九龍城の恋

布椎嵐

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 そして数十分後、一度も道に迷うことなく、私たちは九龍城から出ることができた。
 まずキョンを彼の部屋に寝かせ、ヤンがドクター李を呼んで来ることになった。キョンはベッドに寝ると、また気を失うように寝てしまった。
 すぐにドクター李は、ヤンに連れられてすぐに診療にきてくれた。
「全く、小僧共がくだらない喧嘩なんかするんじゃないよ」
 ドクター李は、ヤンの頭を平手で叩いた。ヤンは頭を抑えて痛そうな顔でこう叫んだ。
「ちょっと、爺さん叩かないでくれよ!ただでさえミンたちにボコられて身体中痛えんだから」
「このぐらいで死ぬわけ無かろう」
「そんなことより、早く兄貴の身体見てやってくれよ。俺より重症なんだから」
 ドクター李はブツブツ文句を言いながらも、一通りキョンの身体を調べた。結果、骨は折れていず、打撲と脳震盪で安静が必要とのことだった。
 診察の終わったドクター李を見送るため、私は玄関まで付き添った。彼は、その優しい瞳で私を見て少し困ったように微笑み、ため息をついた。
「お前さんが、あいつと知り合いとは知らなかったよ」
「キョンですか、、?最近、少し話すようになって」
「、、、あいつな、あいつが属してる組織はそんな褒められたことをやってはいないさ。ただ、あいつは悪い奴じゃない。きっと中身は普通の青年なんだと思っている。ただ、あいつは組織の中でしか生きる方法を知らないんだ」
 ドクター李は少し何かを考えていた。そして、こうつぶやいた。
「あんたみたいな普通の子が、友達になってくれたらいいのにな」

 ドクター李が帰った後、ヤンはボスと仲間に報告するため行かなければならず、「ジェイドさんは、兄貴についてあげてください」といって出ていった。
 キョンと2人きりになってしまった。容態は大丈夫だろうか。
 寝ているキョンを見つめる。頭には包帯を撒かれていて、滲んだ血が痛々しい。でも、そこまで重症ではなくて本当によかった。そっと彼の顔に触れてみる。前は、私がこのベッドに倒れていて、今はキョンが倒れている。変なの、、、。私たちはお互いに看病しあっている。
「、、、痛、、」
 キョンが起きたようだった。やはり身体が痛むのだ。キョンはベッドのそばの椅子に座っている私を見た。「お前、、、。そうか、俺たち九龍城から出られたんだったな」とつぶやいた。
「じっとして、動かないで。ドクター李が見てくれたわ。脳震盪と打撲だって。安静が必要とのことよ」
 私がそばにいることが意外だったのか、キョンはふっと笑った。
「お前に助けられちまったな、、、」
「そんなことないよ。私がいつもあなたに助けられてる」
 今までのことが頭に浮かんだ。
 ミンに襲われた時、キョンが助けてくれたこと。過労で倒れた時にキョンが介抱してくれたこと。それとたぶん、母さんの入院費用を肩代わりしてくれたのも、もしかして、、。
 気がつくと、涙が溢れていた。
 私は涙を手の甲で拭いた。
「泣くな。女が泣くのを見るのは嫌いだ。」
「ごめん、、、」
 私は溢れてくる涙を何度も手で拭いた。
「ありがとう、、、いつも助けてくれて」
 私は疑問に思っていた入院費用の件に触れた。
「キョン、間違ってたら気にしないで。母さんの入院費を出してくれたのもあなた?」
「、、、、、、、」
 キョンは黙った。
 数秒間の沈黙の後に、呟くようにこう言った。
「あのままだと、、お前がまた倒れると思った。ただ、それだけだ」
 それが答えだった。やっぱりキョンだった。肩代わりしてくれたのは彼だったのだ。
「ありがとう。必ず返すから」
「気にするな、、、。俺が勝手にやったことだ」
 本当に感謝してもしきれない。キョンが助けてくれたことを、母さんに伝えてあげなきゃ。
 私は気を取り直し、笑顔を作って立ち上がろうとした。キョンは喉とか乾いていないだろうか。
「、、、何か飲む?ヤンが飲み物をいろいろ置いていってくれた」
 その時、キョンの手が私の腕を掴んだ。そして一言こう言った。
「行くな。」
 キョンは真っ直ぐな瞳で私を見ていた。
 その瞳に見つめられ、私は動けなくなる。
 腕をぐいっと引っ張られ、キョンの寝ているベッドに座らされた。彼は上半身を起こしていた。
 私たちの間に、なんとも言えない沈黙が訪れた。
 私たちの視線が交差する。
 目の前のキョンをみると私の中である感情が湧き上がってきた。この感情をなんと呼ぶのだろうか。胸がつまる。 彼を抱きしめたい。
「、、、泣くなよ。」
 キョンは静かにそういった。
 私はまた泣いていた。
 彼は私から目を離さなかった。キョンの顔はゆっくり私に近づき、彼の唇が私の唇に優しく触れた。私は目を閉じた。彼の唇は温かく、心地よく、頭の芯までビリリと感じるようなキスだった。
 数秒間の優しいキスのあと、キョンがつぶやいた。
「お前、泣き虫だな」
「ごめん、、、。」
 そのままキョンは私の体をゆっくり、ベッドに押し倒した。抑えていたものが溢れ出たように、優しくキスを繰り返し、私の耳や首にまでキスをし続けた。
 私はキョンの口を手で押さえ、「待って、怪我に触る、、、」と拒んだが、キョンは私の手を口元から離した。
「知るか。今しかお前を抱けない。」
 彼は私の身体に優しく、触れた。
 私はキョンに身を任せた。嫌ではなかった。むしろ前からそうされたいと思っていたのかもしれない。彼の大きな男らしい手は、私の身体を優しく移動し、少し荒々しく、着ているノースリーブのタンクトップを脱がしていった。下着に包まれた私の胸が露になる。キョンはその上に顔を近づけ、優しくキスをした。キョンが着ていた派手なシャツを脱いだ。汗ばんだ彼の肩に触れる。キョンは呼吸を乱すことなく、私を抱きしめてくれた。
「怖いか、、、?」
 私は小さく首を振った。
「、、、少し。でも、嫌じゃない」
 キョンは少し微笑むと、私の下着を全て脱がせていった。そして、彼の手は私の足を優しく開き、そのまま私の中に身を沈めていった。
「、、、っ!!」
 初めて感じる痛みに、思わず私は顔をしかめた。
 キョンはそんな私の頭を優しく撫でてくれた。
「、、、痛いか、、」
「、、、ううん、大丈夫。」
 その言葉に安心したようにキョンは私の額にキスをし、そのまま優しく身体を動かしていく。キツく彼の身体を抱きしめながら、私はそのまま彼に抱かれた。
 初めての経験だった。汗ばんだ彼の体を抱きしめながら、このまま彼に抱かれていたいと思った。

