運命の恋人は銀の騎士〜甘やかな独占愛の千一夜〜

藤谷藍

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砂漠と冒険と乙女心

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とくん、とくん、とくん……。穏やかな心音が聞こえる。
濃いブラウンが混じる蜜柑みかん色の睫毛を震わせたリリアは、ゆっくりまぶたを開いた。すると、逞しい胸板が視界に飛び込んでくる。
え?と数回まばたき、頬をそろりそろり持ち上げたら。ーージェイドの寝顔が目の前にある。
ドキン、と鼓動が飛び跳ね、あ、と息を呑んだ。
つややかな銀のまつ毛まで、つぶさに見える。それほど、お互いがこんなに近い。
目蓋まぶたを閉じたその無防備な顔……整った眉や、案外柔らかそうな唇についつい目がいってしまう。

(ーーっ、この、胸がきゅんとくる感じは……)

初めてのくすぐったい感情は、なんとなく落ち着かない。思わず、首をそっと回し周りを確かめた。と……さらなる驚きで悲鳴が喉まで出かけ、すんでの所で呑み込む。
見下ろす自分は、ジェイドに腰を抱かれその身体に甘えるようにもたれかかっている。
なぜかジェイドと抱き合う形で寝ていた。その事実に一気に目が覚める。
どうやら。その広い胸に頬を押しつけたまま一晩中、呑気に寝ていたらしい。ーーここがどこかも分からないのだから、盾になる岩肌を背中にいざとなれば転移できる体勢、つまり二人一緒に就寝することは理にかなっている。
そう思うものの。添い寝なんてしたことがないからリリアの動悸は乱れる。ましてや、こんな抱擁同然の添い寝なんてーー……
その逞しい身体を一旦意識すると、恥ずかしさで頬がじわじわピンクに染まっていく。
だけどきっと、その温もりと子守唄がわりの鼓動のおかげだ。異国の空の下で野宿というとんでもない状況でも安心して眠れたのは。

(それに、ジェイドは疲れてるのだから、こんなに早く起こしては……)

そう自分に言い聞かせると、どぎまぎ身じろぎしそうになる衝動を何とかやり過ごす。
もう少し寝かせてあげたい。そのままそうっと温かい腕の中に戻りかけた時、頭上の空を小さな影が横切った。
鳥……? ならばどちらの方角へと、頭だけ持ち上げ方向を見定める。

「……おはよう」

と、その耳にかすれた声の挨拶が聞こえた。

「っおはよう、ジェイド」

きゃっと急いで身を起こしかけたところを、そうはさせまいとする腕にやんわり抑え込まれ……

「あたたかい。もう少しこのままで」
「あ……そうよね」

大人しく腕の中にもどる。
陽が登ったばかりの今は、空気が冷たい。リリアは貸してもらった騎士服のおかげでぬくぬくだが、ジェイドはリリアの身体で暖を取っているのだろう。
「服……ありがとう」と感謝の言葉を述べると、「気にするな、むしろ役得だ」とニンマリ笑った顔が頭を撫でてきた。気恥ずかしさは感じる。が、いかにも満足だというその笑顔を見ていたら、からかいまじりの返事にも言い返す気になれない。

「睡眠は十分に取れたか?」
「大丈夫よ、しっかり眠れたわ」

そうれはもう、何も分からない状況だというのに一度も目を覚ましもせず、すやすや寝てしまった……
目の前の顔にもう一度「ありがとう」とお礼をいうとジェイドは目を細めた。

「こちらこそ、礼を言わなくてはな、リリアのおかげで心地よく休めた」

……暖をとれたことを言ってるのだろうか? それを肯定するかのよう腰を抱かれている腕に力がこもる。だんだん違和感がなくなってきたその感触に戸惑うも、「どういたしまして」と微笑んだ。

「……昨日も思ったが、リリアの声は柔らかな鈴を鳴らしているようだ」
「……ジェイドの声こそ、不思議な響きがするわ」

口元へと目線を下げるジェイドにつられ、束の間その唇を見つめた。ジェイドの懐かしいような声の響きは、耳に心地よい。昨夜もそばで聞いた低い声に導かれ、スーと気持ちよく眠れた。

