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第九章|蔵の才人と傾奇ブルワー、時を超えた仕込み
蔵の才人と傾奇ブルワー、時を超えた仕込み 其ノ拾
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その屋敷は、町の外れ、人通りの少ない裏道にひっそりと佇んでいた。弥彦と名乗る男に連れられ、幸民と直は門をくぐる。延段の石は、まるで碁石を並べたかのように均等。じゃりじゃりと踏みしめる音だけが、やけに耳についた。
屋敷全体の静けさが異様なのだ。人の気配はするものの、話し声はもちろんのこと、襖の擦れる音も、足音すらも聞こえてこない。針を落とせば聞こえそうな程の静寂。
「……なんか気持ち悪いところだな」
直はきょろきょろとあたりを見渡すと、せめてもの武器にと持参した木棒を握りなおした。幸民といえば、まっすぐ前を見据えたまま、わずかな揺らぎもなく歩を進めている。その背中には気迫さえ感じられる。
通された座敷は、がらんとした印象の部屋だった。い草のにおいが立ち上る畳には、塵一つ落ちていない。
「ひっひっひっ……お越しいただきまして……ありがとうございます。まもなく当主がやってきます故、少々お待ちくださいませ……ひっひっひっ」
弥彦が部屋を出ていくと、直はたまらず「まじかあああ」と息を吐いた。
「こんなん、大ボスがいきなり向こうからやってきたようなもんじゃん。こっちは装備もままならない状態で、絶対無理だって。ってかいきなり切り殺されるとかないよな?!」
「わからん」
「ちょ、師匠こわいって!そこはせめて『大丈夫だろ』とか言ってくれるところでしょ。俺この時代のことなんて全然わかんないんだからさ、え、まじでいきなりザクっと斬られるとかある系?」
その時、障子が開き弥彦、そして村岡が現れた。相変わらず爬虫類のような顔をした男だ。村岡は血色の悪い顔をゆがめ、直を値踏みするように、頭からつま先までねめつけ、次いで幸民へと視線を移した。
「ご足労、感謝する。下の町きっての蘭学者である川本殿の噂はかねがね聞いている。近頃ではマッチなるものをつくったとか、つくらないとか」
幸民は村岡の視線をまっすぐに受け止めると、「それはどうも」とだけ答えた。
「そんな立派な人物が、なぜこんな輩と一緒にいるのかはさっぱり理解できないところではあるが……まあ、おおよそのことは把握しているつもりだ」
村岡はすうっと目を細めると、腰につけた刀をすらりと抜いた。
「良く磨かれた刀は、知りたいことを全部映し出してくれる。隠れてこそこそやっていることもすべてな」
「……村岡殿。それで、我々を呼び立てたご用件は一体なんでしょう。我らも別に暇人なわけじゃないんでね。さっさと本題に入ってもらいたい」
幸民は村岡を睨みつけた。ぶつぶつと何を言っているかわからない通常モードとも、酒が入った虎モードともまた違った幸民に、直は心の中で拍手をする。
(師匠、かっけーーーー!)
「浦賀に、黒船が来航した」
村岡の言葉に、幸民の表情がサッと変わる。
「お上は、異国の酒でもてなしをご所望だ。お前たちはわけのわからない酒を造っていただろう?それを出せ」
「お上のいう“異国の酒”と、こいつらが造っているびーるが同じものという確証は?それがなければ、提供したところで処罰されるのはこいつらになる」
「お上もな、わかってはいらっしゃらないわけだ。『土色の、ぶくぶくと泡立つ酒』なんてもんは存在しない。そのびーるとやらが、正解か否かは異国のやつらが決めること。こちらの知ったことではない」
「……もし提供しなかったとしたら?」
「柳やの旦那が、店に戻ることはもうないだろうな」
狡猾そうに笑う村岡に、直は思わず立ち上がった。
「ふざけんな!やっぱりお前のせいか!喜兵寿は何にもしていないだろ!」
つるのことも、喜兵寿のことも、全部こいつが仕組んだことだ。それを何も悪びれずに笑いやがった。
「何もしていない?本当にか?柳やは下の町の風紀を乱す店。そしてどこの誰だかわからぬ、おかしな髪の色の暴力的な男を匿っていた店。罪なんて、いくらだってあるだろう」
「ふっざけんな!」
もう我慢の限界だった。血が出るほどに唇を噛むと、直は大きく拳を振り上げた。村岡の後ろで弥彦が刀に手をかけるのが見えたが、そんなのはどうでもよかった。切りつけられたとて、一発殴ってやらなければ気が済まない。
村岡に殴りかかろうとしたその瞬間、幸民の足が直の脛を払った。見事な足さばきに、直はバランスを崩して畳に倒れ込む。
「落ち着け、直」
幸民は、村岡を睨みつけたまま言った。見れば、その手は怒りでぶるぶると震えている。
「約束の期日までには、必ずお渡ししましょう」
「わかった。では約束の期日である15日後までに用意せよ」
15日後?いま、15日後と言ったか?直の頭の中はクエスチョンでいっぱいになる。少なくとも期日まであと1か月半以上はあったはずだ。
「はぁ?何言ってんだ。ふざけんな」
