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拾四 毒の味
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1.
当年とって39歳になる鵜飼は脂が乗り、働き盛りだ。そこそこに見栄えも良く、話術にも長けているので聞き込みなどはお手の物である。他人の話を聞く事も苦にならないので、情報収集は彼にとっては比較的容易な仕事の内に入る。
彼、鵜飼雄介は「鳳探偵事務所」の所長兼代表取締役社長だ。従業員は彼を含めて3名となる。
興信所業界は参入が比較的容易であることから、中小の個人経営の会社まで含めると非常に裾野の広い分野となる。彼の事務所もご多分に漏れずその内の一つであり、零細企業であり、舞い込む仕事を選り好み出来る様な身分ではない。
今回の仕事は、よくよく考えたら最初から「ケチ」が付いていた。胡散臭い依頼主の話は鵜呑みにするには少々怪しげだったし、料金も小刻みに値切ってくる。信用がおける人物からの紹介でもないので、依頼数が多い時期なら断っていたかもしれない。しかし繰返すようだが、彼の事務所は零細で弱小だ。仕事を選り好み出来るほど贅沢な状況は許されていない。しかし……。
(なぜ僕はこの場に居るのだ?)
彼の左隣には屈強そうな大男が座っていた。和やかに微笑んでいるが左の眉が半ばから無い。顔面の二割程度が炎症を原因とするケロイドに覆われていた。そのケロイドに覆われている部分の毛髪が育たないらしく、一分刈りにしているにも関わらず片眉が半分と頭に部分的に毛髪が無い箇所が目立つ。どうせ坊主頭なのだから、いっその事剃り上げてしまえば目立たなくなるかもしれないがそうしていない。初対面の親しくもない強面にわざわざ尋ねる内容でもないので、鵜飼は意図的にその疑問を頭から締め出している。
「もう時間も遅いしね。必要な場所までこちらで送らせてもらいますから、鵜飼さんは時間を気にしないで飲んでください」
「はは、かたじけない」
彼は愛想笑いを目の前の男に向けた。先ほどから、その穏便な表情以外は作っていないので、顔面の筋肉がピクピク引き攣りそうだ。テーブルを挟んだ真向かいに座っている男は年齢的には鵜飼と大差なく見える。短く刈り込まれた髪の毛と高そうなスーツが良く似合う伊達男だが、目付きが非常に物騒であった。
この界隈にしては品が良い店だった。彼の右隣には、その店の No.1 というホステスが浅く腰掛け、優しげな微笑を浮かべて彼の水割りを作ってくれている。なぜ自分がヤクザの接待を受けなければいけないのか、どう考えても彼はその難問を解けなかった。
「兄貴」
そっと背後から近寄ってきた若い男が借りていただろうスマホを目の前の男に返しながら話しかけている。
「連絡つきました。お2人共すぐいらっしゃるそうです」
「わかった。お前は外にいな。到着したら、すぐに通して」
「了解しました」
自らを大崎と名乗ったその男は鵜飼を眺めて、目だけで笑った。
「鵜飼さん、先ほどのお話を再度繰り返してもらう事になるかも。手間かけて、すまないね」
「いや、大丈夫です」
興信所の仕事なんて、足と口で稼ぐものだ。出向いて人と話すので、自然、この様なタイプの人間とも話す機会は多い。しかし毎度の事ながら、話し方の極意と言うものは無いので気を使う。高圧的に出るのもダメだし、腰を低くし過ぎても不味い。その辺りのさじ加減は常に手探り状態で、相手によって対応を変えなければいけない。つまり、絶対これというテンプレは当然の事ながら無い。
目の前に居る大崎はこの界隈を根城にしている地回りだ。若い、新興の勢力だと聞いた事がある。しかし、自分が関わっている案件がヤクザになぜ引っ掛かるのかが、どうしてもわからない。
鵜飼は単純に依頼人から送られてきた写真を元に聞き込みを始めたばかりだったのだ。つい1時間ほど前に送られてきたばかりのその写真は大型と思われる二輪に乗った男の後姿だった。鮮明ではないし、フラッシュも使われていない夜間撮影だった。かろうじてナンバープレートが読み取れる程度だ。
軽自動車、二輪車などに付けられたナンバープレートは正式には「車両番号標」と呼ぶ。正式に持ち主を割り出すには時間が掛かるが、バイク自体の写真もある事だし、件の娘の素行調査関連という事で追加料金込みで調査に乗り出したのだ。
立ち寄った飲み屋のバーテンダーに見せた途端、写真についてわかる人間が居るとここまで連れてこられた。途中で罠ではないかと焦ったが、既に抜き差しならない状況になっていたのだ。
やばい案件ではない筈だったのに、何かがおかしい。
(あの大学の先生、変な話に足を突っ込んでいたのだろうか?)
彼は遠い目をして隣のホステスから作られたばかりの水割りを受け取った。
2.
