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第七章

154.突然現れた父親

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  ーー本格的な厳しい寒さを迎え、コートやマフラーや手袋が手放せなくなっていた、1月中旬のある日。
  下校時刻を迎えた翔が校門に向かうと、10メートル手前で自分を待ち構えている人物に気付いた。

  その人物とは、白髪混じりの黒髪にスラリと長身でスーツ姿の中年の男性。
  彼は5年前に翔を捨てて家を出て行った父親だった。

  離婚を機に街から姿を消した翔が通う学校を長い時間をかけて探していた。



「父さん……」



  思わず無意識に呟いた。

  父さんと最後に会ったのは、母さんと離婚する直前。
  『お父さんとはもう二度と会えなくなるからね』と、母が泣き崩れながら言っていた少し前が最後の別れになっていた。

  だから、互いに別れの言葉は伝えていない。
  またすぐに会えると信じていたけど、その夢は現実と引き換えに砕け散った。


  父さんは最後に会った日から比べると、白髪が増えて頬が痩せ細りシワが深く刻まれていた。

  俺はずっと父さんが好きだったのに、離婚した途端他人と切り捨てたように会いに来なかったから、いつしか裏切られたような気になっていた。



  翔は無言のまま父親の前を素通りする。



「翔っ……。翔っ……」

「……」



  父親がしきりに名前を呼んでも、翔は背中を向けたまま。
  だが、翔の態度は想定内であった。

  父親は追い付くように小走りで後を追う。
  成長した姿に感銘を受けつつも、その成長っぷりが離れ離れだった時の長さを表していた。



「元気だった?  怪我や病気はしていないだろうな……」



  やけに身体を気遣って後ろに付きまとう父の問いかけに、翔は足を止める。



「今さら何の用?」

「会いたかった。ずっとお前を探してた」



  瞳を潤ませる父親。
  だが、翔は一方的な見解が癇に障ると、振り向きざまに睨みつけた。



「俺と母さんはあんたがいなくて貧しい生活を送ってきたのに、今更のこのこ現れやがって」



  翔は胸に留めていた思いを口にした瞬間、気持ちに歯止めが効かなくなった。



「父さんが怒鳴り散らして家を出て行く日は、母さんいつも泣いていた。俺自身もケンカしてる声を聞きたくなくて、いつも両耳を塞いでいた。朝から晩まで働き詰めだった母さんに迷惑かけまいと思って、空っぽの家に一人でいても我慢していた。

俺がどんな気持ちで家に閉じこもっていたか、笑顔で家族の話を始める友達がどれだけ羨ましいと思った事か、簡単に家族を捨てたあんたは一度でも考えた事があるのかよ!」

「翔……、すまない」


「すまないじゃねーよ。父さんのせいでこっちは大切な人を失ってんだよ。それもこれも全部浮気をした父さんのせいだ!  それなのによく会いに来れるな。俺は捨てられた子以上の意識は無いし、もう父親なんて存在してないから」



  俺は膿のように溜まっていた気持ちを吐き出した。
  本当は叩きつけた言葉以上に心が崩壊している。

  両親の不仲から始まった悲劇。
  全てが壊れた後にやって来ても、突っぱねる事しか出来ない。



「翔……悪かった……」

「ふざけんな……」



  翔は歯を食いしばっていると、父親は地面に片膝ずつ着いて再び頭を下げた。



「何の真似だよ……。今更頭を下げてんじゃねーよ」

「今まで惨めな思いをさせてしまってすまない……」



  翔は父親の情けない姿にやりきれなくなると、荒れ狂う感情を逃すかのように空を見上げた。
  謝意を示して頭を下げたままの父親の覚悟は揺るぎない。



  昔は太陽の日差しを遮るくらい大きく感じていた父の背中。
  小さい頃はそんな背中を目掛けて必死に追いかけていた。

  父さんみたいに大きくなりたい。
  父さんみたいに力強くなりたい。
  父さんみたいな格好いい大人になりたい。


  キャッチボールやサッカー。
  そして夏にはプールや海。

  父さんは決まったように身体を動かす遊びで喜ばせてくれた。


  ……でも、そんな父さんがいま。
  俺の目の前で頭を下げている。
  昔は日差しを遮るくらい大きかったのに……。


  父さんが許せない事に変わりないけど、これ以上情けない姿が見たくなかったから、腕を引いて身体を起こした。



「……分かったから立てよ。いつまでも情けない姿を見せんなよ」

「翔、ありがとう……」



  父親は息子の優しさにジワリと涙を浮かべた。

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