不眠症の令息と執事

音爽(ネソウ)

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幼少期篇

執事の日誌と睡魔

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30分あまり誠心誠意仕えると宣言し続ける執事に、途中で根を上げた公爵とヘンリー夫妻がやめさせた。

新参者の執事を警戒していた祖父母は、違う意味でレイドルを訝しい目で見る。
孫のフランシスに誓った忠誠の言葉は素晴らしかったが異常なほどの溺愛ぶりに引いてしまったのだ。
そして忠誠を誓われた当人フランシスは、ゲッソリと疲弊して項垂れた。


だが話の腰を折られた執事レイドルは日誌を是非読んで欲しいと彼らに進呈する。
主であるフランシスの一挙手一投足を書き連ねた従者日誌には、3ページにわたりビッシリと文字が隙間なく書かれていたのを見るや一家は悲鳴をあげる。

「に、日誌とはこんなに黒くなるものか?」
各ページは書かれた文字で埋め尽くされており、読むというより解読に近いと公爵は白目になる。
まだ1日目でこれである、そら恐ろしく感じて当然だった。


「レイドル、キミが優秀でフランを心から敬う気持ちは良くわかった……。だが、ほどほどにな?」
祖父ヘンリー卿が困ったように笑うのを見てレイドルはなにかまずかったかと頭を捻る。

「日報に不備不足情報があるようですね、明日からは5ページ増やしてご報告を」
「まてまて!そうじゃない!読むのがシンドイ…じゃなくて適度にという意味だ!」

納得いかない素振りの執事だったが、3ページ内に留めるという約束をした。
だがそれは日誌に書く字が細かくなり、文字数が増えるだけでなんの意味も無いことになるのだが。


***

執事のせいで生気をすっかり奪われた一家は早めの就寝を決め、各々寝所へ足早に消えた。
しかし、フランシスは専属執事に就寝直前まで一緒な為ベッドに沈むまで渋面のままだった。


「坊ちゃん、寝つけのホットミルクでございます」
カップ半量ほどのそれを銀盆にのせてフランシスに差し出すレイドル。

「飲むと眠れるのか?」
「はい、体を温めほんの少し胃が満たされますと程よい眠気がまいりますよ」

こくりと喉を鳴らし飲み干すフランシスをウットリ眺めるレイドル。
フランシスは慌てて上掛けに潜った。

「レイドル……ちょっと、かなり怖い」そう呟いてフランシスは目を閉じた。
小さく呟いたそれは幸いにも執事の耳には届かなかった。

「おやすみなさいませ、坊ちゃん」執事は静かに寝室のドアを閉じた。


屋敷内の戸締りを満遍なく回り、寝ず番の護衛騎士に労いの挨拶を交わして主の部屋を一瞥する。
漸くレイドルは居室に戻り一日の業務を終えた。
きっちりした燕尾服を脱ぎすて、彼は「ほう」と息を吐くと日誌とは別に自分用の日記を開いた。

真っ新なそれにいそいそとインクを落としていく。
業務のアレコレ、提供した茶とオヤツの種類などといっしょにフランシスがどのように食べたとか、笑顔は何回とかクシャミの数なのどを書いてはにやけた。

寝起きに引っ掻かれた頬を撫でながら猫のように怯えるフランシスの様子を書いた。
「あぁ、ほんとうに愛らしい方だ。今宵はちゃんと眠れるだろうか?夜中に目を覚まして泣かれないだろうか?仮眠をとったら様子を見に行こうか?うん、そうしよう!」

小さな盥に温湯をはって体を拭くと執事はベッドに突っ伏した。
初日で慣れない業務ばかりだった故か、すぐにレイドルは夢に落ちた。


3時間後、きっちり燕尾服を纏ったレイドルはシャキシャキと動き、主の寝室へ赴いた。
巡回中の護衛に会釈をしてドアをそっと開く。

足音を殺し寝具へ近づいてフランシスの様子を覗う、期待した寝息ではない声が漏れ聞こえた。
「……ひう、おかあ……様……うぅ、おかあさま」

悲し気な嗚咽を枕へ押し付けてフランシスは震えていた。
【あぁやはり眠れないのですね】

彼の時間は2年前から止まったままなのだとレイドルは改めて知り、おいたわしいと心を痛めた。
驚かせない様にそっと彼の小さな頭に触れて撫でた。

ほんの少しビクリとした小さな主、泣き声は止まり微睡はじめた。
ウトウトしつつもフランシスは執事に話しかける。

「ガッカリしたろう?あれほど尽くしてくれたのに、ボクは今日も眠れないかも」
自嘲気味に話す鼻声にレイドルは耳を傾け頭を撫で続ける。

「坊ちゃん、私の仕事は始まったばかりです。功績に逸ってはいません、ですから無理に寝ようとしなくて大丈夫ですよ」
「眠らなくていいの?だって父様も侍女たちも眠らないと大人になれないって」

レイドルは優しい声を幼い彼にかける。
「体を休める意味ならば横になってじっとしているだけで効果はあるのです。ただ、脳を休める意味では熟睡ですけどね」

「そうか……」
「はい、ですけど無理に寝ようなどとしてはいけません。気負えば余計に睡魔はきてくれません」
「すい、ま?」

レイドルは睡魔という意地悪妖精のおとぎ話を聞かせた。
眠りたいと請い願う王様に『眠り薬』だと嘘を吐き、ただの花の蜜を渡した妖精、だが信じた王様は嬉しそうに飲み干して10年ぶりに眠ったという話だ。

「……まるでボクみたいだ、お前も嘘を吐くのかい?」
「さぁ、どうでしょうか。効果があるならばいくらでも吐くかもしれませんね。でも坊ちゃんが幸せになれない嘘はつきませんよ」

変なヤツだとフランシスは言うと目を瞑りそのまま意識を手放した。

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