「岸本さん、どうしたんすか?」
思わず、その店の外にいた男は驚いて大きな声を出した。変形した顔を晒しながら、岸本は肩を竦めながら「ノーコメント」と嘯いた。
「ヒデー面になって……。喧嘩?」
「……ノーコメント……って言ってんだろ?」
ただでさえ怖い顔が更に怖くなっている。その顔で凄まれた男はビビッて目を逸らした。
「あ、中で兄貴が待ってんです。敦さんもどーぞ。ご案内します」
乗ってきた敦のバイクをスタンドに立たせ、2人分のヘルメットを取り付ける。店の中に持ち込むのは場所を取るので嫌なのだ。
結局「ヤローと2ケツかよ?」と嘆く敦を尻目に、顔が腫れて視界が悪い岸本は敦のバイクに相乗りしてきた。
「ホントに友達? 冷てー奴だな」
「何とでも言え、後ろに乗っけるなら可愛い女の子でなくちゃ。オメーみたいなエレファントマンは願い下げじゃ」
「ちっ、この色ボケ。学が無いくせに古典な例えを出しやがって、片腹痛いわ」
走るバイクの上でぺちゃぺちゃ男2人が言い争う様は醜かった。
「やっと来たか。お客さんが待ちわびたってよ」
大崎が近づいてきた男達に和やかに声を掛けて立ち上がった。
「あ、鵜飼さんはそのまま、そのまま」
掌を下にして抑える身振りを示し、先ほどの若者が連れてきた男の1人に声を掛けた。
「敦はここ」
「わりーな、大崎さん。何、宴会でもやってたの?」
その男は相当に若そうに見えた。学校を出たばかりと考えて良さそうな若さで、下手をすれば先導してきた若者より若いかもしれない。しかし、発される気配が並ではない。些か物騒な雰囲気だ。
「岸本?」
大崎が少し驚いた様な声を出した。敦と他の人間の陰に隠れていたもう一人の容貌を見た鵜飼は内心呻いた。人間をサンドバッグ代わりにして殴る蹴るの凶行を延々と続けたらこの様になるだろうという見本の様な姿だった。腫れあがった顔を見ただけでは元の顔がわからない。
「……っすげ、派手ー。男前になったね」
「大崎さん、あっちゃんと同じ事言ってる」
「む」
苦笑した大崎は頭を掻いた。喜んでも悲しんでもいけない場面である。敦は機嫌が悪くなると扱いづらい男になる。ただ、今は他の事に気をとられているから問題はなかろう。
「んで、こちらは?」
先ほどまで大崎が座っていた席に腰を降ろした敦が正面から鵜飼を覗き込んできた。
(こいつも極道だろうか?)
若いのにえらい迫力だ。機嫌が悪いのか、鵜飼を見る目つきはかなり険悪そうだ。その左隣に人間サンドバッグが座り、鵜飼の隣に居るホステスからドリンクを勧められている。
「わりーけど、俺達はソフトドリンクでいいから。俺は運転してるし、岸本は怪我の為にアルコールは控えめにするってさ」
敦は自分の右隣に座った大崎に断りを入れ、鵜飼の左隣に座りっぱなしの巨漢に「よ」と気安く指を振った。驚いた事に、自分より年若い男相手にそのケロイドは目一杯愛想笑いをしている。
敦の質問を受けて、大崎が早速口を開いた。
「本題だけどさ。こちらの方は鵜飼さんといって、興信所の社長さんをされてるそうだ。面白い写真で聞き込み捜査をしていたんで話を伺おうとしてこちらにお越し頂いたんだよ」
(待て、その言い方だとまるで俺が警察関係者みたいに聞こえる)
焦った鵜飼の心の声を代弁するように敦が奇妙な顔つきで口を開いた。
「捜査? 興信所って警察じゃないよね?」
「ああ、わりー。捜査ではなく調査だよね? ちっと間違った」
「おい、おい」
大崎に対して苦笑する敦を前に鵜飼は手にしていた名刺入れをから1枚抜き出してそれを礼儀に則って敦に差し出した。
「申し遅れましたが、私、鵜飼雄介と申します。宜しくお願いします」
「ありがとー、俺は広田敦」
同様にもう1枚名刺を取り出し、隣の顔面変形男にも差し出す。その男も名刺を受け取って「ども、岸本だ」と短く返答してきた。
「悪いね、返せる名刺、俺達持ってないのよ」
ニヤニヤしながら敦が言葉を続ける。
「それで面白い写真って何? 見せて」
鵜飼にはこの敦の風体を見た時、妙な既視感を呼び覚まされていた。何となく嫌な予感がするので見せたくないが、この状況では見せざるを得ない。意を決して、スマホを取り出すと、受信して保存をかけていた写真を呼び出して、敦にスマホごと渡した。
「お」
彼はその写真を眺めて口を歪めた。
「へー。ほー。確かにこれは面白い」
写真と鵜飼を交互に眺めながら、人が悪い笑いをその顔に貼り付けている。隣から岸本と名乗った男も覗き込む。笑いは無い。彼はその写真を凝視すると、鵜飼の顔を穴が開くほど見つめてきた。その感情が見えない表情に薄ら寒い気分になった鵜飼は視線を外した。
この2人は異質だ。見かけも態度も表情も全く違うのに、双子みたいに何かが異様に似ている。どう考えても自分より一回り以上年下なのに、この圧迫感は何なんだろう?
3.
