは初めてのことだ。会釈も返されたことはない。それでも声をかけた。
ひどく着古した衣服をまとい、手入れを感じない白髪がちの頭髪の男はチラリと原田を見やったあと「知らん」と一言ぶっきらぼうに言って102号室の玄関扉に視線を戻す。無言の間がひどく居心地が悪く、部屋にも戻りづらい。奇声を発せられたり襲ってこられたら即逃げようと体は準備できている。
「悪い人間じゃなかった。あの殺人犯のジジイが死ねばよかったのにな。そうしたら他の連中だって引っ越さずに済んだのに」
男はぼそぼそと言ってぼんやりしていると踏み抜きそうなくらい大きな穴が開いた錆びた階段をカンカンと金属音を響かせながら上り、自室へと帰っていった。
原田は鉄の柵の間から男が室内に入るのを見送りほっとすると同時に違和感を覚える。
阿久ではなく、殺人犯が死ねば良かった。
阿久の代わりに殺人犯が死ねば。
かつてここにいた住人は言っては何だが「こんな治安の悪い古い格安アパート」にしか住めないようなタイプだったはずだ。それが引っ越すとなればみな相当無理をしたのではないか。原田も話を聞きたくて少し探したが見つからなかったのだ。そんな住人達が自ら引っ越したいと思ったのは殺人犯に似た奇声を発する男が住んでいるからだ。危険を感じて引っ越しを決意したのだろう。
自発的に。
もし。
もしも。
阿久の真上の202号室に住む老人が「205の住人が死ねばいいのに」と思ったなら?
ただ奇声を発する人間は怖い。しかし静かに暮らす大人しそうな阿久ならば平気だ。老人が「殺人事件でも起きれば205の住人が引っ越すのではないか」と、そう考えたのなら?
だから阿久を標的にしたという事はないか。
隙間風を感じる事故物件で一人過ごす夜がこんなにも孤独で過酷なものだとは思わなかった。寂しさを紛らわせてくれた相手はまさにその死霊なのだが、それでもいないよりはよかったらしい。否、ユウだからか。
まぁ、イッちまえとか言ったしなぁ。
本当に逝ってしまったのかもしれない。
もしあれで成仏したというなら本人にとってはいい事なのだろうと思う。思うが本当に成仏したのか、成仏したのなら一体全体何に満足したのか問い質したい気もする。それはもう膝を突き合わせて追求したい。
けれどあれから気配を全く感じず、そもそもとユウは気配を感じさせない相手だった。万が一まだいたとしてもユウが隠れているのならば原田は気付くことは出来ず、こうなるともう二度と会うことはないのだろう。
こんなことならどうしてもっと優しく出来なかったのか。
どうしてもっとあたたかく、気持ちよくしてやれなかったのか。
ユウにしてみれば追い詰められ、苦痛しか与えないようなセックスだっただろう。
あの情事を今でも原田は説明ができない。なぜあんな事をしたのか。あえて言うなら非現実的な生活と存在に頭がおかしくなっていたというのが一番しっりくるか。
失って分かる、ではないが。
そんなことを考えキーボードを打つ指がまた止まる。
原田は嘆息し、首の後ろに手のひらを当ててストレッチをしてから深く嘆息する。
ユウが消えてひと月が経とうとしている。室内にユウの形跡は皆無で、現実味が日々薄らいでいく。乱暴で一方的なセックスの感覚はとっくに失われたのに掴んだ腕の感触と、見せられた玄関に倒れた死に様の光景だけが妙にリアルに残っている。
ふとユウが倒れていた玄関を見やって原田は難しそうな顔で眉を顰めた。
ユウ、玄関はだめだ。通らざるをえない場所だ。決して本人のせいではないのだがひどく恨めしい。通るたびに遺体の様が頭をよぎる。毎度跨いでいるようで嫌なのだ。
とはいえいつも寝ている布団の下ではなかっただけマシなのだろうとも思う。ずっと気にせず過ごしてきたが、「どこで・どのように」が気になってしまうと入居者はきっと溜まったものではないだろう。
戦国時代から現代までを考えてみれば狭い日本、人の死んでいない土地はないと聞いたことを原田は思い出した。少し前は自宅で臨終を迎えることが普通だったとも。
『事故物件』という言葉が出来てしまった事で忌み嫌われるようになってしまった部分もあるのだろうと原田は不動産会社にいくばくかの同情を覚えた。
そして人は詳細な情報が自然と耳に入る現代だからこそ無駄に想像してしまう。現代人の想像力が貧困になると言われているのに皮肉な話だ。殴ったらどうなるか・人を刺したらどうなるか・その後自分がどんな立場に身を置くことになるか、そんな想像が出来なくなっているらしい。
いかん、どんどん暗い方向に頭が働く。
原田は嘆息し、これが事故物件というものかとさっとメモして完全に手を止めた。
当初、阿久は暴力団関係のトラブルで殺害されたものと思われた。
古いアパートに防犯カメラなど当然なく、奥まったそこでは目撃情報もなかった。古い住宅が並ぶ地域では防犯カメラも乏しく、離れたところに設置された防犯カメラに残された人間は地域柄なかなかに怪しげなタイプばかりで捜査に時間がかかった。
そして逮捕されたのは阿久の真上の住人である老人だ。
阿久はゴムハンマー持参で訪れた202号室の老人に複数回頭を殴打され、恐怖に自分で施錠したあと死亡したものと発表されていた。