「それにジェイドに名前を呼ばれるのは、好きよ」

甘い韻を含んで聞こえ、心が落ち着く。

「俺もリリアに呼ばれるのは好きだな。リリアと呼びかけるのは、もっといい」

嬉しそうに笑った顔を見ると、ふわっと嬉しくなった。

「ジェイドは、疲れていない? 昨日は強行軍だったのでしょう」
「心配してくれるのか。あれくらいは大したことではないが、なにせ晩餐を食べ損なったからな」

ああ、なるほど。お腹が空いているらしい。リリア自身は、焼き菓子でわりとお腹が膨れたけれど、ジェイドには物足りなかったのだろう。そんなことを考えていると、腰にあった手が動いた。

「リリア、この丸いものは何だ?」
「丸い……あっ」

そうだった。いつもの癖でポケットに常備していた果実を取り出す。

「よかったら、朝食にどうぞ」
「お、ありがたいな、ザクロか。リリアのポケットからは、色んなものが出てくるな」

ジェイドは起き上がり、脇から抜いた短剣でれた果実を真っ二つに割った。

「これは……、こんな瑞々しい果肉ははじめてだ。香りも強い」

美味しそうにかぶりつくジェイドを見ていると、何だか嬉しい。

「お褒めに預かり光栄だわ。これはうちの果樹園で取れたものなの」

果実を口に含んでいたリリアは、上品にゆっくり咀嚼そしゃくする。

「リリアの果実は一級品だな、何だか身体の調子がよくなった」
「ふふ。内緒だけど、回復ポーションを精製するついでに、使わない薬草部位を取っておいて肥やしにしているの。ちょっぴり魔法もかけてね」
「そうか、ポーションの材料か。ん、待てよ、回復ポーションって、まさか……グレン商会のリリア印のことか?」
「え? 私の作ったポーションを知っているの?」

ちょっとびっくりした。思わず聞き返してしまう。

「知っているも何も、リリア印のポーションは、最高級品だぞ。一般では手に入らないと聞いている。城にも一本献上されるが、販売元のグレン商会は買い占め防止に、医療機関にしか卸さないらしい」

初めて聞く話に目を丸くした。ジェイドは本当だと話を続ける。

「それも、本当に必要な人達へ行き渡るようにと、最高級品にも関わらず価格も適正価格だそうだ」

そういえば、グレンさんにポーションは量産できるのかと聞かれたことがある。材料に限りがあるから無理だと答えたら、残念そうだったが、この質ならと納得もしていた。買手を限定するから買取はこれで納得してもらえるかと言われ、もちろんだと答えた。グレンさんが提示してきた価格は、市で売られているポーションの二倍の価格だったからだ。

「そうか、リリアだったのか。あのポーションの制作者は」

優しく頭を撫でられると、少し照れ臭い。

「私の作ったポーションが役に立っているなら、こんな嬉しいことはないわ」
「残り物で育てたザクロで、俺も調子が戻ったしな」

これも立派な恩恵だとおどけるジェイドを、「見た目は全然変わってないけど」と肘でつついた。二人で笑い合っていると、気がつけばあたりはすっかり明るくなっている。

「あっ、そうだわ。ジェイド、さっき鳥があちらの方角に飛んでいったの」

指し示した方向を見てうなずいたジェイドは、ゆっくり立ち上がった。
リリアから騎士服を受け取り支度を整えると、「何か見えるか確認してくる」と大岩の上に飛び上がる。
ジェイドはやはり、魔法もかなりだ。わずかに光ったその姿を見上げリリアは一人頷く。昨日二人で張ったシールドは、あの大爆発の中でも傷一つついていなかったのだから。
岩肌にはばまれ見えなくなったその姿を追い、タンと軽く音を立てリリアも跳躍した。

「砂以外、何も見えんな」
「そうね……。じゃあ、取り敢えずこの方角へ、転移をしてみましょう。だんだん暑くなってきたし、このままだと炎天下で二人ともバテてしまうわ」