「俺って学が無いから詳しく知らないけど……。あんたらの調査ってさ、法的な正当性がない場合は調べる本人に通知しなければならないって前提なかったっけ?」
やはりと鵜飼は内心呻いた。嫌な予感は当たっていた。いきなり大本命にぶち当たったらしい。鵜飼は慎重に自分の唇を湿らせた。なるべく大事にしない様に、可能な限り情報を引き出したい。
「勿論そうです。だから写真に写っている方を探してたんです。見つけたらご説明差し上げ……」
言葉は最後まで続けられなかった。いきなり腕が伸びてきて鵜飼を内心飛び上がらせた。岸本がテーブル越しに鵜飼の胸倉を掴んできたのだ。容赦なくキリキリ締め上げられて、鵜飼の目を白黒させた。
「このプレート、外にあるよ。今すぐ見てくる?」
「岸本。どうどう」
興奮した馬を宥めるようなふざけた声を上げながら、敦がテーブル上を斜めに横切っている岸本の腕を取って、鵜飼を彼から解放させた。物騒な雰囲気にビビッたホステスが逃げ腰になっている。
「大怪我したばっかだから、お茶目はダメ。ヒビ入った骨がちゃんとくっつかないよ」
「何? 顔だけじゃないんだ? もしかして満身創痍?」
可笑しそうに大崎が横から笑う。
「そりゃ、普通の奴なら絶対安静で病院に寝てる傷ですよ。こいつ、信じられないほど頑丈な奴だわ」
「ダンプと喧嘩でもしたの?」
大崎の顔が物騒な笑いに歪む。どう考えても人間から受けた傷である事は明白なのにこの様な物言いをする。敦も岸本もこういった乗りは結構好きなので、同様な表情で笑う。ひとしきり、岸本の頑丈さの内輪ネタを身内で楽しんだ後、敦は視線を鵜飼に戻した。
「多分察しているかもしれないけど、ここに写っている間抜けは俺。撮影された場所と時間にも心当たりはあるよ」
敦はその写真を見ながら自嘲で唇を歪めた。暗い場所での撮影だし、フラッシュさえも焚かれていないが、信号で停まった交差点に見える○○マートの看板に見覚えがある。
「普通、こういったナンプレから持ち主を割り出すのは一般人には無理だけど、あんたらなら方法持ってんだろ? [蛇の道は蛇] って言うしね。でも、その手間を減らしてあげる。バイクのオーナーは俺。広田敦様だよ」
彼は何が可笑しいのか、ニヤニヤ笑いながら鵜飼を眺める。
「んで、あんたは俺を調べる法的な正当性がない筈だから教えて。誰がどういった理由で俺の写真を撮って、あんたに調査を依頼したの? そういえば俺に断り無く写真撮影したのも問題じゃね? 何だっけ? [肖像権の侵害]? それとも[盗撮]?」
欠伸をかみ殺す様な素振りを見せながらも、敦は鵜飼を睨む。その目は笑ってない。
「俺ってばさ、法律とか詳しくないからよくわかんねー。こういった事に詳しい友達いるから、今度訊いておくよ」
ひたすら蒼褪めて、冷や汗を垂らしている鵜飼の目を覗き込みながら面白そうに尋ねる。
「んで、答えは? どこの鼻毛ヤローが俺をコソコソ覗き見して、盗撮しやがったの? まさか俺のファンクラブ会長です……なぁんて冗談は言わないでね」
敦は怒りが積もってくるのを感じていた。目の前の鵜飼という男は彼の怒りとは直接関係は無い。怒りはこの様なおかしな事態を招いた自分の気の緩みに対してである。
この写真を見る限り、これは約1時間ほど前に真由を家まで送った時に撮られた物だろう。このアングルで写真を撮られたとすると、撮影は建物の中や山辺邸からではない。多分、交差点近くの路上の暗闇に撮影者は潜んでいたのだろう。今更ながら、彼女を家まで送り届けて良かったと胸をなでおろす。人通りが絶えたあの道を歩いてきた真由がこの撮影者と遭遇した場合を想像するだけでゾッとした。
どんどん機嫌が悪くなっていく敦を横目に見ながら、岸本と大崎は楽しくて堪らない。自分が怒りの矛先にいない限り、相手をとことん苛めようとする敦の毒は胸がすく程の気持ちよさを見る者に提供する。この楽しみを更に盛り立てる為にも鵜飼には、是非、間抜けな言葉を吐いていただきたい。彼らは心躍る気分で鵜飼の次の言動を待っていた。
「いや、僕も詳しい話はまだ聞いてないんです」
「あ?」
苦し紛れに言い逃れをしようとする鵜飼を敦が眺めた。岸本と大崎は素早く目を見交わしながらニンマリ笑う。
「詳しく判らなくても調査に乗り出すの? 下手すれば名誉毀損や人権問題にまで発展するリスクがあんのじゃね?」
簡単に言い逃れが出来なさそうな雰囲気だ。敦はまだ暴力には訴えようとはしていないが、その気になればいつでも殺すぞこのやろーという物騒な気配を先ほどから醸し出している。そして、鵜飼自身と隣に座るホステス以外の人間は皆、それを待ち望んでいるような気配だ。鵜飼は(やばい)と内心、焦った。私刑を誘発する危険度が高い。
テーブルの上に置かれた敦の手が拳を作ってピクピク動いている。時々、握りなおされているそれは凶悪な形状をしていた。
(あれって拳ダコ?)