 目が覚めると私は横になって寝ていた。キョンの腕の中だった。背中越しにキョンの寝息が聞こえる。寝返りをうち、キョンの方に向き合った。キョンは穏やかな顔で寝ていた。顔の血はもうすっかり止まっているようで、唇の端が切れていたり、あざがあちこちにあった。じっと彼の端正な顔を眺めていたら、キョンが目をさました。
「どうした、、、、?」
 私は少し微笑み、「、、、ううん、何でもない。」と言った。
 彼と一つのベッドで寝ているこの状況で、私はキョンの事を何も知らないことに気づいた。
1 3Kのリーダーである事以外何も知らない。知りたいと思った。
キ ョンのことを。
「キョンは、家族はいるの?」
「九龍城で両親と住んでいたが、俺が7歳の時に俺を捨てて出て行った。それから、今のボスに拾われて、九龍城で育った。」
「そうなんだ、、、。私が10歳の時に父さんは事故で死んだ。仕事に行ってくるといって、自動車事故にあった。それから母さんは身体を壊しがちになった。私は、、、なんとかしなきゃと思って、高校生の時から働き始めた。放課後にレストランでキッチンハンドしたり、そしてそのレストランのオーナーから今のオーナーを紹介された。それが17歳の時。もう数年やってるのね、、。最初は怖かったけど、でもだんだん九龍城が好きになった。」
「お前の母親は、お前が九龍城で働いているのを知っているのか?」
「知らない。言ったら絶対反対されるに決まっているから。レストランのウェイトレスって言ってある。でも、レストランのウェイトレスじゃ、絶対今のように稼げないから、九龍城で働くことにしたの」
「お前、歳は?」
「19。あなたは、、、?」
「22だ。」
 私はなんだかおかしくなって笑った。
「私たち、お互いのこと何も知らないのね。」
「そうだな、、、。」
キョンは私の髪を指でなぞっていた。
「お前は今後、どうするんだ?九龍城が取り壊された後。」
「まだ何も考えてない、、、。何をすればいいのかな。あの場所がなくなってしまうのはとても寂しい。せっかく、 住人のみんな、オーナー、アニタさん、みんないい人達なのに」

 キョンが少し咳こんだ。キョンが起き上がり、水が置いてあるテーブルを指差した。
「ちょっと水を取ってくれ」
私はシャツを着て、起き上がった。水をポットからコップに入れて渡すと、キョンはそれをゆっくりと飲んだ。
彼の上半身が露わになっていて、背中左肩から背中に刻まれた龍が見えた。香港では龍は神聖な物として崇められ、力、強さ、そして幸運の象徴を意味する。私はその紋身モンシン(刺青)から目を離せずに、彼の背中側に座った。
「触って、、、いい?」
「ああ」
 私はそっと優しく背中に触れた。
、、、綺麗だと思った。香港を、九龍を象徴するかの龍が舞っていた。それは昇り竜だった。緑色の昇り竜が、キョンの背中に生きていた。
「綺麗ね、、、。龍があなたを守ってくれてるのね」
 そして彼の背中に頰をつけ、後ろから抱きしめた。

 このまま時が止まればいいと思った。

 明日になればまた何が起こるかわからない。

 明日は無事だろうか。

 無事に生きて、彼の笑顔がみれるだろうか。

 私はそう願わずにいられなかった。
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