ゆらゆらと岩から立ちあがる陽炎かげろうを認め、ジェイドは頷いた。その腕が腰に回ってくる。

『転移』

上手くいかなければガッカリなので、ジェイドには言わなかった。けど、今回は鳥が向かった方向に加え、木があるところを念頭に置いて転移だ。

(何か食べ物があれば、いいのだけれど……)

ジェイドはきっとまだ、お腹が空いているだろう。そう思いつつ景色が溶けて現れたのは、小さな湖だった。
え?と思わず目を疑ってしまう。自分たちは、幹が直立まっすぐで先端から大きな緑の葉っぱが出ている不思議な木の影に立っていた。木には赤みを帯びた黄色の果実のようなものがぶら下がっている
壮大な砂丘に囲まれた砂漠のど真ん中に、突如ポツンと小さな湖が存在していた。
その周りには青々とした木々が生い茂り、わずかだが空気もひんやりしている。

「……鳥がいるな」

湖の縁で水を飲んでいた長い尾は、なぜか飛んで逃げず、素早いスピードで地上を走り出す。が、次の瞬間、ジェイドの短剣の餌食となっていた。

「リリア、朝食に一品追加だ」

満面の笑みで剣先に突き刺さった鳥を掲げるジェイドに、リリアはブフッと小さく吹き出した。
そこらに落ちていた人の背丈ほどもある大きな葉っぱを集め、魔法で火を起こす。文字通りの”焼き鳥”を二人で分け合い、木に実った不思議な実も果物だと保証したリリアの言葉にジェイドは目を輝かせた。食後満足そうに湖を見つめると、おもむろに服を脱ぎ出す。

「水浴びをしてくる」

だから! その、突然服を脱ぎだす癖を何とかして、とリリアは慌てて木の幹に隠れた。

「ジェイド! そういうことは、脱ぐ前に言ってちょうだいっ」
「水があたたかいぞ、リリア」

こちらの言うことなどまったく気にもかけず、浅瀬を進んだジェイドは水にざぶんと飛び込む。

「気持ちいいな、リリアも一緒にどうだ」

ーーそんないかにも”エールを一緒に飲もう”みたいな軽いノリで、誘わないでほしい。目のやりどころに困ったリリアは、上半身裸の姿から目を逸らした。

「え、遠慮しとくわ」
「遠慮など無用だ」
「え?」

すぐそばで声が聞こえたと思ったら、身体をすくわれホーイと湖へと投げ込まれていた。

「きゃあ~」

ザッブーンと盛大な水しぶきが上がる。……幸い水位は腰までほどしかなくて、足はすぐ底に届いた。が、ぷはっと水から顔をだすと髪からポタポタしずくがしたたり落ちてくる……

「ジェイドー!」

朝一番の甲高い悲鳴が、湖に響き渡った。

「いきなりっ、何するのよ~!」
「あったかくて気持ちいいだろう?」

平然とこちらに向かってくる姿に向かって、衝動的に手に掬った水を、エイっと投げつける。上半身をひねってヒョイっと避けたジェイドは「今度はそう簡単には、くらわんぞ」と言いかけ、パシャンと時間差で飛んできた第二弾で水浸しになった。

「ふふ、お返しよ」

ちょっとスッキリしたところに水が降ってくる。そしてすぐ水の掛け合いが始まった。

「か弱い乙女なのよ! 手加減という言葉を知らないの?」

リリアが投げかけると。ジェイドも遠慮なしだ。

「か弱いの定義が、だいぶ間違っているぞ」

それこそ、頭のてっぺんから足の先まで水浸しになった二人は、最後は笑いながらズブンと水にもぐった。目をつむり思いきって頭まで水に浸かったリリアの胸から、本当に帰れるの?という小さな不安が綺麗さっぱり流れ去っていく。浅い水は沸きかけの湯のようで、ぬるくて気持ちいい……

きっと何とかなる。二人で無事に帰ってみせる。
リリアはジェイドが伸ばした手を掴むと、そのまま岸に上がり座り込んだ。

「……服がずぶ濡れだわ」

ジェイドは上半身裸で、ちゃっかりブーツも脱いでいた。比べてリリアは酷い格好だ。水を吸い上げたドレスは重いし、おまけにブーツからはチャプチャプ水音がしてくる。

「責任は取ってやる、任せろ」

足元から声がして、見るとジェイドがブーツを脱がしにかかっていた。驚きで身体がびくっと震える。だが好奇心の方が打ち勝った。一体何をするのだろう。
そのまま彼のするに任せると、その手に乗せたブーツがわずかに光りあっという間に乾いていく。