傷を負い、そこが治癒され、硬化したような箇所が目立っている。何をしたらあの様になるのか皆目検討が付かない。ふと視線をズラして岸本の手を見る。奴は来店後3本目の煙草に丁度火をつけたところだった。ゾッとした。敦と似たり寄ったりの凶悪な手だ。(何こいつら? 同じ穴の狢?)当たらずとも遠からずだろう。
「だんまりかよ?」
ふと気付いたら、眼前に敦の顔が迫っている。
「あ……いや……」
「警察の取調室に居るわけじゃないんだよ、鵜飼さん? 道理に外れた行為はダメだからと思って、我慢強くお願いしてんのに、返答しないってどういうつもり? 黙秘権なんて使われても困る事になるのはそっちだよ」
「あっちゃん、まずは証拠から見せてあげなくちゃ」
岸本が蒼褪めた鵜飼を思いやる様にして、助言を耳打ちした。
「ああ、そっか。まずはそこからだな」
敦は青筋が出かかった額を宥めるようにして指先で揉むと、わざとらしい笑顔を作って鵜飼に語りかけた。
「ちと、俺のバイク見せてあげるよ。お姉ちゃん、ちょっと彼を通してあげて?」
ホステスは慌てて席を立って鵜飼が出てくる道を開ける。
「俺についてきて」
穏やかそうな声音で鵜飼を先導しているが、鵜飼にしてみると刑場に引き出される罪人の気分だ。外で何をされるかわからない。ドアを開けた敦に続いてビクビクしながら外に出ると音を立てずに後ろから岸本がついてきたのに気付いた。
「ほら」
敦は後ろから付いてきた鵜飼の肩に腕を廻して引き寄せると、そこに停めているバイクを指し示した。
「さっきの写真のバイクと比べてみて」
スマホの写真をもう一度呼び出し、比べてみる。敦が言っている様に間違いなくそれは写真のバイクと合致した。
「ね。これで俺が調査対象ってわかったよね?」
朗らかに敦が語りかけてくる。
「次は鵜飼さんの番だね。誰がどういった理由で俺の写真を撮って、あんたに調査を依頼したの?」
ニヤニヤしながら組んだ肩を引き寄せながら鵜飼の顔を覗き込んでくる。
「俺さ、結構短気で気分にムラッ気があるので有名なんだ」
鵜飼の耳に口を近づけて囁くように笑った。敦のバイクには棒を差した筒が取り付けられている。その筒から棒を片手で引いて抜き出した。それは子供用の木製野球バットだった。使い込まれているようで結構古い。
「俺の愛バットだよ。可愛いだろ? ガキん時から使っているんだ。ほら」
先端の太くなっている部分を鵜飼の顔の前に突きつけてきた。
「結構、色々な事に仕えて便利なんだ。まあ、これは子供用だから野球にはもう使わないけど」
何か赤黒い染みが見える。これって何だろうと鵜飼は焦点が外れかけた目でそのバットの染みを見つめた。
(まさか、まさか)
「人間じゃないから安心して。かなり昔だけど、飼ってる犬をけしかけてきた間抜けヤローが居てね。その犬を叩き殺した時の名残り。犬って結構強いんだよ。正確にこちらの急所を狙って襲ってきやがるし」
鵜飼の目の前で敦は楽しそうにそのバットを振り回した。
「あん時はスカッとしたな。頭蓋骨陥没させてもまだ飛び掛ってきやがるからちょっと焦ったけどね。脚、叩き折ったらやっと動かなくなってホッとしたわ。言っとくけど、バットは飼い主のクソヤローには使わなかったよ。ちゃんと素手で血祭りに上げたから」
近くでブッと岸本の笑いが聞こえた。
「あっちゃん、それって阿部の話?」
「そそ。懐かしいっしょ? あれ以来大人しくなったよね。あいつ」
「犬の名前、なんてったっけ?」
「忘れちゃダメだよ。あんな愉快な名前。[力道山] だよ。まだ若かったのに子孫残せなかったのは残念だったよね」
バイクに取り付けられた筒にバットを戻して、敦は両の掌を合わせて「南無」と呟いた。悪戯っ子の様な目付きで笑っている。今聞いた話が本当かどうかはもうどうでもいい。鵜飼はもうこの仕事から撤退したくなっていた。早くこの界隈から立ち去りたい。この連中とは金輪際関わりたくない。故意ではないにしろ、充分に味わった苦い毒に辟易している。
敦は笑いながら鵜飼を眺める。
「そろそろ、説明をしてくれるかな? 鵜飼さん。喉も渇いてきたし、店内に戻ろうよ」
「そうですね」
「やった! 説明してくれるってさ。俺の熱意が伝わったみたい」
「良かったね、あっちゃん……」
店内に戻ろうという箇所に反応して答えたつもりだった鵜飼は呆気にとられる。しかし、今更訂正する勇気はもはや無い。岸本は岸本で、どう見ても期待外れの失意を隠そうともしない態度だった。
酷い目にあったのが自分だけなんて寂しすぎる。誰か赤の他人が苦しみもがく姿を見て溜飲を下げようと考えていた彼は、大変残念な結果になりそうな展開に投げやりになっている。そして、この奇妙な2人組みを眺めながら、鵜飼も諦めの境地に陥る。
(もうどうとでもなれ)
依頼人の情報を調査対象に漏らすなんて信用問題だが、仕方がない。料金を値切る胡散臭い客より、五体満足な明日を選択して何が悪い?
4.
