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コンコンコンコン。
四回ノックして、一拍置き、部屋の中から誰何する声がなければそのまま入って良し。
最近では自分以外には誰も守っていないのではないかと思われる教務室へ入る際のマナーを守って扉を開け、さっと略式のカッツィーを取る。
「失礼致します」
声を掛けつつ、相談を持ち掛けるのにふさわしい相手が誰かを目で探した。
しかし、そもそも教務室に残っていたのはひとりきりだった。
仕立ての良い服を着こなし、ぴしりと背筋を伸ばして夕日の差し込む窓辺に佇むその人の後ろ姿は、そのスタイルの良さも相まってまるで一幅の絵のようだ。
思わず見惚れる。
声を掛けて世界を壊してしまうことを恐れた。
それでも、ノックまでして部屋へ入って来た私に気が付かない訳もなく、先生がゆっくりとこちらを向いた。
視線が合った時、まるで世界がこのまま止まってくれればいいのにという願いが、頭に思い浮かんだ。
突然の不埒な想像を振り払うように、明るく声を掛ける。
「あぁ、よかった。ダルトン先生、実はご相談があるのです」
法学の授業で担当して戴いていたダルトン先生ならば、持ち主不明の高価な宝飾品を預けるのも安心だ。
私は、正直になにも包み隠すことなく、自分の机の中から出てきた物について話した。
「ということなのです。もしかしたら、私があの部屋に入居した三年前にはすでにあの机の中にあったのかもしれません。今日という日まで気付かずに、持ち主の方にはご心配をお掛けしてしまったかと」
自らの不明を恥じつつ、ペンダントが入った箱を掲げるようにして、目を伏せる。
そもそも三年もの間、自分の部屋にあったことに気が付かないなどあり得ないだろうと呆れられても仕方がない。
それでも、そのまま知らぬふりをする訳にもいかず、こうして恥を忍んで相談にきたのだ。
それなのに。なんで、ダルトン先生は何も言ってくれないのだろう?
「先生?」
いつの間にかすぐ目の前まで来ていたダルトン先生が、差し出したてのひらの上からベルベットの小箱を取り上げた。
じっと箱を見つめ、問い質される。
「中身は? 見たのかい」
「え、はい。見事な紅玉石のペンダントが入っておりました」
あの紅玉石が、ダルトン先生の瞳によく似た色合いをしていると気が付く。
こんなに近くで見上げたのは初めてだったから、眼鏡の奥に隠れている瞳の色を意識したのは、初めてかもしれない。
──本当に?
「うっ」
「どうした? メグ、大丈夫か」
眩暈と頭痛に襲われ蹈鞴を踏んだ私を、先生の大きな手が支えてくれた。
大きくて、安心できる手だ。
──わたしは、この手を、知っている。
慌てて後ろへ下がる。
ガタンと音を立てて、後ろにあった教務机にぶつかって焦る。
「わたし……わたし、部屋へもどらないと」
今すぐにでも、教務室から出て寮の部屋へと戻らなくてはと焦る。
底なし沼に引き摺り込まれるような不安に震える身体を、あの大きな手が呼び止めた。
「ちゃんと答えろ。どうしたんだ、マーガレット・オリバー」
「駄目! 近寄らないで!」
「ひとつだけ。これだけでも答えて欲しい。そのペンダントに、見覚えは本当に無いんだね? 君には、必要がないという訳ではなく」
なぜそんなことを確かめる必要があるのかと思いつつ、素直に頷いた。
小遣いで買えるようなものではないし、実家にも買うお金などない。寄親である侯爵家なら買えるかもしれないが自分に買い与えてくれる理由はない。
もちろん、婚約者も恋人もいないマーガレットはそれを贈ってくれるような素敵な崇拝者も、いる訳がない。
──本当に?