「次はドレスだな」

躊躇なくこちらに手を伸ばしてくるジェイドに、慌てて「自分で脱ぐから」と起き上がった。

「少しの間、後ろを向いててもらえる?」

身体にひっついたドレスを引っ張り、顔をあげた時には、すでにジェイドはちゃんと後ろを向いてくれていた。
……どうやら、からかわれたらしい。素早くドレスを脱ぐと下着姿になったはいいが、薄い衣類が身体にまとわりついてくる。

(あ、でも今こちらを向かれたら……)

リリアはドレスをその場に置き、下着姿のまま湖に首までチャポンと浸かった。

「こっちを向いて、いいわよ」
「なんだ、水に戻ったのか」

残念そうにこちらを見るジェイドの視線に、もう一度水魔法でもお見舞いしようかと思ったが、とっさに胸を覆うとふいと横を向いた。

「乾いたぞ」の声で「ありがとう」と水から上がってドレスに手をかける。と、後ろを向いたその姿が目を閉じたままこちらを向いた。

「リリア、そのまま着るとまた濡れる」

えっと思った時には、逞しい腕の中に閉じ込められていた。

「あ、あの」

とっさに動けない身体を、そのまま抱きすくめられる。リリアはきゃあぁと抗議の声を上げかけはした。だがそれよりも。
ーー逞しい腕、しなやかな肌が下着越しとはいえ身体に触れている! そちらに気が取られそれどころではない。
ハッキリ言って、裸で抱き合っている感覚だ。
思いっきり動揺している間に、身体は魔法で起こした暖かい風に包まれていた。

「も、もう、乾いたから。ありがとう」

礼を言うなりその腕から逃げ出した。が、手早く着替え終わると、「ご褒美だったな」と堂々服を着る姿を見てようやく気がつく。

(あぁ! な、何も脱がなくても、服を着たままで乾かせたんじゃ……)

騙された!と言うか、何をしでかしてしまったのー、と心の中で嘆きその場に座り込む。ジェイドもそんなイタズラが成功したみたいな顔をしないでほしい……
それでも、顔を上げ「……ジェイドのことなんか、信用しないんだから」と言ったら。

「俺は一言も、脱げと言った覚えはないが」
「だって、……ブーツを脱がされたから」

モゴモゴ言い訳するも、脱力感は半端でない。

「いきなり足元が暖かくなったら、驚くだろうが」
「……そうですね……」

自分から下着姿を晒してしまった事実に、ほんともう、私のばか~と内心動揺しまくりで。そのまま砂の中に埋まってしまいたい。
そんなリリアの様子も気にせず、ジェイドは涼しい顔だった。

「あそこまで登って、周りを確かめてくる」

そう言い残すと、このオアシスを取り囲んでいるいやに高い砂丘の壁のてっぺんに向かって真っ直ぐ向かっていく。
ーー下着姿の女性に近づいても、取り乱しもしないその沈着冷静な態度……
これはしかし、自分の女としての魅力のなさにガッカリするところなのか。それとも、ジェイドの冷静さのせいにすべきーー……いや、もしかしてかなり女性慣れしてる?
リリアの乙女心は非常に複雑に揺れた。

それでも、「リリア、あちらに崖が見える」という声に、次の瞬間には走り出していた。
胸のモヤモヤを振り切って、何かこの場所に関する手がかりが、と気持ちを切り替える。

「あれは……峡谷だわ。行ってみましょう」
「……ずいぶん、積極的だな」

遠くに見えた奇怪な地形にすかさずジェイドの腕を取ると、当たり前のように腰に腕が回される。オマケに、からかいの言葉まで。サッと頬を染めながらも『転移!』と勢いで叫んだ。