朝の光が眩しい。真由は比較的早い時間に目が覚めた。
(本日はお父様がお戻りになられるわね)
庭を見下ろしながら背伸びをする。犬達が窓の外を覗いている真由の気配に気付いたらしく、こちらを見上げている姿が見えた。
「おはよう」
小さい声で犬達に話しかける。離れていてもその程度の距離なら自分の気持ちは充分届く事を知っている真由の目にパタパタと景気良く振られる犬達の尻尾が見えた。
携帯を確認すると、夜中のうちに敦からのメールが一通届いていた。内容は、遅い時間などにはなるべく1人で外を歩き回らないようにという内容だった。
「敦さん、もしかしたら物凄い心配性なのかしら?」
(きっと娘でも出来ようものなら、とても過保護なお父様になりそうですわ)
真由は飛躍して想像した将来の家族像に照れて、1人赤面した。
当年とって39歳になる鵜飼は脂が乗り、働き盛りだ。そこそこに見栄えも良く、話術にも長けているので聞き込みなどはお手の物である。他人の話を聞く事も苦にならないので、情報収集は彼にとっては比較的容易な仕事の内に入る。
彼、鵜飼雄介は「鳳探偵事務所」の所長兼代表取締役社長だ。従業員は彼を含めて3名となる。
興信所業界は参入が比較的容易であることから、中小の個人経営の会社まで含めると非常に裾野の広い分野となる。彼の事務所もご多分に漏れずその内の一つであり、零細企業であり、舞い込む仕事を選り好み出来る様な身分ではない。
今回の仕事は、よくよく考えたら最初から「ケチ」が付いていた。胡散臭い依頼主の話は鵜呑みにするには少々怪しげだったし、料金も小刻みに値切ってくる。信用がおける人物からの紹介でもないので、依頼数が多い時期なら断っていたかもしれない。しかし繰返すようだが、彼の事務所は零細で弱小だ。仕事を選り好み出来るほど贅沢な状況は許されていない。しかし……。
(なぜ僕はこの場に居るのだ?)
彼の左隣には屈強そうな大男が座っていた。和やかに微笑んでいるが左の眉が半ばから無い。顔面の二割程度が炎症を原因とするケロイドに覆われていた。そのケロイドに覆われている部分の毛髪が育たないらしく、一分刈りにしているにも関わらず片眉が半分と頭に部分的に毛髪が無い箇所が目立つ。どうせ坊主頭なのだから、いっその事剃り上げてしまえば目立たなくなるかもしれないがそうしていない。初対面の親しくもない強面にわざわざ尋ねる内容でもないので、鵜飼は意図的にその疑問を頭から締め出している。
「もう時間も遅いしね。必要な場所までこちらで送らせてもらいますから、鵜飼さんは時間を気にしないで飲んでください」
「はは、かたじけない」
彼は愛想笑いを目の前の男に向けた。先ほどから、その穏便な表情以外は作っていないので、顔面の筋肉がピクピク引き攣りそうだ。テーブルを挟んだ真向かいに座っている男は年齢的には鵜飼と大差なく見える。短く刈り込まれた髪の毛と高そうなスーツが良く似合う伊達男だが、目付きが非常に物騒であった。
この界隈にしては品が良い店だった。彼の右隣には、その店の No.1 というホステスが浅く腰掛け、優しげな微笑を浮かべて彼の水割りを作ってくれている。なぜ自分がヤクザの接待を受けなければいけないのか、どう考えても彼はその難問を解けなかった。
「兄貴」
そっと背後から近寄ってきた若い男が借りていただろうスマホを目の前の男に返しながら話しかけている。
「連絡つきました。お2人共すぐいらっしゃるそうです」
「わかった。お前は外にいな。到着したら、すぐに通して」
「了解しました」
自らを大崎と名乗ったその男は鵜飼を眺めて、目だけで笑った。
「鵜飼さん、先ほどのお話を再度繰り返してもらう事になるかも。手間かけて、すまないね」
「いや、大丈夫です」
興信所の仕事なんて、足と口で稼ぐものだ。出向いて人と話すので、自然、この様なタイプの人間とも話す機会は多い。しかし毎度の事ながら、話し方の極意と言うものは無いので気を使う。高圧的に出るのもダメだし、腰を低くし過ぎても不味い。その辺りのさじ加減は常に手探り状態で、相手によって対応を変えなければいけない。つまり、絶対これというテンプレは当然の事ながら無い。
目の前に居る大崎はこの界隈を根城にしている地回りだ。若い、新興の勢力だと聞いた事がある。しかし、自分が関わっている案件がヤクザになぜ引っ掛かるのかが、どうしてもわからない。
鵜飼は単純に依頼人から送られてきた写真を元に聞き込みを始めたばかりだったのだ。つい1時間ほど前に送られてきたばかりのその写真は大型と思われる二輪に乗った男の後姿だった。鮮明ではないし、フラッシュも使われていない夜間撮影だった。かろうじてナンバープレートが読み取れる程度だ。
軽自動車、二輪車などに付けられたナンバープレートは正式には「車両番号標」と呼ぶ。正式に持ち主を割り出すには時間が掛かるが、バイク自体の写真もある事だし、件の娘の素行調査関連という事で追加料金込みで調査に乗り出したのだ。
立ち寄った飲み屋のバーテンダーに見せた途端、写真についてわかる人間が居るとここまで連れてこられた。途中で罠ではないかと焦ったが、既に抜き差しならない状況になっていたのだ。
やばい案件ではない筈だったのに、何かがおかしい。
(あの大学の先生、変な話に足を突っ込んでいたのだろうか?)
彼は遠い目をして隣のホステスから作られたばかりの水割りを受け取った。
2.
