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第九章|蔵の才人と傾奇ブルワー、時を超えた仕込み
蔵の才人と傾奇ブルワー、時を超えた仕込み 其ノ捌
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「なんだ、喜兵寿はまだ帰ってきていないのか」
昼餉の時間もとうに過ぎた頃。小西が蔵に戻ると、直がぶすっとした顔で座っていた。今日は朝から喜兵寿が店に行き、戻り次第直が出かける予定だったはずだ。
「そうなんだよ!まったくどこほっつき歩いてんだか!」
直は信じられない、といった様子でため息をつく。
「かけそば食いたいから、昼飯前には必ず戻れよって約束したのにさ。まじ自分だけうまいもの食ってたら絶対許さない」
「きっと事情があるんでしょ。小西さまおかえりなさい」
つるが奥からひょっこりと顔を出す。着物をたすき掛けにし、額にはびっしりの汗。発酵が始まるまで、酒の番をしながら交代で自由行動をすることにしたのだが、つるは金ちゃんに種麹の作り方を教えてもらっているのだ。
「こんなに長らく店を開けることなんて、いままでなかったんだもの。きっといろいろあると思うよ。ってかこんな真っ昼間に誰かが襲ってくることなんてないだろうし、蕎麦くらい食べてきたらいいじゃない」
「いや、それは止めよう」
つるの提案を、横から小西がビシリと止めた。
「向こうの動き方がわからん以上、腕力がある若手が側にいるに越したことはない。いま下の町の腕自慢を数人雇ってきた。夕方から交代で警備にあたってくれる予定だ。少なくともそれまでは待ってくれ」
「はいはい、わかりましたよ~。こんなことなら、俺が最初に出かければよかった……」
しかし喜兵寿は夕方になっても、夜になっても戻らなかった。さすがにおかしいだろうと、直が見に行くも、店は真っ暗で人の気配はない。
「まさか喜兵寿のやつ、どっかで飲んでたりしないだろうな。朝から晩まで帰ってこないとか!どこの不良息子だ!」
直がブツブツ文句を言いながら歩いていると、後ろからいきなり肩を掴まれた。
「……ひいぃ!」
「あんた、柳やに寝泊まりしてたやつだよな?!」
振り返ると、派手な着物を着た大男が立っていた。どこかで見たような気もするが、さっぱり誰だかわからない。直が固まっていると、「やっぱりそうだよな。そんな銀頭他にみたことがない」と一人納得し、機関銃のように話し出した。
「大変だよ!きっちゃん、捕まっちまったんだ!いやな、今日ばったり店の前で会ってよ。なんで最近店休んじまってんだよ~みたいな話をしてたんだけどさ。いきなりばたばたって大勢の男たちが来たかと思ったら、きっちゃんぐるぐる巻きにしてよ。連れて行っちまったんだよ!」
「は?何言ってんだ?」
大男の話は、全く頭に入ってこなかった。喜兵寿が捕まる?一体何の話をしているのか。喜兵寿は悪党みたいな顔はしているが、正真正銘の馬鹿正直、いや酒馬鹿なただのバカだ。
「いや俺もよ、誰かに知らせなきゃとは思ったんだよ。でもほら……妹は打ち首になっちまったし、きっちゃんもここいらの出じゃないだろ?大変なことになっちまったけど、伝えるやつがいねえ。って困ってたんだよ」
大男は唾をまき散らしながら、興奮気味に話し続ける。
「捕まった時、ちょうど表通りにも誰もいなくてよ。きっちゃん捕まってたところ見てたの、俺くらいのもんでさ。でもこんなこと、ペラペラ話すもんじゃねえだろ?じゃあどうすっかって思ってさ、そうだ、柳やに下宿してたやつがいたじゃん、ってあんたのことを探して回ってたんだよ!」
「捕まった?喜兵寿が……?」
「だからそうだって言ってんだろ。何聞いてんだよ。きっと今頃、小伝馬町の座敷牢だ」
『小伝馬町の座敷牢』。聞き覚えのある言葉に、意識が急にクリアになる。
「はあ?なんで!」
「だから俺もわかんねぇって!まったく人の話を聞かねえやつだな」
小伝馬町の差座敷牢。3か月でビールを完成させなければ、喜兵寿も直もそこに入れられるはずだった。しかしまだ猶予はあるはずだ。それになぜ喜兵寿だけを捕まえた……?
