プラトニック ラブ

伊咲 汐恩

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第三章

19.セイが背負うもの

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「私……、今バイクに轢かれそうだったんですか」

「本当に危なかったよ」



  一橋の安堵の眼差しが目に焼き付くと、紗南は先ほどの出来事がフラッシュバックして恐怖に襲われた。



「ごめんなさい……」

「無事でよかった」



  一橋は軽く屈むと、瞳に涙を滲ませている紗南の肩を軽くポンポンと叩いた。

  ところが、咄嗟な救出劇により紗南の命が救われたのは不幸中の幸いだったが……。
  その日は運とタイミングが悪かった。


  ーーそう。
  芸能科の生徒のみが出入りする西門付近で、一橋が紗南を抱きしめていた、ちょうどその頃。
  セイは乗車しているタクシーの車内から、偶然2人を目撃。
  バイクから2台後ろに走行していたタクシーは、紗南がバイクに轢かれそうになった事実を知らない。


  セイは午前中の仕事を終えて、夕方から夜にかけて行われる補習授業に参加するつもりで登校していた。
  ところが、乗車しているタクシーが一車線道路から西門へと左折したその時、車窓から白昼堂々と2人が抱き合っている現場を偶然にも目撃してしまう。

  タクシーが紗南達の脇を横切っていく間、同乗者の冴木とジュンの存在を忘れてしまったかのように窓に両手を張り付かせた。



「⋯⋯っ!」



  沸々と湧き上がる嫉妬心は、火の粉が舞い散りそうなほど熱く燃え盛る。

  建前の理性なんて取っ払って、人間らしく感情をむき出しに出来たら。
  思いのままに行動に移せたら……。
  今すぐタクシーの扉を開けて、紗南達の元へと全力で走って行くだろう。



  『俺の女に何してんだよ。離れろ!』と、感情を露わに怒鳴り声を上げて。
  胸ぐらを掴んで、『二度と紗南の前に現れるな』と、彼女に手を触れぬよう警告してやりたかった。


  でも……。
  悔しい事に、残念な事に……。
  今の立場上、人前で本音と感情を曝け出す事が出来ない。

  その理由は、世間の厳しさや恐ろしさというものをよく知っているから。
  それに加えて3年前のデビューの日を迎えてから毎日積み重ねてきたものが、1人ではもう抱えきれなくなっている。


  CMのスポンサー契約。
  日常的にお世話になっているクライアント。
  デビュー前からお世話になってる事務所。
  事務所内の細かい規約。
  応援してくれるファン。
  そして、仲間のジュン。

  俺が何も背負ってない状態であれば、感情1つでタクシーの中から飛び出して行っただろう。


  しかし、いま1つでも問題を起こしたら、お世話になってる人達に多大な迷惑をかけるどころか、ウン千万円単位の莫大な金が事務所の損失額として覆い被さる。
  俺は転落人生を送っていった先輩を何人も目にしているだけに、現実を知っている。
  だから、俺とジュンは日常生活においても問題を起こさないように充分気をつけていた。


  彼女が他の男に抱きしめられている現場を目撃しても何もできなくて情けないと思うが、これが俺の宿命。
  芸能界で生き残っていくには、常に犠牲とリスクが隣り合わせだ。

  芸能界というところは一見華やかに見えるが、デビューする前も後も苦労と多大な犠牲を払ってきた。
  練習生だった俺達にデビューの話が舞い込み、ようやく世に出る準備が整った時、一番最初に自由を捨てた。


  プライベートなんてない。
  外に足を踏み出せば、俺達に気付いた人間は当たり前のように撮影会を始める。
  誰からも許可なんて下りていないのに。
  しかも、芸能人というだけでファンでもない人達からも興味を寄せられてしまって簡単にシャッターが切られてしまう。

  その上、無許可でSNSにアップ。
  当人に悪意はないと思うが、俺達の悲痛な叫びに世間は目を向けてくれない。
  これは時代と社会が生み出した悪夢。

  写真を撮られた瞬間、俺達は動物園の檻の中の動物と変わらない扱いに。

  我慢。
  忍耐。
  そして、苦渋の決断。
  この3つは、デビューしてから今日まで自分が背負ってるもの。
  腹わたが煮え滾る感情も、今の立場上心を鬼にして抑え込むしかない。

  セイは未だに伝えていない留学日程の件を胸に留めつつも、新たに浮上した問題に再び頭を抱える事に。



「ああ゛ぁぁあっ~~~~っ!」



  やりきれない想いが充満すると、思わず悲痛な叫びが溢れた。

  声に反応した冴木は助手席から後部座席に座るセイへ振り返り、その隣に座るジュンはセイの方を向いて目を見開く。

  セイの感情スイッチは紗南。
  乱れ狂った感情は一気に崖っぷちへと追い込まれていく。



「セイ……?  いきなり叫んでどうしたんだよ」



  ジュンはセイの心の事情など知らない。
  一方のセイは、頭を抱えながら前屈みになって助手席のシート裏になだれ込んだ。

  まるでモノクロ写真のように目に焼き付けられた光景は、空から無数の槍が降り注いで来たかのように胸に突き刺さっていく。

  でも、そんなに辛い状況が何とか乗り切れたのは……。



『私っっ……。セイくんに絶対心配なんてさせない。この先も……、ずっと……ずっと……』



  紗南が目を見て直接伝えてくれたあのひと言があったから。
  信じる力は制御となり。
  進むべき正しい道のりを指し示してくれる。

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