狼と人間、そして半獣の

咲狛洋々

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獣語 躍動編

旅立ち

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「良いのか?ここに残って」

カシャは、孝臣ケードの作った豚カツ擬きを頬張りながら、フォークを振って

確認した。エプロンをスルリと外し、カシャの席の前に座ると首を

コキコキと鳴らして孝臣ケードは「えぇ」と返事をしたが、その声はまるで

納得していない様にカシャには思えた。


「…決めきれてねぇ様だな」


髪を掻き上げカシャはスープを一口飲むと、上目遣いで孝臣ケードを見て

いたが、孝臣ケードはぼんやりとしていて心ここに在らずであった。


孝臣ケード殿?」

「…あぁ、悪い…決めきれていない訳じゃないんだ。今朝、サリュー様に朝食を持って行ったんだけど…」

「…うん?」

「俺の勘違いかもしれない…けど…サリュー様の黒い痣がうっすら小さくなっている様に思うんだ」

「本当か⁉︎」

「いや…俺は医師じゃないし、流石にサリュー様に身体を見せろとは言えないから…分からないけれど…腕にあった痣の縁が黄緑色に変化している様に思えてさ」

「それは…治りかけているという事か?」


カシャは孝臣ケードの言葉に興奮して身を乗り出したが、目を瞑り天を仰ぐ孝臣ケード

何も言わなかった。


孝臣ケード殿?」

「…感染症ならそうならないと思うし…内出血…なら下手に食いもんで何とかしようとすべきじゃ無いのかもしれない…分からないんだ…そもそも俺の居た世界とは症状の出方も違うのかもしれないし」

「焦っても仕方が無いのではないか?」

「焦るよ…だって…折角、殿下との仲が近づいたんだ…意地でも生かしてやりたいと思うだろ?」


その言葉に、カシャはスプーンを皿に置くと手の甲で口元をぐいっと

拭った。



死とは、誰にでも訪れる物だ。

それが王侯貴族相手であっても変わらない…彼が足掻いたとして、その

絶対が変わる事は無い。可哀想な所は、サリュー妃に死に場所が無いと

いう事だ…。

武人には戦場がある…心を決めて終えば恐れは無い。

だが、死に場所を決められない者にとって死は恐れでしかないだろう。

サリュー妃はどうだろう?既に御心を決められている様に思う。

だから、孝臣ケード殿…君の悩みは無駄にその心を乱している

のでは無いだろうか。それよりも、君は自分の人生をどうするかを

考えるべきでは無いのか?


「サリュー妃は、そもそも末期だと診断されている。御覚悟はされているだろう…君の焦りや願いが無駄に希望を抱かせては落胆させる事になるとは…思わないのか?」

「カシャ隊長…」


孝臣ケードはカシャの目を見て首を横に振った。

確かに俺は医師では無いし、この世界の事を何にも知らない。

彼方の世界でサリュー様と会ったのならば、俺は何もしなかったかも

しれない。それは俺以上の知識を持つ人が沢山いて、適任な人は俺じゃ

無いと思うからだ。だが、この世界には無い俺の持つ少ない知識が、

何かのきっかけになるのならば…出来る事をしたいと思うだろ?


「俺は…諦めて死ぬより…足掻いて死にたい。勿論、サリュー様が同じ気持ちかどうかは知らないし、独り善がりだって事も分かっている…けれど、昨日のサリュー様と殿下、陛下は王族じゃ無かったんだ」

「家族だったんだ…妻で、母で、誰かの子で…1人の人だった」


カシャは、孝臣ケードの言葉が理解出来なかった。

だったら尚更、穏やかな時間を過ごさせてやる方が、最期の時まで

幸せで居られる筈では無いのか?


「なら尚更だろ?家族としてその温もりの中で穏やかな日々を送られる」


「殿下は…本当の母親から少しでも愛情をもらった方が良い…剣道を指導していて思ったことがあるんです」


「?」


「一見、品行方正な子でも…心に傷のある子の剣道は…何というか相手を傷つける攻撃的な物が多かった様に思うんです。剣道は他者を傷付ける為の物ではありません…ですが、そういう子は自分の傷を相手にぶつけがちになります。敢えて相手の尊厳を傷付けたり、逆に自分が傷付く様な…そんな剣道をしていました」

「…殿下が…そうなると?」

「愛情を知らぬ人は愛情の返し方や与え方を知らない…だから簡単に人を傷付ける…そう、殿下にはなって欲しく無い」

「そんな…大袈裟だろ?殿下には陛下も居られる」

「その陛下が愛し方を知らないのでは、殿下も愛が何なのかを知らないままです…何故、殿下が先生を慕うのか分かりませんか?」

「そりゃ、ナナセが優しいからだろ?」

「違いますよ…先生が命を張って守ったからですよ…そしてちゃんと向き合ったからだ。誰も殿下を守らないなら先生とファロが守ると…抱きしめたと聞きます」

「…」


カシャはナナセを思い出していた。

何故、ナナセに惹かれるのだろう?美しいからなのか、あの飄々とした

性格が狩猟本能をくすぐるからなのか…俺はあの強さに惹かれた。

負ける事、勝つ事に拘らず、己の生を確かめる様な戦い方に俺は魅了さ

れた。優しさや情の深さなんて物考えた事は無かったな。


「皆、忘れてますけど…殿下はまだ幼い子供なんです。本当なら我儘を言って怒られる。悪戯をして善悪を知る…その機会を周囲の大人が奪い、先生がそれを教えている…本来ならそれはサリュー様と陛下の仕事だ…」