背中から、脇から冷たい汗が噴き出した。ふと得体のしれない視線を感じた気がして、後ろを振り返る。しかしそこには静かで真っ暗な闇しかなかった。
とにかく緊急事態だ。直は大男に「さんきゅうな!」と告げると、夜の町を走り出した。蔵に戻ったとしても、つるを心配させるだけだ。まずは状況を把握する必要がある。だとしたら向かうべきは第二のホーム、師匠こと川本幸民のところだ。
昼餉の時間もとうに過ぎた頃。小西が蔵に戻ると、直がぶすっとした顔で座っていた。今日は朝から喜兵寿が店に行き、戻り次第直が出かける予定だったはずだ。
「そうなんだよ!まったくどこほっつき歩いてんだか!」
直は信じられない、といった様子でため息をつく。
「かけそば食いたいから、昼飯前には必ず戻れよって約束したのにさ。まじ自分だけうまいもの食ってたら絶対許さない」
「きっと事情があるんでしょ。小西さまおかえりなさい」
つるが奥からひょっこりと顔を出す。着物をたすき掛けにし、額にはびっしりの汗。発酵が始まるまで、酒の番をしながら交代で自由行動をすることにしたのだが、つるは金ちゃんに種麹の作り方を教えてもらっているのだ。
「こんなに長らく店を開けることなんて、いままでなかったんだもの。きっといろいろあると思うよ。ってかこんな真っ昼間に誰かが襲ってくることなんてないだろうし、蕎麦くらい食べてきたらいいじゃない」
「いや、それは止めよう」
つるの提案を、横から小西がビシリと止めた。
「向こうの動き方がわからん以上、腕力がある若手が側にいるに越したことはない。いま下の町の腕自慢を数人雇ってきた。夕方から交代で警備にあたってくれる予定だ。少なくともそれまでは待ってくれ」
「はいはい、わかりましたよ~。こんなことなら、俺が最初に出かければよかった……」
しかし喜兵寿は夕方になっても、夜になっても戻らなかった。さすがにおかしいだろうと、直が見に行くも、店は真っ暗で人の気配はない。
「まさか喜兵寿のやつ、どっかで飲んでたりしないだろうな。朝から晩まで帰ってこないとか!どこの不良息子だ!」
直がブツブツ文句を言いながら歩いていると、後ろからいきなり肩を掴まれた。
「……ひいぃ!」
「あんた、柳やに寝泊まりしてたやつだよな?!」
振り返ると、派手な着物を着た大男が立っていた。どこかで見たような気もするが、さっぱり誰だかわからない。直が固まっていると、「やっぱりそうだよな。そんな銀頭他にみたことがない」と一人納得し、機関銃のように話し出した。
「大変だよ!きっちゃん、捕まっちまったんだ!いやな、今日ばったり店の前で会ってよ。なんで最近店休んじまってんだよ~みたいな話をしてたんだけどさ。いきなりばたばたって大勢の男たちが来たかと思ったら、きっちゃんぐるぐる巻きにしてよ。連れて行っちまったんだよ!」
「は?何言ってんだ?」
大男の話は、全く頭に入ってこなかった。喜兵寿が捕まる?一体何の話をしているのか。喜兵寿は悪党みたいな顔はしているが、正真正銘の馬鹿正直、いや酒馬鹿なただのバカだ。
「いや俺もよ、誰かに知らせなきゃとは思ったんだよ。でもほら……妹は打ち首になっちまったし、きっちゃんもここいらの出じゃないだろ?大変なことになっちまったけど、伝えるやつがいねえ。って困ってたんだよ」
大男は唾をまき散らしながら、興奮気味に話し続ける。
「捕まった時、ちょうど表通りにも誰もいなくてよ。きっちゃん捕まってたところ見てたの、俺くらいのもんでさ。でもこんなこと、ペラペラ話すもんじゃねえだろ?じゃあどうすっかって思ってさ、そうだ、柳やに下宿してたやつがいたじゃん、ってあんたのことを探して回ってたんだよ!」
「捕まった?喜兵寿が……?」
「だからそうだって言ってんだろ。何聞いてんだよ。きっと今頃、小伝馬町の座敷牢だ」
『小伝馬町の座敷牢』。聞き覚えのある言葉に、意識が急にクリアになる。
「はあ?なんで!」
「だから俺もわかんねぇって!まったく人の話を聞かねえやつだな」
小伝馬町の差座敷牢。3か月でビールを完成させなければ、喜兵寿も直もそこに入れられるはずだった。しかしまだ猶予はあるはずだ。それになぜ喜兵寿だけを捕まえた……?
背中から、脇から冷たい汗が噴き出した。ふと得体のしれない視線を感じた気がして、後ろを振り返る。しかしそこには静かで真っ暗な闇しかなかった。
とにかく緊急事態だ。直は大男に「さんきゅうな!」と告げると、夜の町を走り出した。蔵に戻ったとしても、つるを心配させるだけだ。まずは状況を把握する必要がある。だとしたら向かうべきは第二のホーム、師匠こと川本幸民のところだ。
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