戦乙女が望んだ人は、厨房係で偽名の男。

喜楽直人

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4.戦乙女は厨房係で偽名の男へ求婚する

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 しかし。

「ハンス(偽名)様、陛下からの勅命に対するお返事をまだお聞かせ戴いておりません」
 リンデの声がふたたびそこへ割って入る。
 了承すれば縄を解くと続けられた英雄の孫娘からの言葉に、その場にいた者には不審な男を彼女が呼び出した意味が判らず激しく混乱した。
 
「……勅命もなにも、リンデ将軍の物になるってどういう意味だよ? 夜伽の相手に下級使用人を選ぶために陛下の威を借りるなんて、ちゃんちゃらオカシイだろ。そんな必要あるかっつーの」
「おい、お前っ」
 ハンスの言葉に、手を離したばかりの騎士たちが色めきだった。
 それを、スッとリンデが手で制した。
「そうですね。夜伽のお相手に関しても入っている事にはなるのでしょうね」
「入ってるのかよ!」
 マジか、と驚いたのはハンスのみではない。騎士たちまでぎょっとした様子で目を見開いて驚く。
「えぇ勿論。戦を勝利へと導いたご褒美に、あなた様との婚姻を願い出たのです。私、浮気をするつもりもさせるつもりもありませんの。ですから夜伽の相手を断られるのは困りますわ」
 コロコロと鈴を転がすような声で楽しそうに笑いながら告げられた内容に、ハンスは自分の耳がおかしくなったのだと思った。勿論、その声が耳に届いた誰もがこれについても同じ思いだった。

「……ちょっと待て。こんいんって、婚姻か? 結婚?」
「そうですね。ついでですから特別許可証も陛下に融通して戴きましょう! 最低でも1年の婚約期間など待っていられませんもの。それなら2週間後には結婚できますわ」
 どんな御式にしましょうか、と訊いたリンデに返された言葉は罵声だった。
「ふざけんなっ! なんで俺がお前と」
「うふふ。そうですね、男性としては女からの求婚をそのまま承けるのは少し立場がありませんわね。判りました。では、私に勝てたら許して差し上げますわ」
 赤い薔薇の花弁のような唇を、にぃと吊り上げて、リンデが笑う。

「如何ですか? 私に勝てたら、偽名についても不問。陛下の勅命による婚姻もなし」
「……偽名じゃない。で、俺が負けたら、結婚しろ、ってか」
 眇めた瞳で笑みを形作ったリンデが「よくできました」と、ハンスの理解を褒めてみせる。
 それらすべてに対して不快そうにハンスが「馬鹿らしい」と吐き捨てた。
「調理係が、国の華とも謳われる常勝将軍リンデ様に敵う訳がないだろ」
 けっ、とわざとらしく地面に向けて唾を吐いて棄てる。

「おまえっ、いい加減にしろ!」
 ふたりのやり取りを聞いていた騎士のひとりが、勘弁ならんとハンスの首筋を掴もうとした。
 が、一瞬はやく、ハンスの身体はリンデの腕の中へと引き寄せられていた。

「いけませんよ。ハンス(偽名)様は私のものです。手を出すなら、私に勝ってからにしなさい」
 ぎろりと睨みつけられて、騎士は蒼白になった。
「しかしっ……いえ、申し訳、ありませんっ」
 いつの間に抜いたのか、儀礼用として刃は潰されているものの、リンデが腰に佩いていた剣が首筋に突き付けられていることに気が付いた騎士は、そのすさまじいまでの圧に気圧された。
 華やかな装飾の施されたそれは華奢で、細身のリンデが身に着けていた時は、まるで剣の形を模した華やかな装飾品のひとつのように見えていたのに。

 鞘から出されればそれは刃こそ付けられていないものの、凶器そのものだった。
 それも。手にしている相手の狂気を纏った最凶の武器。
 腰から崩れ落ちるように後ろへ倒れ込んだ騎士を、後ろにいた仲間たちが慌てて支えた。
「お前のもんじゃねーし。一々”(偽名)”って付けんな。ふざけんなよ」
 腰に巻き付く腕の細さに反してその抱きしめられた力強さと、鼻に届いた香りのアンバランスさ。そのすべてにハンスは動揺していた。その分、言葉選びが乱暴になる。

「私のものでしょう? だって、どんなに小さなものであろうと、それを拒否できる可能性が目の前に提示されたというのに手に入れる努力をせず、甘んじてそれを承けようと思える程度の拒否しかされていらっしゃらない。つまりは、承けてもいいということ、ですよね」

 ハンスの心を知ってか知らずか、さらりとしたリンデの言葉と視線に「馬鹿にしやがって」と悔しげにハンスが小さく呟いた。
 そうして。リンデの視界に入らないであろう角度で目を閉じた。その口元がほんの少し、微かにではあったが上に弧を描いて消える。


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