九龍城の恋

布椎嵐

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 11時になり、バーの仕事も終わった。交代のアニタが来て、帰り支度をしている私の顔を見つめた。
「ジェイド、、あんた疲れた顔してるよ」
 アニタさんは今日もお化粧バッチリで元気そうだ。一方の私は、疲労困憊だ。力なく笑うと、アニタにいった。
「アニタ、、。仕事掛け持ちしてるんで、流石に疲れますね。早く帰ります」
 私はショルダーバッグを持って、ヨタヨタと九龍城の外へ出た。
 夜の空気が心地よい。九龍城は好きだが、空気だけは悪い。ろくに陽がささない場所だし、換気もよくない。
 私は凝り固まった背中をほぐすように、伸びをした。、、、頑張らなきゃ。まだまだ全然入院費用には届かない。
「、、、、おい、待てよ」
 突然、後ろから聞き覚えのある声がした。振り向くとキョンだった。会うのは今日2回目。キョンは1人だった。
「、、、なんでしょう?」
 私はうんざりした顔を表に出してしまった。疲れすぎていて、どうでも良くなっていた。
 キョンは私の顔を見て、訝しげな顔をしてこう言った。
「お前、疲れた顔してるな。、、、あのあと、ミンから何かしてこなかったか?」
「ミン、、、?今日、話しかけられたけど、、、」
「なんだって言われた?」
 思い出したくはなく、言いたくもなかった。疲れて、敬語を話すのもめんどくさくなっていた。
「、、、あなたには関係ないです。すみません、ちょっと帰らせてください」
 私はついイラついてそう言ってしまった。今日は最悪な日だ。ミンにあんなこと言われたことも、疲れて具合が悪いことも。早く帰って休まなきゃ。
 キョンが私の様子がおかしいことに気づいたのだろう。「お前大丈夫か、、?顔色悪いぞ」と私の腕を掴もうとしたので、私は振り払って叫んだ。
「触らないで!」
 その瞬間、目の前が真っ暗になった。身体の力がなくなっていくのを感じた。
 「おい!」
 それから、記憶が朧げだけれども、キョンの腕に抱えられて運ばれていくのがわかった。本当に具合が悪くて、頭がガンガン痛んだ。

 だめだ、、、。早く帰らなきゃ。帰って休んで、明日も仕事だ。、、、お金を稼がなきゃ。そんなことを頭のどこかで考えながら、意識が遠くなっていくのを感じた。

 そして夢を見た。
 父さんがまだ生きていて、母さんと私で三人で暮らしている夢だった。幸せだったあの頃。父さんは優しい人だった。ハンサムで、背が高くて私をいつも守ってくれていた。私が10歳の時に、車の事故に巻き込まれ帰らぬ人となってしまった。その日から、ふと言いようのない寂しさを感じることが増えた。母さんと2人でも幸せだけども、辛いこともたくさん感じてきた。