「あたまが、いたいんです……なんで? なにか、たいせつなことを、おもいだせないの。思い出そうとすると、頭がいたくなって。眩暈もしてきて……なにも、かんがえられなくなる、の」
「メグ」
「ちかよらないで!」
「しかしっ」
「わたしのそばに、きてはだめ。皆が、不幸になってしまうから。ぜったいに、だめ」
昏くなっていく視界。私は自分が何を言っているのか理解しきれていないまま、口をついて出る言葉を止めることも出来ずに、その場へと頽れた。
コンコンコンコン。
四回ノックして、一拍置き、部屋の中から誰何する声がなければそのまま入って良し。
最近では自分以外には誰も守っていないのではないかと思われる教務室へ入る際のマナーを守って扉を開け、さっと略式のカッツィーを取る。
「失礼致します」
声を掛けつつ、相談を持ち掛けるのにふさわしい相手が誰かを目で探した。
しかし、そもそも教務室に残っていたのはひとりきりだった。
仕立ての良い服を着こなし、ぴしりと背筋を伸ばして夕日の差し込む窓辺に佇むその人の後ろ姿は、そのスタイルの良さも相まってまるで一幅の絵のようだ。
思わず見惚れる。
声を掛けて世界を壊してしまうことを恐れた。
それでも、ノックまでして部屋へ入って来た私に気が付かない訳もなく、先生がゆっくりとこちらを向いた。
視線が合った時、まるで世界がこのまま止まってくれればいいのにという願いが、頭に思い浮かんだ。
突然の不埒な想像を振り払うように、明るく声を掛ける。
「あぁ、よかった。ダルトン先生、実はご相談があるのです」
法学の授業で担当して戴いていたダルトン先生ならば、持ち主不明の高価な宝飾品を預けるのも安心だ。
私は、正直になにも包み隠すことなく、自分の机の中から出てきた物について話した。
「ということなのです。もしかしたら、私があの部屋に入居した三年前にはすでにあの机の中にあったのかもしれません。今日という日まで気付かずに、持ち主の方にはご心配をお掛けしてしまったかと」
自らの不明を恥じつつ、ペンダントが入った箱を掲げるようにして、目を伏せる。
そもそも三年もの間、自分の部屋にあったことに気が付かないなどあり得ないだろうと呆れられても仕方がない。
それでも、そのまま知らぬふりをする訳にもいかず、こうして恥を忍んで相談にきたのだ。
それなのに。なんで、ダルトン先生は何も言ってくれないのだろう?
「先生?」
いつの間にかすぐ目の前まで来ていたダルトン先生が、差し出したてのひらの上からベルベットの小箱を取り上げた。
じっと箱を見つめ、問い質される。
「中身は? 見たのかい」
「え、はい。見事な紅玉石のペンダントが入っておりました」
あの紅玉石が、ダルトン先生の瞳によく似た色合いをしていると気が付く。
こんなに近くで見上げたのは初めてだったから、眼鏡の奥に隠れている瞳の色を意識したのは、初めてかもしれない。
──本当に?
「うっ」
「どうした? メグ、大丈夫か」
眩暈と頭痛に襲われ蹈鞴を踏んだ私を、先生の大きな手が支えてくれた。
大きくて、安心できる手だ。
──わたしは、この手を、知っている。
慌てて後ろへ下がる。
ガタンと音を立てて、後ろにあった教務机にぶつかって焦る。
「わたし……わたし、部屋へもどらないと」
今すぐにでも、教務室から出て寮の部屋へと戻らなくてはと焦る。
底なし沼に引き摺り込まれるような不安に震える身体を、あの大きな手が呼び止めた。
「ちゃんと答えろ。どうしたんだ、マーガレット・オリバー」
「駄目! 近寄らないで!」
「ひとつだけ。これだけでも答えて欲しい。そのペンダントに、見覚えは本当に無いんだね? 君には、必要がないという訳ではなく」
なぜそんなことを確かめる必要があるのかと思いつつ、素直に頷いた。
小遣いで買えるようなものではないし、実家にも買うお金などない。寄親である侯爵家なら買えるかもしれないが自分に買い与えてくれる理由はない。
もちろん、婚約者も恋人もいないマーガレットはそれを贈ってくれるような素敵な崇拝者も、いる訳がない。
──本当に?
「あたまが、いたいんです……なんで? なにか、たいせつなことを、おもいだせないの。思い出そうとすると、頭がいたくなって。眩暈もしてきて……なにも、かんがえられなくなる、の」
「メグ」
「ちかよらないで!」
「しかしっ」
「わたしのそばに、きてはだめ。皆が、不幸になってしまうから。ぜったいに、だめ」
昏くなっていく視界。私は自分が何を言っているのか理解しきれていないまま、口をついて出る言葉を止めることも出来ずに、その場へと頽れた。
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