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第一章:神の裁きは待たない
【閑話】宰相はその失策にまだ気付かない・2
しおりを挟む彼の令嬢が死んだという報告を受けた時、自分がどんな顔をしたのかしてしまったのか、宰相には自信が無かった。
悲しんだのか。才能を惜しんだのか。
それとも、喜んでしまったのか。
呆けた、素の表情が出てしまった事だけは自覚があった。気が付けば、部下の側近から変な目を向けられていた事に気が付いて、慌ててお悔やみを口にしたのだ。
「そうですか。惜しい方を亡くしました」
詳しい報告を受ければ、婚約者が外交時の通訳として国の為に尽くしていた事を知らなかったアルフェルト殿下が、自分の恋人を虐めていたと勘違いして問い詰めてしまったのだという。
正直「そんな事で?」そう思ってしまった。
あの、幼いながらも堂々とした態度で他国の王族と相手国の言葉で会話を交わし、近隣諸国に鳴り響く才を持ったあの令嬢が、婚約者の不実な行い程度で自ら命を断ったと聞かされた時、その程度の覚悟しかなかったのかとガッカリしてしまった。
名声ある強い王妃となる期待を一身に浴びていた。
その期待を掛けていた者は沢山いた。
彼の令嬢が王妃となる未来に賭けて、ゲイル王国との国交を結んだ国もある。
国同士の締結を、なんだと心得ているのか、と。
だから、前回の会談の際に彼の令嬢の不参加を大公閣下から問われた際に、正直に答えてしまったのだ。
「まったく。責任ある立場を任されていたにも関わらず、ゾール侯爵令嬢はたかが政略でしかない婚約者が他に唯一を見つけてしまった、たったそれだけの事で、自らの命を断ってしまったんですよ」
つい、露悪的な表現を使ってしまったとは思う。
会談の場ではいつも大公閣下はご機嫌で、冗談もお好きなようだった。こちらとしてはギリギリを攻めるようなつもりでした発言も笑い飛ばして、会話は何時も弾んでいた。
だからこんな話題も、冗談めいた表現で伝えるべきだろうと思ったのだ。冗談めかしてでしか口に出せなかったのかもしれない。どうぜ今ここで口先だけで誤魔化したとて、いつかは伝わってしまうことだろう。
そう判断したのだが、どうやら加減を違えてしまったようだ。
「リタ・ゾール嬢は、貴国の王妃となる筈だったと記憶しておりますが? ……ゲイル王国の王太子殿下は、幼い彼の令嬢に国へ奉仕を強要しておきながら、自身は美しい花を求めて彷徨うような方でしたか。そうですか」
通訳を通していても、あまりにもキツい当て擦りに、宰相だけでなく会談に参加していたゲイル王国側の参加者全員が鼻白んだ。
なにか、自国の王太子の肩を持つべきだと焦って言葉を探す。
「所詮は政略ですからね。心安らぐ場を見つけたくなるのは男の常でございましょう? 幼いと言われましたが、未来の王妃となる覚悟ができていたならば、清濁併せて飲み干せる度量があって当然。それができなかったということは、残念ながら彼の令嬢はその器ではなかったということでしょう」
果たして、宰相の選んだその言葉は、大公閣下の心を宥めることはできなかったようだ。
なにやら自国の通訳に囁くと、そのままスタスタと部屋から出ていく。
引き留めようとする宰相の前に通訳が割って入る。
「……申し訳ありません。閣下は体調がすぐれないようです。この会談はここまでとさせて欲しい、との事です」
それだけ言うと、通訳もまた大公閣下の後を追って部屋から出ていく。
今にも閉められようとする扉を前に、通訳が思い出したように付け加えた。
「大公閣下のご体調がよくなりましたら、こちらからご連絡致します」そう頭を下げて、さっと扉が完全に閉められた。
会議室に取り残された宰相以下ゲイル王国の外交官たちは、呆気にとられたまま立ち尽くした。
***
国境の街から聖王のお坐す聖都まで馬車を急がせる。
その中で、大公は後悔を滲ませ呟いた。
『成人前の幼い少女に無理難題を飲み干せと強要する国家。そんな国だと知っていたら、王太子の婚約者であろうとも、無理矢理にでも囲い込んでしまえばよかった』
彼の令嬢が冷遇されていることに気が付いたのは何時頃のことだったろうか。
だから、それとなく留学の誘いを掛けてきた。本音を言えば、自分の甥でありまだ婚約者のいない末の王子との未来を選択肢に入れて欲しいとすら願い、他国の王太子の婚約者である彼の令嬢に対して末王子の話題を振ることまでしてきた。
けれど、そんな時に限って彼女は自らの王太子の話題で返してくる。
その滑らかな白い肌に朱を浮かべて王太子への想いを隠すことなく懸命に伝えて来る。その姿もまた愛らしくて、ずっと応援したいと思ったのだ。
まさか、その王太子本人からまで、冷遇されているとは想像だにしなかった。
同い年の筈なのに、王太子は学園に通い、令嬢が働いているという一点だけからでも想像がついてもよかったのだと自身の推察力の無さにため息が出た。
自分の至らなさを思い知らされたようで、全身から力が抜けていく。
『あの国とは、此処までだな。聖王陛下にはそう進言しよう』
***
会談の延期が続いているのは、聖王国とだけではなかった。
東の沿岸国家との交渉も暗礁に乗り上げていた。
沿岸国からは、海塩だけでなく、海路を超えて運ばれてくる異国情緒あふれる宝飾品やスパイスの数々がゲイル王国へと齎されてくる。それらは経済の発展が著しいゲイル王国を華やかに彩り生活を豊かなモノへと変えていた。
そんな沿岸国の第二王子から、彼の令嬢の訃報を今更知ったのだと丁重に哀悼の言葉と共に「国が違うこともあり、情報が届くまで時間が掛かってしまった。葬儀は終わってしまっただろうが墓参りがしたい。ご遺族に連絡を取って頂けないだろうか」と問い合わせがきた時、つい「恋に現を抜かして自死を選んでしまった娘を、ご遺族は恥じているようです。大変申し訳ないが、他国の王族の方に墓参して頂くことは致しかねます。お心だけ受け取らせて欲しいとのことでした」と正直に回答してしまったのが良くなかったのかもしれない。
だが、交易交渉の日程を延期してきたにも関わらず、令嬢の墓参りの連絡だけをしてくる態度に、つい腹が立ってしまったのだ。新興国家が偉そうに、という思いもあった。
だが、以降はさっぱり連絡が取れなくなってしまい、宰相は焦る。
まさか、という思いを、今日も宰相は懸命に振りほどいて、各国家へと会談の申し入れを繰り返す。
宰相が、自慢の孫息子の死を迎えるのは、まだ少し先の事だ。
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