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一章
二十一話 エルガ・ドルミール3
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この場で、一番なのは、ラル。
森の中なら、一番の者が絶対だった。それは、ここでも当たっていると思う。だから、エルガの態度や、それに対するグルジオらの反応から、エルガがグルジオより上であることがわかったし、エルガがはっきりと上だと言った。
そして、ここの生き物達のラルへの反応とエレンヒルがラルに言った「上の者」という言葉、さっきエルガが言った「責任」という言葉から、ラルもまた、何かの上の者なのだと感じた。そして、エルガが、ラルにこうして頭を下げていて、エルガより上の者だと言った。
この答えの、理由としては、これで十分のはずなのだが……
(これで合ってるの?)
しかし、導かれた答えと、現状を合わせるとまだたくさんの疑問が残っていた。なら、なぜ、この群は、ラルに何も教えないでいる? シルヴァスの元にも行けず、ジェイミを助けたいと言う言葉を、ラルはこんなに言うのをためらっている? そもそも、エルガの言葉は、信じていいのか……
「木偶は木偶らしく従っていろ」
アーグゥイッシュが、ラルにそう言った。従う、とはつまりアーグゥイッシュ達より、ラルが下だということではないか?
疑問が解けない。けれど、この結論は、ラルの心に強く居座った。もうそれは直感だった。これは正しい。ただ、ほかの何かがおかしいか、自分がまだ知らないだけなのだ。
「ラルは、エルガよりえらいのね」
ラルが、エルガが信じられないなら、この言葉に意味はなかった。ただ、それでも確かめておきたかった。そしてラルは、エルガにはうそがないような気がしていた。子の群の中で、一番正直であると。
ラルの言葉に、ジアンが今度は、こめかみをぴくりと動かしたが、やはりエルガは動じない。切れ長の美しい目をまっすぐに、ラルに向け答えた。
「ははっ、そのとおりでございます」
「なら、エルガにお願いがある」
「何でございましょう。私でよろしければ、何なりと申しつけくださいませ」
「ここでラルのせいで、罰を受ける生き物がいる。ラルはその子の罰をなくしたい」
「は……」
エルガが虚をつかれた顔になった。
「ジェイミと言って、ラルが、この部屋から勝手に出たのが、この子のせいになったの。この子のことを、許してほしい」
「失礼つかまつる、姫。……おい、ジェイミとは誰だ」
「この邸の召使いにございます」
エルガは少し動揺したようだった。小声の問いに、答えたのはエレンヒルだった。エルガは獣人か、と呟いた上で、うーん、と唸った。
「……――姫、あなた様がお気になさることはございません」
「気にする。苦しいもの」
エルガがまた唸り、それから何か思いついた、というように朗らかに笑って見せた。
「ならば、その、苦しみはこのエルガが引き受けましょう。あなた様は、多くの者の上に立たれるのですから、下々の者を気にかけては、苦しゅうございます」
「――ラルの罰を、ほかの生き物に、代わらせるのが苦しいの!」
ラルは立ち上がり叫んだ。エルガは目を見開いた。
「ジェイミにも、エルガにも、誰にも代わってほしくない。ラルが、自分でちゃんと責任を持ちたいの! 謝りたいの!」
ラルは胸の前で、手を握りしめた。ジェイミを許してほしい? ――違う、ラルは何もわかっていない。自分の気持ちもわかっていない。
「このことは、ラルのせい。ごめんなさい。ラルは、ラルのせいで、誰かが罰を受けて、傷つくことを知らなかった。もう勝手なことをしない。ジェイミのことを、ううん、――ラルのことを許してほしい。ラルへの罰を、ジェイミを罰することにしないでほしい。ラルを許して」
