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第二章

豚と幸せな日々

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 結論から申しますと、結婚の準備が整うまでの領地での一週間、とても有意義な時間を過ごせました。

 同衾については、わたくしが慣れることは一生無い気はいたしますが、彼がリラックスしてくれるなら、この豚のハツ──心臓など、破裂したって構わないのです。

 ただ……朝起きる度に、胸元や首筋に変な痣ができているのが気になりました。南部のように、蚊でもいるのかしら? 痒くはないけど、蚊帳が必要? 

 ヒューバート様は刺されていないとおっしゃっていましたから、わたくしの血が甘いのですわね…………あれ? 今そんな季節じゃございませんわよ?

 目障りなナディーン様ゲホゲホ──いえ、ストーンヒルズ夫妻が仕事を終えてお帰りになったことも、気持ちに余裕を持たせる一因となりました。

 彼女がいると、どうしてもわたくしは醜い女になり下がってしまうので。

 そして、ヘビントン侯爵家の家令から、領地の事業計画書を見せてもらえたことが、有意義に過ごせたと感じた一番の理由でした。離婚するその日までヒューバート様を支えていくのです。重要なことですものね。


「驚いた。羊を売る予定はあるのね!」

 わたくしの持参金は、ヘビントン侯爵領の地代だけでは賄えない国税に回す予定でした。でも、ヒューバート様がおっしゃるとおり、すぐに返済できそうな気もします。

「さすがヒューバート様ね。今まで戦争をしていた北部の国に目星をつけていたなんて」

 エロスト王国とは、まだ貿易協定が結ばれたばかり。わたくしたちに債務返済の当てとして告げるには、不安があったのでしょう。

 ヒューバート様は、家令のウェルターさんにまで詳しいことは黙っていたようです。

「旦那様が金策に走っていたことは存じておりますが、まさかそんな遠方にまで足を運んでいらっしゃったとは」

 もしうまくいかなかったら……それを考えると、怖かったのではないかしら。昔から、プライドの高いヒューバート様は、確実に成功するか分からない物事に対し、一人で動くところがございました。

 でももう、取引相手との契約まで済ませているのですわね。

 ステイプルトン家のテリトリーは南部なので参戦はしませんが、エロストとの貿易に乗り出す者は今後どんどん増えていくに違いございません。

 敗戦で敵国に渡った我が国の富は、商売で取り返せばよいのです。

 ヒューバート様は、その先駆けとなるのですわ!

「鉄道開設のおかげだわ。貨物列車で、羊を運んで行けるようになったものね」

 ウェルターさんも満足そうでした。

「取引相手が蛮族とか戦闘民族とか呼ばれる民なので半信半疑でしたが、なんと王族ですよ。ケバブ屋より高値で買い取ってくれるそうです」

 この家令も、やっと隙あらば羊を売り飛ばそうとしなくなりそうですわね。

「しかも代金は、砂金でお支払いいただけるようなんです」
「そういえば、砂金が取れるなら金の鉱脈があるはずだと、ジョシュア卿がおっしゃっていたわ」
「では、取引は今後も続きそうですね! 実は旦那様はこの領地で作っているワインも営業してきたようです。北部の民が好みそうな葡萄の苗を植えて、準備なさっています」

 羊毛を増やすよう国から御触れが出る前、ヘビントン侯爵領の地代収入はワイン用の葡萄だったと聞きます。

 羊を売ったあと、そちらを主要産業に戻すご予定がございましたのね。

 衰退していく貴族とならないために、彼はきちんと考えてらっしゃる。

 ウェルターさんはしんみりとした口調になりました。

「先代がお亡くなりになってから、坊ちゃ──旦那様は領地の今後を憂い、寝る間も惜しんで勉強しておいででした。ご結婚されると伺った時は、旦那様の心の負担が僅かでも減るのではと──これからはシンシア様が癒しになっていただけるのだと、このウェルター胸をなでおろしたものです」

 わたくしはその時、ステイプルトン家がヘビントン侯爵家の窮乏を救おうなどとお節介を焼くことは、おこがましいことだったのでは? と思い始めておりました。

 税金が上がることになり、確かに苦しいのでしょう。しかししっかり、立て直す当てがあるのです。

 わたくしは頭の中でソロバンをはじき、収支の見通しをざっくり計算してみました。

 やはり、十分採算が取れそう。年末に徴収される土地税だけステイプルトン家が肩代わりすれば……。

 わたくしは、落ち込んでしまいました。わたくし、もっとお役に立ちたかったのだわ……。ウェルターさんには申し訳ないけど、わたくしなど癒しになるのかどうか……。これはもう、必要ないのではないでしょうか。

 その時ヒューバート様が、ひょいと顔を出し書斎を覗きました。ウェルターさんが居住まいを正します。

「終わったかい? お茶にしようか?」

 目の下に隈が出来てきたヒューバート様です。使用人が減ったせいでしょうか、執事も家令もいるのに、まるで一昔前のお父様やお兄様──社畜のようです。

 やはりわたくしの乳枕では、癒しにならないようです。お昼寝でもなさったらいいのに。

「ヒューバート様、お気遣いなく。ウェルターさん、ありがとうございます」
「お役に立てて光栄です。マナーハウスの維持に関する帳簿の方は、すべて執事のエリックにお申し付けください」

 わたくしは帳簿類を家令に返すと、彼に微笑んでから立ち上がりました。

「ウェルターさんが几帳面で助かりました。分かりやすかったです」
「ウェルターとお呼びください、奥様」

 頬を赤くしてそういう彼に、わたくしは大いに慌ててしまいました。

「お、奥様ではございませんっ」
「気が早かったですかな」

 笑いながら去っていったウェルターさんです。

 わたくしがヒューバート様の所に行くと、彼はウェルターさんが去っていった方をじっとりした目で睨みつけています。

「どうか、なさいました?」
「あれはまだ独身なんだからさ」

 はい。お若いですよね。

「彼のお見合い相手でもお探しですか?」

 メイドのマーガレットなんてどうかしら。

「そうじゃなくて、あまり笑顔を向けないでもらえないか」

 ぶすっとした顔で言われて、わたくしは目を丸くいたしました。様子が変だわ。わたくしはほっぺを摩りながら慎重に尋ねました。

「わたくしの笑顔、おかしいですか?」

 そこまで醜いのかしら。顔は痩せて小さくなったけど、急激にお肉が無くなったから皮がたるんでいるのかも?

「君はどうしてそこまで無自覚に──」
「旦那様、奥様、お茶のご用意ができましただ!」

 マーガレットまでその呼び方!

「お嬢様でしょ、マーガレッ──」
「いや」

 狼狽えて訂正させようとしたわたくしを、ヒューバート様が止めました。

「どうせもうすぐそうなるんだ。慣れていた方がいいだろう」
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