「岸本さん、どうしたんすか?」
思わず、その店の外にいた男は驚いて大きな声を出した。変形した顔を晒しながら、岸本は肩を竦めながら「ノーコメント」と嘯いた。
「ヒデー面になって……。喧嘩?」
「……ノーコメント……って言ってんだろ?」
ただでさえ怖い顔が更に怖くなっている。その顔で凄まれた男はビビッて目を逸らした。
「あ、中で兄貴が待ってんです。敦さんもどーぞ。ご案内します」
乗ってきた敦のバイクをスタンドに立たせ、2人分のヘルメットを取り付ける。店の中に持ち込むのは場所を取るので嫌なのだ。
結局「ヤローと2ケツかよ?」と嘆く敦を尻目に、顔が腫れて視界が悪い岸本は敦のバイクに相乗りしてきた。
「ホントに友達? 冷てー奴だな」
「何とでも言え、後ろに乗っけるなら可愛い女の子でなくちゃ。オメーみたいなエレファントマンは願い下げじゃ」
「ちっ、この色ボケ。学が無いくせに古典な例えを出しやがって、片腹痛いわ」
走るバイクの上でぺちゃぺちゃ男2人が言い争う様は醜かった。
「やっと来たか。お客さんが待ちわびたってよ」
大崎が近づいてきた男達に和やかに声を掛けて立ち上がった。
「あ、鵜飼さんはそのまま、そのまま」
掌を下にして抑える身振りを示し、先ほどの若者が連れてきた男の1人に声を掛けた。
「敦はここ」
「わりーな、大崎さん。何、宴会でもやってたの?」
その男は相当に若そうに見えた。学校を出たばかりと考えて良さそうな若さで、下手をすれば先導してきた若者より若いかもしれない。しかし、発される気配が並ではない。些か物騒な雰囲気だ。
「岸本?」
大崎が少し驚いた様な声を出した。敦と他の人間の陰に隠れていたもう一人の容貌を見た鵜飼は内心呻いた。人間をサンドバッグ代わりにして殴る蹴るの凶行を延々と続けたらこの様になるだろうという見本の様な姿だった。腫れあがった顔を見ただけでは元の顔がわからない。
「……っすげ、派手ー。男前になったね」
「大崎さん、あっちゃんと同じ事言ってる」
「む」
苦笑した大崎は頭を掻いた。喜んでも悲しんでもいけない場面である。敦は機嫌が悪くなると扱いづらい男になる。ただ、今は他の事に気をとられているから問題はなかろう。
「んで、こちらは?」
先ほどまで大崎が座っていた席に腰を降ろした敦が正面から鵜飼を覗き込んできた。
(こいつも極道だろうか?)
若いのにえらい迫力だ。機嫌が悪いのか、鵜飼を見る目つきはかなり険悪そうだ。その左隣に人間サンドバッグが座り、鵜飼の隣に居るホステスからドリンクを勧められている。
「わりーけど、俺達はソフトドリンクでいいから。俺は運転してるし、岸本は怪我の為にアルコールは控えめにするってさ」
敦は自分の右隣に座った大崎に断りを入れ、鵜飼の左隣に座りっぱなしの巨漢に「よ」と気安く指を振った。驚いた事に、自分より年若い男相手にそのケロイドは目一杯愛想笑いをしている。
敦の質問を受けて、大崎が早速口を開いた。
「本題だけどさ。こちらの方は鵜飼さんといって、興信所の社長さんをされてるそうだ。面白い写真で聞き込み捜査をしていたんで話を伺おうとしてこちらにお越し頂いたんだよ」
(待て、その言い方だとまるで俺が警察関係者みたいに聞こえる)
焦った鵜飼の心の声を代弁するように敦が奇妙な顔つきで口を開いた。
「捜査? 興信所って警察じゃないよね?」
「ああ、わりー。捜査ではなく調査だよね? ちっと間違った」
「おい、おい」
大崎に対して苦笑する敦を前に鵜飼は手にしていた名刺入れをから1枚抜き出してそれを礼儀に則って敦に差し出した。
「申し遅れましたが、私、鵜飼雄介と申します。宜しくお願いします」
「ありがとー、俺は広田敦」
同様にもう1枚名刺を取り出し、隣の顔面変形男にも差し出す。その男も名刺を受け取って「ども、岸本だ」と短く返答してきた。
「悪いね、返せる名刺、俺達持ってないのよ」
ニヤニヤしながら敦が言葉を続ける。
「それで面白い写真って何? 見せて」
鵜飼にはこの敦の風体を見た時、妙な既視感を呼び覚まされていた。何となく嫌な予感がするので見せたくないが、この状況では見せざるを得ない。意を決して、スマホを取り出すと、受信して保存をかけていた写真を呼び出して、敦にスマホごと渡した。
「お」
彼はその写真を眺めて口を歪めた。
「へー。ほー。確かにこれは面白い」
写真と鵜飼を交互に眺めながら、人が悪い笑いをその顔に貼り付けている。隣から岸本と名乗った男も覗き込む。笑いは無い。彼はその写真を凝視すると、鵜飼の顔を穴が開くほど見つめてきた。その感情が見えない表情に薄ら寒い気分になった鵜飼は視線を外した。
この2人は異質だ。見かけも態度も表情も全く違うのに、双子みたいに何かが異様に似ている。どう考えても自分より一回り以上年下なのに、この圧迫感は何なんだろう?
3.
