2 / 6
2.
しおりを挟む
■
コンコンコンコン。
四回ノックして、一拍置き、部屋の中から誰何する声がなければそのまま入って良し。
最近では自分以外には誰も守っていないのではないかと思われる教務室へ入る際のマナーを守って扉を開け、さっと略式のカッツィーを取る。
「失礼致します」
声を掛けつつ、相談を持ち掛けるのにふさわしい相手が誰かを目で探した。
しかし、そもそも教務室に残っていたのはひとりきりだった。
仕立ての良い服を着こなし、ぴしりと背筋を伸ばして夕日の差し込む窓辺に佇むその人の後ろ姿は、そのスタイルの良さも相まってまるで一幅の絵のようだ。
思わず見惚れる。
声を掛けて世界を壊してしまうことを恐れた。
それでも、ノックまでして部屋へ入って来た私に気が付かない訳もなく、先生がゆっくりとこちらを向いた。
視線が合った時、まるで世界がこのまま止まってくれればいいのにという願いが、頭に思い浮かんだ。
突然の不埒な想像を振り払うように、明るく声を掛ける。
「あぁ、よかった。ダルトン先生、実はご相談があるのです」
法学の授業で担当して戴いていたダルトン先生ならば、持ち主不明の高価な宝飾品を預けるのも安心だ。
私は、正直になにも包み隠すことなく、自分の机の中から出てきた物について話した。
「ということなのです。もしかしたら、私があの部屋に入居した三年前にはすでにあの机の中にあったのかもしれません。今日という日まで気付かずに、持ち主の方にはご心配をお掛けしてしまったかと」
自らの不明を恥じつつ、ペンダントが入った箱を掲げるようにして、目を伏せる。
そもそも三年もの間、自分の部屋にあったことに気が付かないなどあり得ないだろうと呆れられても仕方がない。
それでも、そのまま知らぬふりをする訳にもいかず、こうして恥を忍んで相談にきたのだ。
それなのに。なんで、ダルトン先生は何も言ってくれないのだろう?
「先生?」
いつの間にかすぐ目の前まで来ていたダルトン先生が、差し出したてのひらの上からベルベットの小箱を取り上げた。
じっと箱を見つめ、問い質される。
「中身は? 見たのかい」
「え、はい。見事な紅玉石のペンダントが入っておりました」
あの紅玉石が、ダルトン先生の瞳によく似た色合いをしていると気が付く。
こんなに近くで見上げたのは初めてだったから、眼鏡の奥に隠れている瞳の色を意識したのは、初めてかもしれない。
──本当に?
「うっ」
「どうした? メグ、大丈夫か」
眩暈と頭痛に襲われ蹈鞴を踏んだ私を、先生の大きな手が支えてくれた。
大きくて、安心できる手だ。
──わたしは、この手を、知っている。
慌てて後ろへ下がる。
ガタンと音を立てて、後ろにあった教務机にぶつかって焦る。
「わたし……わたし、部屋へもどらないと」
今すぐにでも、教務室から出て寮の部屋へと戻らなくてはと焦る。
底なし沼に引き摺り込まれるような不安に震える身体を、あの大きな手が呼び止めた。
「ちゃんと答えろ。どうしたんだ、マーガレット・オリバー」
「駄目! 近寄らないで!」
「ひとつだけ。これだけでも答えて欲しい。そのペンダントに、見覚えは本当に無いんだね? 君には、必要がないという訳ではなく」
なぜそんなことを確かめる必要があるのかと思いつつ、素直に頷いた。
小遣いで買えるようなものではないし、実家にも買うお金などない。寄親である侯爵家なら買えるかもしれないが自分に買い与えてくれる理由はない。
もちろん、婚約者も恋人もいないマーガレットはそれを贈ってくれるような素敵な崇拝者も、いる訳がない。
──本当に?
