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第三十二話

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 おれはぐっと瞳に力を込めて、ルーカスを睨みつけた。

「ルーカス、貴方の言葉は嘘ばかりだ。おれの開発した発情抑制薬の研究を奪ったのは、おれのことを守るためだと言った。そして、交流会で登壇した時には、貴方はオメガたちの未来を考えて薬を完成させたと語った。でも本当は、何もかも……全部自分のためだった」

「僕は奪ったわけじゃない! 確かに、発情抑制薬の研究をしていたのは君だが……薬を完成させたのは僕だ。それに薬だって、共同研究者としてきちんと君の名前は記載すると言っているじゃないか!?」

 おれは首を横に振った。
 もう、ここまで喋らせれば充分だろう。これまでの会話はきっちり録画されたはずだ。
 こうまですんなり行くと拍子抜けだが、これ以上、ルーカスと顔を合わせているのは苦痛だし、さっさと婚約破棄の宣言をして、部屋から出ていってしまおう。

「もう貴方の言葉は信用できない、婚約は破棄をさせてもらう。近いうちに、そちらのご実家にも封書にて正式に連絡をさせてもらうので、話を通しておいて――」

「ま、待て、リオ!」

 おれが席を立つのと同時に、ルーカスも弾かれたように立ち上がった。そしれ彼は焦ったような表情で正面に回り込むと、おれの肩を鷲掴んできた。

「僕との婚約を破棄するなんて……君は本気なのか!?」

「冗談でこんなことを言うとでも?」

 冷たく返すと、ルーカスはたじろいだように息を呑んだ。しかし、その手はおれの肩口を掴んだまま、一向に離そうとしない。

「ルーカス、手を離してくれ……ルーカス?」

「ふ、ふふふ……」

 突如、ルーカスが不気味な笑い声を上げ始めた。
 思わずあっけにとられて、彼をまじまじと見つめてしまう。なんというか……非常に薄気味悪い笑い方だ。いったいどうしたんだ?

「そうか……リオ、君は僕の気を引きたくてこんなことを言い出したんだな?」

「――は?」

「ミレイに嫉妬なんて、君にしてはなかなか可愛いことをするじゃないか」

 ルーカスは、まるで恋人のわがままに振り回されている男のような困った微笑を浮かべて、おれを見つめた。途端、全身にぞわぞわっと鳥肌が立つ。

「仕方がない人だ。まあ、確かに君とはキスもまだだったからね。君を寂しくさせてしまった僕にも責任があるのかな……」

「あの、ルーカス? 頭、大丈夫か?」

 言い知れぬ悪い予感に、おれは肩口を掴んでいるルーカスの手を引きはがそうとした。だが、びくともしない。しかも、肩を掴むのとは反対の手を、おれの頬にそっと当てる。
 そして、おれの顔に自分の顔を近付け――って、おい、冗談じゃないぞ!?

「ルーカス、やめてくれ! こ、婚約は破棄すると言ってるだろう!?」

「やれやれ、またそんなことを言って……君が僕の気を惹きたいのは分かったから、少し大人しくしてくれ」

 やれやれじゃない、なんでさっきからそんな、ツンデレヒロインに振り回されてる男主人公みたいなムーブをかましてるんだよ! めちゃくちゃ腹が立つ……!
 おれは両手で必死にルーカスの顔を押しのけようとした。だが、いかんせん彼の方が力が強く、押し返せない。みるみるうちに、ルーカスの唇がおれの唇へと近付いてくる。

 じょ、冗談じゃないぞ!? ルーカスとキスなんて二度とごめんだ! いったいどうしたら……そうだ! 隣室には三人が待機してくれているじゃないか! 大声や、物音を立てれば助けに来てくれるはずだ!

「レックス! レックス、来てくれ!」

 とっさにおれの唇から出たのは、両親ではなく、レックスの名前だった。
 何も考えていなかった。ただ、助けを求めようと考えた時に、おれの唇は自然と彼の名前を叫んでいたのだ。

 間髪入れずに、個室の扉が開く。そこには、レックスと両親だけではなく、なぜか先ほど会話をしたポニーテールの受付さんまで揃っていた。
 レックスは部屋に入るとすぐさまこちらに近付き、ルーカスの襟首を鷲掴んで、おれから引きはがした。その表情は、今までみたことがないほど険しい。

 バランスを崩したルーカスは、べしゃりと床に尻もちをついた。彼は何が起こったのか分からないようで、目を白黒させて、おれとレックス、そしておれの両親を交互に見やった。

「オウバル様……!? な、なぜお二人がここに!? それにそこの君は……確か、交流会で魔術学院スカルベークの代表生徒だった……」

「レックスだ、名前は覚えなくていいぜ」

 レックスはルーカスの視線を遮るように、おれとルーカスの間に入った。彼の背中にいるおれは、その表情が見えない。だが、今までに聞いたことがないくらい、冷たい声音だった。