必死に訴えた。つらくて仕方なかった。知っていたら、しなかったなんて、ラルの為に、もう誰かが傷ついてほしくない。傷だらけのアイゼやジェイミ、アルマ達の顔を思い出す。――赤に染まったシルヴァスのことも。
ラルは頭を下げて頼んだ。周囲が息をのんだが、ラルの意識には入らなかった。
助けて――違う、助けると決めたのだ。なんと自分の力の頼りないことだろう。ラルには、結局、信じて頼むしかできなかった。
「姫……」
エルガの声が部屋に響いた。どこか呆然とした響きだった。
「お顔をお上げください」
エルガの声は太く平坦で、しかし何かを耐えるようだった。エルガは、静かに、ゆっくりと頭をさげて見せた。
「このエルガ、敬服いたしてございます」
それきり、エルガの音がふるえた。そのふるえが、息のふるえとなり、エルガは泣き出した。
「あなた様のような方に仕えることが出来るのは、法外の喜びです」
泣きながら、エルガは言葉を重ねた。声は高揚し、喜びに満ちていた。
「誰があなた様を罰せましょう。ええ、誰にも罰することなどできませぬ」
ラルは、目を見開いた。
「お顔をお上げくださいませ。このエルガ、あなた様に誓って、そのジェイミという召使いを許しましょう」
エルガの言葉に、ラルは顔を上げる。エルガは顔面を紅潮させて、精悍な頬に涙をいく筋も作っていた。
「エルガ」
「……恐れながら、一度決めた罰をなくすのはいかがなものかと」
ジアンが、そっとエルガに対しもの申した。ラルは、びくりとする。
「黙れ、ジアン。俺の誓いに水を差すな」
「しかし、示しがつきませぬ」
「それなら、姫の望むかたちの罰にしたということでよかろう」
エルガは譲らなかった。ラルはそれがありがたかった。ジアンは、それがわかっていたのか、小さく息をついて、それきり何も言わなかった。
「エルガ、ありがとう」
「かたじけのうございます」
エルガが、体中から喜びの念を発した。ラルもまた、身体が温かくなった。
(相変わらずだな)
後ろに黙って控えていた、グルジオとエレンヒルは、渋面をどうにか押し隠していた。エルガ・ドルミール――この、ドルミール卿に愛され、何不自由なく生きてきた第三令息は、とにかく純粋で感動屋で直情的……能天気で愚直、単純であることで有名だった。こちらの考えも知らず、あれこれと言い立て、勝手を通してくれた。
しかし、此度のことは、この男だけを責められまい。エレンヒルは自分の手落ちを思った。
(姫にああ言われては、聞くしかあるまい)
エルガの感動はさておき……少し、この娘に対する見識を改めねばならない、エレンヒルは思った。
森の中なら、一番の者が絶対だった。それは、ここでも当たっていると思う。だから、エルガの態度や、それに対するグルジオらの反応から、エルガがグルジオより上であることがわかったし、エルガがはっきりと上だと言った。
そして、ここの生き物達のラルへの反応とエレンヒルがラルに言った「上の者」という言葉、さっきエルガが言った「責任」という言葉から、ラルもまた、何かの上の者なのだと感じた。そして、エルガが、ラルにこうして頭を下げていて、エルガより上の者だと言った。
この答えの、理由としては、これで十分のはずなのだが……
(これで合ってるの?)
しかし、導かれた答えと、現状を合わせるとまだたくさんの疑問が残っていた。なら、なぜ、この群は、ラルに何も教えないでいる? シルヴァスの元にも行けず、ジェイミを助けたいと言う言葉を、ラルはこんなに言うのをためらっている? そもそも、エルガの言葉は、信じていいのか……
「木偶は木偶らしく従っていろ」
アーグゥイッシュが、ラルにそう言った。従う、とはつまりアーグゥイッシュ達より、ラルが下だということではないか?