「これは、もしかして、ーー遺跡か……?」

目の前に広がった大峡谷、見上げた崖の途中には壮大な支柱が見える。
その不思議な光景に気を取られた時、リリアの耳がピクンと動いた。何かがすごい勢いで近づいてくる。

「ジェイド! 何かが……」

警告を発して、とっさに周りを見渡すも。……峡谷以外は、砂丘がおりなす砂漠の景色が彼方まで広がる。なのに気配は、どんどんスピードを増しこちらに近づいてくる。

「ーー下だ、来るぞっ!」

見えない敵に向かいジェイドが、背中の剣をスラリと抜き放つやーー。真っ直ぐ上に飛び、落下の勢いで自分たちが立っていた場所へと剣を構える。
横っ飛びに逃げたリリアが地面に足をつけた時には、飛び出てきたハサミ状のあごから頭部にジェイドの剣が深々と突き刺さっていた。信じられないほど巨大なムカデーー……
その胴部はいまだくねり続けリリアに数えきれない脚を叩きつけてくる!

「リリア危ないっ、けろ!」
「いやあ、こないでっ、『千のスライス!』」

リリアが叫んだ途端、巨大ムカデの綺麗な薄い輪切りが飛び散った。何百もの脚とうごめく胴体が体液を撒き散らし、どさどさ砂上に落ちてくる……そんな予測にゾッとしたリリアは、光の粒のように消えたムカデに目を見張る。

「え? 嘘、これってもしかして」
「まだいるぞ!」

気配はまだ消えていない。でも、リリアの大の苦手な害虫でなく、魔獣なのだとしたら……これはもう遠慮なく駆除させてもらう。いつの間にか目の前に立ちはだかったサソリは、見たこともない魔獣だが、やることは同じだ。
見ればジェイドは多数のムカデをいっぺんに相手している。と、二人の目が合った。リリアはもう一度、必殺の水魔法を魔獣にお見舞いだ。

「……キリがないなっ」

次々と襲ってくるムカデの相手をしながら焦るでもなく、なぜだかちょっと嬉しそうなジェイドは呟く。
これはもう……。ちまちま片付けるより、いっそいっぺんにとリリアが恐ろしげな考えを頭に浮かべた時だった。

魔獣の動きがパタリ止まった。
強い視線を感じ崖の上を見上げると、一匹の魔獣がこちらを見下ろしている。

「ジェイド、あれはもしかして」
「狐型魔獣、だな」

耳がやたらと大きく、全身が砂色なその姿は狐だ。狐火を体に纏わせ、値ぶみするような目線でこちらを観察していたが、トッといきなりジャンプしたかと思うと消えてしまった。同時に周りの魔獣も砂に潜っていく。

「なんだ、どうなっている?」
「よくわからないけど……、もう襲ってこないと思うわ」

ジェイドは首を傾げていたが、胸の黒い魔石がわずかに光るのを見たリリアは何となくそう感じた。ジェイドは「じゃあ、行ってみるか」と早速、崖の途中にある遺跡を目指し険しい壁を登り始める。そして、足場が定かでない崖を二人とも危なげもなく身軽に登り詰めた。

「ほう、やはり遺跡だな」
「ここには、結界が張ってあるのね」

崖下から見えた神殿のような立派な支柱。その裏には入り口があり小部屋になっている。頑丈な扉と蒼い光のしめ縄結界が張り巡らされる遺跡は、保存状態が極めて良くエルフ語の語源とされる古代文字が羅列していた。
だが、リリアは難解な古代文字より壁画に注目する。その見事さに意識を取られた。

「南大陸には、三大古代遺跡があるのよね?」
「ああ、東のナジール王国、西のモジル帝国、その奥のタライナ自治領に一つずつだな」

南大陸は中心部に向かって内陸砂漠がある。
ナジール王国の遺跡は王都にあり、古代神殿の遺跡が王城内に残っている。モジル帝国には、帝都から近い砂漠地域にたくさん遺跡があるし、タライナ自治領に関しては資料が少なすぎて漠然とした位置しか詳しいことは分かっていない。
古代遺跡は世界のあちこちに残っているが、この三大遺跡ならば地図上の位置を覚えている。これらを踏まえ都市に遺跡があるナジールは除外とすると……