 暖かい手で誰かが頭を撫でてくれているのを感じた。それは父さんだった。夢の中で父さんが子供の私の頭を撫でてくれた。涙が目からこぼれた。
 夢から段々と意識が戻り、うっすら目を開けた。
 誰かが目の前に座っていた。男の人だ。薄暗くて、よく顔が見えない。段々と目が暗さに慣れてきて、顔がはっきりしてきた。端正な顔立ちをした、男の人だ。
それはキョンだった。
「、、、キョン?」
 キョンが私のそばに座っていた。タバコを吸って、私のことを見つめていた。
 部屋の隅に置いてある間接照明だけがついていた。キョンはテーブルの上に置いてある小さな照明にも灯りをつけた。途端に部屋の中が明るくなる。
「起きたか、、、。お前、うなされてたぞ」
「私、、、どうして?」
 頭を動かし、周りを見回した。知らない部屋だった。部屋はこじんまりとしていて、質素な部屋のベッドに寝かされていた。部屋の中にはベッドと衣装棚、テーブルと椅子しかなかった。窓の外から、外の通りの喧騒が聞こえる。ふと顔に手をやると、涙で頬が濡れていた。
「俺の部屋。お前、九龍城の前でぶっ倒れたんだ。お前の家知らないし、仕方ないから俺の部屋に連れてきた」
 キョンはタバコをテーブルの上の灰皿に押し付けると火を消した。
 私は、上半身を起こした。
「ここ場所はどこ、、、?」
「九龍城のすぐそばにあるマンション」
 キョンは私のいるベッドに腰掛けた。急に距離が縮まり、ドキリとする。
「あ、あの、、。ごめんなさい。そして、ありがとう助けてくれて」
「倒れもするんじゃないか?あんだけ働いてたら」
「そうだね、、。自分でもわかっているんだけれど。仕方がなくて、、」
 キョンは私を真っ直ぐな目で見た。
「ミンに何か言われたろ」
 全てはお見通しか。キョンの目に見つめられると、全てを見透かされている気持ちになる。私は今日あったミンとの事を思い出し、またあの時の嫌な気持ちが蘇ってくるのを感じた。
「、、、うん。新義の経営している売春宿で働かないかって、、、」
 それを聞くや否や、キョンは舌打ちをした。
「あいつ、、、!基本、俺たちは九龍城の住人や一般人には手を出さないようにボスから言われている。それがルールだ。ただ、ミンのグループ新義は最近の行動には目に余るものがある。ナワバリも荒らしがちだし、諍いが頻発するようになってる」
「そうなんだ。できるなら、関わりたくないんだけど、、」
「お前を自分のモノにしたいんだろ」
 キョンはため息をつき、ミンに対しての苛立ちを抑えようとしているようだった。そして少し黙った後、思い出したようにテーブルから紙袋に入った何かを取り、私に差し出した。
「おい、これ」
「、、、何?この袋」
「ハンバーガー。お前ろくに食べてないんじゃないか?」
 袋を開けると、いい香りと共にハンバーガーが見えた。この袋のマークは、九龍城のすぐそばにある、有名なローカルハンバーガー屋のものだった。そういえば、お昼から何も食べてなかった。、、、通りでお腹が空いているわけだ。
「ありがとう、、いただきます」
 ハンバーガーにかぶりつくと、お肉とパンの美味さが口の中に一気に広がった。
「美味しい、、、。」
 思わず笑顔がこぼれた。それを見ていたキョンも少し微笑んだ。「ケチャップ口についたぞ」といい、私の頬に手で触れた。
 タバコの香りがする手。指の長い、大きな手。その長い指で私の頬を触り、そして私の唇に触った。
 急に沈黙が訪れる。キョンは、私の唇を指でなぞるかのように触った。
 心臓の鼓動が急に早くなる。キョンを見つめる。切長の瞳。綺麗な顔をした男だと改めて思った。13Kのメンバーなのに、そんなに怖さを感じない。もちろん近寄りがたさはあるが、少なくともミンの様な邪悪な感じとは全然違う。
 そっけないし、愛想は良くないけど、意外と優しい部分も持っている。前に私をミンから助けてくれ、今回も助けてくれた。
 キョンは我に返ったようにパッと私から手を離すと、立ち上がった。
「帰るぞ。あまりここに長居してもまずいしな。送って行ってやる。立てるか」
「、、、あ、う、うん。大丈夫」
 私はハンバーガーを袋にしまい、キョンのベッドから降りて身支度を整えた。
 顔が赤くなるのを感じる。
 さっきの行動はなんだったのだろう。・・・意識してはだめだ。彼にとっては、なんでもないことなんだ。
 マンションを出て、前を歩くキョンに後ろからついて行った。外に出ると夜明けで薄暗かった。キョンと並んで歩く。朝の少しひんやりとした空気が心地よい。歩いている人もほとんどいなかった。
 彼のマンションは本当に九龍城の目と鼻の先で、私のマンションからものすごく近かった。歩いてものの数分で私の家に着いてしまった。
「私の家、ここなんだ。もう、大丈夫」
 マンションの玄関の前でキョンと向かい合わせになった。キョンは頷き、「じゃあ気をつけろよ。」といい、行こうとした。
 私は思わず、彼の背中に声をかけた。
「あの、、、!ありがとう。ハンバーガーちゃんと食べるから。また明日、、、九龍城でね!」
キョンは廊下の先で振り向き、呆れたような、でもそんな馬鹿な言葉を慈しむような笑顔で笑った。
「・・・懲りねぇやつだな」
キョンのその笑顔は、想像していたよりも遥かに魅力的な笑顔だった。
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