疑問が解けない。けれど、この結論は、ラルの心に強く居座った。もうそれは直感だった。これは正しい。ただ、ほかの何かがおかしいか、自分がまだ知らないだけなのだ。
「ラルは、エルガよりえらいのね」
ラルが、エルガが信じられないなら、この言葉に意味はなかった。ただ、それでも確かめておきたかった。そしてラルは、エルガにはうそがないような気がしていた。子の群の中で、一番正直であると。
ラルの言葉に、ジアンが今度は、こめかみをぴくりと動かしたが、やはりエルガは動じない。切れ長の美しい目をまっすぐに、ラルに向け答えた。
「ははっ、そのとおりでございます」
「なら、エルガにお願いがある」
「何でございましょう。私でよろしければ、何なりと申しつけくださいませ」
「ここでラルのせいで、罰を受ける生き物がいる。ラルはその子の罰をなくしたい」
「は……」
エルガが虚をつかれた顔になった。
「ジェイミと言って、ラルが、この部屋から勝手に出たのが、この子のせいになったの。この子のことを、許してほしい」
「失礼つかまつる、姫。……おい、ジェイミとは誰だ」
「この邸の召使いにございます」
エルガは少し動揺したようだった。小声の問いに、答えたのはエレンヒルだった。エルガは獣人か、と呟いた上で、うーん、と唸った。
「……――姫、あなた様がお気になさることはございません」
「気にする。苦しいもの」
エルガがまた唸り、それから何か思いついた、というように朗らかに笑って見せた。
「ならば、その、苦しみはこのエルガが引き受けましょう。あなた様は、多くの者の上に立たれるのですから、下々の者を気にかけては、苦しゅうございます」
「――ラルの罰を、ほかの生き物に、代わらせるのが苦しいの!」
ラルは立ち上がり叫んだ。エルガは目を見開いた。
「ジェイミにも、エルガにも、誰にも代わってほしくない。ラルが、自分でちゃんと責任を持ちたいの! 謝りたいの!」
ラルは胸の前で、手を握りしめた。ジェイミを許してほしい? ――違う、ラルは何もわかっていない。自分の気持ちもわかっていない。
「このことは、ラルのせい。ごめんなさい。ラルは、ラルのせいで、誰かが罰を受けて、傷つくことを知らなかった。もう勝手なことをしない。ジェイミのことを、ううん、――ラルのことを許してほしい。ラルへの罰を、ジェイミを罰することにしないでほしい。ラルを許して」
必死に訴えた。つらくて仕方なかった。知っていたら、しなかったなんて、ラルの為に、もう誰かが傷ついてほしくない。傷だらけのアイゼやジェイミ、アルマ達の顔を思い出す。――赤に染まったシルヴァスのことも。
ラルは頭を下げて頼んだ。周囲が息をのんだが、ラルの意識には入らなかった。
助けて――違う、助けると決めたのだ。なんと自分の力の頼りないことだろう。ラルには、結局、信じて頼むしかできなかった。
「姫……」
エルガの声が部屋に響いた。どこか呆然とした響きだった。
「お顔をお上げください」
エルガの声は太く平坦で、しかし何かを耐えるようだった。エルガは、静かに、ゆっくりと頭をさげて見せた。
「このエルガ、敬服いたしてございます」
それきり、エルガの音がふるえた。そのふるえが、息のふるえとなり、エルガは泣き出した。
「あなた様のような方に仕えることが出来るのは、法外の喜びです」
泣きながら、エルガは言葉を重ねた。声は高揚し、喜びに満ちていた。
「誰があなた様を罰せましょう。ええ、誰にも罰することなどできませぬ」
ラルは、目を見開いた。
「お顔をお上げくださいませ。このエルガ、あなた様に誓って、そのジェイミという召使いを許しましょう」
エルガの言葉に、ラルは顔を上げる。エルガは顔面を紅潮させて、精悍な頬に涙をいく筋も作っていた。
「エルガ」
「……恐れながら、一度決めた罰をなくすのはいかがなものかと」
ジアンが、そっとエルガに対しもの申した。ラルは、びくりとする。
「黙れ、ジアン。俺の誓いに水を差すな」
「しかし、示しがつきませぬ」
「それなら、姫の望むかたちの罰にしたということでよかろう」
エルガは譲らなかった。ラルはそれがありがたかった。ジアンは、それがわかっていたのか、小さく息をついて、それきり何も言わなかった。
「エルガ、ありがとう」
「かたじけのうございます」
エルガが、体中から喜びの念を発した。ラルもまた、身体が温かくなった。
(相変わらずだな)
後ろに黙って控えていた、グルジオとエレンヒルは、渋面をどうにか押し隠していた。エルガ・ドルミール――この、ドルミール卿に愛され、何不自由なく生きてきた第三令息は、とにかく純粋で感動屋で直情的……能天気で愚直、単純であることで有名だった。こちらの考えも知らず、あれこれと言い立て、勝手を通してくれた。
しかし、此度のことは、この男だけを責められまい。エレンヒルは自分の手落ちを思った。
(姫にああ言われては、聞くしかあるまい)
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