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第四章
69.あいつ
しおりを挟む「谷崎、マジで久しぶり。元気だった?」
「うん。野口も元気そうで良かった」
「小学校を卒業してから挨拶もないまま引っ越して行ったから、元気にしているかどうか気になってたんだ。みんな心配してたよ」
「悪かったな。……でも、驚いたよ。野口と咲ちゃんが知り合いなんて」
「駒井さんと同じ高校に通ってる。……違うクラスだけどね」
「そっか……。実は俺、名字が変わったんだ。今は【谷崎】じゃなくて【今井】なんだ」
「そうだったね。あんたが引っ越して少し経った頃に、両親が離婚したっていう噂を聞いたよ。大変だったね」
ノグは話が盛り沢山で途切らせる事なく喋っていたが、咲が黙っている姿が気になって仕方ない。
一瞬目は合ったが、咲はストンと目線を落として逃げ場のない現実に観念した様子を見せる。
「私……、いま付き合ってるの。翔くんと」
「……そう」
ノグは咲の表情が何かを物語ってるような気がして、それ以上の質問を辞めた。
咲は二人のやりとりからして想像以上に親しい仲だと察して精神的に追い詰められていく。
「今どこに住んでるの?」
「三鷹大平町」
「へーっ。割と遠くに引っ越したんだね」
「祖母の家が近くだから」
ノグと翔は再び話を始めたが、会話は途切れ途切れに。
その理由は、咲が蛇に睨まれた蛙のように目を泳がせているから。
お互い話したい事は山ほどあるが、咲を挟んだこの状況が無意識に口を塞いだ。
咲は会ってからずっと青い顔のまま。
顔を上げようとしないし、固く結んだ口は先ほどのひとこと以外喋ろうとしない。
長年愛里紗が恋い焦がれていた翔がいま自分の目の前にいる状況だが、隣にいるのは愛里紗じゃなくて咲。
ノグは世の中に不平等さを感じながらも、場の雰囲気に耐えられなくなって膝裏に椅子を押し当てて席を立った。
「……ごめん、もう帰る。じゃあね」
椅子に置いていた荷物を手に取り、やりきれない想いを抱えながら二人と目を合わさぬまま席を離れた。
二人をテーブルに残して、ゆっくり二、三歩歩くと……。
バンッ!
ガタッ……
翔は両手をテーブルに叩きつけて椅子が倒れそうなほど勢いよく席を立つと、ノグの背中に向かって言った。
「あいつ……は………」
翔は咲を忘れてしまったかのように、溢れんばかりの想いが止まらない。
すると、ノグは振り返り、咲は俯いたままクワッと目を見開いた。
翔は声がひっくり返りそうなほど力強く言った言葉。
それは長年の時を経ても決して忘れる事のない、ある人物を指し示していた。
ノグも咲も『あいつ』が誰だか判明している。
翔はハッと我に返ると、目線を落として何事も無かったかのように振る舞った。
「いや、何でもない。……またな」
ノグは再び背中を向けて、自分の分の会計を済ませてから店を出て行った。
咲は悔し涙がこぼれ落ちないように唇を強く噛み締めて、席にストンと腰を落とした翔は表情を隠すように顔を手で覆った。
咲、ノグ。
そして……翔。
愛里紗は心から大切に想っている三人に予期せぬ事態が訪れていた事を知らぬまま、少しずつ心の距離を縮めている理玖と別の場所で笑い合っていた。
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