だから時々天井を見上げていたのかと、ユウの静かな目を思い出してぞっとする。生前の記憶を失っても真上の住人になにか感じるものがあったのだろうか。
当時アパートに住んでいたのは5人だ。そのうち奇声を発するタイプの住人は逮捕された202号の老人と、今なお入居する205号の男の二人。8戸のアパートに奇声を発する系の住人が二人。ある意味「事故物件」だと原田は思う。
原田が不動産屋に「おかしな住人はいないか」と確認した折の「ちょっと変わった人間がいるがその人はまだマシ」と言われたあれは「人殺しよりは奇声の方がマシ」という意味だったのだろう。そんなもの比べるものではない。
奇声を発する二人の住人のうち一人が殺人事件を起こした。その人物は逮捕されたがまだ一人残っている。5人の住人のうち殺人犯と被害者、そして奇声を発する男。残る二人の住人はさすがに恐怖を感じ引っ越したのだという。
おかしな者同士が互いに殴り合うのであれば分からないでもないが、老人はなぜか真下の部屋の阿久を襲った。
阿久は一人静かに、世間の視線から隠れるように暮らしていたという。阿久とアパートの住人に交流は乏しく発見は遅れた。
足跡からすぐに分かりそうなものだが阿久の住む102号室は階段の位置から8部屋のうち7部屋の住人の足跡が残る場所にあり、事件発覚まで時間がかかったため不特定多数の出入りによって難しくなっていたうえゴムハンマーで殴られた阿久は出血しておらず血痕もなかった。はじめに暴力団関係者への捜査が優先された事により時間が経過する一方だった。
確かに最近騒音絡みのトラブルを聞くようになった気がする。しかし原田の調べたところでは阿久は他の住人に迷惑をかけるような生活はしていなかったようだ。不動産屋も阿久に関する苦情を受けたことはないと言っていた。そんな阿久に対し真上に住む老人はなんの恨みを募らせたのか。
昔取った杵柄ではないが阿久が騒音をたしなめたのではないかと原田は考えたが老人は支離滅裂な発言を繰り返している、といったところで世間の関心は薄れ事件の続報はほぼ途絶えている。
原田は職業柄世の中の事件にはアンテナを張っている方だがこの事件を全く知らなかった。
犯人が特定され確保された頃、原田は「マルチメディアの喧騒から離れるために寺の修行体験に参加する」という題材の最中だった。一週間スマートフォンもテレビも、新聞さえも目にしなかった。
日々何某かの変化がある現代、人が殺されてもたった一週間で取り扱われることはなくなり、人々の興味は薄れる。何の落ち度もない若者が被害者であればしばらくは騒がれるだろうが、前科のある年のいった男の死はあっさりと取り扱われることはなくなった。
原田もそんな仕事をしている。より人が強く食いつくセンセーショナルなネタを日々追い求めている。
原田は事故物件に住みながら阿久の事件を調べた。並行してほかの仕事を細々とこなし、担当の不動産屋を訪ねて帰ったところでびくりと足を止めた。
205号室の奇声おっさんが原田の住む102号室のドアから数メートル離れたところに立ち扉をじっと見ている。もうかなり薄暗く、奥まった所に建つアパートはあっという間に闇に落ちるだろう。
近年、理不尽で陰惨な事件ばかりで常に他人を警戒することが必要とされる社会になった。正直、原田もこの状況に恐怖を覚える。
「……ちわ。この部屋に前に住んでた人のこと覚えてます?」
警戒しながら声をかける。これまで会釈くらいはしていたが声をかけたのは初めてのことだ。会釈も返されたことはない。それでも声をかけた。
ひどく着古した衣服をまとい、手入れを感じない白髪がちの頭髪の男はチラリと原田を見やったあと「知らん」と一言ぶっきらぼうに言って102号室の玄関扉に視線を戻す。無言の間がひどく居心地が悪く、部屋にも戻りづらい。奇声を発せられたり襲ってこられたら即逃げようと体は準備できている。
「悪い人間じゃなかった。あの殺人犯のジジイが死ねばよかったのにな。そうしたら他の連中だって引っ越さずに済んだのに」
男はぼそぼそと言ってぼんやりしていると踏み抜きそうなくらい大きな穴が開いた錆びた階段をカンカンと金属音を響かせながら上り、自室へと帰っていった。
原田は鉄の柵の間から男が室内に入るのを見送りほっとすると同時に違和感を覚える。
阿久ではなく、殺人犯が死ねば良かった。
阿久の代わりに殺人犯が死ねば。
かつてここにいた住人は言っては何だが「こんな治安の悪い古い格安アパート」にしか住めないようなタイプだったはずだ。それが引っ越すとなればみな相当無理をしたのではないか。原田も話を聞きたくて少し探したが見つからなかったのだ。そんな住人達が自ら引っ越したいと思ったのは殺人犯に似た奇声を発する男が住んでいるからだ。危険を感じて引っ越しを決意したのだろう。
自発的に。
もし。
もしも。
阿久の真上の202号室に住む老人が「205の住人が死ねばいいのに」と思ったなら?
ただ奇声を発する人間は怖い。しかし静かに暮らす大人しそうな阿久ならば平気だ。老人が「殺人事件でも起きれば205の住人が引っ越すのではないか」と、そう考えたのなら?
だから阿久を標的にしたという事はないか。
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