姫君は、鳥籠の色を問う

小槻みしろ

文字の大きさ
37 / 57
一章

二十七話 朝

しおりを挟む
 また、鳥の鳴き声が聞こえる。スーミという鳥だと聞いた。高い音で何度も飛び跳ねるように鳴く。目に見えるもの――といってもラルは部屋の外を一度見たきりだが――すべて森と違っても、鳥が朝に鳴くことは、かわらないようだ。
 慣れない日々ながら、どうにかラルが朝と夜を分かち、それに合わせ体を動かすことが出来るのも、鳥の声がたぶんに大きかった。
 あれから、エルガはゼムナに話を通し、ジェイミを許してくれた。そしてその証として、ジェイミをラルの側に置いてくれた。あの誓いを聞いた時、ラルはエルガを信じたが、その心遣いが嬉しかった。ジェイミはやはり自分に思うところありげなようで、打ち解けるにはほど遠い。無理はないと思った。
 ――けれど。窓を閉じている板を見ながら、ラルは思う。板は、光を漏らさないように、きちんと閉じられている。

「ありがとう」

 エルガが来て二日目の日中、ラルは思い立ち、部屋の窓を塞いでいる板をずらそうとした。すると、板が思いの外重く、自分にもたれかかってきてしまった。前にも後ろにもいけず、加えて入ってきた白に目が痛くて、涙があふれる。目を閉じながらひどく困っていると、不意に、背後に気配を感じて、それからふわりと重みが消えた。驚いていると、頭上から声が降ってきた。

「危ないですよ」
「ごめんなさい。ありがとう、ジェイミ」

 ジェイミだった。ちかちかして、目が開けても、影しか確認できなかったが、ジェイミの音だった。ラルは目にあふれた涙をぬぐいながら、謝った。ジェイミは怪訝そうにした。顔は見えないが、気配でわかった。ジェイミはいつもラルの言葉に、こういう反応をする。

「暗いのが、気に障りましたか」
「ううん。ラルには今の方が落ち着く。でもラル、光の中でも、目を開けられるようになりたいの」
「目を、ですか?」

 ジェイミの影が首を傾げた。だんだんと視界が戻ってきていた。

「うん。ここは明るくて白くて、痛い。ラルは目を開けられない」

 目をぬぐって、瞬きを数度繰り返した。白い残像が重なって、ぶれる。もう一度目を閉じて、息をついた。

「それじゃだめ。ラルは光から自由になりたい」

 「光」に慣れたかった。あの一面の白い世界。ラルはたいそう不安になる。けれど、それに慣れなければ、自分はどこにもいけない。――今のところ、この部屋から、出られはしないけれど、それでも、ラルは思う。
 自由になりたかった。光に慣れれば、何か変わるはずだった。

「まず夜から、はじめては?」
「……夜?」

 黙っていたジェイミが、口にした言葉をラルは繰り返す。

「いきなり一番まぶしいもの……いわゆる、白いものを見ないで、まずは夜や夕など光が弱い時に見ることからはじめてはいかがでしょう」

 ここは、あなたには夜でも明るいんでしょう。
 ジェイミがそう確かめるように言葉にしたのを、ラルはひとつずつ聞いていた。ラルがじっと見ているのに気づくと、すっと顔を伏せた。

「出過ぎたことをもうしました」
「覚えててくれたの」

 ラルのぽつりと呟いた言葉に、ジェイミはわずかに眉をひそめた。気まずげな、そんな顔だった。ラルは口元がほころぶのを感じた。ただ嬉しかった。

「ありがとう、ジェイミ」

 ジェイミは頭を下げる。一線を引いた礼だった。ラルの心は、それでもあたたかなもので満たされていた。

「ラルは、これから、夜に慣れようと思う」

 思えばジェイミの言うとおりだった。いきなり白い世界に慣れなくてもいいのだ。まずはここの夜に明るさに慣れよう。それからだ。
 その日の夜、ジェイミは板を窓から外してくれた。そして、窓をそっと開けてくれた。部屋の外は明るい空が見える。風が吹き込んできた。外の空気は寒くて、軽く身を抱いたら、ジェイミがそっとやわらかで厚手の布をかけてくれた。「ありがとう」と言うと、ジェイミはかしこまって頭を下げ、後ろに下がった。

