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第五章 | 樽廻船の女船長、商人の町へ行く
樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ肆
しおりを挟む船を漕ぐのは思った以上に難しかった。水をとらえることが出来ずに空ぶったり、とらえたと思ったら重すぎて漕ぐことができなかったり。気づけば腕はぱんぱんで、櫂を持っていることすらも辛くなる始末で、喜兵寿となおは途中からしゃべることすら出来なくなっていた。
やっと「今日はもうここらへんで休もう」とねねが声をあげたのは、日がとっぷりと沈む頃。喜兵寿となおはそのまま甲板へと倒れこんだ。
「まじで……ありえないだろ!無理だって」
なおが肩でぜいぜいと息をしながらいう。途中休憩は、塩にぎりと水を流し込んだ数分のみ。汗をかきすぎると人は塩をあまく感じる、聞いたことがあったが、昼に口にした塩むすびは驚くほどにあまかった。そしてうまかった。
お世辞にも「いい米」とは言い難かったが、空気の入れ方が絶妙なのだ。口の中でほろほろとほどけるそれをむさぼるように食べ、水を身体の中に流しこむ。
そんな少しの休憩の後、再び櫂を手に取り漕ぎ続けた。文句を言いたくても、櫂を投げ出したくても、ここは海の上。どこにも逃げ場はないのだ。
「ああああ。ビール飲みてえ。ラガービールで、つま先から頭のてっぺんまで満たしてえ」
なおは度々そんなことを叫びながら、どんなビールを飲みたいか、そしてそれをどんなレシピで造り上げるかを考えることでどうにか数時間を耐え抜いたのだった。
「これが堺まで続くとなると、びいるが造れなくて殺されるより前に疲れ果てて死んでしまうかもしれないな」
横で喜兵寿が大の字になったまま言う。長い髪は汗でぐっしょりと濡れ、顔のあちらこちらに張り付いている。
「それな」
なおはぐうっと大きく手足を伸ばした。一度寝転んでしまうと、もう二度と立ち上がれる気がしない。背中の下は木製の甲板のはずなのに、ずぶずぶゆっくりと沈んでいくような感覚だった。そうこうしているうちに、空は薄青へと変わっていく。
「今日ずっとビールのことばっか考えてたから、めっちゃいいレシピできたわ」
なおが言うと、喜兵寿が目だけをぎょろりと動かす。
「れしぴがなんだかわからないが、びいるのことなら聞かせてくれ」
「俺んち米農家なんだけどさ、そこで穫れた米と梨を使ったビールとかどうかなって。近所のじいちゃんがさ、うまい梨つくるんだよ。水分たっぷりで、でも味は濃厚で。齧りついた瞬間に、じゅわっと甘酸っぱさが広がる梨」
なおは思わず舌なめずりする。
「米も梨も秋が旬だろ。それをたっぷり使って白ビール造ったら絶対にうまいと思うんだよな。」
なおがうっとり妄想する横で、喜兵寿は驚いたように目を丸くした。
「ビールに米や果実を使うことがあるのか!」
「そうだよ。別になんでもいいんだよ、だってビールは最高に自由な飲みものだからな。喜兵寿が最初に飲んだビール、あれにも酒米使ってたんだぜ」
「あのびいるにも米が……!」
喜兵寿は思い出そうと必死で舌の記憶を遡る。
「たしかにあの時、知った味わいを感じたような気がする。そうか、あれは米によるものだったのか。嗚呼、もう一度、せめてもう一口だけでもいいから味わいたい!」
子供のように悔しがる喜兵寿を見て、なおはおかしそうに笑った。
「だから今からビール造るんだろ。まずは基本のもの。それが成功したら、いろいろな種類のビールを造ればいい」
「そうだな」と喜兵寿はうなずくと、勢いよく起き上がった。
「先ほど『何を入れてもいい』と言っていたが、林檎はどうだ?」
「ありだな」
「じゃあ蜜柑は?」
「よくある」
「さすがに薩摩芋は……」
「ある」
「でも海藻なんかはさすがにないだろ」
「ひじきを使ったビールがある」
「本当になんでもありじゃないか!」
「だから本当になんでもありなんだって!」
喜兵寿は驚きのあまり、口をぽかんと開けたまま止まってしまった。
「想像もできんな……じゃあなおの国には一体どれだけのびいるがあるというんだ?」
なおはうーん、と首を捻る。
「どれだけあるんだろうな。全国に700カ所以上の醸造所、あ、ビール造るところな、があって、そこで日夜新しいビールが生まれているわけだから……正直検討もつかないな」
「じゃあなおは今までどんなびいるを造ってきたんだ?」
喜兵寿の問いに、なおは「おっ!聞いてくれるのか!」とぴょんっと起き上がった。
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