「俺って学が無いから詳しく知らないけど……。あんたらの調査ってさ、法的な正当性がない場合は調べる本人に通知しなければならないって前提なかったっけ?」
やはりと鵜飼は内心呻いた。嫌な予感は当たっていた。いきなり大本命にぶち当たったらしい。鵜飼は慎重に自分の唇を湿らせた。なるべく大事にしない様に、可能な限り情報を引き出したい。
「勿論そうです。だから写真に写っている方を探してたんです。見つけたらご説明差し上げ……」
言葉は最後まで続けられなかった。いきなり腕が伸びてきて鵜飼を内心飛び上がらせた。岸本がテーブル越しに鵜飼の胸倉を掴んできたのだ。容赦なくキリキリ締め上げられて、鵜飼の目を白黒させた。
「このプレート、外にあるよ。今すぐ見てくる?」
「岸本。どうどう」
興奮した馬を宥めるようなふざけた声を上げながら、敦がテーブル上を斜めに横切っている岸本の腕を取って、鵜飼を彼から解放させた。物騒な雰囲気にビビッたホステスが逃げ腰になっている。
「大怪我したばっかだから、お茶目はダメ。ヒビ入った骨がちゃんとくっつかないよ」
「何? 顔だけじゃないんだ? もしかして満身創痍?」
可笑しそうに大崎が横から笑う。
「そりゃ、普通の奴なら絶対安静で病院に寝てる傷ですよ。こいつ、信じられないほど頑丈な奴だわ」
「ダンプと喧嘩でもしたの?」
大崎の顔が物騒な笑いに歪む。どう考えても人間から受けた傷である事は明白なのにこの様な物言いをする。敦も岸本もこういった乗りは結構好きなので、同様な表情で笑う。ひとしきり、岸本の頑丈さの内輪ネタを身内で楽しんだ後、敦は視線を鵜飼に戻した。
「多分察しているかもしれないけど、ここに写っている間抜けは俺。撮影された場所と時間にも心当たりはあるよ」
敦はその写真を見ながら自嘲で唇を歪めた。暗い場所での撮影だし、フラッシュさえも焚かれていないが、信号で停まった交差点に見える○○マートの看板に見覚えがある。
「普通、こういったナンプレから持ち主を割り出すのは一般人には無理だけど、あんたらなら方法持ってんだろ? [蛇の道は蛇] って言うしね。でも、その手間を減らしてあげる。バイクのオーナーは俺。広田敦様だよ」
彼は何が可笑しいのか、ニヤニヤ笑いながら鵜飼を眺める。
「んで、あんたは俺を調べる法的な正当性がない筈だから教えて。誰がどういった理由で俺の写真を撮って、あんたに調査を依頼したの? そういえば俺に断り無く写真撮影したのも問題じゃね? 何だっけ? [肖像権の侵害]? それとも[盗撮]?」
欠伸をかみ殺す様な素振りを見せながらも、敦は鵜飼を睨む。その目は笑ってない。
「俺ってばさ、法律とか詳しくないからよくわかんねー。こういった事に詳しい友達いるから、今度訊いておくよ」
ひたすら蒼褪めて、冷や汗を垂らしている鵜飼の目を覗き込みながら面白そうに尋ねる。
「んで、答えは? どこの鼻毛ヤローが俺をコソコソ覗き見して、盗撮しやがったの? まさか俺のファンクラブ会長です……なぁんて冗談は言わないでね」
敦は怒りが積もってくるのを感じていた。目の前の鵜飼という男は彼の怒りとは直接関係は無い。怒りはこの様なおかしな事態を招いた自分の気の緩みに対してである。
この写真を見る限り、これは約1時間ほど前に真由を家まで送った時に撮られた物だろう。このアングルで写真を撮られたとすると、撮影は建物の中や山辺邸からではない。多分、交差点近くの路上の暗闇に撮影者は潜んでいたのだろう。今更ながら、彼女を家まで送り届けて良かったと胸をなでおろす。人通りが絶えたあの道を歩いてきた真由がこの撮影者と遭遇した場合を想像するだけでゾッとした。
どんどん機嫌が悪くなっていく敦を横目に見ながら、岸本と大崎は楽しくて堪らない。自分が怒りの矛先にいない限り、相手をとことん苛めようとする敦の毒は胸がすく程の気持ちよさを見る者に提供する。この楽しみを更に盛り立てる為にも鵜飼には、是非、間抜けな言葉を吐いていただきたい。彼らは心躍る気分で鵜飼の次の言動を待っていた。
「いや、僕も詳しい話はまだ聞いてないんです」
「あ?」
苦し紛れに言い逃れをしようとする鵜飼を敦が眺めた。岸本と大崎は素早く目を見交わしながらニンマリ笑う。
「詳しく判らなくても調査に乗り出すの? 下手すれば名誉毀損や人権問題にまで発展するリスクがあんのじゃね?」
簡単に言い逃れが出来なさそうな雰囲気だ。敦はまだ暴力には訴えようとはしていないが、その気になればいつでも殺すぞこのやろーという物騒な気配を先ほどから醸し出している。そして、鵜飼自身と隣に座るホステス以外の人間は皆、それを待ち望んでいるような気配だ。鵜飼は(やばい)と内心、焦った。私刑を誘発する危険度が高い。
テーブルの上に置かれた敦の手が拳を作ってピクピク動いている。時々、握りなおされているそれは凶悪な形状をしていた。
(あれって拳ダコ?)