「あたまが、いたいんです……なんで? なにか、たいせつなことを、おもいだせないの。思い出そうとすると、頭がいたくなって。眩暈もしてきて……なにも、かんがえられなくなる、の」
「メグ」
「ちかよらないで!」
「しかしっ」
「わたしのそばに、きてはだめ。皆が、不幸になってしまうから。ぜったいに、だめ」
昏くなっていく視界。私は自分が何を言っているのか理解しきれていないまま、口をついて出る言葉を止めることも出来ずに、その場へと頽れた。
コンコンコンコン。
四回ノックして、一拍置き、部屋の中から誰何する声がなければそのまま入って良し。
最近では自分以外には誰も守っていないのではないかと思われる教務室へ入る際のマナーを守って扉を開け、さっと略式のカッツィーを取る。
「失礼致します」
声を掛けつつ、相談を持ち掛けるのにふさわしい相手が誰かを目で探した。
しかし、そもそも教務室に残っていたのはひとりきりだった。
仕立ての良い服を着こなし、ぴしりと背筋を伸ばして夕日の差し込む窓辺に佇むその人の後ろ姿は、そのスタイルの良さも相まってまるで一幅の絵のようだ。
思わず見惚れる。
声を掛けて世界を壊してしまうことを恐れた。
それでも、ノックまでして部屋へ入って来た私に気が付かない訳もなく、先生がゆっくりとこちらを向いた。
視線が合った時、まるで世界がこのまま止まってくれればいいのにという願いが、頭に思い浮かんだ。
突然の不埒な想像を振り払うように、明るく声を掛ける。
「あぁ、よかった。ダルトン先生、実はご相談があるのです」
法学の授業で担当して戴いていたダルトン先生ならば、持ち主不明の高価な宝飾品を預けるのも安心だ。
私は、正直になにも包み隠すことなく、自分の机の中から出てきた物について話した。
「ということなのです。もしかしたら、私があの部屋に入居した三年前にはすでにあの机の中にあったのかもしれません。今日という日まで気付かずに、持ち主の方にはご心配をお掛けしてしまったかと」
自らの不明を恥じつつ、ペンダントが入った箱を掲げるようにして、目を伏せる。
そもそも三年もの間、自分の部屋にあったことに気が付かないなどあり得ないだろうと呆れられても仕方がない。
それでも、そのまま知らぬふりをする訳にもいかず、こうして恥を忍んで相談にきたのだ。
それなのに。なんで、ダルトン先生は何も言ってくれないのだろう?
「先生?」
いつの間にかすぐ目の前まで来ていたダルトン先生が、差し出したてのひらの上からベルベットの小箱を取り上げた。
じっと箱を見つめ、問い質される。
「中身は? 見たのかい」
「え、はい。見事な紅玉石のペンダントが入っておりました」
あの紅玉石が、ダルトン先生の瞳によく似た色合いをしていると気が付く。
こんなに近くで見上げたのは初めてだったから、眼鏡の奥に隠れている瞳の色を意識したのは、初めてかもしれない。
──本当に?
「うっ」
「どうした? メグ、大丈夫か」
眩暈と頭痛に襲われ蹈鞴を踏んだ私を、先生の大きな手が支えてくれた。
大きくて、安心できる手だ。
──わたしは、この手を、知っている。
慌てて後ろへ下がる。
ガタンと音を立てて、後ろにあった教務机にぶつかって焦る。
「わたし……わたし、部屋へもどらないと」
今すぐにでも、教務室から出て寮の部屋へと戻らなくてはと焦る。
底なし沼に引き摺り込まれるような不安に震える身体を、あの大きな手が呼び止めた。
「ちゃんと答えろ。どうしたんだ、マーガレット・オリバー」
「駄目! 近寄らないで!」
「ひとつだけ。これだけでも答えて欲しい。そのペンダントに、見覚えは本当に無いんだね? 君には、必要がないという訳ではなく」
なぜそんなことを確かめる必要があるのかと思いつつ、素直に頷いた。
小遣いで買えるようなものではないし、実家にも買うお金などない。寄親である侯爵家なら買えるかもしれないが自分に買い与えてくれる理由はない。
もちろん、婚約者も恋人もいないマーガレットはそれを贈ってくれるような素敵な崇拝者も、いる訳がない。
──本当に?
