完結 どうぞお好きなように

庭園に芽吹く罠

潜入して二カ月、すっかりオルドリッチ家に馴染んだ庭師トマスは誰にも疑われずに庭師小屋で生活をしていた。信用を勝ち取った彼は庭園の隅で栽培しているハーブ園の中で雑草を抜いている。その作業の合間にある植物を密かに紛れ込ませていた。
人里に生えるはずのないそれは薄紫の花をつけ、やがて枯れ散る頃にその正体を現す。苗から植え付けたそれはどんどん成長して伯爵家の土地を穢していた。

「ふ、実をつけた頃にはもう遅い……その頃には私も行方を晦ましているがな」
吹き出す汗を拭きながらトマスは下卑た笑みを浮かべる。
背高く茂るベルガモットに紛れたそれは違法薬草だ、医療に使われるそれは指定許可された一部の農家以外が栽培すれば重罪である。憲兵警察に見咎められればただ事ではない。

伯爵家が違法行為をしたと露見すればその家の令嬢エメラインにも影響が及ぶ。直接的な関与がなくとも世間の目は歪んで見るに違いない。仮面の女の狙いはそこにあった、例え庭師の独断であろうが雇い主であるオルドリッチ氏は監督責任を問われ咎められるだろう。



「順調に根を張ったぞ、時期に膨らみ時がくれば……」
王都から離れた下町の人目を避けた路地裏にて、依頼主と再会したトマスことエイマーズ氏はこそりと経過報告をしていた。鬼面を被った女は満足そうに頷く。
「ふふ、露見すればオルドリッチ家の信頼は地に落ちるわね。薬物を栽培した伯爵家のワインなど誰が買い求めるものですか。懇意にしていた王にも見放されば没落は免れない」
失墜すれば直接に咎が及ばずともエメラインも路頭に迷うことになるだろう。憎き恋敵が落ちぶれて行く様を想像したジョルジュは仮面の裏でニタニタと嗤う。

「逃亡資金は実が成った頃に渡すわ、今後も上手く庭師として振る舞いなさい」
彼女はそう言って慰労金を手渡した、数日くらいは豪遊できる金額である。そして、どちらともなくそこを離れてトマスは下町の借家へと急いだ。


やや傾いた長屋へ着いたトマスは小さい木戸に向かって声をかける。
「私だ、生活費を持ってきたぞ」
するとギィィと耳障りな軋音を立ててドアが開く、顔を出したのは彼と同じくで整形して姿を変えたエイマーズ夫人が嬉しそうに夫を迎え入れる。
「久しぶりねアナタ！元気そうで良かったわ」
「あぁ、なんとかやってるさ。お前は少し痩せてしまったな。今夜は精のつく物を食べよう」
懐が温かい夫はそう大口を叩いて妻を喜ばせる。久しく口にしていない牛のたたきが食べたいと妻が言う。

「牛といえばワインだけど、あれ以来嫌いになったのよ。蜂蜜酒が欲しいわ」
「ああ、その通りだな。共に買い物に行こう、ずっと引き籠っていては体に障る」
逃亡生活をしていた頃とは違い、それなりに身支度ができるようになった夫人は髪留めを挿し直して夫の手を取った。

「あの子の行方がわかりましたわ。下町の娼館で……なんて惨いことかしら」
「……うむ、やはりそうか。仮面の女に手を回して貰って開放を頼んでみよう」
見受け金は高額だということを知らない夫妻は、娘可愛さに現実から遠い希望を抱いてマーケットの方へと歩いて行った。
「ところで、牢に入れられたテリーはいまどこに？面会に行ったのだけどすでにいなくて、移送先を教えて貰えなかったのよ」
第三者に扮した人物に罪人の行き先など憲兵が教えるはずもない。本名を名乗れない夫人は悔しそうに唇をゆがめて愚痴った。息子の行き先をなんとなく察していた夫は黙り込んで聞こえない振りを通す。



そして、ハーブの花が散り始めた頃、同時に丸い実を膨らませた草が秋風に揺れていた。
膨れたその実に傷をつけて白い液を採取して精製すればそれはアヘンとなる。庭の一角に広がるそれを確認したトマスは「時が来た」と嗤う。