 ふと、どよどよとしたざわめきが聞こえ、反射的にそちらに顔を向ける。見れば、個室のドアの前に、人だかりが出来ていた。このレストランで食事をとっていた人たちのようだが、騒ぎを聞きつけて集まってきたらしい。客の他にも、ウェイターや支配人と思しき人たちの姿も見える。

 よくよく考えれば、大声を出せば隣室に聞こえるというのなら、それは他の部屋にも声が届くということだ。彼らはおれの叫び声を聞いて集まってきたのだろう。

 ドアの前にいる人々は「なんだなんだ、ケンカか?」「それにしては様子がおかしいぞ」「あそこにいる二人、この前の学院交流会の生徒代表の子たちじゃないか」などと口々に囁きあっている。
 ただ、ポニーテールの受付さんが彼らを抑えてくれているので、今のところ個室の中まで入ってくる様子はない。

「――君にはとことん失望したよ、ルーカス・ブラウン」

 そんな野次馬を意に介した様子もなく、父は冷たい表情でルーカスを見下ろすと、大きな溜息を吐いた。そして、さらに言葉を続ける。

「婚約者という立場を笠にきて、うちの息子の研究していた発情抑制薬を自身のものとして発表しただけでは飽き足らず、まさか、力にものを言わせて無理やり襲おうとするとは……」

 父の言葉に、人だかりからどよめきが起きた。

「なんだって!? 婚約者の研究を盗用!?」

「あそこにいるのって、白百合学院エルパーサのルーカス・ブラウンだよな? 確か、古代魔術研究科の……」

「やっぱり、私は最初からおかしいと思っていたのよ。ほら、言ったでしょう? 古代魔術研究科なのに、発情抑制薬なんていう学科違いの発表をしたのは怪しいって!」

「こんなの学院交流会始まって以来のスキャンダルじゃないか? こうしちゃいられない、早く社に戻らないと!」

 父の言葉に、野次馬たちがにわかに色めき立った。反対に、ルーカスの顔が真っ青に変わる。

「ち、違う! 薬は正真正銘、僕が開発したものだ!」

「じゃあ、これはどう説明するんだい?」

 父が目配せをすると、レックスが妖精鳥を読んだ。白文鳥姿の妖精鳥は羽ばたいて、父の差し出した左腕にとまる。そして、先日と同じように、妖精鳥は録画した映像を流し始めた。先ほどのルーカスとおれがかわした会話も、ばっちり録音されている。
 映し出された映像を見て、ルーカスの顔は蒼白を通りこして、真っ白に変わった。そして、怒りに満ちた表情でおれを睨みつける。

「リオ、君は……僕をだましたのか!?」

「いや、どの口が言ってんだよそれ」

 レックスが呆れたように答えた。うん、おれも同じ気持ちである。
 そんなルーカスに、父と母は、ますます冷めた表情になった。

「ルーカス・ブラウン。分かっていると思うが、今日限りでリオとの婚約は破棄だ。もう二度と、うちの息子に近づくな」

「リオが言うからブラウン家との契約は続けるけれど……来月からの賃料は相場のお値段にさせてもらうわね。援助も打ち切りにします。そちらのご両親には、貴方から話を通しておいてちょうだい」

「ま、待って下さい、お二人共……なにか誤解をされています……」

 ルーカスはよろよろと立ち上がり、両親のもとへと近寄ろうとした。
 だが、二人は何も答えず、おれに視線を向けて無言でこちらへ来るようにと促した。おれはレックスに背中を押されて、慌てて二人の元へ行った。

「さあ帰りましょうね、リオ。今日はよく頑張ったわね」

「ああ、皆様、お騒がせしました。そちらの方も、お気遣い頂きありがとう」

 父がポニーテールの受付さんや野次馬たちに一礼をすると、彼らは慌てたようにドアの前から後退して道をあけた。
 おれは最後に、もう一度だけちらりと後ろを振り返った。
 ルーカスは呆然とした表情で、おれたちを見つめていた。だが、その視線は茫洋としていて、視線が合うことはなかった。

「先輩、早く行こうぜ」

 レックスに強く腕を引かれて、慌てて正面を向く。店の外に出ると、もうすでに馬車が来ていた。四人乗りの馬車にみんなで乗り込み、椅子に腰掛けると、どっと疲れが出てきた。

「終わった……」

 こうして、おれとルーカスの婚約は終わりを告げた。婚約破棄が成立したこと、そして、妖精鳥への録画が計画どおりにいったことに、安堵と疲労、そして大きな喜びがふつふつと胸の内から湧いてくる。

 最後の最後で、ルーカスに無理やりキスを迫られるというハプニングが起きたせいで、レストランにいた他の客にも婚約破棄やら研究盗用の件を知られることになったが……まあ、いたのは十人ちょっとだったし、そこまで大きな噂にはならないだろう。

 しかし……彼との婚約期間は短いものではなかったというのに、初めてお互いの本音をぶつけあうことになったのが婚約破棄をした当日だとは、なんとも皮肉な話だ。
 それを思えば、やっぱり、おれとルーカスは結婚してもうまくいかなかっただろうなぁ……
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