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灼熱の怨嗟

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”辛い……苦しい、誰、か……お願い……”

目の前にある水差しにさえ彼女の手は届かない。メイドを呼んでズレてしまった上掛けを直して欲しくても、肝心の呼び鈴を手に持てなかった。

誰か一人でも部屋に控えていれば簡単に解決するのだが、フェデリが「必要ない」と指示してしまった。
「虚弱な妻は人の気配があると眠れない」と演技たっぷりに言うものだから侍従たちは全員信じた。


ステファニアは夫に愛想を尽かされたのかと思ったが、毎朝に花の蜜だけは手ずから飲ませにやってきて「ゆっくりお休み」と優しい声色で言われる。そんな毎日だったから、彼女は縋って彼を愛そうと頑張り過ぎた。一縷の望みにかけてしまった……。

生ず殺さずの仕打ちを受けていたステファニアが生きる屍になるのに時間はかからなかった。
黑い新婚生活が三カ月も過ぎると意思疎通もままならない状態になり、薄眼を開けてボンヤリするだけになる。

この状態になると夫は顔すら見せなくなる、毒を盛る必要がなくなったからだ。
朝昼晩と最低限の世話にくるメイドは難病を患った気の毒な女主人として接していた。だが、それだけだ。
「必要以上の世話は不要」と当主に厳命されれば何もできない。

彼女の治療費名目で妻の実家から資金を毟り取る伯爵家は潤い調子に乗っていた。
「予想以上にうまくいっていて怖いほどね。」
新しいドレスと指輪を身に着けたアラベッラは楽しそうに笑う。下品な物言いだがフェデリにはそれが魅力に感じている。

「我が家の領地運営も支援のお陰で順調さ、子爵には頭が上がらないね」
「クスクス……嘘ばっかり、赤字の補填をして領民を騙してる癖に」

すべてにおいて潤沢ならばそれは好調として成立するとフェデリは笑い飛ばす。彼の両親も同様である。
そうやって食いつぶされて行く子爵家は資金繰りが怪しくなってきた。

姿見で着飾った姿を自画自賛するのに飽きたアラベッラは、暇潰しだと言って床に伏した本妻を揶揄いに行く。
フェデリは「悪趣味」といって肩を竦めたが、毎回、彼女の後を追うことにしている。


「はぁい、奥様。ご機嫌いかがかしら?アラベッラよ、覚えているかしら」
しかし、寝具に横たわるステファニアはピクリともせず、濁った目を天井に向けているだけだ。
ほとんど反応がない彼女に対して「つまらない玩具」と皮肉と蔑みの言葉を浴びせる。

「ギリギリ生かしておくしか価値がないのねぇ、一応医者には診せているのでしょ?」
アラベッラは真っ赤に染めた指先で、無言で横たわる妻の髪の毛を摘まんで引き抜いた。栄養不足の頭髪は簡単に毟りとれた。

「そうだな、医者が来たのはいつだったか……いちおう原因不明の奇病だから呼びつけても嫌な顔をするんだよね。私の妻は世間から嫌悪されてるねぇ実に情けないよ」

「あらあら、益々気の毒な奥様!でも安心して、閨のお仕事は貴女に代わって完璧にこなしてあげてるわ」
下品に嗤うアラベッラに同調してフェデリも黒い笑みを浮かべた。

「ねぇ、ここで見せつけてあげない?奥様もひどく暇だと思うのよ」
「そうだな、良い余興かもしれないな。ずっと寝てばかりでは刺激が欲しいだろう」

卑猥な言動をして、二人は妻の寝室であられもない姿になるとまぐわい始めた。
廊下は人払いをしているので、アラベッラは遠慮せず嬌声をあげた。クネクネと厭らしく腰を動かす彼女に扇動されたフェデリもまた、快楽にのめり込んだ。

妻の前で愛人を抱くという背徳感も手伝ってか、いつもより盛り上がる二人だった。
だが、物言わぬ妻の耳には、淫らな行為の騒音がしっかり届いていることを彼らは知らない。

***

軟禁状態の生活から約2年。
頑なに面会を拒んでいた伯爵たちの態度を疑問に思った子爵が無理矢理に入室してきた。枯れ枝のように痩せ細った愛娘の姿を見て漸く騙されていたと気が付いた。


「あああ……なんてこと、これほどに窶れていたとは、不甲斐ない父を許してくれとは言わん!すぐに家へ帰ろう!ここを離れ静かに暮らすんだ」

最早、虫の息同然と言える愛娘の無惨な姿に、滂沱に後悔の涙を流す子爵である。
搾取し続けられた子爵家もまた、いつ解体されるかわからない危機を迎えていた。

「おや義父殿、私の愛する妻を奪うというのですか?それなりの慰謝料は出して貰いますよ。そうですね、屋敷と爵位を戴こうか、売却すればそれなりの金額にはなるだろう。あぁ潰れかけた事業はいりませんよ、不良債権持ちでしょ?」

「黙れ!この鬼畜が!貴様の所業は関係者に調べさせて耳に入っている、よくも!よくも娘の人生を踏みにじり我が家を食い散らかしてくれたな!この恨み永劫に忘れるものか!」


だが、腹黒のフェデリには響かない、窮状に追い込まれた老君に咆えられたところでなんの脅威も感じないと嗤う。
「お忘れか?私は伯爵家の次期当主だ。貴族は縦社会なのだよ。下位の貴殿に噛まれようと身分が盾になるだろう。虚弱な妻をつかまされた哀れな夫であると世間には浸透している、社交界は私の味方をするだろう。子爵家の醜聞を誰もが知るところだ。これを覆すほどの材料が貴殿にあるのかね?」

子爵が掴んだというフェデリの悪さは侍従たちの証言だけだった。どちらが真実かは関係がない。権力を有するものが言葉の力を発揮し勝者なのである。
悪評は貴族にとって命とりだ、それを逆手にとって脅された子爵は抗うほどの力は残っていない。


なにもかも奪われた子爵と飼殺されたステファニアは伯爵家から追い出された。
帰路に向かう馬車の中で一気に老け込んだ子爵は痩せ衰えた娘を抱き震えて泣いた。

”御父様……あぁ私の為にこのような仕打ちを受けられて……許せない……フェデリ!悪魔のような人!”
虫の息に近い状態のステファニアは怨嗟の念だけで気を保っている。

とうに力など失ったはずの手が固く閉じられ、内側に食い込んだ爪が赤い血を滴らせた。
床に落ちたその赤が、陣を描いて輝きゆっくりと周回し始めた。

”あの者に復讐を!受け続けた身命の痛みと屈辱を万倍に返してやりたい!例えこの身が朽ちようと恨みの炎は消えやしないわ”
怨恨の思いを巡らせる彼女の身体が薄ボンヤリと光って宙に浮いた。



『その苦き悲憤、我は気に入った。小娘、我の元に来るが良い』

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