傷を負い、そこが治癒され、硬化したような箇所が目立っている。何をしたらあの様になるのか皆目検討が付かない。ふと視線をズラして岸本の手を見る。奴は来店後3本目の煙草に丁度火をつけたところだった。ゾッとした。敦と似たり寄ったりの凶悪な手だ。(何こいつら? 同じ穴の狢?)当たらずとも遠からずだろう。
「だんまりかよ?」
ふと気付いたら、眼前に敦の顔が迫っている。
「あ……いや……」
「警察の取調室に居るわけじゃないんだよ、鵜飼さん? 道理に外れた行為はダメだからと思って、我慢強くお願いしてんのに、返答しないってどういうつもり? 黙秘権なんて使われても困る事になるのはそっちだよ」
「あっちゃん、まずは証拠から見せてあげなくちゃ」
岸本が蒼褪めた鵜飼を思いやる様にして、助言を耳打ちした。
「ああ、そっか。まずはそこからだな」
敦は青筋が出かかった額を宥めるようにして指先で揉むと、わざとらしい笑顔を作って鵜飼に語りかけた。
「ちと、俺のバイク見せてあげるよ。お姉ちゃん、ちょっと彼を通してあげて?」
ホステスは慌てて席を立って鵜飼が出てくる道を開ける。
「俺についてきて」
穏やかそうな声音で鵜飼を先導しているが、鵜飼にしてみると刑場に引き出される罪人の気分だ。外で何をされるかわからない。ドアを開けた敦に続いてビクビクしながら外に出ると音を立てずに後ろから岸本がついてきたのに気付いた。
「ほら」
敦は後ろから付いてきた鵜飼の肩に腕を廻して引き寄せると、そこに停めているバイクを指し示した。
「さっきの写真のバイクと比べてみて」
スマホの写真をもう一度呼び出し、比べてみる。敦が言っている様に間違いなくそれは写真のバイクと合致した。
「ね。これで俺が調査対象ってわかったよね?」
朗らかに敦が語りかけてくる。
「次は鵜飼さんの番だね。誰がどういった理由で俺の写真を撮って、あんたに調査を依頼したの?」
ニヤニヤしながら組んだ肩を引き寄せながら鵜飼の顔を覗き込んでくる。
「俺さ、結構短気で気分にムラッ気があるので有名なんだ」
鵜飼の耳に口を近づけて囁くように笑った。敦のバイクには棒を差した筒が取り付けられている。その筒から棒を片手で引いて抜き出した。それは子供用の木製野球バットだった。使い込まれているようで結構古い。
「俺の愛バットだよ。可愛いだろ? ガキん時から使っているんだ。ほら」
先端の太くなっている部分を鵜飼の顔の前に突きつけてきた。
「結構、色々な事に仕えて便利なんだ。まあ、これは子供用だから野球にはもう使わないけど」
何か赤黒い染みが見える。これって何だろうと鵜飼は焦点が外れかけた目でそのバットの染みを見つめた。
(まさか、まさか)
「人間じゃないから安心して。かなり昔だけど、飼ってる犬をけしかけてきた間抜けヤローが居てね。その犬を叩き殺した時の名残り。犬って結構強いんだよ。正確にこちらの急所を狙って襲ってきやがるし」
鵜飼の目の前で敦は楽しそうにそのバットを振り回した。
「あん時はスカッとしたな。頭蓋骨陥没させてもまだ飛び掛ってきやがるからちょっと焦ったけどね。脚、叩き折ったらやっと動かなくなってホッとしたわ。言っとくけど、バットは飼い主のクソヤローには使わなかったよ。ちゃんと素手で血祭りに上げたから」
近くでブッと岸本の笑いが聞こえた。
「あっちゃん、それって阿部の話?」
「そそ。懐かしいっしょ? あれ以来大人しくなったよね。あいつ」
「犬の名前、なんてったっけ?」
「忘れちゃダメだよ。あんな愉快な名前。[力道山] だよ。まだ若かったのに子孫残せなかったのは残念だったよね」
バイクに取り付けられた筒にバットを戻して、敦は両の掌を合わせて「南無」と呟いた。悪戯っ子の様な目付きで笑っている。今聞いた話が本当かどうかはもうどうでもいい。鵜飼はもうこの仕事から撤退したくなっていた。早くこの界隈から立ち去りたい。この連中とは金輪際関わりたくない。故意ではないにしろ、充分に味わった苦い毒に辟易している。
敦は笑いながら鵜飼を眺める。
「そろそろ、説明をしてくれるかな? 鵜飼さん。喉も渇いてきたし、店内に戻ろうよ」
「そうですね」
「やった! 説明してくれるってさ。俺の熱意が伝わったみたい」
「良かったね、あっちゃん……」
店内に戻ろうという箇所に反応して答えたつもりだった鵜飼は呆気にとられる。しかし、今更訂正する勇気はもはや無い。岸本は岸本で、どう見ても期待外れの失意を隠そうともしない態度だった。
酷い目にあったのが自分だけなんて寂しすぎる。誰か赤の他人が苦しみもがく姿を見て溜飲を下げようと考えていた彼は、大変残念な結果になりそうな展開に投げやりになっている。そして、この奇妙な2人組みを眺めながら、鵜飼も諦めの境地に陥る。
(もうどうとでもなれ)
依頼人の情報を調査対象に漏らすなんて信用問題だが、仕方がない。料金を値切る胡散臭い客より、五体満足な明日を選択して何が悪い?
4.
朝の光が眩しい。真由は比較的早い時間に目が覚めた。
(本日はお父様がお戻りになられるわね)
庭を見下ろしながら背伸びをする。犬達が窓の外を覗いている真由の気配に気付いたらしく、こちらを見上げている姿が見えた。
「おはよう」
小さい声で犬達に話しかける。離れていてもその程度の距離なら自分の気持ちは充分届く事を知っている真由の目にパタパタと景気良く振られる犬達の尻尾が見えた。
携帯を確認すると、夜中のうちに敦からのメールが一通届いていた。内容は、遅い時間などにはなるべく1人で外を歩き回らないようにという内容だった。
「敦さん、もしかしたら物凄い心配性なのかしら?」
(きっと娘でも出来ようものなら、とても過保護なお父様になりそうですわ)
真由は飛躍して想像した将来の家族像に照れて、1人赤面した。
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