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第一章

見知らぬ女性

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 学院での広報活動は上手くいっているのですが、ヒューバート様との仲は特に進展もなく、婚約してちょうど一年経った頃の長期休みのことでした。

 わたくしは懲りもせず、埃っぽいヘビントン領に降り立ちました。

 いえ、反省はしました。

 以前は休日のたびに「来ちゃった」作戦を決行していたのですが、王都に帰るのを渋ったことが多々あり、それをやんわりと叱られてしまったので……。

「めっ。悪い子だ。しばらく来てはいけないよ。学生はしっかり勉強しなさい」

 ……ええ、前回の訪問から、三ヶ月出禁になっていたのです。さらにヒューバート様も経営に必死で、王都に戻ってこなかったので、お会いするのは本当に久しぶりでした。

 お顔を見ることができなくて死ぬのではないかと思いましたが、ミラベルの励ましのおかげで──ヒューバート様の服をお借りし、クンカクンカすることで──なんとか生き長らえることができたのです。

 ですが今回は学院の長期休暇。ひと月近く、一緒に過ごせるのです!



 ヘビントン侯爵領ではさらに羊が増え、領民より羊が多いのではないかというほど、休耕地が埋めつくされておりました。屋敷の敷地内でもウロウロしているのですもの……。

 扉をノックすると、少しやつれた顔のヒューバート様が出迎えてくれました。疲れてはいるようでしたが、いつものように柔らかい笑みを浮かべて。

「やあ、シンシア。よく来たね」

 ヒューバート様! 久しぶりすぎて涙が零れそうです。 

 飛びつくように抱き着くと、ヒューバート様の口からグフッと声が漏れ、よろけてひっくり返ってしまわれました。

「少し痩せたかい? 体の調子は大丈夫?」

 尻をポンポン叩きながら、彼は注意深くわたくしを観察なさいました。体調を心配されているようです。

 ちがうの、お兄様に隠れ食いが見つかって、ついには食品庫に鍵をかけられてしまったから……学院でしか、たくさん食べられなかったの。

「僕に会えなくて寂しかったからかな?」
「そうですわ! ヒューバート様に会えなくて寂しかったからですわ!」

 でもヒューバート様に心配をかけるくらいなら、がんばって食べます!

「王都や学院や、ミラベルのこと、いっぱいお話したいですわっ」
「うん、夜にでも聞くよ。ごめんね、なかなか戻れなくて。来る前に速達で連絡をくれれば、もっと君と過ごす時間を取れたんだけど。あいにく今日は羊毛の仕入れ業者の選定を入れてしまっていて──」

 ヒューバート様の言葉を消すように、絹を切り裂くような悲鳴が聞こえました。

「ヘビントン侯爵!」

 女性の声でした。

 それからわたくしの体が上に引っ張られました。後ろを振り返ろうとしましたが、首が回らず、そのまま床の上にひっくり返ってしまいます。

 まるで亀のようにバタバタしてしまいましたが、それで初めて、その女性の存在に気づいたのです。

「圧死なさっているのかと思いましたわ。一体これは……」

 じろりと睨んできたのは、栗色の髪の女性です。

 ヒューバート様は差し伸べられた彼女の手を握って起きあがると、苦笑いしました。

 わたくしを抱え起こして、その女性の方に向けました。

「ナディーン嬢、紹介しますね。こちらは僕の婚約者、シンシアです」
「え……」

 わたくしはその女性がカクンと顎を落とすのを見て、彼女もヒューバート様に群がる鮫令嬢の一人なのだと確信いたしました。直感ですわ。

「こちらの方は?」
「彼女は──」
「わたくしは、ハートフィールド伯爵の娘ナディーンと申します」

 その女性はヒューバート様の紹介を待たずに、自己紹介をなさいました。見た目は大人しそうなのに、はきはき物を言うタイプです。

 落ち着いた褐色の髪は、くせっ毛のわたくしが歯軋りして羨ましくなるぐらいのストレートでした。

 しかしながら、いつもヒューバート様に群がる鮫令嬢たちのような、華やかさはございません。

 むしろ地味なくらいでした。おそらくドレスやアクセサリーが、控えめだったからでしょう。

「実はこのナディーン嬢、遠縁なんだ。北部のハートフィールド伯爵領から、お父上と一緒にはるばる訪ねて来てくださった」

 ナディーン様は恥じるように俯きました。

「はっきりおっしゃっていただいてもよろしくてよ、ヒューバート様」

 わたくしが首を傾げると、彼女は弱々しく微笑みました。

「資金援助のお願いに参ったと」

 そうおっしゃった彼女は酷く自分を恥じているようでした。おそらくプライドがそうさせているのでしょう。

 ヒューバート様が困ったように口を閉ざしました。

 やがて、誠実さの溢れ出る声で彼はおっしゃいました。

「縁者が困っている時に助けるのは当たり前だよ、ナディーン嬢」

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