「すごい。ここの空は、光ってるのね」

 空に点々と穴があいて、黄色く明るい光が差している。あれは何だろう? ラルは不思議そうに見上げた。

「ジェイミ。あれは何?」

 指を指して尋ねると、ジェイミは後ろからのぞき込み、ラルの指の先にあるものを答えた。

「月です」
「つき?――あれは?」
「あれは、星と言います」
「ほし?」
「はい」

 ジェイミの言葉に耳を傾けながら、ラルは空の光を見ていた。ケラフィムの光とは違う。強い色をしている。

「なんだか、動いているみたいに見える」
「月も星もまた、生きていますから」
「そうなの?」

 振り返ると、ジェイミは頷いた。ジェイミはそっと、右手で、自分の肩に触れて目を閉じた。

「はい。神の御手の中に」

 その姿はとても清らかに澄んでおり、ラルはシルヴァスの祈りの姿を思い浮かべた。とてもかなしく、あたたかで、切ない気持ちになった。

「みてのなか」

 ラルが言葉を繰り返すと、ジェイミははっとしたように目を開けた。我に返ったと言うにふさわしく、わずかに動転していた。

「祝福ね」

 ラルもまた、目をとじて祈った。いつもシルヴァスがしていたように、石をもつふりをして、指先に祈りをこめた。

神に祝福をウィネ・リヒーティア

 その瞬間、ラルの肩越しに星が一筋流れたのを、ジェイミは見留めた。ラルは背を向けて、目を閉じていた為に、見えなかった。二人はしばらく、そうしていた。祈りの中、月は煌々と、星は強く瞬き続けていた。

「では、おやすみなさいませ」
「うん。ジェイミ、おやすみなさい」

 ジェイミが去った後も、ラルは寝台から空を見て、その光を浴びていた。

 しかし次の日の朝、目を覚ました時、ラルは白い光と痛みに苛まれることはなかった。いつの間にか、窓はまた、板で閉じられていたのだった。
 ラルが眠ってから、そっと板でふさぎにきてくれたのだ。ラルの目が覚めないように、静かに。
 それがわかった時、ラルは、やさしく、あたたかで嬉しい気持ちになった。

「ありがとう。ジェイミ」

 ラルは起き上がり、窓に近づくと、そっと板にふれる。昨日もまた、よけられていたもの――今は、ラルの目を守っているものを。
 ――ジェイミは優しい生き物だ。ずっと怒っているはずのラルにも、こんなにも優しい。はじめて会ったときから、そうだった。ジェイミの心の奥に、優しさがあるのを感じる。
 鳥の鳴く声が聞こえる。スーミという鳥だ。高く跳ねるように鳴く。周囲はもう起き出して、たくさんの生き物の気配を感じる朝の音の中、

「仲良くなりたいな」

 なれたら、いいな。
 光の差さない暗い部屋の中、――しかし、たしかな朝の気配の中――ラルの言葉は、ひたすらに、やわらかく溶けていくのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。

織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。 父であるアーヴェント大公に疎まれている―― 噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。

【完結】平凡な魔法使いですが、国一番の騎士に溺愛されています

空月
ファンタジー
この世界には『善い魔法使い』と『悪い魔法使い』がいる。 『悪い魔法使い』の根絶を掲げるシュターメイア王国の魔法使いフィオラ・クローチェは、ある日魔法の暴発で幼少時の姿になってしまう。こんな姿では仕事もできない――というわけで有給休暇を得たフィオラだったが、一番の友人を自称するルカ=セト騎士団長に、何故かなにくれとなく世話をされることに。 「……おまえがこんなに子ども好きだとは思わなかった」 「いや、俺は子どもが好きなんじゃないよ。君が好きだから、子どもの君もかわいく思うし好きなだけだ」 そんなことを大真面目に言う国一番の騎士に溺愛される、平々凡々な魔法使いのフィオラが、元の姿に戻るまでと、それから。 ◆三部完結しました。お付き合いありがとうございました。(2024/4/4)

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...