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煙草
しおりを挟む寂れた裏路地は、総てが死に絶えたゴーストタウンみたいだ、廃墟っぽい建物についている厚いガラスのドアは、貼りついた赤いシールが空気を含んでブクブクと浮き上がり端の方がベロりと捲れてる。
もういない誰かの記憶が刻まれているようだ。
紫音がドアを押すと底が擦れて足拭きマットを引き摺った。薄暗い店の中は甘い空気がモアっと烟《けぶ》っている。
躊躇する足は背中を押されて踏ん張りきれなかった。
紫音は「店」と言ったがどうやら営業はしていないらしい、古い椅子が隅の方に積み上げられて厚い埃が溜まっている。窓に打ち付けられた粗雑な板が割れた隙間から、浮遊する埃を含んだ光の筋を取り込んでいる。
合板が禿げたカウンターには大人が二人、黒い革の椅子にもう一人いるが全員煙草を吸っていた。
店の中に入ると一斉に視線が集まって来た、ここは来ちゃいけない場所だと感覚が告げる。
「あの……俺は…」
「何も怖がらなくていいよ、騙してなんか無いからね」
ホラっと紫音が指差した先の長椅子には、片足を床に落とした八雲が正体も無く眠っていた。
「いつからここに?朝は学校にいたんだけど……いつ帰ったんだろう」
「さあね、僕も知らない。多分もうすぐに起きるからちょっとここで待ってれば?悪いけどさ、壱は寝てる所を起こすと面倒くさいんだ」
「……寝起き……悪いんだ」
「試したいならどうぞ?止めないよ」
紫音は綺麗な顔を悪戯っぽく歪めてちょけた仕草で「やってみなよ」と笑った。
サラサラの長い髪は肩の辺りでカールしてふわふわと揺れている。細面の顔は華やかでこうして間近で見ても女に見える。…ってか女にしか見えない。
勝ったと思った。
昔から可愛いとか美人だとかよく馬鹿にされるけど女に見えるって言われた事は無い。
「待ってる間に何か飲む?」
「え?何かくれるの?」
「ハハ、返事するより先に尻尾を振るんだ、そこに座って待ってて」
また、可愛いと言われてしまった。よりによって紫音に……。
尻尾って何だ、やっぱり馬鹿にされてる?
人形のような顔でサラッと毒舌を吐くが、紫音が破顔するなんて無いって思い込んでいた。
笑うと結構普通だ。
出口に一番近い革の椅子に座っていた誰かをカウンターに行けと押しのけて、コーラをくれた。
ちょっといい人。
「ありがと……ございます」
実の所紫音が誰で八雲とどんな関係性があるのかまだ聞いてない。ついラフになったお礼の後に「ございます」を付け足すと華のように笑った。
紫音を花に例えると、大業に育てられても一輪しか咲かない高そうな蘭の花って感じ。
「僕が蘭の花なら君継くんは足元に伸び伸び育ってる菜の花ってとこかな」
「………足元?」
「まあいいから座れって、遠慮しなくていいんだよ、見た通り営業はしてない」
「八雲はここで何を?」
「いつもここに来ているのか?」って聞きたかったけど聞けなかった。
それにしても今日の紫音はよく笑う。
何が面白いのか、ふふっと艶やかに唇を歪めてサラサラの髪を掻き上げた。
「壱はたまに来てダラダラしてるだけだよ、今日はマラソンで死にそうになったからって雪崩れ込んで来てすぐ寝ちゃった。壱は普段から運動しないからね、馬鹿だなあ」
「イチ……」
親しさをアピールされているのだろうかと疑う。そう言えば八雲の名前は知らない。
「あいつは壱条《いちじょう》っての、苗字みたいだろ?笑っちゃうよな、壱がマラソンだって……」
「笑うなよ」
「だって面白く無い?」
確かに八雲が走ってる所は想像できないけど高校生なんだから体育だってあるし、家庭科だってある。
関係ない奴が笑うなって言いたいけど、その前に気になったのは紫音との会話だ。