「この遺跡が、モジルかタライナの遺跡であれば、場所がわかるわ」

だが、壁画を観察していると、この遺跡はそのどれもに当てはまらないのでは……と思えてきた。

「ねえ、これって、この神殿……よね?」
「ああ。とすると、ここは湖のほとり、つまりこの大峡谷は湖だったのか」

壁画に描かれている絵を信じるならば、ここは南大陸のど真ん中にあたる場所だ。形は多少違うがモジル帝国の国境線である西の大山脈から今の地図と重ねることができる。
信じられないが、どうやら古代ではこの砂漠一帯には大帝国が築かれていたらしい。砂漠は砂漠ではなかったのだ。この壁画によると、この神殿を中心に、ここから街道を張り巡らせあちこちに都市が散らばっている。
その上、この壁画に描かれた人々には背中に蝶のような羽がある。伝説の妖精の姿そのもの。たくさんの妖精が湖で戯れ、その中でも一際美しい妖精が緑色のドレスを纏い真ん中で踊るように描かれていた。南大陸にも死の森と同じく、精霊界へ通じる言い伝えがいくつもある。そうした場所は遺跡であることが多い。

「……信じられないわ、ここら一帯が緑豊かな都市だったなんて」
「そうだな、だが……これで、現在地がだいたい掴めた」

その通りだった。

「それでジェイド、提案なんだけど……」

壁画を注意深く観察していた顔が、どうしたと振り向く。

「ここからすぐデルタを目指すのではなくて、まずは、ナジールの王都ナジッタに転移をしてみたいのだけど。いいかしら?」

転移魔法は地形に左右されないはずだが、海越えの長距離転移をする前にはっきり位置を確定したい。そのためにも、南大陸にある都市に一旦転移をしてみてから挑みたかった。それに気分的にモジルの西の大山脈ごえも遠慮したい。

「ナジールは我が国と友好関係にある。王都ナジッタを流れるナジール川を下った港町からは、デルタ行きの定期商船も出ている」

ジェイドも頷くと腰に腕を回してきた。よし、目標決定だ。

「それでは、都市ナジッタへ、『転移』」

魔力が身体をめぐり長距離転移が行使される。周りの景色が溶け、それはすぐ広場のような広い場所に取って変わった。

「やったわ、成功よ!」

目の前には大きな宮殿が見える。堀の水路にかかる橋のたもとには、守衛がいかめしい顔をしてずらっと並んでいる……。人の顔を久々見る気がするリリアは、笑顔になった。だが、こちらを見た守衛たちは、驚きのポーズからたちまち一転する。一斉にやりを向けられた。

「え?」
「リリア、背後だ!」

周りに聞こえぬよう小声でジェイドがささやく。つられて後ろを振り向いたリリアは、驚きのあまり一瞬固まった。
沢山の人が遠くから周りを囲んでいる。だがリリアの心臓が止まりそうになったのは、自分たちの後ろに幾人もの男たちが柱に縛りつけられ、その足元に一斉に火がついたその光景だった。
それはまさに、公開処刑現場だったのだ。

「い、い、いっっやーーっ!」

甲高い悲鳴が辺りに響き渡る。信じられないーー。
血を見るのが何よりも苦手なリリアは、魔獣ならまだしも、普通の狩でさえ積極的に参加はしない。
ましてや、人が処刑されるところなど、間違ってもこの目で見たくない。

「うそーー、どうしてーー!」

条件反射だった。
『天の雨!』とリリアが叫んだ途端、ざあと大量の雨がピンポイントで処刑者の上に降ってくる。足元の火はたちまち鎮火され、後にはプスプスと僅かな煙が昇りだした。

「あ……」
「……見事だな」

何が起こったと人々が呆然とする中でジェイドが呟いた途端、見守っていた市民が次々と「女神の采配だ」「占者様が!」と叫び出した。ざわめく人々の中から、すぐさま呼びかけが聞こえる。

「今だっ! 若君を救い出せっ!」「「おうーー!」」

どこからか武装した人々が現れ、一斉に処刑者たちを救うべく向かっていく。そうはさせじと守衛が動きだし、たちまち辺りは乱戦になった。



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