噛みつく直に、村岡は心底めんどくさそうにため息をつくと、刀を突き付けた。
「申したはずだ。お上が異国の酒を所望なされておると。黒船上での宴は15日後。それに間に合わせるのが、そなたらの務めだ。」
屋敷全体の静けさが異様なのだ。人の気配はするものの、話し声はもちろんのこと、襖の擦れる音も、足音すらも聞こえてこない。針を落とせば聞こえそうな程の静寂。
「……なんか気持ち悪いところだな」
直はきょろきょろとあたりを見渡すと、せめてもの武器にと持参した木棒を握りなおした。幸民といえば、まっすぐ前を見据えたまま、わずかな揺らぎもなく歩を進めている。その背中には気迫さえ感じられる。
通された座敷は、がらんとした印象の部屋だった。い草のにおいが立ち上る畳には、塵一つ落ちていない。
「ひっひっひっ……お越しいただきまして……ありがとうございます。まもなく当主がやってきます故、少々お待ちくださいませ……ひっひっひっ」
弥彦が部屋を出ていくと、直はたまらず「まじかあああ」と息を吐いた。
「こんなん、大ボスがいきなり向こうからやってきたようなもんじゃん。こっちは装備もままならない状態で、絶対無理だって。ってかいきなり切り殺されるとかないよな?!」
「わからん」
「ちょ、師匠こわいって!そこはせめて『大丈夫だろ』とか言ってくれるところでしょ。俺この時代のことなんて全然わかんないんだからさ、え、まじでいきなりザクっと斬られるとかある系?」
その時、障子が開き弥彦、そして村岡が現れた。相変わらず爬虫類のような顔をした男だ。村岡は血色の悪い顔をゆがめ、直を値踏みするように、頭からつま先までねめつけ、次いで幸民へと視線を移した。
「ご足労、感謝する。下の町きっての蘭学者である川本殿の噂はかねがね聞いている。近頃ではマッチなるものをつくったとか、つくらないとか」
幸民は村岡の視線をまっすぐに受け止めると、「それはどうも」とだけ答えた。
「そんな立派な人物が、なぜこんな輩と一緒にいるのかはさっぱり理解できないところではあるが……まあ、おおよそのことは把握しているつもりだ」
村岡はすうっと目を細めると、腰につけた刀をすらりと抜いた。
「良く磨かれた刀は、知りたいことを全部映し出してくれる。隠れてこそこそやっていることもすべてな」
「……村岡殿。それで、我々を呼び立てたご用件は一体なんでしょう。我らも別に暇人なわけじゃないんでね。さっさと本題に入ってもらいたい」
幸民は村岡を睨みつけた。ぶつぶつと何を言っているかわからない通常モードとも、酒が入った虎モードともまた違った幸民に、直は心の中で拍手をする。
(師匠、かっけーーーー!)
「浦賀に、黒船が来航した」
村岡の言葉に、幸民の表情がサッと変わる。
「お上は、異国の酒でもてなしをご所望だ。お前たちはわけのわからない酒を造っていただろう?それを出せ」
「お上のいう“異国の酒”と、こいつらが造っているびーるが同じものという確証は?それがなければ、提供したところで処罰されるのはこいつらになる」
「お上もな、わかってはいらっしゃらないわけだ。『土色の、ぶくぶくと泡立つ酒』なんてもんは存在しない。そのびーるとやらが、正解か否かは異国のやつらが決めること。こちらの知ったことではない」
「……もし提供しなかったとしたら?」
「柳やの旦那が、店に戻ることはもうないだろうな」
狡猾そうに笑う村岡に、直は思わず立ち上がった。
「ふざけんな!やっぱりお前のせいか!喜兵寿は何にもしていないだろ!」
つるのことも、喜兵寿のことも、全部こいつが仕組んだことだ。それを何も悪びれずに笑いやがった。
「何もしていない?本当にか?柳やは下の町の風紀を乱す店。そしてどこの誰だかわからぬ、おかしな髪の色の暴力的な男を匿っていた店。罪なんて、いくらだってあるだろう」
「ふっざけんな!」
もう我慢の限界だった。血が出るほどに唇を噛むと、直は大きく拳を振り上げた。村岡の後ろで弥彦が刀に手をかけるのが見えたが、そんなのはどうでもよかった。切りつけられたとて、一発殴ってやらなければ気が済まない。
村岡に殴りかかろうとしたその瞬間、幸民の足が直の脛を払った。見事な足さばきに、直はバランスを崩して畳に倒れ込む。
「落ち着け、直」
幸民は、村岡を睨みつけたまま言った。見れば、その手は怒りでぶるぶると震えている。
「約束の期日までには、必ずお渡ししましょう」
「わかった。では約束の期日である15日後までに用意せよ」
15日後?いま、15日後と言ったか?直の頭の中はクエスチョンでいっぱいになる。少なくとも期日まであと1か月半以上はあったはずだ。
「はぁ?何言ってんだ。ふざけんな」
噛みつく直に、村岡は心底めんどくさそうにため息をつくと、刀を突き付けた。
「申したはずだ。お上が異国の酒を所望なされておると。黒船上での宴は15日後。それに間に合わせるのが、そなたらの務めだ。」
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