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宝珠の視点

悲しい恋

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「宝珠君。私を救ってくれないか?」

「わかりました。少し、お話しましょう。」

「あぁ」

ゐ空さんは、目の前のソファーに腰かける。

私も、向かい合わせに座った。

「30年前の恋だったのですね」

「そうだ。35歳だった。」

「空さんは、30歳だった。」

「そうだよ」

「最後まで、病気の名前を教えてくれなかったのですね。」

「空は、可哀想って思って欲しくないからって、教えてくれなかった。」

ゐ空さんは、泣いている。

「病院でだけでしたか?デートは…。」

「何度か、外泊届けを出して外に行った事はあるよ。数時間だけだけどね。」

「そうなのですね。何故、彼女を好きになったのですか?」

「あれは、師匠の癌が再発して入院をした日だった。私は、人形師を引き継がなければいけないプレッシャーに怯えていた。本来は、40歳で引き継ぐ約束になっていたから…。一人目の師匠は、私のせいで破門になった。二人目は、師匠の実の弟さんだったんだ。子宝に恵まれなくてね。私を跡継ぎにしようとしていた。」

「それで、悩んでいたんですね」

「あぁ、悩んでいた。そんな時、たまたまロビーで彼女を見かけたんだ。小さな子供に笑いかける姿に身体中に電気が走ったように惹かれたんだ。」

「それで?」

「すぐに話しかけにいったよ。人形相手にしてるからか、私は人見知りにはならなかった。彼女は、少しだけ私に興味を持ってくれた。それから、毎日。毎日。彼女と話した。」

ゐ空さんは、私の手を握りしめた。

「1ヶ月経った日、彼女は待ち合わせ場所にいなかった。病室に行くと酸素を付けられた彼女がいた。死ぬのかと思って怖かったんだ。でも、大丈夫だった。暫くしたら、元気な彼女に戻った。彼女は、保育士で、子供が好きな事25歳の時に病気が分かり婚約破棄をされた事、子供が欲しい事を話してくれた。悲しいよね。彼女の隣のベットの人は、子供が5人も居て結婚もしていた。彼女は、私に毎日苦痛だと話してくれた。個室が空きが出たら移動させてくれると言うけれど…。なかなか、空きがでなくて辛いのだと話していた。」

ゐ空さんの手が、震えている。

「宝珠君、人生は何でこんなにも不公平なのだろうね」

「本当ですね」

私は、ゐ空さんと泣いていた。

「皆平等だって、私達は聞かされて育っただろ?なのに、大人になるにつれて、それはただの幻想だって知るんだよ。子供の頃は、大人になったら何でも簡単に出来ると思ってなかった?大人になったら、地位も名誉も金も家族も、欲しいものは全部手に入るって思ってなかった?宝珠君は、そう思わなかった?」

私は、ゐ空さんの言葉に頷いていた。

「確かに、どこかで思った事はありますよ。大人になったら、欲しいものは全部手に入れる事が出来るって…。大人になれば、簡単に手に入るって思ってましたよ。大人を超人みたいに思っていたのかもしれないですね。」

ゐ空さんは、涙を拭って深呼吸をする。

「宝珠君、大人になって私は絶望した。小さな頃に思い描いた世界が全て、幻だと知った。その事に、絶望した。大人に何かならなければよかった。そしたら、こんな風に苦しむ事もなかった。空もそうだよ。子供のままだったらきっと今でも幸せいっぱいで笑えていたんだよ。」

「何でもキラキラしていた子供時代を過ぎると、後は、まっ逆さまに堕ちていくだけですよね。年齢も美貌も幸せも…。あの輝きは、もう大人になったら手に入らないんですよね。小さな頃は、大人ってだけでキラキラ見えた。なのに、大人になると子供がキラキラして見える。人は、一生無いものねだりをくり返して生きていく事しかできないんですね」

ゐ空さんは、私の手をギュッと握りしめた。

「宝珠君、もう終わらせたいんだ。彼女をもう…。」

「解体すれば、二度と会えないのですよ」

「それでも、お別れしなくちゃ…。私は、前に進めないんだろ?」

「過去には、絶望しかない事をゐ空さんは、ちゃんとわかってるのですね。」

「わかってる。過去を思い出して眠る。目覚めた次の日の朝の絶望感と孤独が君にわかるか?もう、生きていけないと思うんだよ。だから、私は空を思い出さないようにした。生きていく為には、考えないようにしようと…。」

私は、ゐ空さんに頷いた。

私が、真琴を失った時と同じだった。

「もう、闇の中を、手探りで歩きたくないのですね」

ゐ空さんの目から、大粒の涙が溢(こぼ)れ落ちる。




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