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第九章|蔵の才人と傾奇ブルワー、時を超えた仕込み
蔵の才人と傾奇ブルワー、時を超えた仕込み 其ノ漆
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三方を山に囲まれた、静かな入江“浦賀”。波間に揺れる小さな漁船が、まだ朝靄にけむるころ、遠く沖から7隻もの艦体がやってきた。
それはまるで海を割るような黒い壁だった。圧倒的な威圧感。船を出していた漁師たちは慌てて岸へ戻ると、「外へ出るな」「火を消せ」と女子供を家へと戻した。
「……帰ったんじゃなかったのか?」
「今度は7隻だ!見てみろ、前回より3隻も多く来ているぞ!」
山の中腹にある、小さな社(やしろ)に身を隠すようにして、男たちは黒船を見つめる。大きく重厚な船体、そして風に膨らむ真っ白な帆。煙突からは真っ黒な煙をもうもうと出して、まるで異国の獣のように水面を切って港へと入ってくる。
この艦体がやってくるのは2回目だった。1度目は夏の始まりの頃。驚きと恐れ、そして好奇心。その姿を一目見ようと、小さな港町にたくさんの人たちが押し掛けた。商人、町人、武士に飛脚。
皆、丘の上から港を見ては、「あぁ恐ろしい……」と口々に呟いていたが、3日目には「黒船まんじゅう」なるお土産ものまで売られていた。人の慣れとは恐ろしいものだ。
動きがあったのは、滞在から7日目のことだった。午前の陽が高く上る頃、いきなり黒船の大砲が咆哮を轟かせた。
どんっという轟音は、空を、地を切り裂く。地面がびりびりと揺れ、人々は耳を抑えてうずくまった。
「戦じゃ!やはり戦がはじまるんじゃ」
誰かの叫び声に、皆一斉に逃げ惑う。しかし黒船は、大砲は細く白い煙を立ちのぼらせながら、ゆっくりと浦賀を去っていったのであった。
そんな1度目の黒船来航から、約3か月。大砲の恐怖が記憶から消えぬうちに、彼らは2度目の来航をしたのであった。
――
「村岡さま」
「……弥彦か。なんだ」
研磨部屋で刀を研いでいた村岡の下へ、弥彦がニヤニヤしながらやってきた。今日は朝からなぜか気持ちが落ち着かない日だった。精神を整えようと刀を研ぐも、刃先はまるで意志を持ったかのように滑らない。それどころか、かえってざらつきが増すようで気持ちが悪かった。
そこに来ての、弥彦だ。薄気味の悪い笑みを浮かべやがって……村岡は吐き捨てるように「何の用だ」と言った。
「黒い船が再び浦賀に来ました……ひっひっひっ」
弥彦の言葉に、村岡は思わず立ち上がる。
「なんだって?!」
「お上から再通告です。『土色でぶくぶくと泡立つ酒』を至急用意せよ、と」
「だから!そんなものはないと言っているだろう!!!」
「おぉ……こわやこわや。弥彦に当たられても困ります。弥彦はあくまで、お上のお言葉をお伝えしたのみ……ひっひっひっ……」
「お上には、異国の客人をもてなすには、そんなわけのわからない酒ではなく、もっといい酒があるとお伝えしたはず。なぜそんなにも土色の酒にこだわる!」
「ひっひっひっ……弥彦にはさっぱりわかりません……しかしお上は相当にご執着のようですなぁ……ひっひっひっ」
弥彦は欠けた歯を見せながら、おかしそうに笑う。
「おお、おお……村岡さまが、怖いお顔をしていらっしゃる。弥彦に罪をなすりつけるのだけは、やめてくださいね……ひっひっひっ……それで?弥彦はどのように動きましょうか」
それはまるで海を割るような黒い壁だった。圧倒的な威圧感。船を出していた漁師たちは慌てて岸へ戻ると、「外へ出るな」「火を消せ」と女子供を家へと戻した。
「……帰ったんじゃなかったのか?」
「今度は7隻だ!見てみろ、前回より3隻も多く来ているぞ!」
山の中腹にある、小さな社(やしろ)に身を隠すようにして、男たちは黒船を見つめる。大きく重厚な船体、そして風に膨らむ真っ白な帆。煙突からは真っ黒な煙をもうもうと出して、まるで異国の獣のように水面を切って港へと入ってくる。
この艦体がやってくるのは2回目だった。1度目は夏の始まりの頃。驚きと恐れ、そして好奇心。その姿を一目見ようと、小さな港町にたくさんの人たちが押し掛けた。商人、町人、武士に飛脚。
皆、丘の上から港を見ては、「あぁ恐ろしい……」と口々に呟いていたが、3日目には「黒船まんじゅう」なるお土産ものまで売られていた。人の慣れとは恐ろしいものだ。
動きがあったのは、滞在から7日目のことだった。午前の陽が高く上る頃、いきなり黒船の大砲が咆哮を轟かせた。
どんっという轟音は、空を、地を切り裂く。地面がびりびりと揺れ、人々は耳を抑えてうずくまった。
「戦じゃ!やはり戦がはじまるんじゃ」
誰かの叫び声に、皆一斉に逃げ惑う。しかし黒船は、大砲は細く白い煙を立ちのぼらせながら、ゆっくりと浦賀を去っていったのであった。
そんな1度目の黒船来航から、約3か月。大砲の恐怖が記憶から消えぬうちに、彼らは2度目の来航をしたのであった。
――
「村岡さま」
「……弥彦か。なんだ」
研磨部屋で刀を研いでいた村岡の下へ、弥彦がニヤニヤしながらやってきた。今日は朝からなぜか気持ちが落ち着かない日だった。精神を整えようと刀を研ぐも、刃先はまるで意志を持ったかのように滑らない。それどころか、かえってざらつきが増すようで気持ちが悪かった。
そこに来ての、弥彦だ。薄気味の悪い笑みを浮かべやがって……村岡は吐き捨てるように「何の用だ」と言った。
「黒い船が再び浦賀に来ました……ひっひっひっ」
弥彦の言葉に、村岡は思わず立ち上がる。
「なんだって?!」
「お上から再通告です。『土色でぶくぶくと泡立つ酒』を至急用意せよ、と」
「だから!そんなものはないと言っているだろう!!!」
「おぉ……こわやこわや。弥彦に当たられても困ります。弥彦はあくまで、お上のお言葉をお伝えしたのみ……ひっひっひっ……」
「お上には、異国の客人をもてなすには、そんなわけのわからない酒ではなく、もっといい酒があるとお伝えしたはず。なぜそんなにも土色の酒にこだわる!」
「ひっひっひっ……弥彦にはさっぱりわかりません……しかしお上は相当にご執着のようですなぁ……ひっひっひっ」
弥彦は欠けた歯を見せながら、おかしそうに笑う。
「おお、おお……村岡さまが、怖いお顔をしていらっしゃる。弥彦に罪をなすりつけるのだけは、やめてくださいね……ひっひっひっ……それで?弥彦はどのように動きましょうか」
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