「あたまが、いたいんです……なんで? なにか、たいせつなことを、おもいだせないの。思い出そうとすると、頭がいたくなって。眩暈もしてきて……なにも、かんがえられなくなる、の」
「メグ」
「ちかよらないで!」
「しかしっ」
「わたしのそばに、きてはだめ。皆が、不幸になってしまうから。ぜったいに、だめ」
昏くなっていく視界。私は自分が何を言っているのか理解しきれていないまま、口をついて出る言葉を止めることも出来ずに、その場へと頽れた。
440
あなたにおすすめの小説
彼のいない夏
月樹《つき》
恋愛
幼い頃からの婚約者に婚約破棄を告げられたのは、沈丁花の花の咲く頃。
卒業パーティーの席で同じ年の義妹と婚約を結びなおすことを告げられた。
沈丁花の花の香りが好きだった彼。
沈丁花の花言葉のようにずっと一緒にいられると思っていた。
母が生まれた隣国に帰るように言われたけれど、例え一緒にいられなくても、私はあなたの国にいたかった。
だから王都から遠く離れた、海の見える教会に入ることに決めた。
あなたがいなくても、いつも一緒に海辺を散歩した夏はやって来る。
あなたでなくても
月樹《つき》
恋愛
ストラルド侯爵家の三男フェラルドとアリストラ公爵家の跡取り娘ローズマリーの婚約は王命によるものだ。
王命に逆らう事は許されない。例え他に真実の愛を育む人がいたとしても…。
とある侯爵令息の婚約と結婚
ふじよし
恋愛
ノーリッシュ侯爵の令息ダニエルはリグリー伯爵の令嬢アイリスと婚約していた。けれど彼は婚約から半年、アイリスの義妹カレンと婚約することに。社交界では格好の噂になっている。
今回のノーリッシュ侯爵とリグリー伯爵の縁を結ぶための結婚だった。政略としては婚約者が姉妹で入れ替わることに問題はないだろうけれど……
メリンダは見ている [完]
風龍佳乃
恋愛
侯爵令嬢のメリンダは
冷静沈着という言葉が似合う女性だ。
メリンダが見つめているのは
元婚約者であるアレンだ。
婚約関係にありながらも
愛された記憶はなかった
メリンダ自身もアレンを愛していたか?
と問われれば答えはNoだろう。
けれど元婚約者として
アレンの幸せを
願っている。
侯爵家を守るのは・・・
透明
恋愛
姑に似ているという理由で母親に虐げられる侯爵令嬢クラリス。
母親似の妹エルシーは両親に愛されすべてを奪っていく。
最愛の人まで妹に奪われそうになるが助けてくれたのは・・・
(完結)無能なふりを強要された公爵令嬢の私、その訳は?(全3話)
青空一夏
恋愛
私は公爵家の長女で幼い頃から優秀だった。けれどもお母様はそんな私をいつも窘めた。
「いいですか? フローレンス。男性より優れたところを見せてはなりませんよ。女性は一歩、いいえ三歩後ろを下がって男性の背中を見て歩きなさい」
ですって!!
そんなのこれからの時代にはそぐわないと思う。だから、お母様のおっしゃることは貴族学園では無視していた。そうしたら家柄と才覚を見込まれて王太子妃になることに決まってしまい・・・・・・
これは、男勝りの公爵令嬢が、愚か者と有名な王太子と愛?を育む話です。(多分、あまり甘々ではない)
前編・中編・後編の3話。お話の長さは均一ではありません。異世界のお話で、言葉遣いやところどころ現代的部分あり。コメディー調。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる