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第1章 はじまるまでの5週間

6、メールやらアプリやら、とにもかくにも難しい。

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 以前、合コンした時にもたろさんは頭に手を乗せてきた。
 盛り上がった友達が「記念に写真撮ろう」と言い出した時だったので、まぁポーズの一環だと思いつつ、ちょっとときめいたのに。
 酔った時の癖だったのか。
 あの時の小娘のときめきを返していただきたい。

「んん? ちょっと待ってくださいよー?」
 ここから近いから、とコンビニで降りたたろさんから少し小さくたたまれて筒みたいになった紙幣を渡された。
 嫌な予感がして慌てて紙幣を広げると、案の定計算がおかしい。

 タクシーのメーターは三千円ちょっとだ。
 千円もらうだけでわたしとしては御の字だったのに、小さくたたまれて渡された紙幣を開いてみると四千円だった。

「千円で十分です!」
 小さく折って余分に渡すというこの手は、以前他の先輩にされた事があるのですぐに気付いた。

 未婚・既婚問わず、そういう事をする人が多い会社だった。
 うん、ほんとにみんな素敵ないい人達だったんだよ。
 あの時は3人だったので「一人千円で十分でした」と後日もらい過ぎた分を返金出来たけど、たろさんにはもう会う事はないだろう。

 男性におごってもらうのが本当に苦手だ。

 バーでもかなり出してもらっちゃってるのに。
 女友達となら「ごちになりますー」と軽く言えるし、次回こちらが出すから何も気にならない。
 でも男女の関係はフィフティ&フィフティが理想。
 お金も基本、割り勘でお願いします。

「まぁ、女の子におごるのって久し振りだから。今日は会えて良かったよ」
 モノトーンのきれい目ファッションのたろさんは、美麗なお顔をのぞかせて優しい笑顔を見せた。

 あ、八重歯。
 ギャップ萌えしろってか、こんちくしょう。

「じゃお願いします」
 タクシーの運転手さんに向かってたろさんが言うと、運転手さんは心得たものでさっさとドアを閉め、車を出してしまった。
 慌ててお礼を言ったけど、聞こえなかったかもしれない。

 あぁ、しまった。
 思わず大きなため息が出た。

 ちゃんとしたお礼も言えなかったな。
 最悪だ。

「こういう時って素直に受け取るのが可愛い女なんですかねー、他のお客さんとかってどうされてます?」
 ちょっとした醜態をさらした気がして取り繕うように運転手さんに声を掛けた。

「まぁ人それぞれじゃないですかねー。出してもらって当たり前みたいな女の子もいるし、結局押し切られる子もいるし。相手によっても違うだろうしねー。上司とかだと甘えやすかったりするじゃない?」
 あー、そうですよねー

「男だって言った以上ひっこっみつかないからさ、折れてあげるのが優しさかもしれないねぇ。まぁ、ちゃんとお礼言っといたらいいんじゃない? 出す方も嫌なら出さないんだからさ」
 なるほどー、そうですよねー

「さすが接客のプロ。大変参考になりました」
 運転手さんは笑っていた。

 はぁ。
 番号の確認しといて良かったって事かな。
 ショートメールでいいよね。
 電話するのは違うよね。
 あー……これ文面に悩むやつだわぁ。

 ※ 

『昨日は色々とありがとうございました』
 翌日、うだうだ考えながら掃除をして、昼前になってメールを打ち始め━━そこで文章は止まった。

 ……これだけで送るのって、無いよねぇ。

『もらい過ぎてしまった気がするので、もしまた万が一、偶然お会いする事があればおごらせてください(笑)』

 やっぱ(笑)って無い方がいいよなぁ。
 一度消してみた。
 でも無いと『また飲みましょう』みたいに取られて引かれても嫌だしなぁ。

 あくまでも「社交辞令感」を醸し出したい。
 文章的に「次はおごらせてください」とすべきな気もするが、「次」とかわたしが期待してるみたいなので入れたくない。

 しばらく眺め、いい文章が思いつかないので一旦中断して洗濯物を干す。

 実家には妹が二人目の出産のため里帰りしている。
 昨日の引き出物のお菓子を持って可愛い姪っ子達を愛でに行く予定だ。
 今は特に必要な物がないのでもらったカタログギフトも持って行こう。
 お洒落なおもちゃなんかもたくさん載ってたし。

 ついでにお昼にもありつく気でいる。
 車で10分の所にある実家ではあるが、母のお昼の準備が始まる前には到着しないといけない。
 母も3歳のさくらと、乳児にいつもばたばたしているだろうから、うどん位ならわたしが作ってもいいし。

 妹が里帰りしてから、用事の無い休日は大抵実家に帰っている。
 あ、さくらをお風呂入れる事になるかもしれないから着替えなんかも持って行くか。
 
 もう10時過ぎか。11時には到着したい。急がねば。
 あぁ、メール……っ

 画面を見て━━面倒になって送信した。

 もういいや。
 たろさんも社交辞令としか取らないだろう。
 こういうのは向こうは何とも思っていもん事が多いんだし、要は勢いだ。

 それから昨日持ち帰った引き出物の紙袋に荷物をまとめにかかる。
 帰りが夜になるなら防犯上、洗濯物は室内干しにするか。

 クリスマスイブの夕方、たろさんに「良いお年を」と言われた事がある。
 男性社員はみんな遅くまで残業して当たり前、だったので残業しても早めに帰るわたしと退社時間がかぶるなんて初めてだった。
 飛行機を予約して、旅費を前払いしたので翌日から出張なのは知っていて。

 その一言が嬉しかった。
 しばらく会えないのかー。
 ちょっと残念で、「来年はもう少しお近づきになれるように頑張ってみようかな」と思ったのを覚えている。予定のないクリスマスだったが帰路の足取りは軽かったはずだ。
 たぶん、あの頃はまさに好きになり始めてた所だったのだと思う。

 その4日後、仕事納めの夜から車中泊のスノーボードのバスツアーに参加して、そこで知り合った同い年の男性と意気投合して付き合う事になった。
 ものすごく盛り上がっていたので、たろさんの事は一瞬で忘れた。

 目の前に初めて出来た彼氏がいるんだから当然でしょう。
 そりゃ盛り上がりましたとも。
 背が高くて、ストライクゾーンど真ん中の「笑うと目が細くなるメガネ男子」だったからね。

 そんな彼とは2年ほど付き合って、別れたけど。
 ドライなわたしに、自分が好かれている自信がなくなったそうだ。

 わたし、月に3回も会えれば十分有り難いと思っちゃうんだよね。
 ちゃんと好きだったんだけど、自分の時間も欲しいんだよね。

 転職したくて、自分を磨きたくて、習い事を3つくらいしていた頃だ。
 会いたがりな彼と、そんなわたしでは温度差が出来ていた。

 出会う人8割以上に男前だと言われるわたしと一緒にいるのは、彼も思うところも多かった事だろう。
 でもまぁ漠然としていた転職願望を真剣に考えるきっかけを作ってくれたのは彼だった。それは今でも感謝している。

 実家でさくらと一緒にお風呂に入って、一息ついた所でメールの着信に気付いた。

『こちらこそ昨日は楽しかったよ。ではお言葉に甘えて次の日曜、空いてたらお茶おごってください。たろ』

 これにはさすがに心臓が跳ねたあと戸惑った。
 メッセージとともに送られてきた通話アプリのURL。

 ……このリンクって、タップするだけで相手に分かるんだっけ。
 普段使わないからよく分かんないな。

 でも次に思ったのは『あの会社なのに来週の予定なんて立てて大丈夫なんだろうか、この人』だった。

 休日出勤とかありそうだよ?
 そして相変わらずメールの文章は軽めなんですね。
 わたし、もう合コンとかセッティング出来るような知り合いいないですよ。

 一難去ってまた一難。
 今度はこのURLをタップするタイミングに悩まされる事になった。
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