口に出してない事を先読みされているような気がする、けど……今の自分が変だから口に出しているのかもしれない。
そんな事を考えている事自体が本当に変。やっぱり八雲と話したりしない方がいい。
「あの…八雲は疲れてるんだと思うから俺は帰ります」
「まあまあ、ほらせっかくジュースも入れたし、ここでジュースなんか飲む奴いないから勿体ないだろ」
一旦は座ってしまったがこの店の残骸は雰囲気からしても無関係な子供が来ていい場所じゃないのだ。立ち上がりかけると、待てと掴まれた紫音の手が、自分でも驚く程気色悪くて思わず跳ね上げた。
「すいません、俺……」
「ああ……キテるね…」
「来てる?……」
何を指して来てると言われたのかはわからないが問題があるのは紫音の手じゃない。
ちょっと触れただけなのに人の肌が気持ち悪くて鳥肌が立ってしまった。
「いいから座って…治してやるよ、その苛つき」
「ちょっ…俺に触……」
伸びてきた紫音の腕を避けたつもりが予想外に腰に巻き付き、叫びそうになった口を押さえ込まれた。
紫音が手に持っているのは火の付いた煙草だ。
「んんっっ?!何す……」
「吸って」
グッと顎を抑えられて吐き出せない。強くて外れない紫音の腕に必死で争っていると、どしんと腹に衝撃を喰らい、咄嗟に引いた息と一緒に大きく煙を吸い込んだ。
甘いって思ったのは一瞬だった。煙だった物が固形物に形を変えて逆流してくる、弾けたように噎せて体を折った。
「あ~あ……初めての癖にそんなに思いっきり吸うから…」
吸わせたくせに。
反論したいけど声を出すのは無理だり
肺に入った異物を押し出そうとする激しい咳が止まらない。もう胸の袋に空気は無いのに吸う事もままならず、涙と一緒に何も入ってない胃からも苦い液体がせり上がってきた。
「苦し……吐く……」
「大丈夫だから落ち着いて、ゆっくり息をして……」
紫音が口元に持って来てくれたジュースを流し込むと、どうしても取れなかった喉のイガイガがやっと落ち着いてきた。
「どお?…落ち着いた?」
「何か………頭がぼうっとする」
「もう一口吸いなよ……今度はもう少し浅く……ゆっくりな」
煙草は20歳を過ぎようが手を出していいものじゃ無い……と教えられている。身近にも煙草を吸う人は八雲くらいだ。
こんな臭いがするなんて知らなかったが、初めて吸う煙草は甘くて、香ばしくて、八雲からする臭いと同じだった。
今度は強引じゃない紫音の手がそっと唇に当たる。ゆっくり……言われた通りゆっくり、浅く煙を吸い込むと、やっぱり肺が煙を拒否をして咳き込みそうになる。
「がまんしなくていいよ、慌てずにゆっくり吐き出して……」
耳にくっ付く距離で紫音の声がする。
肩に掛かった腕が頬に触れているがもう気持ち悪く無い。
紫音に背中を押されて吐き出すと、口の中から白い煙がゆらりと立ち昇っていく、軌道を追ったが……なんだか見えない。
また差し出されたコーラは、冷たくて甘くて美味しい。
一気に飲み干すと誰か知らない手が新しいグラスをくれた。
口元にある煙草からは魅惑の臭いがする。
今度は肺に入れないようにそっと吸い込み吐き出した。
何なのだろう、この浮遊感。
目がチカチカして身体が軽くなったような気がする。足の感覚が無い。椅子に座っている筈の体がふわふわと浮き上がっているみたいだ。
この感覚には覚えがけど………どこで感じたのか……今考えたくなかった。
「もう一口だけなら吸ってもいいと思うけど……どうする?」
「吸う……」
「ハハ……順応早いな……ほら、急ぐなよ」
「うん……」
紫音が目の前に煙草を差し出している。
口を持っていこうとすると……後ろから出て来た大きな手が火の付いた煙草をグシャっと握り潰した。
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