「王族にそれを求めても意味ないぞ」

「王族だからこそ必要なんじゃないですか。だって民を導くのですよ?民にわかる事を王族が分からないでは…誰も着いては来ませんよ」

「…そういう物か?俺達はそれが当たり前だと思っていたけどな」

「だから内紛なんて事になったのでは?」

「政治にそれは関係ない」

「大有りだと俺は思いますけど…」


平行線のまま、2人は静かに語り合っていた。

ただ、孝臣ケードはバシャにサリューの想いも知って欲しいと思っていた。

しかし、それは孝臣ケードの働きで成された。後はサリューに前向きになって

欲しいとカシャに言った。

 2人の会話は通路に聞こえていたのか、リルドが厨房入り口で入る

べきか考え込んでいた。


「リルド?」

「バシャ殿下!何故ここに?」

「明日、私はナナセ殿の元へ向かう為に孝臣ケードさんに話をしに来たのだ」

「…ご決断なされたのですね」

「あぁ。私は世界を見てくる」

「サリュー様は良いのですか?」

「母上の…夢であったそうだ…世界を見たいと言っていたと陛下から聞いた…母上の夢を私が叶えたいと思う」


リルドは、つい先日まで鬱屈した想いを抱えていたバシャとは違う、

その澄み切った眼差しに、心が震えるのを感じた。


「殿下、孝臣ケード殿はお話中のご様子。先にサリュー様へご挨拶に伺った方が良いかと存じます」

「…そうか。なら仕方ない…孝臣ケードさんはここに残ると聞いたから、母上を頼むと言いたかったんだが」

「言わずとも、あの方ならそうされるでしょう」

「…そうだな。では明日の出立式の時に話をするとしよう」



 翌日、旅立ちの前にバシャはサリューの部屋へと訪れていた。

ナナセの買ってくれた黒のパンツに白の襟無しのシャツ、そして

サスペンダーといったラフな格好のバシャは、照れくさそうに

サリューのベッドサイドの椅子に腰掛け、その手を握っている。


「母上、私はナナセ殿の側で見聞を広めて参ります。必ず母上の夢を叶えますから」

「バシャ…良いですか?私の事は忘れなさい…貴方の旅です。何にも縛られず自由が何であるのかをその肌で感じるのです」

「母上、昨日…母上を引き込み手駒にする為に…私をミャオ将軍は狙っていたと仰いましたね…」

「…えぇ…それにバグワード軍事顧問も…」

「だから…私を突き放し、手放したのだと…」

「そうです」

「今は…今も…私は母上にとって不要ですか?」

「バシャ、何度でも言いましょう。私が命を捨てて貴方を守れるのならば、何度でもこの命、捨てましょう…貴方さえ無事ならば私にそれ以上望むものなど有りはしないのです…良いですか?私がもし死んでも、会えなかった事を悔やんだり、悲しむ事はせぬ様に…私はこの苦しみしかない身体を捨てて…やっと自由になれたのだと…思いなさい」

「母上!その様な事…思える筈ないではないですか!」

「今日この日より、貴方の母はナナセ殿です。私は第一側妃…ただの生みの親…私は生きる事を諦めません。いつか貴方が戻るその時、また私を貴方の母にしてください…良いですか…貴方のすべき事は私を心配する事ではないのです。しっかりと己の歩む道を探してくるのですよ」

「母上!」


バシャはサリューの細い手を額に付け泣いていたが、侍従が刻限を告げ

に来たので、涙を飲み込むとサリューにそっと抱きついた。


「…母上は私の誇りです。母上の息子に生まれた事が何よりも誇らしく思います…母上、沢山手紙を書きます…ですからそれを楽しみに待っていてください!」

サリューはバシャの頬を撫でて、額に口付けをすると囁いた。


「愛しい私の宝物…どうか無事で」

「母上も…孝臣ケード殿を宜しくお願い致します」

「ふふっ…任せなさい。あの方もこれから大変になるでしょうから、私があの方を…最期まで守りましょう」

孝臣ケードさんは、存外抜けていますからね…周りの目にまだ気付いていません…ファルファータ殿と無事添い遂げられる様にお力添えお願い致します」

「分かっていますとも。さぁ、時間です…お行きなさい」


バシャは、これからの旅に胸を躍らせつつもやっと向き合えた母との

一時の別れを惜しんだ。






















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